日本帝国主義と中小企業問題          
                  (1997年4月29日・記)
                    堀込 純一

                   【これはある討論誌に掲載されたものです】

 日債銀の破綻と米バンカース・トラストとの提携、北海道拓銀と北銀の合併―これらは実質的に日本版ビックバンの予行演習である。4月25日、生保中堅の日産生命が実質上の清算手続きに入った。2001年のビックバンを待たずして、来年4月の外為法改正、金融債(機業の社債にあたるもので、長期信用銀行、商工中銀などにしか許可されていない)の解禁など金融改革は大きく動き出している。
 今回は、前回、内容的に展開できなかった日本型政治経済システム(今回から、この名称を「日本型経済システム」に変更する。理由は、これまでの討論に配慮したことと、無用の誤解をできるだけさけるため)の軸心について述べる。

(1) 大企業支配体制と「日本型経済システム」

 「日本情勢」(第一次草案)で、「日本型政治経済システム」を国家独占資本主義の日本的形態とした。だが、この場合、従来の国家独占資本主義論について、簡単に総括しておく必要があろう。国独資については、諸々の学説があるが、「日本における第二次大戦後の国家独占資本主義論争は、国家論に論争点が集中したことが大きな特徴の一つとなっている」(池上惇著『国家独占資本主義論争』)と、いうように、私的独占の限界を前提に、国家独占の性格、実態、構造などに研究が集中された。
 このことについては、それなりの意義もあったが、致命的な欠陥は、私的独占の総体的な資本蓄積の様式が分析されていないか、ないしは軽視されていることである。
 現実に、オイル・ショックまで約20~30年間つづいた、戦後の高度成長は、資本主義の歴史においてかつてないものである。(下の図を参照―*これは略)
 この高度成長の持続(もちろん、その中での景気循環はあったが)を、単なる「国家の経済過程への介入」(財政金融政策など)だけで、説明する訳にはいかない。
 この点において、レギュラシオン学派(仏を中心としたグループで、正統派マルクス主義―アルチュセールの構造主義の批判的検討をとおして生まれ、新古典派ブルジョア経済学をも批判している。尚、レギュラシオンという仏語は、「調整」と日本語訳されている。)の唱える「フォード主義的蓄積体制」(単にフォーディズムともいう)の概念は、有効性をもつと思う。(レギュラシオン学派に対する総体的評価は留保する)
 フォード主義的蓄積体制というのは、まず第一に、テーラー・システム、フォード・システムによる大量生産体制が不可欠である。この生産管理方法の特徴は、モノ作りにおいて、精神労働部分を労働者から基本的にハク奪し、残った作業過程も、できるだけ細分化、単純化し、システム化する。このことによって、熟練労働をバネとした労働者の反抗を解体し、規格化した製品を大量に生産する。第二に、労組活動を認め、生産性の範囲内での賃上げを認め(フォードは二倍化した)、第一の問題での労働者の不満を緩和するだけでなく、その賃上げした金で大量消費(耐久消費財を中心に)を促し、第一部門(生産手段生産部門)と第二部門(消費手段生産部門)のバランスのとれた相互的発展をかちとる。―こうした好循環の中で、独占資本の資本蓄積をすすめるのが、「フォード主義的蓄積体制」である。(これは、戦後革命期に各国で高揚した労組運動を体制内に定着させるのに大いに威力を発揮した)
 もちろん、この「フォード主義的蓄積体制」が、すべての産業部門でなのではないが、しかし、高度成長を支えた主力産業―自動車、家電、そしてこれを支える素材産業などに適用され、世にいう大量生産―大量消費の一時代を築いたのであった。
 だが、前述したように、旧コミンテルン系は、国独資論争でこの私的独占本来の蓄積体制に無関心だった。その理由は、一体、どこにあったのであろうか。
 最大の問題は、おそらくスターリンなどの「全般的危機論」(日「共」は、今これを廃棄しているが)にみられる資本主義観にあると思われる。
 それは、一つは、産業資本から独占資本(金融資本)への発展によって、資本主義は寄生性と腐朽性を強め、発展の限界につきあたったという一面的な見方である(ここから国家の援助が強調される)。だが、独占と競争は、対立する面もあるが、独占は必ずしも競争を排除するものではない。もう一つは、資本活動の外延的発展と、内包的発展を区別せず、」とくに後者を軽視したことである。外延的発展とは、資本と労働力を単純に増加させることによって、生産を拡大させることだが、内包的発展というのは、一定の資本と労働力でも、技術革新、設備投資、労働者教育などで労働生産性をあげ、生産を拡大することである。ソ連型経済が失敗した理由は、いろいろあるが、最も大きな要因は外延的発展から内包的発展に失敗したこと、これに関連するが、第一部門と第二部門のバランスある発展をかちとれなかったことなどにある。
 自らの経済の失敗と、国独資論の欠陥は、実は共通の根をもっていたのである。
 前回(......)で、「日本型経済システム」の軸心が、大企業支配体制、とくに重層的下請構造にあると規定したのも、このように従来の国独資論争を総括した上で、定めたものである。従って、金融システム、行政と業界の連携システム、財政システム、食糧管理・農協制度は、「日本型経済システム」の軸心である企業システム・雇用慣行(終身雇用制、年功序列制、企業別組合)を補完する諸制度といえる。
 では、この軸心が広い意味で「フォード主義的蓄積体制」といえるにしても、一体、いかなる理由で「日本型」としての特質をもつのであろうか。
 それは、日本の大企業支配体制の二大支柱である、①企業集団、②系列―重層的下請構造のうち、主要には②の内に見出すことができる。
 しかし、その前提には、「法人資本主義」(奥村宏)ともいえる、株主軽視(1993年の商法改正で、最近では株主代表訴訟がしばしば起こり、以前とは大分、変りつつある)の上に、大企業労資の協調とユ着がまずある。この大企業をピラミッドの頂点として、日本独特の重層的な下請構造が存在するのである。(1940年の第二次近衛内閣の下で、企業が利潤動機に従うのは株主の権利が強いからといって、株主権限の制限が始まった。同年の「会社経理統制令」では、配当統制が強められ、役員賞与も規制された。そして、役員構成も、内部昇進役員の比率が高まった。戦後も、この傾向をJHQが打破しようとしたが、財閥解体後の株の引き受け手としての個人の割合が減少し、また証券市場もなかなか発展せず、企業〔法人〕による引き受けが増えた。そして、1960年代の資本自由化で、外資による乗っ取り防止ということで、法人間の株式持ち合いが更にふえ、株主軽視がつづいた)

(2) 日本的下請構造の特殊性(外国と比較しながら)
 日本の下請構造を分析するにあたり、まず各国の中小企業の実態を比較することを前提とする。

 (イ)中小企業の定義
 中小企業は、どの国にも存在するが、資本主義が発達した諸国の中でも、とりわけ日本は、中小企業問題が社会問題として、歴史的に早くから官民でとりあげられた国はおそらくないであろう。戦後も、「二重構造」という名で、1950~60年代話題となった。
 日本では、この中小企業をどのように定義しているかというと、1963年の中小企業基本法による量的定義である。即ち、①工業、鉱業、運送業、その他―資本金の額、又は出資の総額が一億円以下(この額は後に修正された現在のもの)の会社並びに常時使用する従業員の数が300人以下の会社及び個人、②小売業又はサービス業―同じく一千万円以下、50人以下、③卸売業―同じく三千万円以下、100人以下―となっている。
 だが、この量的定義は、統計上では便利であるが、他面、実質的に大企業の一部である子会社も中小企業に含まれる場合もあるとか、業種ごとの違いが表現されないなど、いくつかの問題点がある。ここで質的な定義の必要が生じる。
 アメリカでは、1953年に制定された「小企業法」で、「本法でいう小企業(スモール・ビジネス。日本のように中小企業とはいわない―引用者)とは、独立して所有、経営され、かつ当該の事業分野を支配しない企業」と定義している。そして、付則では、「中規模の企業」、「競争能力を有する企業」を除外すると述べている。(量的定義では、製造業の場合、従業員500人未満)
 これは、同法の目的を「完全な自由競争」の維持拡大、「個人の創意、判断」を発展させる機会の確保に求めているためである。
 イギリスでは、他のヨーロッパ諸国と同様、中小企業問題への関心が低く、ようやく1960年代末から取りくみはじめ、中小企業政策の必要性を訴えた「ボルトン委員会報告」(1971年)で、次のように定義している。
 小企業(スモール・ファーム)とは、①市場シェアが相対的に小、②企業所有者が個人の判断で経営、③所有者=経営者が外部の支配から独立―という点をあげている。そして、量的には製造業では、従業員数200人未満としている。
 西ヨーロッパでは、中小企業問題の関心が低かったが、他方、手工業者は重視し、保護した。西ドイツでは、1953年に手工業条例が出され、小規模経営の93業種(1963年に125業種に拡大)を指定している。これは中世以来の「ツンフト」の伝統を生かした手工業者への独自の保護策である。同様の保護法制は、オーストリア、フランス、イタリアにあり、ベルギー、デンマークなどでも独自の政策をとっているといわれる。
 英米の「小企業」規定、西ヨーロッパの手工業者保護というのは、その前提として戦後の高度成長過程を通じ、製造業の比重が一層強まり、そこでは大企業の存在が、当然視されていたからである。日本のような形での中小企業問題(二重構造)が存在していなかったからである。
 しかし、1970年代(とくに石油ショック以降)から、中小規模企業のみならず、大企業も経営困難となり、大量失業問題が浮上し、中小企業に対する関心が強まり、種々の製作が強化されだした。この結果、製造業でみると、従業員数が、西ドイツでは中企業―499~50人、小企業―49人以下、フランスでは中小企業―499~11人、手工業者10人未満、イタリアでは中小企業―500人以下、手工業者―100人未満などとした。
 そして、ECも中小企業政策の強化をうたい、中小企業の定義を従業員数(製造業)500人以下、純固定資産7500万ECU(ECUとはECの通貨単位)以下で、より大きな企業により、資本の1/3以上を保有されていない―とした。
 韓国では、製造業で、300人未満~21人までを中企業、20人以下を小企業とし、台湾では、製造業で常用雇用者100人以下を中小企業としている。

(ロ)規模別の企業数・従業員数
 各国の製造業における企業数、従業者の規模別構成比、ならびに実数を比較すると、以下のようになる(後出の資料数字〔*転載にあたって略〕も含め、特別のことわりがない限り、基本として製造業を対象。尚、工業は製造業プラス鉱業などを指す)。各国ごとの大企業、中小企業、零細企業の量的定義がことなるが、ここでは、とりあえず従業者500人以上を大企業とし、9人以下を零細企業とし、その中間を中小企業として、比較する。
 まず規模別の企業数をみると、零細企業数の割合が少ない(それでも全体の50%台)のは、唯一、アメリカであり(以下、数字は後出の資料〔略〕による)、他は台湾(91年)66・1%を除き、70~90%台である。たとえば、日本(94年)72・7%、韓国とEU全体が79・7%、イギリス95・2%である(......)。大企業数の割合は、高い方から順に、アメリカ(91年)1・6%、イギリス(94年)0・6%、EU全体(90年)0・4%、日本(94年)0・3%、韓国(93年)0・2%である。
 中小企業数の割合は、高い方から、アメリカの40%台、台湾33・6%、日本27・0%、韓国20・1%、少ないのはEU全体の19・9%で、中でもイギリスは、最も少なく、4・2%である。
 今度は、規模別の従業員数を同じようにみると、零細企業の場合は、イギリスの38・2%、韓国19・0%。、日本(90年)17・6%、台湾14・1%、EU全体12・8%、最小がアメリカの数%。大企業の従業者数は、高い方から、EU40・6%(90年代の数字は手元にないが、ドイツの数字はもっと高い部類に属すと思われる)、次がアメリカ35・8%、イギリス26・2%(75年には、63・9%の高率を占めていたが、その後、急激に減少した)、韓国22・5%、台湾22・2%、最小が日本で12・7%(90年)。
 そして、中小企業の従業者数の割合は、この結果、高い方から、台湾63・7%、日本(90年)62・4%、アメリカ6割前後、韓国58・5%、EU全体46・6%、そして、イギリスが最も少なく、35・6%である。
 以上をまとめると、以下のようになる。
 第一は、日本は中小企業の数、またそこに雇用された従業者数が多く、後にみる重層的下請構造の前提としての、量的基盤がじゅうぶんにある、ということである。
 第二に、その対極にあるのがイギリスで、1970~80年代(......)にドラスチックに大企業クラスで、企業数も、従業者数も減少した。そして、増えたのが零細規模である。これは大企業を中心に失業問題が深刻となり、政府が失業対策として、中小企業問題をとらえ(EU全体にもいえる)、一定の援助をおこない、その結果、零細規模がふえたのである。ふえた零細規模では、企業家精神をもつものは少ないといわれる。
 第三は、「フォード主義的蓄積体制」の破綻で、大企業の数、大企業に雇用された労働者の数が、各国とも共通して減少している。
 第四は、EUの各国別の実態はよくわからないが、伝統的に大企業の少ないイタリア、スペインなどを除き、他の主要資本主義国、たとえばドイツ、イギリス、フランスなどで大企業の比重の大きさが残存している。もちろん、アメリカは依然として、大企業の比重が大きい。しかし、アメリカでも中小企業の労働者数が70年代と比較すると、5ポイント程、増えている。
 第五に、韓国は、70年代、大企業労働者が4割前後もいたのが、80年代急速に減少し、93年には、22・5%(17~18ポイント減)にも落ちている。台湾は、韓国ほどでもないが、それでも同様に、70年代と比較すると、90年代の大企業労働者数は、10ポイント以上減少している。
 全体的に、大企業クラスが、企業数でも、従業者数でも減少傾向にある(いうまでもないが、ここで全体的にといったのは、資料であげた国の範囲内である)。これは、大量生産―大量消費体制の破綻ないしは行詰りで、大企業の大胆なリストラが敢行されたことによる。日本もその例にもれないが、もともと大企業の数、そこの労働者数の少なかった日本は、その変動がもっとも小さかったといえる。
 だが、日本的下請構造の特殊性は、これらの数字だけでは明らかにしえない。ここでは、日本の中小企業の比重が高いことが把握できればこと足りる。
 そして、見落とすことができないには、中小零細規模の実数である。日本のそれは、94年で企業数で約82万事業所、雇用されている従業員数で約800数十万である。これに対し、アメリカは、企業数約82万事業所(91年)、従業者数約1178万人(人口は日本の倍以上)。西ドイツ(86年)は、手工業約47万を含め、約51万の企業、イギリスは(94年)、約18万企業、フランスは、手工業約26万を含め、約30万(86年)企業である。これらをみると、日本の実数は多い。

(ハ)大企業労資の「特権」性と、下請収奪の重層性
 日本的下請構造の特殊性は、まず第一に、賃金格差のはなはだしさである。第14表は、1000人以上の従業者のいる大企業の一人当り賃金を100.0とした場合、各クラスの比率を指数化したもので、9人以下のクラスは、わずかに大企業の1/3の賃金でしかない。
 これに対し、アメリカはレーガノミックス以降、賃金格差が激しくなったが、それでも第15表(*略)が示すように、19人以下のクラスでも、大企業の6割前後である。
 従来から、西ヨーロッパでは、大企業と中小企業の賃金格差は、10~20%ぐらいだというのが、一般的である。最近の統計は手元にないが、第16表(66年。*略)で、西ドイツをみた場合、50~99人の企業の賃金は、1000人以上の企業の労働者の賃金の93であまり変わらない。だが、日本の65年(第14表)でみると、10~99人の企業で61・6、100~299人の企業で71・4と、格段の差がある。
 韓国、台湾と比較したのが、第17表である。ここでも9人以下のクラス(対韓国)を除き、わずかではあるが、すべてのクラスで日本は劣っている。

第14表 規模別現金給与の格差(日本)〈「1000人以上」を100.0とする〉
     9人以下 10~99人 100~299人 300~499人 500~999人 1000人以上
1955年   ―    44.8    61.0      73.7      80.5     100.0
1960年   ―    48.2     60.6      70.0      78.5      100.0
1965年  32.1    61.6     71.4      80.1      83.9      100.0
1970年  35.0     62.5     70.7      79.5      84.6      100.0
1975年  34.0     58.8     71.9      82.7      86.1      100.0
1980年  34.4     56.8     69.1      80.4      86.5      100.0
1985年  34.9     55.7     66.1      78.9      84.0      100.0
1990年  37.3     56.0     65.7      76.9      84.7      100.0
1994年   ―     57.4     67.3      79.2      85.0      100.0
(資料)『工業統計表』通産省 

第17表 日本と韓国の・台湾の賃金格差比較〈「500人以上」を100.0とする〉
      日本(1990年)  韓国(1993年)  台湾(1991年)
9人以下    38.9       20.4        55.0
10~49     58.4       59.2        59.2
50~99     61.7       68.4        67.1
100~499    72.5      78.9        81.4
500人以上   100.0     100.0       100.0   
(資料)『工業統計表』、『韓国・台湾の発展メカニズム』
   
 日本の賃金格差が外国と比べ(とくに対欧米)、格段に大きく、しかも恒常的だということは、社会制度的な要因を予測させる。今ここでは、とりあえず欧米との比較で検討してみる。
 その理由の、まず一つ目は、労働組合の性格の違いが考えられる。欧米は産業別組合が一般的であり、日本は企業別組合である。従って、日本の場合、未組織の多い、中小零細の労働者にとってみると、闘いがないため一段と賃金格差が生じる。それに最賃制の違いが加わる。即ち、西欧の場合、最賃水準は労資の交渉で決定されるが、日本の場合は実質的に業者間の「協定」によるものであり、下層労働者に対する労組運動に影響力はきわめて弱いものとならざるをえないのである(企業別組合の限界)。高度成長期、賃金格差が若干縮まったのは、むしろ労働市場の需給関係に規定されたもので、オイル・ショック以降、再び拡大している。
 もう一つは、大企業を頂点としたピラミッド型の下請構造の下で、より下位が、より上位の企業によって収奪され、最終的にはより多くの収奪分が大企業によって占められたためである。
 このことは、数字として実証されることは困難ではあるが、論理的にいって、中小零細企業でより安い賃金で酷使され、中小零細の企業がより上位の企業によってされなければ、中小零細のもうけはもっと多く、中小零細企業のクラスを越えた上昇運動がもっと激しくなってもいいはずである。
 また、重層的な下請収奪の構造は、企業間の結合の日本的特徴、性格にも規定されている。これが第二である。
 欧米でも下請中小は存在するが、しかし、発注―受注関係は、基本的に市場での入札によって決定される。契約は今まで1~2年ごとに更新され、途中での受注単価の切り下げはありえない。最近では、80年代に「日本的経営」(の国際競争力)におされ、これを学び、長期契約もみられてきたが、しかし、その場合も、個々の企業は独立しており市場での契約によることは、今でも基本的に変わりはない。(ちなみに日本語の「下請」に相当する英語はないそうである。近い言葉にサプライヤーとサブコントラクターがあるが、前者は文字通り部品供給者の意味で、後者は発注先が設計ノウハウや原材料を提供して部品をつくらせる相手に使われる語で、日本語でいえば加工外注である。)
 だが、日本の場合は、市場での不特定多数との契約ではなく、互いの「信頼関係」を7基礎とした相対(あいたい)取引がほとんどであり、そして、長期固定的な、契約条項も大雑把な取引である。しかも、受注単価も、景気変動によって、一方的に変更されることもあり、下請単価、数量は発注側によって決定される。それは、」まさに「所有なきコントロール」であり、支配―従属関係を明らかに示している。(このためには、大企業などの下請への融資、技術指導、役員派遣、下請同士での「○○協力会」の組織化などが駆使され、」がんじがらめとなっている。)
 これは外見上では、独立した企業同士の社会的分業であるかのようにみえるが、内実は、より上位の企業の企業内分業を、」より下位の企業が担っていることを示す。
 こうした企業間結合の特殊性と連関していえることは、日本の大企業(とくに自動車・家電など)の外製化率は、80年代75%ぐらいで、欧米は50%ぐらいであった。この外製化率の大きな相違は、下請企業を大企業が子会社なみに自由自在に利用し得る関係が形成されているか否かを示す一つの指標である。
 第三の特殊性は、このような日本的な下請構造が、より深く広いということである。イギリスなどでは、「下請」は、一次、二次ぐらいが、せいぜいのところで、三次までになると、底辺部に達してしまうといわれる(『国民金融公庫―調査月報』1982年1月、池田正孝論文)。だが、日本では四次、五次、さらにはそれ以上もあり、ついには内職の部分にまで到達する縦深構造(重層性)をもっている。こうした重層性であるからこそ、大企業の収奪・取り込みも厖大な額となり、それをもとに、大企業正規労働者の「特権」性(終身雇用、年功賃金、高い社内福利厚生など)が維持されている。
 第四の特殊性は、大企業にとって不都合なことが、絶えず下請企業にしわ寄せされることである。
 欧米でも、「下請中小」が、景気変動のバッファー(緩衝器)として利用されることはある(たとえば、「下請」代金の遅延など)。だが、日本の下請利用はもっと組織的であり、不況期でなくても、大企業なり、あるいはより上位企業の職員の、定年後の「天下り」先として、下請企業に再就職する。そして、この「天下り」した人間の忠誠心は、依然としてかつての大企業などにあるのであって、支配―被支配、支配―従属の人的なカナメとなっているのである。不況期の場合には、それがさらに拡大し、出向社員が増大するという恰好(かっこう)であった。

最後に
 日本の下請け中小の存在は、激しく動揺し(80年代後半から)、今まさに淘汰整理―大再編の真っ只中にある。今後の動向はきわめて注視すべきことである。下請中小の今後については、①後継者もなく、経営がきびしく廃業する、②親企業と一緒に海外進出する、③自己の技術力を生かし独立する、ないしは同地域の仲間とグループをつくる、④従来どおり、親企業の選別に耐え、ついてゆく―など、さまざまな動きがある。この結果、どのような形に落ち着くのかは、日本経済の』動向とともに、今しばらく観察をつづけなければならない。        (終わり)



【追記】重層的な下請構造は、企業社会日本の根幹をなす。とともに、日本社会の支配秩序の基軸であると言っても、決して過言ではないであろう。重層的な下請構造も、1990年代以降の新自由主義の荒波の中で、大きな影響を受けたことは確かである。しかし、その基本は根本的に変わっていない。
 そのことは、新型コロナ禍での政府の「持続化給付金」制度を利用した、電通の姑息な対応に明らかである。従来と異なり、電通は元請役を自らの身代わり会社(「サービスデザイン推進協議会〔サ協〕」)に演じさせ、自分はそこから下請するという形をとった。それは、従来から自民党の広告宣伝会社としての会社の素性から、政府・自民党と一体となった「政商」が特別に遇されて、事業を得ることを世間に知られたくなかったからであろう。(実体の乏しい「サ協」からの再委託費は計815億円。電通が一般社団法人を通じて再委託された総額は、2015年度からの6年で1415億円)
自民党政権は、バブル崩壊後、「新日本的経営」を推奨し、独占資本は新たな搾取政策を推進した。それは、非正規労働者を大幅に拡大し、今や労働者の40%前後が従来と比較すれば、賃金カットと権利はく奪の状況に突き落されている。大企業などは、煩わしい「労務管理」を専門の派遣会社に丸投げし、みずからは労働者の要求に対処する活動から「解放」され、利潤拡大に専念できる体制をとった。新たな労働者階級の分断支配対策である。
 この体制下で、新型コロナが蔓延したが、パートやアルバイトなどの労働者は、一方的な休業に追いやられ、日々の生活自身が困難になり、文字通り路頭に迷う労働者も出現している。これには、さすがに政府も慌てて、2020年7月、国が直接支給する「休業支援金」制度を設けざるを得なかった。しかし、ここでパラドックスが起こる。この制度は、中小企業に働く非正規労働者が対象であり、大企業のそれは対象からはずされているのであった。大企業の非正規労働者は、大企業が休業手当を出さない限り、支援金を給付されないのである。
 日本の資本家階級は実にしたたかで、伝統的な反労働者的態度は変わらない。彼等にとって、経営とは労働者からいかに搾取するか―ということである。そのため、体制の全体的な維持をはかって、重層的な階層構造のもとでの分断・支配政策を推進する。それは、階層間の対立を作りだして、労働者を団結させないで、資本家階級との対立を緩和させることだけではない。重層的な序列制のもとで、出世と降格の階梯制に労働者を組み込み、体制内に引き込むのである。
 日本の賃金水準が、国際的にみて大幅に低下している。「日本の平均賃金は主要7カ国(G7)で最低水準......。デジタル人材の給与は中国や香港の方が高い場合もある。」(『日本経済新聞』2021年1月27日付け)のである。この事実に対して、経団連の中西会長は、あたかも他人事のように紹介していたが、決してその無責任さを許すことはできない。                       より下位の企業から収奪してえた利益のおこぼれを大企業労働者に支給して、労働者階級全体を分断・支配する伝統的支配維持策は、まさに重層的な下請構造を基盤としているのである。(2021年2月22日、記す。)