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ある病院にて

----看護婦さんに教えられたこと

向井俊博

昨年の夏、母が腸の手術で入院した。看病のために病院に身を置いてみると、生死に直面している患者さんにとって、いかに看護婦さんの心づかいが大切な世界であるか痛感した。

手術室にはいる直前、台車付きのベッドで、母は不安そうで落ち着きがなかった。なす術もなく、私はひたすら激励の「がんばれ」をくり返していた。これを見てつと歩み寄ってくれた看護婦さんは、「麻酔が効くので、気がついたら終わってますよ。簡単な手術なので、心配しないで」と声を掛けてくれた。この一言で、母の顔はぐんと和らいだ。

思ったより長い手術を終え、母が病室に戻って来た。いろんなチューブや点滴の処置を終えて看護婦さんが立ち去ってしばらくすると、麻酔がさめてきたのか、母が苦しみだした。「痛い、痛い」の連発である。どうしていいかわからず、「がんばれ」を再びくり返して元気づけようとしたが、母の方は聞く耳を持たなかった。かなり苦しそうになってきたので、看護婦さんを呼びに行った。

駆けつけてくれた看護婦さんは、まず母の名を呼び、こう言った。「どこが痛いのですか?」「どんな風に痛むのですか?」と、極めて具体的に問いかけてくれる。母は、一生懸命それに答えている。一通り聞き終えると、看護婦さんは「本当に痛いでしょうね」「たくさん切ったから痛むのですよ」「よくがんばりましたね」と言いながら、母の手を握り、もう一方の手で手の甲をさすってくれている。「みんなこうしてがんばるんだから、もう少しがんばってね」の言葉に、目を見返し、「がんばれますか」「どれくらいがんばれるか見せて」と念をおされて母は思わずこっくりしている。しばらくがんばってから痛みどめの注射をうってもらった母の顔は、安堵と自信に輝いているように見えた。

仕事の枠を越えて、心底から患者に呼びかけ、手を握り、さすってくれた若い看護婦さんに心を打たれる一方、苦しむ人とのふれあいや慰め方の機微を学ばせてもらった。

応対の真髄は、煎じつめると「対話」「励まし」「救い」の三要素にあるように思われる。

看護婦さんの応対の基調が、対話であったのがまず思い起こされる。「痛いの?」「どこが?」「どんなに?」と問いかけることで、おのずと対話が生ずるし、苦しい状況を本人自身が話すことにまた妙がある。相手が自分の苦しみを聞いてくれ、次々と問いかけられることで理解もしてくれていると、自然と心を開いていくわけだ。

次に、看護婦さんの励まし方に注目したい。「みんながまんしてきたのよ」というのは、私の「がんばれ」と大差ないにしても、「がんばれますか」に続く「どれくらいがんばれるか見せて」の言は、絶妙であった。この一言で、母はかなりの時間苦痛を耐えしのいだのだ。

やりとりの最後に、看護婦さんは「痛くて眠れなくなったら、痛みどめの注射を打ちますからね」とつけくわえてくれていた。これは、きちんと救いの手を示しているということである。

対話、励まし、救いの三拍子揃った応対の機微が、看護婦さんの笑顔と共に、いまだに思い起こされる。

もう一つ、この病院で目にした光景が忘れられない。腰の曲がった老人の患者さんに廊下ですれちがうと、その看護婦さんは腰をかがめて、「おじいちゃん、きょうはどう?」と呼びかける。パジャマ姿の小さな子と話すときも、相手の背たけに合わせてかがむ。この何気ないしぐさにも心を打たれた。相手の高さに合わせ、目を見つめての会話には、はた目にも心の通い合いがうかがえる。そういえば、愛犬家がつっ立ったままで、犬の頭をなでるのを見たことがない。

母の退院を待つ間の大部屋の病室は、人生の縮図を見る思いであった。あとから手術をしたのに、「お先に」と元気よく退院していく中年のご婦人。この人は、手術後に麻酔が切れても、うなり声一つ出さなかったそうだ。「お産より楽だ」と言っていたそうで、母が感心していた。退院のお迎えは、おおぜいの子供さんで、大層にぎやかだった。

一方では、退院の時期がきても、身寄りがなく、食事の面倒を見てくれる人がいないので、もっといさせてくれと看護婦さんに頼みこんでいる人がいる。

そういえば、同じ部屋で、二十歳前後の青白い顔のほっそりした女性が、ある日突然、特別な治療を受けるためだと称して、大きな病院へ移っていかれた。余命の保証のない人だそうだ。

この人に、かの看護婦さんは、いったい何と言って励ましていたのだろうか。

(平成2年11月15日)


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