沖縄からの通信  

名護市民投票の勝利(九七年十二月)によって遠のいていた「海上基地」が現在、 沖縄サミット前の普天間基地「県内移設」先の決定として再び姿を現している。  大田知事が九八年の知事選で敗れたことにより、「県外移設」論はなくなり、日・ 米政府のSACO合意が生き残った。勝つには勝ったが稲嶺新知事は、普天間基地の 「移設」を具体化することはできなかった。これがこれまでの経過であった。現在、 政府は表向きは「知事に一日も早く移設先を明らかにしてもらい、政府はそれに協力 する」とし、九月下旬からの県議会で移設先を発表できるかどうか、画策しているの である。  政府のあやつり人形の真の使命は、SACOの遂行、普天間基地の県内移設である のだが、稲嶺知事の出生の秘密ゆえに(「県政不況」キャンペーンの裏での琉銀救済 の密約など)基地にふれることはタブーであった。  そのタブーを破るのが、サミットとのリンクであった。東京から毎日人が来て稲嶺 と岸本名護市長に会う。「サミットを成功させよう」「サミットで沖縄から平和を発 信しよう」。今やサミットは沖縄の地域ナショナリズムになってしまった。海上基地 には反対した名護の元日共の市会議員でさえ「サミット万歳」になった。  六月二五日、クリントンが「基地問題が解決していなければ沖縄に行きたくない」 と言った。「移設」と「サミット」が完全にリンクした。米軍、日本政府は再三再四 「シュワーブ」が最良などとカツアゲしてきた。  名護市民はふたたび起ちあがった。八月十三日、市民集会を行なって、『沖縄サ ミットを利用したヘリ基地建設押し付けに抗議し、「軍民共用空港」などいかなるヘ リ基地建設にも反対し、基地の県内移設断念を求める決議』を採択する。  翌十四日、一坪反戦地主会を中心とする市民団体三十五団体が団結し、「沖縄から 基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会」(平和市民連絡会)が結成された。名 護ヘリ基地反対協、軍港反対浦添市民の会が、その役員、事務局を担っているよう だ。行動する女たちの会や、市民投票で登場してきた女性団体等もいる。  この市民連絡会結成総会では、2000年7月のサミットにいたるまでの行動計画 が確認され、とくにサミットの直前には、「7・20普天間か嘉手納の包囲(人間の 鎖or人間の輪)と大集会を設定する」とされている。会の運営では、「個人参加も 認める」「政党や労組…多くの団体、組織との共闘態勢を最大限追求する」「会員は 自由に参加し、意見を述べることが出来る」など、運動発展への工夫がなされてい る。総会の半分は三十五団体のリレー式決意表明で占められ、主体的な意見表明が連 続した。  ここで当然、社民党系の「平和センター」の動向が問題になる。県知事選以来、社 民党は後退を続けている。上原康助の脱落は言うまでもない。  吉田勝広(金武町長)は県労協組織部長をも務めた人だが、「象のオリ」移設を自 ら名 乗り出て引き受け日本政府のメンツを救った。そして「普天間移設は稲嶺知事と岸本 名護市長の手中にある」などと記者会見し、反対協名護市議らの抗議を受けた。  宮城健一浦添市長(社民党)も「ハブ港」論で一時、日本政府のマインドコント ロールに捉えられていた。県議会社民党も一歩手前まで行っていた。しかし、社民党 員を含む軍港反対浦添市民の会のねばり強いたたかいによって、政府と県は社民党取 り込みに失敗している。市民の会の徹底的なハブ港不可能論の前に政府は敗れ、「二 度と絶対に“ハブ港”は持ち出すな」という事態になって、宮城市長らはだまされて いることを悟った。  財政的権力を使って市町村当局等を取り込み、それを周辺の人脈に広げていく作戦 を“人間の鎖作戦”と言うらしい。その典型は、普天間基地の宜野湾市。「危険な基 地はどこでもよいから出ていけ」と言われれば拒否はできないのが普通だ。談合の結 果、「移設」の字句をも含む決議案を大多数で採択することを内定していたが、労組 や市民が議会におしかけたため、予定がくるって賛否同数になってしまった。“人間 の鎖作戦”も市民不在の隠れた場所では通用するが、県民大衆の目の前では崩れ去っ てしまう。  社民党系の動揺と後退についてふれたが、それに伴い「平和センター」も、台頭す る市民運動勢力と手を組むことをはじめ、新たな統一戦線の方向を取らなければ沖縄 反戦平和運動での地位を失ってしまうこととなる。  こうした政治事情もからみながら、九月二七日、「普天間基地・那覇軍港の県内移 設に反対する県民会議」の結成総会が宜野湾市民会館でひらかれた。社民党・平和セ ンター、各地の市民勢力、平和市民連絡会、日共・統一連をふくむすべての県会野党 勢力の大合流の形となっている。  この日の八百人という参加人員に不満は残るが、県民会議は歩き始めた。会場で は、名護反対協や与勝の会のオジー・オバーたち、浦添市民の会の労働者たちが一目 瞭然。会場外では見たくない光景もある。党派の探偵ごっこ。「カマドゥー小たちの 会」(平和市民連絡会参加)がビラ配布でいちゃもんを付けられている。彼女らの名 護市民投票での自己犠牲的な活動を知らない者はいないのに。  発せられた「県民へのアピール」が、稲嶺知事の「沖縄戦ねじ曲げ」について触れ ていないのも気になる。なぜなら、この問題は多くの県民が最も強く注目しているか らで、沖縄の反戦反基地闘争をささえ、取り巻いている全民衆の感情的・思想的バッ クボーンに関わるからである。  県民会議は、十月二三日に宜野湾市・海浜公園で一万人集会をひらく。現地を中心 とする全民衆のたちあがりを支援し、諸党派の優越主義、選挙主義をのりこえて、日 本政府と対決するために大同団結をかちとろう。  新平和祈念資料館(来年三月開館予定)の展示内容がこっそり変えられていること が、八月の地元紙で明らかにされて以来、知事に対する抗議の声は絶えていない。  沖縄戦研究者、教育関係、市民・労組が県庁へおしかけているが、知事は姿を隠し て、あやまりもしなければ真実を開示もしない。「検討の過程」「監修委員会の決定 に従う」だのを部下の者に言わせている。その実、工事業者に変更の指示をした内部 文書の公開を求めた監修委員会を無視している。  沖縄戦は人々の思想信条さえも決定づける歴史的体験であったがゆえに、この問題 は、ある面では「移設」問題よりも重大な問題とも言える。問題が長引けば稲嶺県政 は死に体にさえなりうる。日本政府の恩恵によって知事になった男が、日本政府の出 向役人のようにして、日本軍の住民虐殺や「集団自決」の事実を押し隠そうとしてい る。  大量の抗議の声の内のひとつ、宮城晴美氏(沖縄女性史)の声、「今回の事件はガ イドラインをはじめ、あらゆる戦争準備法遂行のための条件整備の一環として、いつ までも『過去の戦争』をひきずる沖縄の“環境浄化”のための、国家レベルの施策だ と思わざるをえない」との指摘は正しい。  展示では、幼児を抱く母の像、その家族とも親戚とも地域の人ともとれるガマの中 の群像がある。その一群に向って日本兵が何か叫びながら敵意をむき出しにして銃口 を向けている。「その子を殺せ」「けがらわしい方言だ、お前はスパイだろう」「食 料をよこせ」…。観る者にとってそれぞれの解釈を与えるが、どれも真実である。稲 嶺による日本兵像は銃を持たず、困難に喘いでいる住民に両手を差し伸べている。  日本軍国主義の沖縄戦下での所業は、書き替えることも消すこともできはしない。 それをやってみようとする稲嶺の恥知らずな無知と傲慢!  日本政府は天皇支配、軍国主義支配で与えた残酷な犠牲を、  沖縄人に謝罪せよ!  朝鮮人に謝罪せよ!  中国人に謝罪せよ!  すべてのアジアの人々に謝罪せよ!