1・29千葉地裁
 三里塚・横堀農業研修センター強奪裁判始まる
  強制手段は93年合意違反

 1月29日、横堀農業研修センター裁判第1回口頭弁論の傍聴行動を行ないました。行動お疲れ様でした。
 「横堀農業研修センター裁判を支える会」では正午、千葉県庁前で反対同盟旗と横断幕を広げて、宣伝活動を行ないました。参加者は13人。
 この日の千葉地裁では、所持品検査がありました。
 傍聴券のために、地裁601号法廷の近くの6階廊下に並び、14時45分に整理券が配られ、並んだのは40人弱。
 14時50分段階で整理券の数が66の傍聴席以下ということで、抽選無し。引き換えで傍聴券が配られ、601号法廷に入りました。
 15時過ぎに開廷し、提出されている原告の訴状と被告の答弁書・証拠説明書について裁判官から確認。
 被告席(傍聴席から右手)には清井礼司弁護士、柳川秀夫さん、佐藤幸子さん。反対側に原告空港会社代理人。
 被告の答弁書と柳川さんの陳述書を読み上げたとする手続きがとられ、裁判官から両者の主張についての「主張整理メモ」が出され、次回の口頭弁論(4月22日)について確認し、短時間でこの日の裁判は終了。
 閉廷後は、県教育会館に移動して裁判報告集会。参加は37人プラス取材(共同通信)。
 集会では、清井弁護士が裁判について説明。
 「裁判所が主張整理メモを出してきた。裁判所も図面がよく分からないと原告側に指摘していた。分からない点があれば強制執行はできない。できない余地が残る」。
 柳川さんの陳述書の読み上げに続いて、清井弁護士は次回以降、柳川さん、平野靖識さん、田村明比古成田空港社長の3人を証人申請したことを報告。
 証人として申請している平野さんは、「この裁判は、あらゆる強制的手段を取らないという約束に反している。自信を持って闘いましょう」。
 被告の佐藤さんは、「ひょんなことから被告になって非常に光栄です。年齢は年齢だが、私なりに合宿所や三里塚にかけた思いを出していきたい。ご支援のほどをお願いします」。
 裁判についての質問と清井さんの説明の後、支える会呼びかけ人から中川憲一さん、関西から渡邉充春さんが発言。
 元連帯する会の柘植洋三さんは、「合宿所をつくるとき、前田俊彦さん、吉川勇一さんが現地に行って、権利を主張できる場所はここだと決めた。労農合宿所の価値は党派に限定せず、誰でも受け入れたこと。合宿所がどこか単独の持ち物だったら、今日のように人々が集まることにはならなかった。運動体としての大事な価値。なぜ小さな土地にこだわって闘うのか、を全国に広げられる」。
 田んぼくらぶから鈴村多賀志さんが発言。
 最後に4月7日の裁判を支える東京集会、また、4月22日第2回口頭弁論(開廷13時半、千葉地裁601号法廷)への呼びかけが行なわれた。以上。(繁山達郎さん報告文を整理)

4・7東京集会

 4月7日、「横堀農業研修センター裁判を支える東京集会」が都内・文京区民センター2Aで開かれる(午後1時半開会)。主催は、横堀農業研修センター(旧労農合宿所)裁判を支える会。
 映像上映、清井礼司弁護士の裁判報告、柳川秀夫さんの発言、鎌田慧さん・白川真澄さんによる対談「労農合宿所の始まりの物語」、等々を予定。


横堀農業研修センター裁判 第一回口頭弁論
  陳述書 栁川秀夫

 今般、成田空港会社は私たち三里塚芝山連合空港反対同盟(以下、反対同盟)および共有者4名に「申入書」(6月15日付)を送りつけてきました。
 それには「本書面到着後1か月以内に本件各建物等を収去して、下記土地を明け渡していただけない場合は、当社といたしましては、法的措置もやむを得ないものと考えております。」とありました。第3滑走路に必要な土地を手に入れるため、有無を言わせずに土地を取り上げるという恫喝そのものです。
 訴状では、原告は「政府全額出資(資本金1197億3680万円)の株式会社であり、被告栁川外3名に対する上記賠償額の全額を支払う能力を十分有している。」と述べています。
 訴状の理由として、主要な国際空港として成長し、これからも増大が見込まれる。
 そのため、空港拡大を図り機能強化(第3滑走路)の必要があるとしています。
 はたして機能強化のために明け渡せといわれる場所が決定的に阻んでおり、何としても収去が必要なのか、理由として不鮮明なところです。
 又、土地明け渡しの補償金額の提示により、収去という最終の道を示した一方的な通告であります。
 空港問題の歴史を遡るまでもなく、又、ウクライナ、パレスチナ等での事態でも明らかなように強行手段は必ず反撥があり、不幸なことが伴うものです。
 時の流れとして文明はそのような蛮行を超えなければならないと思います。
 三里塚では、1966年の閣議決定後、「国策」として地元の農民・住民の意志を国家権力・警察機動隊の暴力で抑え込み、空港建設を推し進められてきました。位置の決定から建設、開港まで全ての過程でこのようなことが行われてきました。
 一坪共有運動は強権的な空港建設に反対する取り組みとして始まり、旧労農合宿所は三里塚に心を寄せる人々が集う場として1977年から長年活用されてきました。
 政府・旧空港公団は1993年の公開シンポジウムで、それまでのやり方が誤りであったと謝罪し、「今後強権的な手段は用いない。話し合いによる解決をはかる」と約束しました。約束に従って、土地強制収用の根拠となる事業認定を旧運輸省は取り下げました。
 ならば、今回のような土地明け渡し、建物撤去の裁判は起こされてならないはずです。
 私たち反対同盟は、1991年から1993年の政府及び新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)とのシンポジウムで、地球的課題として持続可能なあり方を提案して、空港という巨大開発が問題ではないかと問題提起をしてきました。
 巨大開発の問題は、地球の人類の生存、地球全体の生存に関わるところまで事態は深刻化しています。私たちの考え方としては、腹八分をものさしとした社会をきちんと考えなければならないということです。温暖化が問題になっているときに、土をひっぺ返して、なおさら温暖化に近づくようなことをなぜやるのかと言わざるを得ません。横堀研修センターの周辺がまがりなりにも樹木が繁り自然の状態を維持できていたのも、私たちが横堀農業研修センターと共有地が守ってきたからに他なりません。1966年より57年間守られてきた土地が蛮行の対象になろうとしています。
 畑で農作業をしていると変化がよく分かります。昨年は雨が降らない日々が何カ月も続き、雨となるととんでもない大雨が降りました。今や世界中、人類の生存にかかわる事態になっており、これをどうするのかが地球の課題になっています。
 更に緑の大地をひきはがし、コンクリートで固めようとすることはあらゆる意味で大罪です。
 それなのに、空港をもっと巨大化させ、谷津や田んぼを埋め、コンクリートで固めようとしている。これは今の時代の要請に合致することではありません。
 反対同盟は空港会社のこのようなやり方を断じて認めることはできません。
 私たちはこのような観点から、横堀農業研修センターの土地取り上げ、建物の撤去には反対し、空港会社の訴えの却下を求めるものです。
 2024年1月29日