社会的弱者の拠り所となる労働組合を

                     三橋 一郎


一、開始された日本型ダウンサイジング
今、国際会計基準の変更にもとづいて、日本の企業会計が激変を迫られている。
従来は損益計算書と貸借対照表の二本立てであった。これは売上がいかに伸びたか、会社の資産がどの程度あるのかをみるのには便利な会計制度であった。しかし、資産が生きた資産であるのか、いますぐ現金に換えるとしたらいくらの価値があるのか、は解らない。また、系列子会社を使って粉飾行為をしたり、親会社の過剰雇用を子会社に出向させたりして、グループ全体でのマイナス勘定を隠蔽しやすい性格をもっていた。
これをはっきり見せるようにしようというのが、今年三月期決算から本格的に導入される「連結決算」だ。連結決算では、二〇%以上支配している子会社を全部連結しなければならない。子会社の中には事業として儲かっていない不良会社があるわけで、これらの子会社をふくめたグループ経営全体の正味価値が明らかになる。これをもとにして会社の価値評価が決定されるのだ。
さらにもう一つ、今後「キャッシュフロー会計」が導入される。キャッシュフロー会計とは、資産がいくらあるかではなくて、今使えるお金をいくら持っているかで評価する会計手法だ。企業は株式とか証券とかをたくさん抱え込んでいるが、それらの時価はいくらか。年金、退職金などは企業が将来支払わなければならない将来債務で、キャッシュフロー会計では負債となる。これが二〇〇一年三月期から導入される。
そのうえ、二〇〇二年三月期には、戦後日本型経営の特質であった株の持ち合い制度にメスが入る。従来、系列の大企業やグループ系列の会社同士で株を持ち合い、相互に安全保障してきた。それらのなかには不良債権をかかえて債務超過におちいっている企業もあって、時価評価すると実際は額面割れの株があったりした。その分はまったく役にたたない資産として評価されることになる。 企業の評価基準が、手持ちの現金がいくらあって即戦力としてどのくらいのものを動員できるか、で決まるようにダイナミックに変化する。親会社は、当然のことながら役にたたない系列子会社を切り捨てて、グループ全体としては身軽になりたい。お金を右から左に動かして利ザヤをかせげる経営体制に変更したいと考えるようになる。
この流れの中で現在でてきているのがM&A促進法制の整備である。M&Aとは、企業の合併・買収のことだ。
法相の諮問機関である法制審議会はさる二月二十二日、商法改正要綱案を答申した。この要綱案は、企業内の事業部門を切り離す会社分割の手続きを定めたもので、従来の商法の手続きを抜本的に変革する内容のものだ。
従来の商法では会社分割にさいしては、会社の財産の価値評価、特許や営業の許認可の移動、株主や債権者の同意、労働者のあつかいなどで手続きがむずかしく容易に実現できなかった。
 今回の要綱案では分割計画書を作成して、これを株主総会で特別決議すれば、税金もかからず、さまざまな債権者の同意をまったく取らなくても包括的にスピーディーに会社分割ができる。そういう制度を作るといっている。
さらに要綱案では、株主総会の特別決議をへずに取締役会が決めるだけで会社分割ができる簡易分割という制度も盛り込まれている。この場合、企業の総資産の五%未満を分割する場合は株主総会をへなくてもよいということだから、大規模な会社の場合にはほとんど株主総会も開かないままに、事業部門や営業を自由に切り離しができる事態が生じてくることになる。
労働省は、商法改定に関連して、会社分割にともない、移籍する労働者の新会社への承継ルールを定める法案を決めた。
現在、民法では「移籍の場合、本人の同意が必要とし」ている。労働省の労働契約承継法案は、民法の特例として「分社化する仕事を主たる職務とする労働者は同意がなくても移籍させることができる」としている。労働者の人権を大幅に制限する特別措置を盛り込んだ。
商法改定案と労働省労働契約承継法案が制定されれば、会社分割は経営側の思惑で自由にスピーディーにおこなわれることになる。両法案は三月十日、国会に提出された。
日本の民間産業、特に製造業、流通業の大リストラを雇用破壊と表裏一体ですすめて、アメリカ企業と互角に渡り合えるマネーゲーム社会を再構築しようというのが財界の総戦略だ。
これは日本型ダウンサイジングとなるだろう。分割・分社化が日常的に行なわれるので、自分の勤めていた会社がある日突然、他社に買収されて、その買収された会社に残りたければ、低い労働条件でガマンしなさい、いやなら辞めなさい、こんなことが頻繁に迫られる社会が始まろうとしている。
しかも今後、合併・買収は銀行や商社、持ち株会社が演出するので、労働者の雇用や労働条件を決める真の使用者が直接雇用されている会社の経営者とちがう事態も頻繁にあらわれる。労働組合活動も一企業内ではとても対応し切れない局面にたちむかう。

二、大競争時代に入った帝国主義経済
一九七一年、ニクソン米大統領の新経済政策は、時代を画するものとなった。ドルと金の交換停止を一方的に宣言し、七三年のスミソニアン合意では、ドルをふくめて国際通貨は変動相場制に移行した。アメリカは貿易赤字を出しても、ドルをたれ流して支払えばよくなった。
八〇年代半ば以降、アメリカは巨額の貿易赤字を膨張させ、対外債務(対外的な借金)を累積させてきた。アメリカの対外債務残高は、九九年時点で約一兆四〇〇〇億ドルに達して、いまやアメリカは世界一の債務国となっている。世界一の債務国の通貨が国際決済通貨となっているのが現実である。
ドルが国際決済通貨であるために、否応なしに諸外国はドルを対外準備として保有せざるをえない。しかし長期的には、アメリカの対外債務の累積はドルの信認を危うくする。ドルの信認が動揺する危険性を少しでも低下させるために、アメリカはドルを国際決済手段として使用するように各国を縛りつけておかなければならない。またアメリカは膨張する貿易赤字を決済するために、巨額の資金流入に依存しなければならない。そのままではアメリカの対外債務はふくらむばかりだ。そこで流入する海外資金の再投資先を確保して、投資収益を上げる必要が生じてくる。かくしてグローバルな規模で金融自由化政策を強制することが、アメリカ帝国主義の覇権維持のために不可欠となっている。
自らのドルのたれ流しによって作り出した過剰流動性が、国際金融市場を不安定化させる。ドルは、乱高下しやすくなる。アメリカ金融資本は、流動性選好をつよめて証券化が進展する。証券投資は不利になれば売り払えばよいので、通常の融資に比べて逃げ足がいっそう速くなる。 こうした証券化は資金移動をいっそう加速させ、金融市場の不安定性を高める。そこでリスク回避のため金融デリバティブ(金融派生商品)が発達する。情報技術の革新がそれを支える。デリバティブは、値動きが予想の幅をこえて一方に振れるとオーバーシューティングを生みやすくする。いったん損失が出ると、同じく危険な国の資産市場から資金を急速に引き揚げる。つぎつぎと伝染性の通貨危機がおこる危険性をもつ。九〇年代、さまざまな通貨危機が頻発した。
現在進行しているグローバリゼーションは、市場が世界規模に広がってボーダーレス化するというだけではない。貿易赤字の拡大をおさえる市場開放要求とともに、金融自由化政策の強制というアメリカ金融資本の自己利害を貫徹する方策として展開されている。他方、アメリカに輸出する諸国は、自国の経済回復のために不可欠な輸出を伸ばす必要から、獲得した外資(ドル)をアメリカの証券市場に投じ、国際的な資金還流を促し、アメリカの株高・ドル高を支え、アメリカの消費の増大を促進している。深刻な金融不安の中で、世界中がアメリカのバブル経済を支えなければならないという構造がつくりだされている。
日本経済を襲っている激変は、こうした国際経済の一環として起こっている。国際的な大競争時代を背景にして、大企業が苛烈な生き残り競争を展開している。生き残りのために、自らの系列会社として抱きかかえてきた中小企業を整理選別し、切り捨てにかかっている。そしてまた合併・買収を激しく展開する。
従来のように大企業を中心に、それぞれのメーカーが全商品をそろえて、それを生産・販売する系列会社をかかえ、ピラミッド型の大企業社会をつくり、それぞれが売上高を競い合う、という時代は終わった。これからは、いらない部門はどんどん切り捨てて、主力商品を絞り、生き残りをかける時代に入っていく。今まで、全部門で合計一千億円売上があった企業も、一千億円にこだわるのではなくて、正味利益のでる五〇〇億円の部門を残して、他の不採算部門は売り渡してしまう、そういう時代に入ろうとしている。弱肉強食の法則が企業をふるいにかけ、大企業も、その系列中小企業も全部、永続的にふるいにかけられていくことになろうとしている。
資本主義は、戦後の一時代を通して少なくとも帝国主義諸国内の労働者人民に対してはケインズ主義的政策を展開し、一定の生活向上と社会福祉の拡大、物質的豊かさを生み出してきた。しかしその時代は終わりつつある。資本主義は、帝国主義諸国内の労働者人民の生活をも一律には保証しえなくなり、優勝劣敗、弱肉強食の激烈な競争の中にたたき込む。その本性をむきだしにする時代がはじまったことを見据えなければならない。

三、たたかわなければ未来はない
日本型ダウンサイジングの嵐を前にして、わたしたちはいかに身構えたらよいのか。日本型ダウンサイジングはさまざまなところに影響をもたらす。
第一は、親会社本体に働いている労働者の雇用の問題だ。今までのように、企業の安定を前提にして、その企業の栄枯盛衰に依存しつつ賃金や労働条件を考えていればよかった時代は終わった。親会社本体の正社員にしても、会社分割に際してふるい分けられる可能性が高い。分割された会社に伴って転籍することができたとしても、労働条件を切り下げられる可能性が非常に高い。後にのこった場合は、そこが不採算部門であれば、最終的には倒産整理されることになるだろう。
正社員以外の契約労働者、派遣、パートなどの短期間労働者は、企業の事業部門が売買されるわけだから、従来どおり働けるとは限らない。
第二は、下請けや取引業者、あるいは子会社で働いている労働者の雇用問題だ。現状ではある日突然、親会社の都合で取引を中断された下請け業者に働く労働者の雇用について、親会社に責任を問うことは簡単ではない。問答無用で切り捨てられる可能性が非常に高い。
第三は、下請け業者や取引業者の営業権が脅かされる。大企業は多数の系列下請け業者や取引業者をかかえている。会社を分割した場合、その事業部門にそのまま従来の下請け業者や取引業者を連れていく可能性はほとんどないだろう。必ずそこでふるい分けがおこなわれ、これらの業者の営業権が脅かされる問題が発生する。
また、事業所の存在する地域社会への影響も無視できない。工場や事業所が一方的に地域社会から逃げ出すケースがふえて、過疎化や不平等が広がったり、地域の小売業者の連鎖倒産が起こったりすることになるだろう。
日本型ダウンサイジングは予想されるこれらの深刻な問題を引き起こしながら、それでも無慈悲に進められてくる。今は大企業の中でリストラされる人も、系列中小企業も個人事業主もそれらで働く人たちも全部ふくめて寄らば大樹の陰を決めこんではいられなくなっている。たたかわなければ生きていけない社会になってきている。
労働組合を再生する機会がきている。労働組合が、会社に雇用されている社員や組合員だけの組織という考え方ではやっていけない。労働組合は企業に雇用されていようがいまいが、困っている人たち、不安定雇用労働者をはじめ失業者、外国人労働者、下請け個人事業主など、いわゆる社会的弱者すべてのより所でなければならない。困っている人たちが自分の権利を主張し、防衛するための足場となる組織でなければならない。
もう一つ、労働組合はもともと、資本や権力から弾圧され搾取されている人たちすべての要求をになって、資本や権力の横暴を規制していくという社会的役割をもっている。労働組合は自分たちだけの狭い経済的要求の殻だけにとじこもっているのではなくて、地域的、全国的な視野をもって、その政治的社会的な役割をキチンと果たしうる資質と能力をもたなくてはならない。
日本型ダウンサイジングの下で、何に対していかにたたかうか。親会社の正規社員労働者の雇用や労働条件が安泰という時代は終わりつつある。しかし多くの下請け労働者や中小企業労働者、派遣やパート、外国人労働者はすでにいち早く激動の波の中にたたき込まれている。労働組合もない状態で、職をうばわれたり、劣悪な労働条件の下で苦しんでいる。 いま、個人加盟方式で、どの企業に所属していても同じ権利を労働組合員として保障され、どんな人の相談でもみんなで一緒になってたたかう合同労組や地域ユニオンといった組織が、全国各地でそだってきている。
社会的激変の中で、職と権利を自分でたたかいとることが多くの労働者に要請されている。個人加盟方式のように、一人でも入れる労働組合は、労働者がひとりでも加入してたたかう決意を示すことによって成立している労働組合だ。この組織思想は、これからの嵐の時代を生き抜いていく労働者の原点となるものである。労働組合は、まずこの原点を再確認することから始めるべきではないだろうか。
日本型ダウンサイジングの下では、すでに見たようにすべての態様の労働者に雇用不安、生活破壊の危険をもたらしてくる。なかでも会社分割や合併・買収が頻繁におきると、使用者概念が単純にいかなくなってくる。銀行や証券会社で、ソロバンをはじいて企業や事業所をこっちに移転したり、あっちに売却したりする。誰が自分の雇用や労働条件をほんとうに決めているのか、がわかりにくくなる。いままでも「背景資本」として追及してきたたたかいを発展させて、一企業の枠をこえた運動が必要になってくる。
たたかいの主体としても、会社分割や合併・買収によって複数の企業で働く労働者や働く態様の異なる多くの労働者が、同じ課題をめぐってたたかう場面が多くでてくるだろう。多くの企業に働く、態様の異なる労働者が共同して生活と権利をかけてたたかう組織が必要だ。
失業者も増える。すでに各地で部分的にはじめられているように、労働組合が軸となって労働者の雇用をつくりだすことも必要になる。当面、全国的規模で統一した運動が展開できないとしても、条件のある地域や地方で、市民運動などとも連帯して、一定の共闘とか、ネットワークという形だけにとどまらず、人的にも財政的にも運動能力としても、社会的な影響力をもった運動体をつくりだしていく必要がある。
はじめは小さくても、労働問題はもちろん地域や地方の課題や社会的弱者の生活や権利の強化・拡大など共通の課題の解決をめざして着実に前進する地域的、地方的な運動拠点の形成が必要である。地域や地方の労働者人民がたたかいと生活の希望をもつことのできる運動体が全国各地に形成されるべきだろう。そのために微力をつくして奮闘したいと思う。   (了)