東海第二原発再稼動阻止3・11日本原電前
  避難不可能!廃炉必至

 東日本大震災から13年になる3月11日、「3・11フクシマを忘れない!日本原電前抗議行動」が東京・秋葉原の日本原電本店前で闘われ、164名の労働者市民が結集した。主催は、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会で、共催は再稼働阻止全国ネットワーク。9月以降に予定されている東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働中止・廃炉を求めて行動を貫徹した。
 福島第一原発事故から13年。今でも2万人以上の人々が避難生活を強いられ、363名(2023年11・24時点)もの子どもたちが甲状腺ガンに苦しんでいる。原発事故被害者の補償・賠償も値切られ続け、放射能汚染水は増え続けている(その内の処理汚染水は昨年8月から、海洋投棄され続けている)。
 それでも岸田政権は、23年5月にGX脱炭素電源法を制定。原発を最大限に活用するとして、運転期間を60年に延長、停止期間分も繰り越して運転することを可能にした。
 この原発推進政策に乗って日本原電は、運転開始から46年を経過した東海第二原発の再稼働を今秋強行しようとしている。東海第二は、3・11で非常用電源の一部が失われ、寸前で大事故を免れた寿命40年を超える老朽原発であり、大事故の危険性は常に付きまとっている。
 その上、工事を急ぐあまり、安全対策の柱の一つの防潮堤工事で、その要ともいうべき海側正面を守る地中基礎工事に施工不良が発覚。その場しのぎでこれを済まそうとしている。二重、三重の意味で危険な原発となる。
 1月1日能登半島地震が発生、土砂崩れや路面の崩落・ひび割れが相次ぎ、多くの家屋が倒壊した。
 志賀原発周辺では、避難ルートの国道・県道7路線が通行不能、町道も各地で寸断され、過酷事故の場合放射能から逃れることの困難さが浮き彫りになった。
 山田東海村村長は、昨年12月に策定した広域避難計画について、「地震や津波と原発事故が同時に起きる複合災害の想定がされていない」と1月28日の定例会見で発言。2月の会見では「複合災害の場合を含めれば、避難計画をゼロから検討するしかない」と述べている。
 つまり、村長は未だ広域避難計画を「見直す」とは明言していないが、避難計画も崩壊したということである。今秋以降予定の再稼働を中止し、廃炉にする以外に道はない。

3・11日本原電前

 原電前の抗議行動は、まず首都圏連絡会の柳田真さんが主催者挨拶。「福島原発事故から13年、たくさんの方々が亡くなった。それでも原電は、防潮堤工事の施工不良など問題だらけの東海第二を、9月以降に再稼働するという。何としても阻止したい」、また「パレスチナでは死者が3万人以上、負傷者も10万を超える。イスラエルのジェノサイドを許してはならない」と訴えた。
 次いで、地元茨城から「東海第二原発の再稼働を止める会」の野口修さんが報告。「1月の東海村村議選で、村上しほ候補(村上達也前村長の娘さん)がトップ当選した。投票率は50%前後で前回より3%減だが、4年前の再稼働反対票は3851票、今回は4086票と前回を上回った。『政治への希望を失うこと無かれ』との思いが表出された。ここが頑張りどころだ」と発言。
 能登半島地震の現場からは、「志賀原発に反対する命のネットワーク」の藤岡彰弘さんが登壇。
 藤岡さんは、原発の避難計画について「計画は絵に描いた餅」と断言し、①避難は平等ではなく必ず格差が生じる。②計画には避難はあるが避難後の生活は入っていない。③屋内避難は勝手に逃げるなということ。監視するのは自衛隊。むりやり押さえつけて混乱させない、それが目的。④電力会社は避難の責任をとらない、と4つの矛盾を指摘した。そして、「計画を立てるのは各自治体。なぜ国と原電が責任をとらないのか。責任が持てないのなら廃炉以外ない。次に地震が起きたら見殺しにされる。天を恐れよ!」と訴えた。
 首都圏の市民からは、「忘れまい3・11反戦反原発の会千葉」の中井はるみさんが発言。「この国は、原発を作ろうとする場所のデータを改ざんする。大地震が起こらないとして、現在まで54基の原発建設を強行してきた。」「千葉県では昨今、東方沖地震が頻発。東海第二の再稼働を止め、これを全原発廃炉の第一歩とせねば」と訴えた。
 原電へ質問書を受け渡す。首都圏連絡会の披田信一郎さんが読み上げ、4月3日までの回答を求めた。
 日本原子力発電取締役社長・村松衛あての質問書は以下の通り。①防潮堤基礎工事で施工不良が起きた原因。②南側基礎のコンクリート充填不良について、撤去し設計通りに作り直すべきだが、そうしない理由。③北側基礎について現在までに判明したことの説明。④北側基礎工事のやり直しと、そうしない理由。⑤鋼管製防潮壁を支える2本の基礎工事以外の調査はなされたのか、健全と言うならばその根拠は?等など。
 要請書も提出。反原発自治体議員・市民連盟のけしば誠一さんが、「大地震が予測される立地に立つ東海第二原発の再稼働を中止し廃炉を求める要請書」を原電に手渡した。
 抗議行動は最後に、原電本店に向けて「日本原電原発やめろ!東海第二原発廃炉!防潮堤工事やり直せ!」のシュプレヒコールを発して終了した。
 東海第二原発は、防潮堤工事の施工不良ばかりではなく、22年に3件、23年4件と火災を発生させ管理のずさんさが指摘されている。その上、今年2月2日に発表された火災事案は、稼働初期の1978年から使用されていた電線管が原因になった。46年を経た原発の各所で、原子炉圧力容器のみならず、器具や部品の経年劣化による事故が起こる危険性が高まっている。
 東海第二の9月以降再稼働の阻止は、首都圏住民の喫緊の課題かつ責任である。
 また中国電力・島根2号機は8月に、東北電力・女川2号機は9月に再稼働が強行されんとしている。
 3月23日には「STOP!女川原発再稼働さようなら原発全国集会in宮城」が、さようなら原発みやぎ実行委員会の主催で開かれ、仙台市役所前の勾当台公園に雨のなか全国から1千名が結集した。各地の闘いと連帯し、全原発再稼働阻止・廃炉を共に闘わん!(東京O通信員)


3・20さようなら原発全国集会6千人
  女川も再稼動させない

 「3・11」から13年、東京では3月20日の休日、「3・20さようなら原発全国集会」が代々木公園野外ステージで行なわれ、主催者発表で6000人が参加した。主催は、さようなら原発一千万署名市民の会。協力は「ワタシのミライ」、未来のための金曜日・東京。
 午後1時半、小雨から晴れへ天気も好転するなか、「フクシマを忘れない!」「原発再稼働を許さない!」「汚染水を流すな!」をスローガンとする本集会が始まった。
 最初に、一千万署名呼びかけ人の落合恵子さん、澤地久枝さんが挨拶。
 落合さんは、「このかん、フクシマを忘れさせるシステムが作動してきたが、志賀原発立地の能登半島震度7の地震で、忘れてはならないことが明確になった。地震大国に原発はいらない、原発と共存はできない、これをはっきりさせよう!」と訴えた。能登震災を受けた今年のフクシマ周年集会、その特長的な発言であった。93歳になる澤地さんも登壇、原発をなくす、平和憲法の原点を取り戻す、これへ努力を続けると発言した。
 「フクシマ連帯キャラバン」の青年労働者たちが登壇。2013年から中小3単産(全港湾・全日建連帯・全国一般全国協)の青年労働者の取り組みとして始まったキャラバンは今年も、3月16日の「原発のない福島を!県民集会」への参加に始まり、本日20日の東京行動まで展開された。これらが元気一杯に報告された。
 福島からの発言は、片岡輝美さん(これ以上海を汚すな!市民会議)。福島県議会で自民党が、教育現場で「汚染水」の文言を使うなという意見書を提出し、このかん意見書の取り下げを求めて運動してきた。意見書は3月19日可決されてしまったが、この教育不当介入を許さず、今後も闘っていくと報告した。
 各地からの報告。最初に北陸電力・志賀原発について、北野進さん(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団)が発言。かつて私たちが反対運動をしていた珠洲原発の予定地だった高屋地区などは、今度の地震で海岸が岩だらけになり、津波も押し寄せ、道路は寸断して救急車も消防車も来れない状態となった。珠洲原発が出来ていたら大変なことになっていた。停止中の志賀原発も危なかった。このかん私たちの志賀原発廃炉の運動は、遅れをとっていました。しかし地震後に態勢強化を相談し合い、今年6~7月頃には全国集会を設定したい。全国からのご参加をお願いします、と報告した。
 東北電力・女川原発については、多々良哲さん(女川原発再稼働を許さない!みやぎアクション)。女川2号機は、①3・11の被災原発であり、危うく福島第一と同様になりかけた原発であること、②福島第一と同じ沸騰水型原発であること、③被災で原発建屋に無数のヒビが入っており、それで申請審査が長期化したこと等により、再稼動がなおさら危険な原発だ。絶対に今夏再稼働を止めよう。3・23の全国集会、仙台にご結集を!と訴えた。
 茨城県の日本原電・東海第二原発については、阿部功志さん(東海村村会議員)。阿部さんはまず、1月の村議選結果を報告(反対派5、再稼働派13)。そして能登地震後、避難計画について山田村長の発言が動揺しているが、避難計画は見直すと明言させねばならない。また、原発事故を起こしても誰も責任をとらない日本文化を変えねば。裏ガネ自民党はもはや反社、政権を変えよう!と国政についても訴えた。
 最後に、呼びかけ人の鎌田慧さんが閉会挨拶。13年たってもまだ原発があるが、新増設なんて出来っこない。それで、危険な旧い原発を動かしてでも利益を得ようとする人たちがいる。これを許さず、自然再生エネルギーに全部取り換えよう!と締めくくった。
 参加者は、プラカードアクションで盛り上がった後、2つのデモコース(市民中心の渋谷方面、労組などの原宿方面)に分れて出発、街頭に「さようなら原発」を訴えた。(東京W通信員)