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秋の一日 鶴見緑地にて

下町カラス

 朝、目覚めてカーテンを引くと、青空が飛び込んできた。筆で書いたような薄い雲が、幾筋か走っていたが、明るい空が、東側の窓に広がっている。昨日まで降り続いていた雨と、気象予報からは信じられない空模様だ。三週続けて週末は雨にたたられていただけに凄く得をしたような気分の休日の朝である。
 気象庁の大阪の雨量データによると、今年に入って、1mm以上の雨を観測したのは、日曜日が一番多く、水曜日、月曜日、土曜日の順に続くらしい。週末や休日に雨が多いという印象は、あながち誤りでは無かったと云うことになる。
 西の空は対照的に、嫌な予感をさせる雲が顔を覗かせている。午前中は何とか期待出来る天候だと思うと、家の中で休日を過ごすのは、お天道様に申し訳無いような気持だ。せっかくの休日を、このような天気に恵まれたのだから、何処かに行きたく、身体がウズウズして仕方なかった。
 処理しなければならない仕事、目を通さなければならぬレポート、読みたい本、見たいドキュメント番組のVTRなどが山積みされている。しかし、それはどんなに時間があっても、ゼロには成らないものだ。仕事を追い駆けている間は、無理をしても、巡り来たチャンスを活かす道を採るのが、私の信条である。
 せっかくの天気だから、何処かへ行こうと云う私の提案に、家内は、洗濯物がたまっていること、子供達は、運動会の練習疲れを理由に、肩を窄(すぼ)めた。致し方なく、家族をあてにせず、降って涌いたような「秋の好日」を、私は一人で満喫することにした。
 以前なら、強引に家内や子供達をつき合わせたが、最近はよっぽどのことが無い限り、各自の自由を尊重し強要しないようにしている。
 朝食を済ませると、私は自転車で鶴見緑地(花博記念公園)へ向った。吾が家から自転車で、子供で30〜40分、大人で20〜30分の距離である。もう数えきれないぐらい足を運んだ公園だ。途中、吾が子達が卒園した『さわらび保育園』があり、季節がら運動会を行なっていたので、ちょっと足を止めて、覗いてみた。
 保護者の多くが参加し、園庭を所狭しと子供と一緒になって汗を流している。幼児の無邪気な表情、ひたむきさ、明るさには、元気を呼び起こさせるパワーを感じる。日頃忘れている心の青空が、目覚めるようだ。吾が子が卒園して4〜5年が経過し、お世話になった先生(保母さん)も退園した方が多く、こうして変わって行く保育園に、時の流れを感じる。十数分間、運動会に見入ってしまったが、ペダルを踏み、鶴見緑地に向った。
 1990年に行われた『花と緑の博覧会(通称・花博)』より数年前の、独身時代、恋愛期間中だった家内と頻繁に訪れたものだ。当時、駐車場はアスファルトでは無く、砂利を敷き詰めたままで、無料だったように思い出される。鶴見緑地の園内も、ごく普通の公園のような解放感に溢れて、細やかな手入れが施されていることを、意識させない自然な雰囲気だった。
 花博閉会後に現在の『花博記念公園』として、再整備されて街の公園に戻されたが、下町の普段着から、山手の正装のような、気位の高い公園に変わったように、当時の私は感じた。しかし、何度も足を運び、時間が流れるにしたがい、木々が大地に根づき、根を広げてゆくように、鶴見緑地に抱いていた違和感が、少しづつ薄れてゆき、憩いの場として、親しみを感じるようになってきた。
 鶴見緑地に着いたときは、薄っすら汗をかいていた。朝露で少し湿った土の香りと共に、草木の息吹のような香りが、私の鼻腔を突いて来た。車の排気ガスと熱気が澱(よど)むアスファルト道路とは、全く違った匂いだ。子供の頃、何処からでも匂っていたような懐かしさが、ふっと心を過(よ)ぎった。
 人出は想像していたほどでは無かったが、憩いを求める多くの人々が、三々五々、それぞれ秋のひとときを楽しんでいた。
 シドニー五輪、マラソンの高橋尚子の影響だろうかジョギング姿の老若男女が、多いように感じた。犬などペットと共に散歩している人、足の運びがおぼつかない孫の両手を引く老夫婦も見かけた。キックボードで駈ける少年の姿も、増えたように思う。一過性の流行にも、子供は敏感だなぁーと感心する。
 木々の狭間からは、祭囃子の練習だろう、笛や鐘の賑やかな調子が響いて来る。もうすぐ秋祭りのシーズンだなぁーと思う。私は自転車を駐輪所にとめて、ブラブラと散歩を始めた。
 芝生広場では、何組かの大勢のグループが、草野球をしたり、輪を作って何かのゲームに興じていた。カラオケのグループが幾つも有り、玉石混淆の歌声や歓声が、高い秋空に吸い込まれてゆく。気兼ねなく美声をふるわせている人々の表情からはストレスまで秋空に雲散霧消してゆくようだ。
 おそらく職場では想像も出来ないような笑顔が、あちらこちらから飛び込んで来る。このような明るい表情に触れると、人間っていいなぁーと思う。決して一人では得られない喜びだろう。人間は人間と関わって、シアワセが膨らむものだとあらためて実感させられた思いがする。
 独身の頃、女性とデートをしたときは、ほかのカップルがやたら目に付き彼等の服装や様子が、何故か気になった。結婚し乳母車を押して、家内と散歩した頃は、子連がけっこう多いことに驚いたことを覚えている。人は、それぞれの時期に、同じ様な立場の人々を無意識に捜し観察しているのだと思う。
 最近は、中高年夫婦やその家族のが、自然と目に入るようになった。40代、50代の人々は、久しぶりの雨の上がった休日を どの様に過ごしているのだろうか?
 芝生でおおわれたなだらかな起伏の中を、一筋の細流(せせらぎ)が流れ、日陰を作る為に植えられたような木々が枝を伸ばし葉を茂らせている。
 その下で、私より少し年配の男性が二人切り株に腰を掛けて、ギターの練習をしていた。どうも一方の人がベテランで、他方が未熟な様子だった。曲目は、若い頃よく耳にしたアメリカンポップスで、同じところを、何度も繰返していた。二人の様子から、音楽教室の個人レッスンとは思えず、気の合った二人が、音楽を楽しんで休日のひとときを過ごしている印象だ。
 少し離れた処で、同じ様な中年男性が二人同じ様にギター演奏をしていた。こちらは、互いに弾き込んでいる印象だった。
 以前、高校生らしい4〜5名が、サックスやトランペットなどの吹奏楽器の練習をしている処に出会ったことがあるが、彼等には音楽を楽しんでいるような余裕は感じられなかった。中年になっても、音を合わせ、声を合わせて気の合う者同士がギターを楽しんでいる風景は、カレッジフォーク世代の私にとって、音楽の暖かさと共に、懐かしさが胸に広がり、ちょっぴり幸せを分けてもらった思いがした。
 風にゆれる曼珠沙華(彼岸花)の横に、花博のパビリオン跡の記念パネルが埋め込んである。その横でキャンバスを広げ筆を振るっている人がいる。絵心の無い私には、羨ましい限りだ。俳句か短歌を詠んでいるのだろうか、小さなノートにペンを走らせる人々にも出会った。
 オランダ風の風車がある丘には、真っ赤なサルビアが所狭しと一面に咲いていた。思わず息を呑む見事な風景だ。子供や妻に見せてやりたい美しさだった。サルビアと並んでコスモスが広がっていたが、こちらは、まだチラホラ咲きで、ちょっと残念だった。
 このコスモスを目当てに、アマチュアカメラマンが、構図に頭を捻り三脚をセットし、シャッターを切っていた。ひょっとすると、開花したコスモスの花びらよりもカメラマンの方が多いかもしれない程の人数だ。レンズやフィールターを換え、反射板などの自前の小道具を拵(こしら)えて、皆さん、なかなかの熱の入れようである。
 独身の頃、私もその一人だった。いろいろ凝って、思い通りの狙いでシャッターを切った写真より、なんとなく撮った写真の方が、良い出来栄えだったことが多かった。所詮私の腕前は、「偶然の産物」以下だと苦笑したものだ。
 このカメラマンは、大半が一人か、グループである。そんな中で、二人連れは、一組の老夫婦だけだった。男性が、ああでもない、こうでもないと一輪のコスモスに、撮影角度を思案しているのを、少し離れた処で、ご婦人がいつまでも黙って見つめていた。待つことも喜びであるような、暖かな眼差しゆったり時間を楽しむ様子に、夫婦の年輪みたいなものを感じた。
 気兼ねなく、たっぷり時間をかけて一枚の写真を撮ることは、今の私達夫婦には、とても出来ないことだと思う。お互いに相手を気遣い、疲れてしまうからだ。私達は、このような老夫婦になれるだろうか?
 崩御された昭和天皇ご夫妻の写真集に、吹上げ御苑の梅を愛でられる両陛下の一枚がある。穏やかな表情もさることながらさりげなく天皇の手を、添えるように握られる皇后、近過ぎず、離れ過ぎないお二人の距離に愛情が、にじみ出ているように感じる。
 コスモスを撮る老夫婦から感じられる愛情は、潔(いさぎよ)い明治男と、強靭(きょうじん)な明治女の昭和天皇ご夫妻の写真から感じられる夫婦愛と、また違った印象を、私は受けた。皇族と庶民や職業や地位の違いというよりも、世代によって夫婦愛も微妙に異なってゆくように思う。
 リンカーンだったか森鴎外だったか定かでないが、『中年になれば、自分の顔に責任がある』 と云うような趣旨の言葉がある。夫婦関係にも、同様のことが言えるかもしれない。
 私の世代までは、結婚して子供を作ることが、疑うことの無い人生の前提だった。しかし今は、結婚も出産も、人生の一つの選択肢に過ぎず、いろんな生き方の可能性が広がってきた。事実、いろんな生き方に少しづつ市民権が得られている。
 今の若者たちが、歳を重ね中年、老年になったとき、どのような顔をしているのだろうか?そして男女は、どのような年輪を刻んでいるのだろうか?
 オランダ風車から、ゴミで作られたと云う鶴見新山へ向かった。真っ直ぐ頂上に進む階段の道と、山を囲む螺旋状のスロープの道がある。数年前に左膝を傷めてから、階段が苦手なため後者の道で登った。
 『鶴見新山』と一人前の名前が付けられているが、小さな丘のようなものである。しかし、山頂に立つと、鶴見緑地の全景が見渡せ、東は飯盛山から信貴生駒山地まで、西は大阪城から梅田の高層ビル群まで一望出来る。視界が広がると、心も開放されるような気がする。
 始めてここに立ったときは、自分の住む町を探したものだ。目印になる大きな球形の4つのガスタンクが、ビルの谷間に埋もれている。以前は、そうではなかった。大小さまざまなビルが増えたことを、改めて実感する。都会の生活圏内では、水平線や地平線が見られなくなって久しいが、増え続けるビルに押し込まれて、益々視界が狭められてゆくようだ。
 なだらかな道を下って、小さな滝や日本庭園を巡ぐり、空高く水を打ち上げる噴水が幾つも並ぶ池に出た。その池沿いに売店や便所があり、たこ焼きを肴に缶ビールを買った。すこし歩いてベンチを探して腰掛けた。
 目の前に芝生広場が広がり、時間と共に行楽の人が増えている。バトミントンやフリスビー、サッカーを楽しんでいる人々大縄跳びに興じているグループもあった一方で、ベンチに寝転がって、うたた寝している中年男性もいた。汗だくになって、スケボーの練習?に取り組んでいる若者もいれば、携帯電話のメール交換に熱心な若者も、数名見かけた。
 そんな中で、ソフトボールを使って、二十歳過ぎの一組の男女がキャッチボールをしていた。ワンバウンドのボール捕球を、男の子が上手に教えている。少し厳しい指導なのに、楽しそうな雰囲気で、女の子が上手く捕球できたときの笑顔が、とても素敵だった。いい汗をかいているなぁと思う。
 十数年前、私達夫婦も目の前の二人と同じようにキャッチボールをしたことがあったなぁーと思う。あのような笑顔を、私達夫婦はお互いに長い間見せていないように思う。そして、私は今こうして、ひとりで余暇を楽しんでいる。妻も子供も誘ったが、このひとときを共有していない。自分では意識していないが、倦怠期なんだろうか?ごく普通の中年夫婦だと、自分では思っているのだが。
 単純な喜びが、素直に笑顔となる若さって、理屈抜きで、良いもんだとあらためて感じた。羨ましいほど、美しいとも感じた。若さの持つ輝きに、魅せられたのだろうか。一本の缶ビールで、ちょっと酔ったのかもしれない。
 西の空から顔を覗かせていた雲は、少しづつ墨を流したような色に変わり、いつのまにか、生駒山の方にまで広がっていた。もう、そこまで雨が迫っているような空模様である。家内と子供達のお土産に、たこ焼きを買って私は駐輪所まで戻り、帰路に着くことにした。
2001.5.10 改稿


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