沖縄からの通信

昨年十二月の暮れは、日本政府の「オペレーションプラン」に基づく、一連のシナリオの最終局面を迎えていた。二十三日の名護市議会による基地誘致決議の強行採決と、二十七日の岸本市長による「受諾声明」のことである。市民に表明するのではなくマスコミで操作報道する、正月前の日程での発表などシナリオは、最後まで巧妙にできていた。

しかし、今年一月からは、シナリオが狙った新基地建設が破綻していく過程が始まらざるをえない。すでに九七年十二月の市民投票によって、基地NO!の答えを出し、比嘉前市長が辞任、岸本新市長も「基地問題は終わった」として当選したこれまでの経過と、十二月十九日の世論調査でも60対23の比率でNO!が多数という現状を、一切無視しての「受諾」がすんなりと行くわけはないのである。

この無理を、無理やり押し通そうと、この一年間、日本政府の内閣官房・各省庁を総動員した札束と強権の政治暴力が、名護市を中心とする北部一円に吹きあれた。

革新幹部であった吉田(金武町々長)などは早ばやと陥落させられ、北部市長村会での日本政府のラッパ吹きとなって「誘致合戦」「北部活性化」の先頭を切っていた。北部一円の市町村議員までも、政府官僚と密会を重ね、いわゆる島田懇事業は要所で公民館、公共広場、道路等の工事をやり、「なんでもしてあげます」「おカネはいくらでも要求して下さい」と、市町村幹部の買収を仕上げていった。

県と日本政府との、市町村役人と日本政府との「東京会談」が度たび演じられ、政府は最終局面(十二月十七日の沖縄政策協議会)で、「北部地域振興」「移設先および周辺地域振興」「普天間跡地利用および円滑化」などのため、今後十年間で一〇〇〇億円の特別財源という方針を見せびらかした。

‥‥まるで漫画だが、基地ぎらいの沖縄人の、沖縄の中間管理層のプライドを失わせる沖縄差別政策として機能していく現実は否定できない。

日本政府の沖縄差別の施策が煮つまるにつれて、普天間基地機能の「移設」どころではない、アメリカ国防省側の企図も明白となりつつある。その内容は、朝鮮半島攻撃に直行できる最新鋭機MVオスプレイの配備、二五〇〇m級滑走路の新設である。稲嶺が欺まん的に掲げている「十五年期限」などはなから問題外としている。その結果は、第三海兵遠征軍の拠点として沖縄北部を恒久的にさしあげることになる。

 

名護ヘリ基地反対協は、九九年最後の一秒までよくたたかった。沖縄人と名護市民を犠牲にして自らの安泰を図ろうとする者たちとよくたたかった。沖縄の市民運動の歴史はここで、たたかい創られていく。

反対協をはじめとする名護市民は、「辺野古沿岸域へのヘリ基地建設は、アメリカの軍事戦略に基づいてアジア・中東地域までも一挙に出撃できるような一大出撃拠点基地になることは明らか」(12・23誘致決議糾弾集会決議)と明確に事態を認識しつつ、「私たちは本日を機に、政府のシナリオを崩していく出発点に立った。本日私たちは全市民に対し、市長解職請求(リコール)に着手することを宣言する」(12・27リコール宣言)として、年明け二〇〇〇年のたたかいに突入した。

反対協は、二月にはリコールの手続き開始(解職請求)ができるよう、六〇〇名規模の署名収集受任者を選任する。一月二十三日から名護の街頭で一般公募をすすめている。リコール請求後、一か月の期間で取り組まれるリコール署名は、有権者の三分の一以上の署名(一万三千)で効力を持つ。署名運動の成功を待たず岸本市長は辞任戦術に出るとみられるが、その時期は不透明なものがある。いずれにせよ、市長選挙は不可避である。

さて、こうした名護市民のたたかいに支援・連帯し団結を拡げていくうえで、党派関係や県民会議が抱える問題についても、述べておかなければならないことがある。

日共は、「統一戦線」という言葉をもってはいるが、長期の議会主義の中で議員党になりきっている。市民の気持ちを理解せず、このかんの名護市議会でも議場から傍聴席に向かって「だまれ」「出て行け」とわめき、TVカメラを意識した市民抜きの個人プレーの場とはき違えている。

東京から党関係ツァーが来ると、とたんに「日本共産党」の印刷物を貼って歩く。それで地元の青年は「ここは共産党か、気軽には来れんなー」となる。「今、共産党が一番いい目をみている。社民党の弱体化に比べ、ニコニコしている」と言われている。「統一戦線」は死語になってしまった。

日共の動員力、影響力は大きい。したがって、かれらの東京従属、利用主義の克服と「日本共産党」のレッテルを離れた運動が求められる。自党派への集約ではなく、かれらが市民・労働者の政治的力量を強化することに努力できるかどうか。影響はおおきいものがある。

九五年以来、市民運動にしつようにケチをつけてきた革マル派は、全く浮きあがり、そのファッショ的な姿勢が明らかにされてきた。那覇軍港の浦添移設に反対する市民運動では、あくどい妨害に対し「革マル排除」を決定している。

名護でも、反対協の注意に耳をかさず、学生運動でもあるかのように「沖国大‥‥」の看板を市議会に掲げ、「外人部隊の名護市民運動」という言いがかりに手を貸した。ついには、反対協の構成部分を公然と中傷しだした。市民の中からは、「あれたちは市民から毛虫のように嫌われていることを知らないのか。反スタと言うが、スターリンでもあれほど鈍感なファッショではないじゃない」との声。

革マルは、市民運動の民主主義の中で自ら招いた成り行きに失望し、かつての脅迫的態度から笑顔をふりまく方針に一八〇度転換したが、誰からも相手にされない阻害物そのものになっている。

現在、とくに問題とすべきは、県民会議と平和センターの現況である。

普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議は昨年、名護を支援するための移設反対署名運動を始めたが、残念ながら成功していない。県全体を網羅した知事選規模の運動を計画したのだが、その宣伝物は作らず、やる気があるのかないのか、責任を担っている平和センターは煮えきらない態度である。

署名運動が実行されれば、民主党の票田を荒らすことになるからである。上原康助が社民党を離れて民主党の衆院予定候補となり、神山(全軍労元委員長)や比屋根(沖教祖元委員長)らが反大田に走り、吉田(金武町長)や宮城(浦添市長)が深々と振興策にはまり込んで、社民党の議員や自治体勢力は四分五裂である。

吉元グループ(自治労に影響力が強い)、民主党、連合沖縄などは、最近選挙対策で「県外移設」を政略的に語っているが、県内には絶対容認せずという意味での意志を持っているわけではない。名護や浦添の運動を指して、「あれは新左翼どもの騒ぎだ」と口走る者もいる。

これらのことが、平和センターの行動能力を破壊してしまっている。平和センターの実権部分と行動隊部分とが股裂き状態においやられ、とくに選挙地盤にあたる地域・団体に手がつけられないため、七〇万署名は破産寸前の浮き目にあわされている。

このかんの経過をいうと、市民運動団体は、政府に勝ちぬくために団結を求め、連合を求めてきた。九九年八月、名護、浦添を中心とする三十五団体は平和市民連絡会を結成した。一方の平和センターは市民運動の前進を傍観することはできず、また他方の平和市民連絡会は島ぐるみを求め、結局、九月に両者などで県民会議ができた。

このかんの県内移設撤回の署名運動を通じて県民会議の弱点が明らかになるにつれ、「平和センターは市民運動に網をかぶせれば満足しておれるのか」という批判が出始めている。

股裂きの平和センターの文章はポイントがぼけてくる。市民運動側の主張は鮮明さを増し、アメリカの世界戦略や日本政府の場当たり姿勢への批判、沖縄の経済的自立や自然環境保護などについての認識や提言力を増していく。平和センターなど既成革新と市民運動との間で、社会に対する参画、決定力で逆転現象がめばえている。

振興策に目を奪われて市民運動の純粋無垢を冷笑するしかない連中は、「軍事基地の整理・縮小をやるために新たな軍事基地を作る」地点に到達する。そしてかれらは、「しかし可能ならば、日本政府がYESと言うならば、『県外移設』を主張したい」と付け加える。

確かに、市民運動の、心に届け女たちの声ネットワークも、昨秋からあえて「県外移設」を掲げている。しかし、これは、「この島々のどこにも新たな基地は絶対につくらせないという私たちの強い決意の表現です。同時に県外の方々にこの問題を自らのこととして考えてほしいという呼びかけでもあります。全国の、全世界のあらゆる地域で軍事基地はいらないと押し返す」(県民大会でのチラシ)ためのスローガンである。

吉元グループ、民主党、連合沖縄らの言う「県外移設」は、反対運動をサボタージュし、基地も安保も容認するためのスローガンである。かれら恥知らずどもは、来たる総選挙に向かって、選挙民に「県外移設」を連呼することになるだろう。

恥知らずどもの策動を許さず、市民運動を前進させ、市民運動と連携した平和センター、県民会議を前進させよう。

平和市民連絡会は、県民会議が動かないなか、一月二九日から那覇での街頭カンパと名護での宣伝交流のたたかいに入いる。

名護辺野古の新たな軍事基地建設を阻止しよう!

名護市民のリコール運動の勝利をたたかいとろう!

殺人おばけ・オスプレイはいらない!

ジュゴンの住む美ら海を守ろう!

沖縄人、朝鮮人、全アジア人の友好と平和を創り出そう!

                (記・1月26日)