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愛情の貯金

りつ

「りつ」の子供の頃の
お話しです(^-^)/

「りつ」は3姉妹の末っ子である
(^o^)(^0^)(^0^)

小学生の時、「りつ」が1回(^0^)
姉たちは4回転校を経験している
(^o^)(^0^)

つまり姉たちは6年間に
5校の学校を渡り歩いた事になる

これは転勤族でも無いのに
結構珍しい記録だと思う(^◇^;)

原因は父の自由な性格にある

父は大震災の年に病死したが

父は少なくとも24回転職し
沢山のものを壊したし
ヒトも母も沢山たくさん傷つけた

アパートの2階からガスボンベを放り投げたり、
夜、飲酒して、当時、寄付を募った中学に因縁をつけて
校長の自宅を聞き出し電話で抗議したりした

遺族年金で手続きした担当者から
母は、「年金受給にギリギリです」と
告げられて「大変だったですね」と
労(ねぎら)われた(^◇^;)

ヒトから、私たちは「可哀相」と言われたし
確かに可哀相な環境だったかも知れない(:_;)

しかし父はずっと陰で苦悩していた(O.O;)(o。o;)

どうして自分のやる事はこんなに
ことごとく間違っているのか?

「りつ」が5才の時
母は、自由な父に聞いた・・・
親を選ぶか、「りつ」たちを選ぶか

荷物はミシン1台で
新しく知らない所で、自由な父と生きた為
母は引き替えに笑顔を手放してしまった

母は生きる事に必死で
「りつ」たちの子供の頃の話をしても
ほとんど覚えていない・・・(..;)

でも「りつ」は覚えているよ(^^)v

母が、「りつ」たちの小さい頃に、生地を買って
いつも3人お揃いの服を縫ってくれたことを(^o^)

お陰でチビの「りつ」は
服で困ったことが無かったよ(^^)v

確かにお金は無かったけど
少ないお金の中から
母が、安くて良い生地を選んで買ったり
見栄えの良いボタンを探し出したりして
マホウの様に出来上がる服を見るのは
とても楽しかったヾ(^v^)k

今は縫うより買った方が
ずっと安上がりになったけれど

そして当時でもクラスのほとんどが
洗濯機のある時代に、
母はタライと洗濯板で洗濯していた^_^;

でも母は握力が無いから絞るのが苦手で
いつも乾きが遅いとコボしていた(・〇・;)

ご存知ですか?洗濯板って使っていたら
あの波のギザギザがすり減って来るんだよ〜(^◇^;)

当時でもタライや洗濯板がもう入手困難で
母は沢山の雑貨店をクルクル探し回っていました

そんな頃「りつ」の5年の時の担任が
クラスのミンナに聞きました(^0_0^)

この中で洗濯機を使わずお母さんが
洗濯してくれてる人は居ますか?

「りつ」はソレが恥ずかしいと思わず
手を挙げた(^0^)/はい・・・

今から思うとイジメのキッカケになりかねない
その質問(^_^;に、意外なことに
クラスの人気者の男の子も
手を挙げた(^0^)/(`-´)/

先生は、もしかしたら
誰の家に洗濯機が無いかを
ご存知だったのかも知れない

だからか、先生はその時代でも「大変なのに
洗濯機を使わず洗濯してくれるお母さんは
素晴らしい」と誉めてくれて「りつ」は、
はにかみながら照れた

ヽ(^O^;)ゝえへっえへっえへっ

その先生が高村光太郎の「道程(どうてい)」という詩を
黒板に書いて感想文を児童に書かせた時
「りつ」の感想文を「詩の感想が詩になってる」と
誉めてくれた(^^)//""""""

はにかみながら、「りつ」は
そうなのかなあ・・・と思った☆
でも国語が好きになった(*^▽^*)ェ

今も「りつ」の恩師である、その
担任は何の取り柄もない「りつ」の良いところを
一生懸命探して、その後も何かと気に掛けて
くださったと思うヽ(^。^)丿

また「りつ」の父もヒドいコトばかりでもなく
クリスマスの前になるとドライアイスを
手作業のノコギリでガリガリと切っていた。
それは一日冷凍庫の中に居る
過酷な作業だったがソレをすると
クリスマスにケーキがタダで貰えるのである(^^)v

そういう年が何年かあったし
「りつ」が低学年の時に一枚も年賀状が来ず
「りつ」の元気が無かったら、父は母に「余分の
年賀状はあるか」と聞いて何か一生懸命書いていた・・・

しばらくして「りつ」宛に年賀状が1枚届いた、
いつも母を苦しめる父からの優しさが
まだその頃の「りつ」には複雑で
どう喜んだら良いのか分からなかったが

父が子供の頃、祖母は隠れて
父にお菓子を与えていたらしい
「ヒトにやったらお前の分が
減るからな」と言って

でもヒトにあげないとダンダン、ヒトからも
貰えなくなる・・・

ソレはモノだけでなく、思いやりを含めて
すべての人とのふれあいだと「りつ」は
思う・・・父は祖母から「人は踏み付けるもの」だと
教育されたそうだ。

だから父が「モノゴコロ
付いてからヒトから何かを貰った記憶が
無かったらしいよ」と母から聞き、「りつ」は
そんな悲しいヒトが居るのかと驚いた( ・_・;)

そんな父が、母の兄から貰った古銭を
子供の様に喜んだという話を聞くと、
「りつ」は母を苦しめた父に対して
振り上げた心の怒(いか)りのコブシが
萎(しぼ)んでいくのが分かったよ(;。;)

そんな閉鎖的な環境が正しい事と教えられた
父も陰でずっと苦悩していた(O.O;)(o。o;)

どうして自分のやる事はこんなに
ヒトを傷つけるのか?

父は結婚してから一つずつ母や仕事を通して
色んなことを学び、段々血の通った人間になっていったが
3人の子育てをしながら
生活を支え、成人の九州男児を教育し直すのは
母も大袈裟(おおげさ)でなく命懸(いのちが)けの
ことだったろうと思う(; ;)

しかし24回の転職も、
沢山の人に出会うキッカケとなり
晩年の父の「天職」に大いに役立ち、
お金が無かったお陰で「りつ」たちも
愛情の貯金だけはいっぱい出来たと思うヾ(^v^)k

ドライアイスも年賀状も
手作りの服も洗濯も
立派な愛情の貯金になったよ
ヾ(^v^)チャッリ〜ン

確かに「りつ」たちは可哀相な環境だった
かも知れない、でもソレを「りつ」たちが
悲しいと思えば確かに可哀相な子たちに
なったと思う

でもソレは大変だったけど
悲しいとは思わなかったよd(^0^)
だからお母さんは、もう「りつ」たちに
「ごめんね」って謝らなくて良いんだよ
(^o^)(^0^)(^0^)

たびたびの引っ越しも
大掃除みたいなモンだったよ(^^)v

お金で買えない愛情の貯金がいっぱい出来れば
ソノ人の心は豊かになって
きっと良いコトが沢山あるハズですよ
ヽ(^^)(^^)ノ


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