明治維新の再検討—民衆の眼からみた幕末・維新㊾

 コミューン精神の継承・発展へ

                       堀込 純一


   終りに代えて―
 
 マルクスは「フランスの内乱」で、パリ・コミューンについて、「労働の経済的解放が達成さるべき、ついに発見された政治形態」(『マルクス・エンゲルス選集』第十巻 新潮社 P.145)と高く評価した。そして、「旧政府権力のたんなる抑圧的な器官は切り去るべきものであったが、その正当な機能は、社会にたいして優越の地位を横領している強権からこれを奪いとり、社会の責任ある機関の手にかえさるべきものだった。」(P.144)と述べている。
 マルクスはここで、生産する階級を抑圧する国家寄生物の中心である常備軍と官僚制度を「寄生的なゼイ肉」として廃止することを主張するとともに、他方では旧政府権力の「正当な機能」は社会(その責任ある機関)へ返還すべきとした。
 しかし、マルクスが言ったその社会は、日本資本主義社会の場合、西欧とは随分と異なったものであった。すなわち、日本の場合、重層的な下請構造を軸として、さまざまな構造的差別がからまり、抑圧的な政治制度と結合した重層的な支配構造・支配秩序が、社会内に強固に張り巡らされているからである。

 
 Ⅰ 日本資本主義の形成・発展とその特異性

 〈戦前期〉

 明治維新により、西洋列強に対峙するための富国強兵・殖産興業などの諸政策が次々と進められ、日本資本主義は次第に形成された。
 その資本主義の特徴は、第一に、陸海軍工廠、官営製鉄所、国有鉄道など国家資本が優位を占め、民間資本もまた国家の保護育成策や、大規模な財政支出や日銀・大蔵省預金部などを通ずる国家金融など国家に依存する国家主導型の資本主義であった。とりわけ、朝鮮・中国への帝国主義的進出には国家が民間資本の先導役を果たした。製鉄・造船・軍需など重工業は、国営のみならず一部財閥傘下の民間企業も財政資金の集中的支援を受け、成長したが、機械工業は一般的に低位にとどまり、先進的機械類などは輸入に依存した。
 第二は、民間では、綿業の紡績業と絹業の製糸業を中心に繊維産業が発達した。綿業は輸入インド綿糸との競争で国内市場を制覇するとともに、いち早く朝鮮・中国市場に進出する。しかし、紡織機械と原料綿花を輸入に依存し、対外収支は支払い超過であった。これに対し、絹の製糸業は国産製糸機械と、零細農家の生産する原料繭に依存して、米市場を集中的な輸出先として日本の最大の輸出産業となった。
 第三は、地主制支配下の農村などから大量の低賃金労働力が提供され、紡績業、製糸業などの発展を支えた。その労働力は農家のイエ経営を補完するための出稼ぎ型の若年女子労働力が中心である。
 国家が支援した日本資本主義は、機械制大工業、手工業的工場制、家内工業、零細農業など産業諸部門が極端にアンバランスで、生産性の発展段階が異なる生産形態が重層的に存在し、また生産手段生産部門と消費手段生産部門が有機的に連結した循環構造をもたないアンバランスなものであった。このため、国内市場の狭隘性を脱することが出来ず、資源と市場を求める海外進出をなお一層駆り立て、植民地主義を強めたのであった。
 その後、日本資本主義がその構造を大きく変化させるのは、1931(昭和6)年9月、「満州事変」が勃発し、世にいう15年戦争の幕が切って落とされた頃からである。とりわけ、1937(昭和12)年7月には、日中戦争が勃発し、①民間重要工場の管理権を陸海軍に与える工場事業場管理令、②設備資金貸付を政府の許可制とし、軍需関連工業へ優先的に供給するなどの臨時資金調整法、③物品を指定して輸出入の制限・禁止を可能とする輸出品等臨時措置法などにより、戦時統制経済が強まる。
 1938(昭和13)年4月には、政府は議会内の反対論を押し切って、国家総動員法を可決・公布する。これにより政府は、労働力・物資・貿易・資本・施設・物価・出版などあらゆる面において統制を行えるようになった。1939(昭和14)年7月には、国民徴用令が作られ、政府の命令による「総動員業務」遂行のための徴用が可能となった。同年10月に物価統制令を、翌年10月には賃金統制令を布告し、労働者人民の生活を権力で強圧的に統制した。1940(昭和15)年11月には、労働組合の解体と労務管理などを行なう大日本産業報国会が結成される。
 
 〈戦後期〉

 1945年の日本帝国主義の無条件降伏にともない、経済的には、アメリカ占領軍の下で、①財閥解体、②農地改革、③労働改革などが推進される。だが戦後の民主化は、アメリカの占領政策が変化し(日本を反共の砦にする)、②を除いて、中途半端なものとなる。
 日本資本主義は、1950年代半ばには戦後復興を終え、朝鮮特需を契機に1955年からはじまり73年にかけて推し進められた「高度経済成長」により、戦前の資本主義とは大きく変化した。その特徴は、軽武装による軍需産業の制約と民間重化学工業の発展である。とりわけ、アメリカなどからの技術導入や中東などからの資源輸入をもって、戦前からの鉄鋼・造船など、自動車・家電などの耐久消費財産業、合繊・石油化学などの新分野などが発展する。
 農業など第一次産業人口は、1950年の44・5%から1968年19・8%へと大幅に減少し、イギリスの「産業革命期」に匹敵するほどに急減した。農業国から工業国への転換である。高度成長によって発展した日本資本主義は、戦前と比較して生産手段生産部門の自立、耐久消費財を中心とした国内消費市場の拡大などを基礎とした安定的構造をもち、世界市場に進出し、貿易・経常収支の黒字基調を獲得し、資本輸出も本格的に展開するようになる。

   Ⅱ 多重な下請け構造を軸とした重層的支配構造

 (ⅰ)ピラミッド型の重層的支配構造

 高度成長をもたらした主な要因に、大企業の支配体制がある。その特徴の第一は、企業集団の特異性である。戦時統制経済の時期に、株主への配当制限と役員賞与への規制が行なわれた。敗戦により財閥は解体され株式所有も分散されるはずだったが、株の個人引き受けは少なく、証券市場もなかなか発展しなかった。また1960年代の資本自由化をむかえて、外資による乗っ取り防止ということで、結局、法人間の株式相互持合いが増えた。これにより、旧財閥系の会社が集まって、企業グループが形成・成長する。1997年には持ち株会社が解禁となり、「財閥」が復活することとなった。
 第二は、ピラミッド型の階層的で多重な下請け構造である。日本では諸外国に比べて、企業数でも中小企業数は抜群に多く、またそこで働く労働者数の割合も圧倒的に多い。企業間の取引は、伝統的に相対取引(あいたいとりひき)がほとんどで、長期固定的である。しかも、大企業と中小企業との間では、受注単価も景気変動によって一方的に変更され、支配―従属関係が明白である(そもそも外国には「下請」という言葉すら存在しない)。しかも多重的な下請構造は、極めて縦深構造となっており、諸外国で外注関係がせいぜい一次・二次・三次ぐらいで底辺に達するが、日本ではさらに多く、四次・五次などとなりついには内職にまで至るのである。この縦深性こそが、大企業によるより下位の中小企業からの収奪・取り込みを積み重ね・多額なものとするのであった。(詳しくは拙稿『日本帝国主義と中小企業問題』〔労働者共産党ホームページに掲載〕を参照)。このような大企業と中小企業との結びつきも、戦時統制経済の下で、国家により原材料の配分統制がなされたことが基礎になったといわれる。
 第三は、労働市場の階層性である。日露戦争後の労働争議の激化に対して、支配階級は軍隊・警察による弾圧、家族主義イデオロギーによる労働者懐柔のレベルのみならず、福利厚生の強化、企業内での自前の工員育成など囲い込みを行ない、頻繁な労働移動に対処した。第一次大戦後には診療所・社宅など福利厚生をさらに強化し、さらに定期採用制・定期昇給制をとり、中途退職を不利にさせた。こうして1920年代半ば頃には、大企業では終身雇用制の確立や、労働市場の分断が形成された。
 高度成長期には、大学でのマスプロ教育の強化とともに、さらに定期採用制、終身雇用制、年功序列制、企業内組合などが推し進められ、大企業を中心とする特権的な労資協調関係が発展した。中小企業での労働市場と異なり、大企業では労働移動がほとんどなく固定的なものになっていった。
 日本資本主義は、1970年代の二度にわたる石油ショックも「減量経営」と人減らしなどで乗り越えるが、1980年代後半のバブルとその崩壊は、致命的とも言えるほどの打撃を与えたのである。もはや従来通りの景気刺激策では財政赤維持を積み重ねるだけであり、「失われた20年」と言われるように長期の景気低迷に陥る。 
 「護送船団方式」とも揶揄された日本の金融システムは、バブル崩壊と国際的な金融自由化などのあおりを受けて、1990年代末に大再編され整理・統合される。そのうえ、1998年頃からデフレ基調が定着し、さらに何回かにわたって円高攻勢を受け、また2006~2009年にかけての世界的なサブプライムローン恐慌に直面し、低成長が常態化し、「失われた30年」といわれるようになる。
 支配階級は、バブル崩壊後ごろから経済運営の基調をケインズ主義から新自由主義へ転換し始める。財界でも、経済同友会が1994年5月に「個人と企業の自律と調和」を、1995年6月に日経連が「新時代の日本的経営」を提唱し、終身雇用制の見直し、国際競争力強化のための人件費の効率化、労働力の流動化など目指した。
 その後、独占ブルジョアジーは、一貫して賃金低下策をとり、正規労働者を大幅に非正規労働者(全体の約4割)に置き換え、搾取の強化とともに福利厚生費の削減や廃止を推進する。企業の内部留保は増え続けるが非正規労働者の増加や、実質賃金の長期低下などで、デフレは一向に改善されないのである。
 非正規労働者の増大によっても、一部の特権的な労働者の囲い込み、優遇策は相対的には変わらず、重層的な支配構造は根幹では維持されている。それは以下の1、2の事例でも明らかである。

〈重層的な下請構造で犠牲はより下層へ〉

 自公政権は新型コロナにかかわる緊急経済対策をうったが、その一環として経産省が2020年4月の第一次補正予算で、中小企業向けの持続化給付金(約2兆3000億円余)を計上した。
 だが、その給付金事業で支出の無駄や不透明な再委託などが繰り返されたと野党などから批判され、経産省は検査を迫られ、2021年8月12日、その最終結果を公表した。それによると、持続化給付金事業に関与した企業はじつに564社(受注額100万円以上)に上り、下請けは最大九次にまで及んでいた(『東京新聞』21年8月13日付け朝刊 3面)。
 国と元請けの一般社団法人サービスデザイン推進協議会(サ協)との契約(20年5月から9月の申請分)は、669億円(約336万件)であったが、そのうちの約95%にあたる640億円が広告大手・電通に再委託されていた。電通は、約561億円を外注に回したが、その相手は電通ライブなど電通の子会社4社などである。電通ライブはさらに人材サービス大手パソナ、ITサービス大手トランスコスモス、大日本印刷などに外注した。同じようにそれぞれ受注した企業がまたまた別の企業に外注し、下請け関係は最大九次にまで及んだと言われる。
 元請けのサ協は、電通、パソナ、トランスコスモスなどによって設立された一般社団法人であるが、関係者によると、「サービスデザインは窓口で、実態は電通だ」と言われている。一般社団法人が元請けになることにより、それ以下の下請けは会計検査院の検査の眼を逃れやすく、一般社団法人は予算監視を逃れる隠れ蓑になっているのである。
 
〈中小企業の賃金の犠牲〉

 プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を契機として、世界で多くの物価が急激に上昇した。ところが、中小企業庁が5~6月に行った調査で、中小企業に「直近6カ月のコスト上昇分のうち、何割を発注側企業に価格転嫁できたか」を聞いたところ、「コスト上昇せず」が14・8%、「マイナス」が1・5%、「0割」が21・1%、「1~3割程度」が22・9%、「4~6割程度」が10・5%、「7~9割程度」が15・4%で、「10割」転嫁は13・8%でしかなかった。(『東京新聞』2020年12月27日付け朝刊)
 重層的な下請構造は、企業間格差のみならず当然なことに企業間の賃金格差を規定する。厚生労働省の調査によると、「2021年中に賃上げした企業(予定含む)は従業員5千人以上だと94・6%だったが、100~299人の企業では79・0%にとどまった。一人あたりの賃金改定額も、100~299人の企業は月4112円で、5千人以上の企業より1千円以上少ない。」(『朝日新聞』2022年10月10日付け朝刊)のであった。
 まさに「多重下請け構造とは、大企業を頂点に、1次、2次……と中小企業が下請けの形でぶら下がる構造で、高度成長期に発展したとされる。途中で利ざやがとれるので、末端の企業ほど利益は出にくい。」(『朝日新聞』2022年10月10日付け)のである。
 
 (ⅱ)機械的画一的な行政システム

 明治憲法下の官治システムは、戦後憲法下でも基本的に廃止されたわけではない。それは、国―都道府県―市町村の三階層のピラミッド型中央集権制の統治構造が、画一的機械的に継続されていることで明らかである。
 戦前は、内務省によって広範な統治域をもって支配されたが、戦後は中心的には大蔵省(今日の財務省)の財政支配と、中央政府から地方への国家公務員の派遣などによって統治された。これに対しては「三割自治」などと批判はなされたが、ピラミッド型の中央集権制そのものには何ら疑問・批判はもたれなかった。「地方自治の発展にとって大事なことは、先ず何よりも『基礎的な自治体』(*市町村)を適正な規模で整備・充実させる事であり、都道府県など『中間政府』を強化し、ヒエラルヒー制度を強化することではない。『中間政府』は、あくまでも『基礎的な自治体』を補完することに第一の任務があるのであり、上から『基礎的な自治体』を指導・監督することではない。」(拙稿「120年以上も解決できぬ大都市制度」―理論誌『プロレタリア』11号〔2012年12月〕P.87~88)のである。
 たとえば、安倍元首相は、2013年12月、当時の辺野古移設派の仲井真弘多沖縄知事との間で、年3000億円台の沖縄振興予算を2012~2021年度中は確保すると約束した。だが、沖縄知事が移設反対派の翁長雄志氏・玉城デニー氏に替わると、政府の態度はガラリと変わり、沖縄振興予算は、その後、ほぼ減少を続け2022年度の概算要求額は10年ぶりに3000億円を割り込み、当初予算は2684億円にまで落ち込んだ。23年度予算もまた、落ち込むことが予想される。
それだけではない。政府は沖縄振興予算の内で、沖縄県が自由に使える一括交付金を17年度頃から減少させつづけ、19年度予算は1093億円と、12年に一括交付金制度が創設されて以来、最低の規模に減額させた。その代わりに20年度の概算要求では、沖縄振興特定事業推進費(2019年度に創設)を19年度比1・8倍となる55億円に膨らませた。この沖縄振興特定事業推進費は、沖縄県を通さず直接市町村に交付するものである。辺野古移設に県側が反対姿勢を断固として堅持するのに対して、政府は姑息にも名護市など移設賛成派の市町村に直接公布して沖縄県に対し揺さぶりを攻撃しているのである。
 そして、より根本的なことは、先住民である沖縄人やアイヌ民族に対して、歴史的事情を考慮して、先住民地区に対する「特別自治区」制の設定、ひいては独立も含め自己決定権を全面的に認め、先住権を全面的に保障する姿勢が全くないことである。日本政府は、沖縄人やアイヌ民族が和人(ヤマト)によって侵略され植民地化された事実を隠蔽し、国連の勧告にもかかわらず彼らの先住権を全面的に認めたくないのである。
*  *  *  *
 重層的支配構造は、ピラミッド型の多重的下請け支配を軸にしつつ、部落差別・民族差別・沖縄差別・女性差別・障がい者さべつなど種々の構造的差別と複雑にからみあい、日本の特異な支配秩序を社会内に張り巡らしている。これらは、「経済的解放」のための闘いとともに、労働者人民が権力を掌握する前にも後にも絶えず変革の対象とする重要課題であることを銘記する必要がある。
 そして、「経済的解放を達成」するためにも、再び社会から独立して人民を抑圧する国家を復興させないために重要なことは、直接民主主義を基調とした政治制度の堅持である。とりわけ、コミューン原則の中でも、①普通選挙権と②リコール権と拘束的委任権である。コミューン精神の継承と発展こそが、階級国家をなくす最良の道である。(了)