沖縄からの通信


サミット前の沖縄では今、北の端から南の端まで土木工事がひしめき合っている。新しい基地を容認させるための北部振興とサミット特需である。沖縄人を基地に縛りつけるための経済政策は極点に達していると言ってよい。
「沖縄経済の自立的発展」「基地の整理縮小」と、財界・自民党・御用学者たちは常に語っているが、若者たちの失業率は十%に届かんとしており、基地は整理強化されている。根拠のない言葉をならべて混乱している。
この混乱を救おうとして、高良倉吉ら琉大三教授が「誰でも基地に住みたくないが、基地は無くならないから発想を変えろ」、「基地と安保の沖縄を積極的に売り込め」という「沖縄イニシアチブ論」を説えた。これは、沖縄人によるヤマトと日米安保への積極的統合論として批判されているが、要するに現状肯定を屁理屈で飾っているだけのことである。
 くる日も、くる日も、サミットと稲嶺への賛美の日が続いている。「守礼の民として」「万国津梁の民として」「マイカーを自粛して」「賓客を迎える」「沖縄から平和を発信」‥‥くり返し、くり返し、耳の中に脳の中に強制的に詰めこまれていく。大田知事降ろしのときと同じ洗脳の手法である。
6・23「慰霊の日」には演出がこみいっていた。米軍司令官を「式典」に参加させ、その裏では「演習」を行なって山火事を出させる。それに対し、県と防衛庁が抗議するという狂言を演じてみせる。この「抗議ニュース」は七月一日まで続いた。アメリカ心理学の実験場か。
沖縄サミット開催決定以降の日本政府の巻き返しの重要な一つ、三月県議会による「一坪反戦地主排除決議」は何を意味しているのだろうか。
一つは、日本政府の沖縄政策にとって、沖縄戦の歴史そのものが邪魔であり、その歴史を民衆と共に共有してたたかおうとする「一坪」は、最もやっかいな存在だということだ。
  二つは、革新諸党派と「一坪」との分断を画ろうとするものである。社民や共産は選挙で競い合う以上、それへの分断策は始めからある。沖縄人にとって最も重要な問題は戦争と基地の問題であるという認識で行動する「一坪」は、政府もだましようがない。
日共は、こうした行動原理に立つ市民運動から恩恵を受けていることを承知しながら、「安保をないがしろにしている」などと高みからケチをつける。共闘関係の幹事会を市民に見えないところに引きずりこんで、討論を封じる。理論的にも実践的にも、市民運動ののびのびとした発展を阻害している。社・共は、この陳情採択を廃案にすることができたにもかかわらず、排除決議の重大性を看過し、「一坪」を見殺しにした。分断策を許したのである。
「一坪」排除決議、平和祈念資料館展示改ざん、「沖縄イニシアチブ論」という反動攻勢に対決している沖縄民衆は、再び、三たび立ちあがる。カデナ包囲などサミット時の行動が、その新しい起点となるだろう。
その前触れとして、衆院沖縄三区での東門美津子氏(社民公認)の勝利は、壮快な勝利であった。
ヘリ基地移設地の名護を含む北部地域で、県内移設反対を掲げて誘致派を打ち負かした東門氏の勝利は、沖縄人の反戦反基地の底力を日本政府にみせつけることになった。
東門氏の前に二つの敵がいた。自民党の嘉数知賢、これは片田舎からわざわざ比例で出し、全面的に政府が九五年以来バックアップしてきた人物。二つめの敵は、上原康助。三十年来の衆院議員で強大な地域後援会と連合の一部をバックに持つが、「大田降ろし」に加わり今は実質的誘致派である。前評判では、彼が最有力とみなされていたが四位で敗北。
  東門氏が急ごしらえの「県内移設反対」の看板を掲げて、上原康助に勝てた意義は絶大である。それはまた、海上ヘリ基地反対のヤンバルの大きな底流、女性をはじめとする市民運動の健在ぶりを示していることに他ならない。
ところで、上原康助に代表されるような、伝統的・代表的な沖縄革新・復帰運動の元闘士が、日本政府の手練手管の前にくずれ去っていることは何を意味するのか。
復帰運動時と今日とでは、たたかいの性質は明確に異なる。しかし、沖縄人民と日米支配層との間のたたかいは切れ目なく続いてきた。復帰運動の時には、広く明白な運動のテーゼ(「異民族支配からの解放」「平和憲法の下への復帰」)があった。しかし今日のたたかいには、それに相当するものがない。沖縄の「解放」「自立」「独立」‥‥いろいろな言葉が語られるが、広く共有される政治的大方向は不明確なままである。
その理由は今は問わないとしても、もし今日の情勢に相応した形で、新しい運動のテーゼが定式化され、全人民がポケットに持ち歩くように共有化されてきたとしたら、どうなったか。元闘士の脱落は生まれなかったかも知れないだけでなく、沖縄人民の統一戦線は強大な発展を遂げたのではないか。今日の沖縄民衆運動には、このようなテーゼとその共有が求められているのではなかろうか。
また作風的に問われていることは、次の点だ。名護のリコール運動の失敗に際して出てきた市民の意見、「政党は一歩下がって遠慮せよ」「幹事会に閉じこめず、自由に討論させろ」である。政治方向と共に、運動を活きいきと発展できる政治党派の作風も問われている。
六月二九日、大田昌秀前知事を主宰とする「沖縄国際平和研究所」が、内外の著名な人びと四百人を発起人に網羅して設立された。
大田氏らは五月に、沖縄人による北朝鮮への大型訪問団を組織して、衝撃を与えていた。沖縄人は、アジア諸国の民衆と共通のものを持っている。天皇制から受けた肉体的・精神的苦しみ、また今日の米軍基地から受ける犠牲である。今回の朝鮮南北首脳の会談も、朝鮮植民地支配を清算せず、朝鮮は分断されたままで弱いほうがよいというのが本音の日本政府に対抗して、日帝にいじめられるような朝鮮民族ではもはやないとして、その握手も可能となったことを沖縄人ならよく理解できる。沖縄人と朝鮮民族の連帯は、そうした意味をもっている。
大田前知事のこの研究所の枠組は、及ぼす影響力は相当なものがある。沖縄人大衆の大きな財産となりうる。一部知識人の「沖縄イニシアチブ」は大打撃を受けるにちがいない。
  現在のカデナ包囲とサミットを迎え撃つ運動の端緒は、「一坪」を中心とする市民運動三十五団体の大団結、平和市民連絡会の結成に負うところが大きい。大規模な取り組みであるカデナ包囲行動は、その指導権が平和センターに移ったようにみえるが、沖縄民衆のたたかいは、ますます重層的に成長するものと思われる。その成長に伴って、諸運動の土台からの強化もより求められてくるだろう。
沖縄の民衆運動はこのかんのサミット反動攻勢にもかかわらず、活力に満ちた運動の自己増殖を続ける可能性を持っている。数十億のアジアの人々と手をつなぎ、カデナ基地を包囲しよう!G8サミットを包囲しよう!(T)