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蔦の葉通信121号

喜多村蔦枝

 五月五日、端午の節句です。我が男の子たちは帰って来ないので、飾られている兜や人形たちが心なしか寂しげに感じられます。柏餅を食べて、夜は菖蒲湯に入りました。お湯に浸かって菖蒲の香りに包まれていると、いまは亡き父母といっしょに、菖蒲園へ行ったことがあったのを思い出しました。
 めっきり足が弱くなった母の手を引いて、父は待ち合わせ場所である西武線玉川上水の駅にやってきました。若いころから足が弱かったのですが、そのころ母は三、四〇分歩くともう足が痛いと嘆くありさまでした。
 駅から一五分程歩いた所に、東京都の施設で汚水処理場を利用して菖蒲園が作られていました。休み休み歩きました。国立音楽大学の木立が、新緑で眩しいほどでした。
 それほど広くはない園内を、菖蒲とアヤメの区別がつかないねえなどとおしゃべりしながら歩きました。ベンチに腰掛け、どこかの駅で買ったらしいお寿司の折詰を開け、私にも勧めました。それをほおばりながら、なんとなく物憂い気分が漂ったのを覚えています。
 帰りは案の定母の足が痛みました。駅近くまで来ていたので、足を指圧しながら
 「もう一歩よ、陽子の所へ寄ってみようか」
 と言いました。
 駅前はマンション群になっていて、その六階に妹一家が住んでいます。電話をして妹が居ればラッキー、居なくても元々と思ったのでした。即座に母は大きい声で言いました。
 「いかん」
 ついでに立ち寄るという失礼なことをしてはいけないというのでした。父が静かに私に言い含めました。
 「世間一般の、ついでの折にお立ち寄り下さいという謙虚な言葉を鵜呑みにして、まあなんという子だろう。子供とはいえ社会人。いや子供ならなおさら急に来た親を断れない。失礼だし迷惑じゃ。そういう態度を取っていると、自分の子供が真似するぞ」

(蔦の葉通信121号より転載)


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