森政権と6月総選挙

 首相小渕が脳梗塞で倒れ、森政権が誕生した。
とはいえ新政権は、自公保連立の上に立つ小渕継承政権であり、六月総選挙に備える暫定政権にすぎない。連立与党は、小渕の緊急入院・脳死状態への同情票に期待し、民主、共産、社民などの野党は野党で、「財政破綻」「警察の不祥事」「自公保連立」「密室政治による政権継承」などに対する政権批判票に期待を寄せ、いずれも総選挙へと走りだしている。小渕政権と小渕継承政権が問われるというわけである。
 だが支配階級にとって深刻なのは、問われていることが二年程の一政権の業績の問題を越えているという点にある。戦後構築されてきた支配体制が、戦後改革において継承・保存された明治以来の制度もろとも、全面的な機能不全化を深めていることである。
 戦後の利益誘導型統治システムは、耐久消費財産業や建設産業を搾取領域とする独占資本とタイアップして急膨張してきたが、九〇年代にはいって、米帝からの市場開放要求、産業再編成の必要、財政破綻、環境破壊批判などに包囲され、行き詰まった。二年前の小渕政権の形成は、これに対する利益誘導型統治システムの巻き返しという側面があったのである。小渕政権は、不況克服を大義名分に大規模な財政出動でこのシステムに延命治療を施したのだった。だが小渕政権のおわり・竹下の引退に象徴される形で、このシステムの政治的統合力はいよいよ分散・衰退しようとしている。
 わが国の支配階級は米帝に促されつつ、新自由主義の方向にスタンスをシフトすることでこの危機を乗り切ろうとしてきた。しかしそれは、支配階級の内部矛盾が拡大する方向に作用し、国家による社会の統合力(国境のタガを含む)を弱め、資本が労働者の生存・社会の存立を脅かす時代に道を開いた。
 またそうした中から都知事石原に代表されるように、新自由主義を推進しつつも、それが生み出す人民の不安と怒りを「外国人」労働者敵視へと集約し、そうすることで国家の政治的存立基盤を確保せんとするハイダー的衝動も、支配階級の間で強まってきているのである。こうした差別・排外のあからさまな煽動も、社会的・国際的反撃に直面し、支配階級の政治的混迷の一要素を構成しつつある。
 そしてブルジョア国家機構の根幹さえもが、「警官は泥棒の始まり」、「学校は人をだめにするところ」とまで言われる程に、腐り切り、また時代に合わなくなってきているのである。
 わが支配階級は、機能不全を深めるこうした支配体制をもって、多国籍企業の利益のために、米帝が担っている世界の警察官の役割を補完し、戦争の道へと乗り出そうとしている訳である。彼らは、革命に脅かされているわけではないが、にもかかわらずかなり深刻な状況に陥っているのである。
 来る総選挙を契機に、支配階級が政治的混沌状況を深めていく可能性は高い。支配階級はその混沌の中から、新たな支配体制を立ち上げてくるだろう。もちろんそれがどのようなものとしてたち現れるかは、単に支配階級内部の路線闘争によってだけでなく、労働者階級・人民の側の主体形成と闘いの発展如何によっても規定されるだろう。
 そうした中で肝心なことは、先行して政治的混沌の中に在る労働者階級・人民の側が、新時代に適合した主体形成と闘いの在り方を獲得することである。共産主義運動の全国的統合と地域的統一戦線の形成を新たな質において実現していくところから出発して、政治的進出を一歩一歩着実に闘い取っていかなければならない。
 真の人類史の扉を前にして階級闘争の新たなサイクルが回り始めた。まずは敵も味方も、階級闘争の新時代の戦闘陣形を、混沌の中から立ち上げるたたかいになる。このたたかいの帰趨は、日本における社会主義革命の成否の半ばを決する程の重さを持つにちがいない。主体形成のたたかいに勝利しよう。