東電刑事裁判、国に忖度して二審も不当判決
  「現実的な可能性」で免罪

 1月18日東京高裁(細田啓介裁判長)は、東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣の勝俣恒久元会長、武黒一郎・武藤栄元副社長ら3被告の控訴審で、一審東京地裁に続き、いずれも無罪の不当判決を下した。
 公判は、巨大津波の発生を予見できたか、つまり文科省地震調査研究推進本部の「長期評価」の信頼性(予見可能性)と、浸水防止策など対策をとれば事故を防げたか(結果回避可能性)の2点をめぐって争われた。
 予見可能性について、一審判決は、「事故を回避するには事故直前までに原発を停止するしかなかった」と独断しつつ、「福島原発の有用性を考えれば、停止には安全基準に照らした慎重な判断が必要」であるが、長期評価はそのための「信頼性や具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」として、予見可能性を否定していた。
 高裁判決は、この一審永渕不当判決を妥当として無批判に継承し、長期評価は「敷地の高さを超える津波が襲来する現実的な可能性を認識させるような情報だったとは認められない」と断定している。長期評価の前書きに「誤差を含む」、「利用には留意が必要」とあること、中央防災会議報告書に取り入れられなかったことなどを、その理由とした。
 高裁判決は「現実的な可能性」を連発しているが、地震学の無理解がその誤りの根底にある。事故対策を基礎づける科学的知見について、大津波発生の「現実的な可能性」を求めることは、地震学の現状(発生確率を示すだけで予知はできない)からして明確な誤りである。現実は、東電は大津波の可能性を認識し、当初は津波対策を進める方向で動いていた。しかし、中越地震での柏崎刈羽原発停止による収支悪化を背景に、多額の工事費用を避けるために津波対策を先送りした。サボタージュ、これが真相だ。
 昨年6月の国賠訴訟最高裁判決は、長期評価の信頼性について明言してはいないが、東電による大津波15・7mの試算について、「安全に充分配慮して余裕を持たせ、当時考えられる最悪の事態に対応したもの」とし、長期評価とそれに基づく試算に一定の評価を判示している。高裁判決は、この最高裁判決の趣旨にさえ反する。
 結果回避義務について、高裁判決は、防潮堤設置や水密化の諸対策は「後知恵」だなどと一蹴している。昨年7月の株主代表訴訟東京地裁判決は、水密化によって「重大事態を避けられた可能性は十分にあった」と判示したが、これを感情的に否定している。「水密化は他の対策とセットでなければ事故を防げなかった」とも言っているが、何の根拠も示してはいない。
 細田裁判長は、公正な判決を下すに不可欠な現場検証を頑なに拒否し、また株代判決を踏まえた弁論再開の要求からも逃げ回って、原発推進勢力への忖度判決を出した。この判決は、事故対策をしないことを免罪するのだから、まさに次の原発重大事故を準備する極悪判決である。

  1・18怒りの高裁前

 1月18日午前、東京高裁前では、控訴審勝利・脱原発を勝ち取る「高裁前アピール行動」が行なわれ、約300人が結集。主催は福島原発刑事訴訟支援団。
 主催者から、武藤類子支援団副団長が発言、「3・11から12年。事故による大きな問題が積み上がり、未来の世代に影響する。次の世代に迷惑をかけてはならない。公正な判決を!」と高裁に向って訴えた。
 海渡雄一弁護士が発言、一審判決の誤りが長期評価の信頼性を否定した点にあることを指摘しつつ、「最高裁は長期評価を否定できずにいる。株代訴訟は、刑事裁判と同じ証拠をもとに的確な判決を下した。今は裁判官が勇気ある判決を下せるかどうか、それが問題。できないならば、地裁に差し戻すべきだ」と指摘した。
 大河陽子弁護士は、「福島の人々の思いを裁判官に伝えようと努力してきた。双葉病院では、警察も自衛隊も高い放射能で救助が困難を極めた。安全対策をサボタージュした東電は有罪」と指摘した。
 各地への避難者なども発言した後、一旦撤収。
 午後2時の開廷が近づき、再び高裁前に人々は集まってくる。
 開廷後まもなく、「全員無罪・不当判決」のボードが掲げられた。「でたらめだ!」「細田裁判長出てきて説明しろ!」の声が飛び交い、高裁前は怒りの渦中に。「双葉で亡くなった44名の人々を思うと心が震える。正義の一欠けらさえない。引き続き闘い必ず勝利する」との報告発言も怒りで震えた。裁判官に抗議のシュプレヒコールの後、弁護士会館へ。
 弁護士会館での報告集会は、急きょ「控訴審不当判決抗議集会」に変更。
 抗議集会で河合弘之弁護士は、次のように述べた。「地震学のイロハも理解せず、現場検証する勇気もなく、机上の空論で判決を下した。長期評価では確実に津波が来るという予測はない、これでは対策がとれるはずがないとの主張だ。誤判の根拠は、地震学への無理解だ。めげることはない。勝利のためのつまづきだ。上告することになるだろう」と。
 そして1月24日、被害者参加代理人の弁護団は、最高裁に上告した。闘いはついに最高裁に移る。岸田政権の原発推進政策を打倒するためにも、東電刑事裁判の闘争を大きくしていこう!(東京O通信員)


1・27「建白書」10年日比谷野音集会
  辺野古断念署名を全国に

 辺野古の海を埋めるな!沖縄の民意を日本の民意に!請願署名を全国に広めよう!をスローガンに1月27日、都内で「1・27『建白書』10年 日比谷野音集会」がひらかれ、約800名が参加した。主催は、「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会。
 十年前の2013年1月17日、同じ日比谷野外音楽堂で、沖縄41市町村すべての首長・議会議長が署名した①オスプレイ配備撤回、②普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念を求める「建白書」、これを掲げて東京行動団(首長・議員144名)が「ノーオスプレイ東京集会」を開催し、銀座デモを行なった。翌日、「建白書」は安倍首相に手交された。
 当時那覇市長であった翁長雄志さんは、野音壇上で次のように挨拶した。「沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない。日本国民も変わってください」と。
 その後、辺野古NO!の沖縄の民意は、3度の知事選(14年翁長、18年玉城、22年玉城再選)、また19年県民投票で明確に示され続けている。自公政権は、沖縄県の埋め立て取消、撤回に違法手段で対抗したが、工事変更・大浦湾埋め立ては「不承認」のままである。
 集会は、「建白書」10年を機に改めて闘争を再構築し、オール沖縄会議が昨年より開始している「辺野古新基地建設の断念を求める請願」署名を全国に拡大するためである(署名期限は5月19日)。
 国会包囲実の野平晋作さんの主催者挨拶、オール沖縄の福元勇司事務局長の訴え、玉城知事のビデオメッセージが行なわれ、伊波洋一参院議員を始め多くの発言があった。オール沖縄や国会包囲実は、辺野古NO!の枠組みであるが、当然ながら多くの発言者は、沖縄のミサイル基地化反対・戦場化阻止についてもアピールした。「辺野古を止めることが、戦争阻止のクサビになる」との指摘もあった。
 集会後、十年前と同じコースで銀座デモを行なった。(東京W通信員)