野宿労働者の運動と共産主義革命

                                      深山和彦

 今日のわが国における野宿労働者の増大は、単に、景気循環における不況の結果、下層の労働者が一時的に街頭に放り出された、という問題ではない。今日の大量の失業労働者の存在は、大規模な公共事業を実施しようと、好況になろうとも、決して消えず、不況になると急膨張する。資本の増殖欲求に比して絶対的に過剰な人口が膨張する時代に入ってきているのである。ブルジョア階級は、労働者に対して、賃金奴隷としての生活を保障することができなくなるということであり、資本主義のやり方で社会を成り立たせることができなくなるということなのである。今日のわが国における野宿労働者の増大の背後には、この問題があるのだ。
 つまりこうである。
 労働手段の発展は、長い道具の時代があり、その上にこの間二百年ばかり続いた人間の筋肉労働を代替する装置(機械)の発達した一時代が終わり、いま人間の精神労働(とりわけ企業官僚機構と市場とが担ってきた経済的諸要素の配分調整)を代替する装置(コンピューター・ネットワーク)の発達する時代が始まっている。新たな時代は、始まったばかりだとはいえ、労働手段の発達はついに、トータルに人間労働を代替する成熟段階に入ったのである。同時にそれは、狩猟・採集、農業、工業、情報・通信として発達してきた産業が成熟段階に入ったということでもある。こうしたことは、社会生活を成り立たたせるために必要な経済活動に費やすべき労働時間が少なくて済むようになり、物的豊かさの追求から人間の発展(経済的には分業への隷属および経済活動への緊縛からの解放)への社会の目的と仕組みの転換を条件付ける。この転換を先導するように、社会の内において、物的豊かさへの欲求に比し、自由な自己発展の欲求(地球環境の保護・改善への欲求も本質的にはこれに含まれる)が相対的に増大してきている。
 この労働手段〔産業〕の成熟は、資本主義の下では、一方での過度労働と他方での大失業状態をもたらす。同時にそれは、資本に失業者の大規模な吸収を繰り返し可能ならしめてきた・物的生産領域における新たな一大産業の勃興という契機を消失させ、「人間の発展」を保障する活動領域を、国境と国籍を超えグローバルな規模で重層的に発展した資本関係(支配―被支配、搾取―被搾取))とは本質的に両立しえない領域として、物的生産領域に代わって発展させる。資本主義では社会生活が成り立たなくなってゆく時代が到来しようとしているのである。今日のわが国において野宿労働者が増大していることの最も深い根拠は、ここにある。
 われわれに問われているのは、共産主義革命の諸条件が成熟し切る時代、この世界史の大転換期における野宿労働者の運動のあり方を発見し発展させていくことである。

(2) 運動の到達地平と今後の方向

 バブルの崩壊を契機とする九〇年代の失業情勢の深刻化を背景に発展してきた野宿労働者の運動は、まず釜ヶ崎から動きだし九二年には反失業暴動となって爆発した。野宿労働者の運動は、日雇全協各支部が釜ヶ崎支部につづいてその組織化に入り、野宿労働者自身の運動として組織されていった。そこでは、七〇年代初頭に寄せ場労働者自身の闘いとして暴力手配師追放の闘いを爆発させた釜共・山谷現闘委の伝統が生きていた。
 野宿労働者自身が起ち上がり、闘い、連帯の輪を広げることの意義は大きい。なぜならそれは、野宿労働者が他の階級や階層の利害の前に犠牲を強いられている自己の境遇を根底から覆す上での確かな保障であり、社会のあり方の変革に参画する前提となるものだからである。
 野宿労働者の運動の発展は、各都市・各地域ごとに、野宿労働者の人数や密集度や構成の違い、運動の歴史性の違い、地方行政府の対応の違いなどに規定され、到達地平はかなり多様である。ただ大まかには、次の三つの発展段階に整理できるだろう。
 第一段階では、生存の確保というぎりぎりのところで、地方行政府などによる公園や駅構内等からの排除、福祉の切捨て、一部の少年たちによる襲撃、等に対する反撃が開始され、労働者による炊き出し・パトロールの活動が組織され、多くの公園や駅等に運動拠点が形成されていく。
 第二段階では、第一段階の闘いと活動の発展を基礎に、地方行政府から仕事、宿泊施設、生活物資などを闘い取り、それを梃子に運動の更なる発展を実現していく展開に入る。この過程は、反失業の地域的共闘態勢を築き、地域住民諸層の理解と協力を引き出し、地方議会への影響力を創りだすことと一体に進行する。
 そしていま、釜ヶ崎に端的な形で、第三段階の運動展開が問われ始めている。この段階では問われるのは、第一段階および第二段階の闘いと活動を基礎に、世界史的大転換の時代が要求する野宿労働者運動の陣形を確立することである。
 そもそも資本主義によって絶対的に過剰とされた人口部分(野宿労働者の大部分はその基底を成す)の自己解放運動にとって、仲間と協働して生きるための事業を組織することは、絶対的に不可欠な課題である。またそれは、資本主義が機能しなくなる(野宿労働者の増大自身がその証)この時代には、社会の自己保存本能の赴くところだといえる。
 炊き出しは、野宿労働者の運動に不可欠なこうした事業の一つではある。しかしそれは、野宿労働者自身の活動として組織されようと、社会に一方的に依存する性格から自由ではない。社会への貢献を通して、自己の生存を確保し、自己の発展を図ることのできる事業を起していかねばならない。地域づくりと不可分に。しかも、大規模に、破綻しつつある資本主義のやり方でやるのではなく協働的な事業として、社会的に必要が増大する新たな事業領域を開拓する方向で。ただし、ブルジョア社会の下での事業であるから、一方でその条件を闘い取ることが必要であると共に、既存の条件を巧みに利用し、行政府や支配的勢力との妥協と適度の間合いを計ることが出来なければ、労働者の必要に相応した規模の事業にはならないだろう。
 このような事業の組織化は、闘いの建て直しと発展を求める。
 野宿労働者の根本的な自己解放は、社会システムとしての機能が破綻し、膨大な絶対的過剰人口を創出し、野宿の境遇を強制していく資本主義を廃絶することである。すなわち、生産手段の私的所有を廃止し、労働時間の大幅な短縮の実現を条件に、誰もが自由に労働に参加でき、しかも分業への隷属と経済活動への緊縛とから人間を解放し、人間が自由に発展できる社会システムを構築することである。今日の野宿労働者の運動の戦略的目標は、「生存権」や「労働権」の確保に止まるものではありえない。そのような権利のために闘いつつ、野宿の根源を覆す革命を準備していかなければならない。事業は、このような革命的活動を支える大後方である。事業がここから外れるとき、それはブルジョア階級支配の安定装置に成り下がる。だから、事業の組織化は、闘いの建て直しと発展を求めるのである。
 この方面での当面の中心課題は、釜日労をはじめとする日雇全協を構成する労働組合の建て直しである。
 今日の組合の分散状況には根拠がある。それは、寄せ場内外の客観状況が大きく変化し、これに正しく対処する共同の路線を構築できなかった結果であるだろう。
 組合の分散状況の背後で進行した客観状況の大きな変化とは、一つは、建設資本が労働者手配システムを広域化・国際化し、労働力市場としての寄せ場の比重が大幅に低下してきたこと。二つは、全社会的に絶対的過剰人口が生み出され野宿労働者が層的に現れる時代に入る中で、寄せ場における現役層と失業層の層的分化・固定化が現れ、寄せ場における失業層が全社会的に出現してきた野宿労働者層の先行的だが構成部分の位置を占めるようになったことである。すなわち、寄せ場の現役層と失業層の間で、寄せ場労働者としての同一(連帯)性の後退が進行し、それぞれの層が寄せ場の外に、同じ境遇の仲間を見出してきているということなのである。
 こうした事態は、寄せ場の労働組合に、現役層を対象した活動と野宿労働者層を対象とした活動へ機能を分化すること、それぞれ独自の運動展開をしながら戦略的目標で一致し、政治闘争で共同し、経済闘争での一歩一歩の協力の積み重ねを要求している。しかし実際は、工作対象とする層(および当面の経済的要求)の違い、それぞれの層の運動において当面求められる政治関係の違いに幻惑されて、団結が緩み、分散・拡散してきている。
 労働組合は、野宿労働者の運動の今後の発展においては、次のような役割を引き受けねばならない。 
 反失業闘争全体において、労働者自身の闘いとしての性格を刻印する役割。事業の発展と地域づくりとを推進すると共に、そこにおける労働者の協働性を高め、労働条件の妥当性を監督する役割。野宿労働者運動の全国的結びつきを強化する役割。野宿労働者層以外の失業労働者層全体との共闘・協働関係を広げていく役割。就労労働者層との共闘関係を創り出していく役割。労働者の階級的政治意識を高め、政治闘争を発展させる役割、等である。
 昨年の10・16反失業全国集会の成功は、以上のような意味で画期を成すものであった。第三期への移行を目的意識的に促進していかなければならない。

(3) 新時代の政治革命の布陣を構築する。

 野宿労働者の自己解放事業を達成するには、ブルジョア階級支配を転覆する政治革命が不可欠であり、政治革命を実現するために党の再構築が求められている。
 第一に、国家権力との緊張関係の認識をしっかりさせることである。
 ここでの当面する大きな問題は、労働者としての自主的な事業活動の捉え方である。
 自主的な事業は、労働者が自己の生活のために不可欠なものとして個々族生しており、運動としてもそうしたものとして大規模に組織していくことになる。切り口はそうであって良いし、必然の流れである。
 だがこの領域は、資本の国家との、多くの場合は隠然とした形態での、せめぎあいの場になっていく。
 資本の国家は、絶対的過剰人口の増大に対して基本的に対処不能であることから、階級支配の安定装置化する仕掛けを組み込む形で労働者の自主的事業の拡大を奨励しようとする。だがそれは、支配の安定と引き換えに、資本主義の社会的地位の没落を加速することでもある。階級支配の崩壊期における弥縫策に他ならない。
 したがってわれわれは、こうした事業の組織化に一層主導的に関わらねばならないし、敵の仕掛けを一歩一歩無力化していかねばならない。傍観は、支配の安定への助けである。
闘争との結合が大切になる。
 第二に、政治闘争を再建していくことである。
 ここでの課題は、反失業闘争に全力で取り組む中で、政治闘争がおろそかになっている現状の建て直し、階級対立の非和解性についての自覚を要とする階級的政治意識を高める活動の建て直しである。
 支配階級は、国際反革命同盟体制(特殊的には日米安保体制)の下で、多国籍企業の利害を第一とする政治を展開している。すなわち「民主主義」「規制緩和」「市場経済」を掲げ「象徴天皇制」を打ち固めて覇権拡張と国民統合を推し進めている。この政治は、戦後民主主義勢力を大きく解体・糾合してきたが、労働者人民の地域から発する・国際的に連帯した新たな闘いを呼び起こしてきている。野宿労働者の闘いも、その一つである。地域統一戦線を建設し、闘いのネットワークを押し広げていかねばならない。
 大事なことは、ブルジョア階級の支配の終わりが始まったという確信、敵階級の政治を破綻させることが出来るという確信である。
 第三に、党建設への再出発を画すことである。
 ここでの課題は、これまでの受動的活動から能動的活動への転換であるだろう。
 持ち場の活動が重層的になっていく中では、党的な共同意志の形成を意識的にはからなければ、分散が拡大することになる。また、寄せ場的枠が解体され、階層的、階級的、全人民的な団結と連帯の道が広く開かれ始めた時代状況に対応し、寄せ場の共産主義者の側からも積極的に情報を発信し実践的連携を強めていくことが問われてくる。これまでの活動のあり方では対応できない。
 能動的活動へ転換しよう。