我が家の反「日の丸・君が代」行動(投稿)


 我が家の息子が「十五の春」を迎え、三月半ばに卒業式を終えました。いよいよ自主・自立が求められる年令にもなった訳ですが、今回の卒業式を迎えるにあたっては、家族的には互いにすばらしい経験を積むことができました。
 昨年八月、自自公連立の強権的多数工作により、日の丸・君が代の「国旗・国歌法」が制定されました。そこには、「強制をしない」の一項目が入っていたにせよ、これまでの進め方からしても一切信用することは出来ないと感じていましたし、今年に入ってからは一層強圧的言動が文部省、自治体首長、教育委員会で、そして暴力的右翼の跋扈が目立っておりました。
 私たちは、現場教師が反対の意思表示をもってしても強権的処分(文部大臣の発言、豊中市の処分)をちらつかされている中では限界があるものと思っておりましたし、だからと言ってこのままでは癪にさわることでもあり、家族会議を通じて考え方を整理しました。
 まずは、校長への話し合いを求め、要請文を提出することにしました。内容は、「生徒、現場教職員の手作りの卒業式を求め、保護者としても心から祝ってあげたい」旨を前文にしたため、@「日の丸」旗の校舎内及び卒業式会場への掲示・掲揚を控えてもらう、A「君が代」の斉唱を、さらには演奏、テープなどによっても強行しないでほしい、B卒業証書には元号ではなく西暦による記載で授与して戴く、を項目ごとに理由を添えて記載しました。
 最後の文案には、話し合いの中で納得行かない場合は保護者として卒業生本人の出席の取りやめと、当日での強行的実施があるとするならば、物理的反対の行動を取らせてもらう事を申し添えて書き上げました。
 校長との話し合いでは、「一年前から指導要領に基づいて挙行する考え」「厳粛に卒業式を執り行いたい」「世論のアンケートでも七割が賛成している」「反対を申し入れて来たのは一人だけ」と、いささかも譲る気配は感じられませんでした。話し合いを終えた後、教職員の組合役員にも同様の要請文を手渡し、話し合いの経過についても報告しておきました。組合の校長との交渉では前進が見られず暗礁に乗り上げていることも、その場で聞くことが出来ました。
 驚いたのはその日の夕方です。直接校長から電話があり、「改めて読ましていただいたが、あのような行動を考えていることは控えていただきたい、お子様に将来不都合なことがあるかも」と言葉を濁しながら、恫喝と思える言葉をかけてきたのです。当然、「不都合なこと」とは何かを問いただしましたが、逆に焦ったのか、「話し合いをしたい」とトーンを下げ多少の問答の中で電話を終えたのです。ちょうど食事中でもあり、すべて家族公開の中でのやり取りに全員怒りを露にすることになりました。
 その数日後、電話での真意を問いただすべきと考え学校に赴き、教師の組合の交渉経過

についても聞くことになりました。結果、当日のお昼、校長と執行部との話し合いの中で、「従来どおり進めたい、裏切ることはない」等の校長発言があったことを真摯に受けとめ、「式の準備に取り掛かっている」とのことでした。
 私たちとしては、要請の趣旨が活かされていくならば、「不都合」発言の真意を改めて問いたださないことを告げて帰宅することになりました。
 さて当日、私たちはピースリボンを胸に付け参加しました。「裏切ることはない」の結果は、式場には「日の丸」はなし、「君が代」もなし、ただ残念ながら、西暦表示は事前の詰めがなかったこともあり、(息子も事前調査では西暦で記載)旧来のまま元号での記載となっていたことです。
 それでも、息子は私たち家族の真意が伝わったことを自覚し、卒業証書授与の際、自ら校長に握手を求めたとのことでした。
 我が街の実態を聞くと、昨年までは日の丸・君が代の実施率はゼロに等しかったのに、今年は旧来どおりの卒業式を実施できたのが、わずか数校だけだったとのことです。その一校が私たちの学校であったことを思えば、ひとつの効果があったものと考えております。組合の役員からも、「あの要請行動が校長に動揺をあたえ、一挙に逆転した」とのお礼の言葉を聞くと、まんざら粋がった行動でもなかったなと自負しているところです。
 実際、強行された時、どこまで行動を取れたか、取るにしても現場の教職員との事前の話し合い、息子との話し合いと理解が必要だったことを思えば、内心ホッとしているところです。
 ただ、今回の成果を総括するならば、現場教職員組合の力強い団結があり、保護者との連携が作られていくならば、今後も可能な反対の行動になると考えます。私たち家族はピースリボンを胸に、記念する卒業式を終えることが出来ました。
      (首都圏M)