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愛とは、関心を示すこと

礒ひろし

 マザー・テレサは、「愛の反対語は無関心」と言われました。

 小さな子供は、誰かの関心を引くために「ねぇ、見て!」と言います。愛とは関心を示すこと、という視点に立てば、小さな子供ほど、愛というものがわかっているように思います。人から相手にされないで、無関心でいられるほど、辛いものはありません。

 愛について諸説ありますが、関心を示すことは、とても大切なことです。ただし、関心を持つことと、関心を示すことは、若干ちがいます。

 関心を持つことには、言葉や態度は必要ありません。しかし関心を示すとなれば、温かい言葉であったり、好意的なしぐさや態度が要求されます。

 関心を示す方法には、やさしい言葉や、笑顔や、相手の目を見つめる、などがあります。やさしい言葉が、お互いの心を癒します。笑顔が、人を元気にします。嫌いな人は目を見ませんから、相手の目を見ることは、関心を示している証拠です。

 相手の名前を呼ぶことも、関心を示す手段です。人は自分の名前を呼んでくれる人には親近感を持ちます。名前を呼ぶことは、相手を尊重すると同時に、相手の好印象を引き寄せます。

 言葉が見つからなくて、そっと手を握りしめることも、関心を示すことです。この他にも、関心を示す方法はたくさんあります。関心を示すことには、相手への思いやりを伝える役割があるのです。

 誰かから関心を示されることによって、人は元気をもらったり、勇気をもらったりします。もちろんその相手が、自分の好きな人であれば、なおさら元気になれます。

 愛の反対語が無関心であるならば、関心を示すことは、愛そのものです。愛は、自分の心を安定させる役割も持っています。関心を示すことは、人のためだけではなく、自分のためにもなるのです。

 愛とは、遠くにあるものではなくて、いつでもほんの身近にあるものです。ほんのすこし、まわりの人に対する関心の示し方を変えるだけで、潤いのある日常に変わるのではないでしょうか。

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 <あとがきに代えて>

 マザー・テレサさんのお言葉ですが、『愛の反対は、憎しみではなく無関心』というのが、どうやら正しいようです。

 僕がこの言葉を知ったのは、さだまさしさんのエッセイ(タイトルは忘れました・・・)です。メモをとった記憶はないのに、この言葉が心に残りました。

 それからマザー・テレサさんに関する本を読みましたが、手元にあるものには残念ながらこの記述がありません。

 『心の風景』に転載させていただくにあたり、正しい表現をと思い、ネットで調べてみました。

 


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