南北首脳会談


全世界が注視するなか、朝鮮南北首脳会談(南北最高位級会談)が、六月十三日から十五日まで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のピョンヤンで開催された。この会談の様子や、南北民衆の会談を歓迎する姿が、衛星放送によって全世界に放映された。
日本帝国主義によって併合され、四十五年の日帝の敗北による解放直後から、米ソによって分断支配を受けた朝鮮半島の南北首脳が、五十五年目にして初めて会談をもったのである。
十五日には北朝鮮のキム・ジョンイル国防委員長(朝鮮労働党総書記)と、キム・デジュン韓国大統領の両首脳が署名した南北共同宣言が発表された。
合意された南北共同宣言は五項目からなり、第一項目では「南と北は国の統一問題を、その主人である我が民族同士で互いに力を合わせ、自主的に解決していく」と、統一問題を自主的平和統一と合意している。このなかの自主的とは外勢によらぬ、すなわち現代的にはアメリカ帝国主義の干渉を排除して、となる。会談終了後ソウルに帰ったキム・デジュン大統領のもとに、米帝は、即座にオルブライト国務長官を送るという対応を行ったのも、在韓米軍の存続を確約させるためであった。そのような意味あいにおいても共同宣言のこの部分は、画期的なものである。
第二項目では、「南と北は国の統一のため、南側の連合制案と北側のゆるやかな段階での連邦制案が互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していく」としている。このことは七二年の七・四共同声明を基礎としつつ、北側が主張し続けた一国家二制度の「連邦制統一」とキム・デジュン大統領の「南北共和国連合」の共通性をみいだして、統一の初期的な具体案での合意をみたということである。しかしながらここで留意すべきことは「連合制案」は、キム・デジュン氏個人の私案であるということなのだ。この私案を韓国側の案としてしまっていることが、キム・デジュン大統領のしたたかさと言えるだろう。このしたたかさは、日米等に対する対応の迅速さと、既成事実の積み重ねによる対応の強引さとも受け取れるところに見える。
第三項目においては、朝鮮戦争による離散家族問題や韓国にいる非転向長期囚の北朝鮮への移送をふくむ処遇問題を解決することとしている。この問題については、首脳会談後開かれている南北赤十字会談で具体的な討議が始まった。
第四項目では、経済交流をはじめとした社会各分野での交流促進をうたっている。しかし経済交流をはじめとして社会各分野での交流は、すでにはじまっている。
最後に、キム・ジョンイル国防委員長がソウルに訪問するよう要請したことである。
この南北共同宣言に対して、日米の反応は、いちおう歓迎の姿勢を示しながらも懸念表明も忘れぬという代物であった。米帝は、さきにも記したとおり安全保障問題が表明されていないと言いつつ、在韓米軍のゴリ押しを計らんとしている。日本政府も、拉致疑惑とかミサイル問題などという相変わらずの手口でイチャモンをつけ、「戦争のできる国家」作りを続行するための口実作りに奔走している。
南北共同宣言によって、在韓米軍の撤退問題と韓国の国家保安法の撤廃が具体的問題となるだろう。今年にはいり、韓国ではメヒャンリ(梅香里)米軍射爆場での劣化ウラン弾疑惑を始めとした住民被害などが明らかになり、米軍基地撤去の要求が高まっている。また国家保安法の改変をキム・デジュン政権は、検討中としているが撤廃は表明していない。
  キム・デジュン大統領のしたたかさは、この点に顕著に現れる。在野民衆運動の指導者を、大統領の側近に大量に置き、自己の政権の政治力を強化している。米軍問題にしても、国家保安法にしても、アメリカ対策であるとともに、民衆分断に利用しようとしている。
  今回の南北首脳会談、南北共同宣言は、朝鮮の分断から統一への確かな一歩を築いたが、南北の執政者にはそれぞれの思惑もあり、とくにキム・デジュン政権は政権基盤の強化のために今回の成果を最大限利用するものである以上、民族民衆勢力による自主的な平和統一運動の前進は、自ら構築していかなければならないと言うことができるだろう。
南北共同宣言の後の韓米会談で、統一後も在韓米軍は必要などと合意されているが、これはすでに南北共同宣言に違反するものではないか。
在韓米軍の存廃は統一へ向けての全体的力関係の指標であり、自主的平和統一をかちとる南北民衆とそれを支援する日本や世界の人民の力の前進が、今こそ求められている。
(S)