韓国オプティカルハイテック闘争
 日東電工大阪本社へ怒りの12・14抗議行動
  雇用継承の責任をとれ!

 12月14日、午後1時より大阪梅田で、韓国進出・工場閉鎖の「食い逃げ」企業―日東電工の大阪本社に対する抗議行動が展開された。ヨドバシカメラ西入り口前に、おおさかユニオンネットワークと大阪全労協をはじめとした労組、市民30余名が結集した。
 冒頭、おおさかユニオンネットワークの西山さんより、本日の行動提起と韓国オプティカルハイテク労組闘争の現状報告が行なわれた。
 西山さんは、この間の韓国サンケン電気闘争、韓国ワイパー闘争そして韓国オプティカルハイテック闘争を闘ってきた中で、日東電工は一番悪質な企業だと、食い逃げ体質を激しく糾弾した。
 その後、向いのグランフロント大阪33階にある日東電工に対して、「日東電工は工場火災を利用し、多額の保険金を貰って逃げるな」、「会社廃業・全員解雇撤回せよ」、「再雇用を保障せよ」とシュプレヒコールを浴びせた。
 続いて大阪全労協、各ユニオン、関西合同労組、港合同労組からアピールを受け、教育合同の増田さんによるギター演奏と歌で、行動を盛り上げてもらった。
 さらに、韓国オプティカルハイテック労組よりの緊急アピールがあり、
 会社側は、①「不法行為による損害賠償請求」として組合員個人への財産差し押さえ、つまり持ち家の人に対する家屋差押え、借家の人には賃貸保証金差押えとして総額4億ウオン(約4千万円)を要求し、②労働組合事務所の明け渡し及び撤去工事妨害禁止の仮処分、③刑事告発―工場撤去を妨害しているとして「業務妨害罪」告発など、これら組合潰しを画策し、また、「会社清算のお知らせ」の中で完了日を2024年4月としており、金属労組と会社との労働協約の有効期限は24年3月31日までとする極めて切迫した状況であることが報告された。
 日東電工は、百%子会社の韓国オプティカルハイテックの清算を22年12月に一方的に決め、残った労働者に23年2月解雇通告を出した。しかし日東電工は、他の3つの子会社の一つである韓国日東オプティカルで代替生産を行なうとしている。金属労組韓国オプティカルハイテック支会の組合員(現在11名)は、韓国日東オプティカルへの雇用継承を求めて闘っている。
 一方的な会社清算は労働協約違反であり、団交拒否と正当な組合活動への損賠請求は不当労働行為である。しかしこの争議では、地労委・中労委が労組の救済申し立てを不当に却下しており、韓国現政権の労働行政も問われている。韓国ユン・ソンニョル政権は、この間の動向を見てもあきらかなように、韓・米・日による好戦的な三角同盟の強化を急ぎ、民主労総を始めとした韓国労働者・市民への弾圧を進めている。
 このような政権と一体となったニットー資本の理不尽な攻撃を打ち破り、日韓労働者・市民の熱い連帯で勝利しよう。(大阪S通信員)


第2次日本遠征団と共に12・2~6東京行動
 「支援する会」1・25結成へ

 韓国金属労組オプティカルハイテック支会(OP支会)第2次日本遠征闘争が、12月2日から6日にかけて行われた。
 この間、チェ・ヒョンファン支会長をはじめとする4名の遠征団は、10月・第1次遠征闘争の日東電工大阪本社への抗議・申し入れに続き、東京本社への抗議・申し入れを行なった(本社機能は大阪であり東京は営業所のようなもの)。遠征団は、東京全労協の大会に参加し挨拶を行なうなど、日本側の労組・市民団体との交流は今回訪日の大きな課題であった。
 4日の早朝8時から、東京本社に通じる品川駅港南口コンコースで、OP支会をはじめ支援の労組員や韓国サンケン労組を支援した争議団・市民団体メンバーなど総勢30名近くが、マイクで日東電工の組合潰しを目的とした偽装廃業処置の不当性を次々と訴え、ビラを配ると驚くほど多くの人がビラを受け取り、関心を示した。
 それも、この品川港南口はここ20年程で巨大なオフィス街として変貌し、早朝の乗降客は膨大な数となり、当初はあまりにも多くの通行者のため、関心が向かないのではと危惧されたが、さに非ず、大企業・日東電工による労働者弾圧への抗議と日韓労働者連帯の訴えが、多くの労働者(事務系・営業系が主力と思われる)に関心を喚起したとも考えられた。これは、5日、6日と続けた早朝駅頭情宣においても同様の反応が見られた。
 代表団による東京本社への抗議・申し入れ行動では、東京本社側がお決まりの形で、すべて大阪本社と話してくれと総務のT氏が答えるにとどまり、申し入れの要請書を受け取りはしたが、ほぼ門前払いの初日であった。二日目三日目には、代表団が返答をもらいに行ったが、東京本社側は答えようとはしなかった。代表団以外の支援者たちは、東京本社の入る巨大オフィスビル前で、寒風とビル風の吹き返す中、代表団が戻るまで、日東電工の不当性と、当該OP支会支援の訴えを当ビルの通勤者に行なった。
 以上のOP支会の第2次日本遠征闘争は、東京を中心として韓国サンケン闘争を闘った労働組合、争議団、日韓連帯運動の諸関係者を中心に連帯闘争として取り組まれた。この闘いを一時的支援にするだけではなく、韓国オプティカルハイテック闘争の勝利まで闘い抜ける組織体制が求められている。
 首都圏では、今回の第2次遠征闘争に備えて、「韓国オプティカルハイテック労組を支援する会」準備会が作られていたが、この1月25日には、「支援する会」の結成集会(文京区民センター・午後6時)を設定している。首都圏を中心として、「支援する会」に参加して日韓労働者連帯の闘いを一層強化し、大阪本社への闘いを進める大阪の仲間と連携して、日東電工への闘いを全国レベルで進めることが求められるだろう。韓国オプティカルハイテック闘争勝利を勝ち取ろう。(東京Ku通信員) 


11・11韓国労働者大会に参加
  韓国オプティカル
 ハイテック労組と会合


 韓国サンケン争議などの支援を共にしてきた仲間と共に、韓国労働者大会に参加するため訪韓した。今回の労働者大会への参加は前年と異なり、コロナ禍による入国手続きの煩雑化も無く、天候に恵まれた。しかし韓国への入国にあたって、ここしばらくなかった訪韓団員一名に対する別室取り調べ(「別の部署」での調査待ちだけだった)があるなど、尹錫悦政権による国家保安法弾圧・労組潰し・民主化潰しの余波を感じさせた。
 労働者大会は、11月11日の午後2時から、ソウル・西大門の大通りを5万人が埋め尽くして開催された。「尹錫悦政権退陣」「労働改悪阻止」がメインだ。集会では、この間の闘いの中で命を絶った烈士のお兄さんと娘さんの発言があり、追悼の大旗が振られ、闘いへの決意が固められた。前年とは違う緊張感に包まれた集会となった。労働者大会に続いて同じ場で、民衆総決起集会が開かれ、労働界だけでなく社会各層の人々が参加し、「尹錫悦退陣」の声を上げた。
 集会終了後、デモは龍山の大統領執務室に向かった。隊列の先頭から警察との緊張状況が伝えられたが、無事終了していった。
 労働者大会の最中、韓国サンケン労組の仲間が我々の位置を見つけて訪ねてくれた。元副支会長のキム・ウニョンさんは、民主労総慶南地方本部長に立候補していて多忙で会えないと思っていたが、集会・デモの場に駆けつけ、食事会も共にしてくれた(後日、当選の報)。
 労働者大会の翌日は、23年8月に争議解決したばかりの韓国ワイパー労組を地元の安山市に訪ね、交流を深めた。
 今回の訪韓は、日本の多国籍企業・日東電工(本社・大阪)の子会社である韓国オプティカルハイテックに対する労働争議の支援、これに取り組み始めたことと重なった。それで労働者大会当日の午前に会合がもたれ、韓国側は全国金属委員長と当該労組と弁護士、日本側は全労協と弁護士と訪韓団が参加し、今後の取り組みが検討された。(M)


大阪・12・28~1・3第54回釜ヶ崎越冬闘争
 誰ひとりとり残さず新年へ

 第54回釜ヶ崎越冬闘争が同実行委員会を中心にして、2023年12月28日から2024年1月3日までの設定で闘われる!
 仲間うちの団結で餓死・凍死者を1人も出さず、「人民パトロール」「医療パトロール」を柱に、また支援の仲間とともに、12月28日の突入集会から1月3日まで闘争体制を継続していく。
 1月2日には「新年討論会」を開催(センターの未来を提案する行動委員会主催)。労働者・住民のためのセンターと釜ヶ崎の未来へ向けての討論と意見の深化を図っていく。
 同時に12月30日から1月3日には、越冬や反失業、センター関連の「展示・映像アーカイブ」の開催を企画している。
 のど自慢・ソフトボール等、イベント・ステージライブも同期間中に開催、実行委の工夫と創意で闘いの祭りを盛り上げる。
 釜ヶ崎講座は12月31日、午後7時(釜ヶ崎日雇労組事務所集合)より「12・31越冬連帯行動」を行なう。新年1月3日には「新春釜歩きツアー」を挙行して(釜日労事務所前集合・午後1時出発)、越冬の闘いに熱く連帯する!共に闘わん!(関西I)