狭山事件の再審を求める10・28市民集会
  11人の鑑定人尋問請求で
   狭山闘争は最大の山場に



 狭山闘争は、事実取調請求書(11人の鑑定人証人尋問と、万年筆インクの裁判所による鑑定)を提出して2ヵ月、決定的重大局面を迎えた。
 確定有罪判決の寺尾不当判決からほぼ48年めの10月28日、「東京高裁は11人の鑑定人の証人尋問と鑑定の実施を!狭山事件の再審を求める市民集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開催され、コロナ対策を考慮した最大の動員で闘い抜かれた。主催は、狭山事件の再審を求める市民集会実行委。
 8月29日、狭山事件再審弁護団は、東京高裁第4刑事部(大野勝則裁判長)に対して事実取調請求書を提出。請求書は、第3次再審請求でこれまでに提出してきた鑑定書など、新証拠を作成した専門家・科学者等鑑定人の証人尋問を求めている。また、家宅捜査で「発見」された万年筆のインクについても裁判所による鑑定の実施を要求している。
 具体的には、脅迫状の筆跡・識字能力、指紋の不存在、足跡、スコップ、血液型、目撃証人、犯人の音声、万年筆、自白、殺害方法、死体処理などで、各鑑定事項は寺尾判決があげた有罪証拠に即して上げられている。寺尾不当判決を覆すに充分な証拠である。
 鑑定人は、コンピュ―タによる画像解析の専門的知見をもつ科学者、死因や血液型について専門的知見をもつ法医学者、あるいは元科捜研技官などその分野の専門家で、再審開始を判断する上で必要不可欠な人々である。
 鑑定人尋問実現・再審開始を求める署名活動が展開中である。狭山事件の再審を求める市民の会は、年内に20万人超の署名を達成して無罪判決を闘いとろうとしている。闘いの正念場に、全力の署名運動・大衆運動で応えよう。
 集会は、西島藤彦部落解放同盟中央本部委員長の挨拶で開始。「11人の鑑定人尋問と、万年筆のインクの鑑定を認めさせる取り組みが求められている。このかん大きな世論を高裁に届けるために闘い、10万3921筆の署名を集めた。団体署名も1024団体が賛同した。年内にあと10万で、20万人の署名を提出する。国民に事実を知らせ、証人尋問・再審をかちとる」と挨拶、闘争の方向を示した。
 次いで、石川一雄さん・早智子さんが登壇。石川一雄さんは、「48年前のこの日を思うとやるせない思いだ。犯人にデッチ上げられなかったらと思わない訳でもない。だが、今は59年前の石川ではない。前進あるのみ。勝利するまで倒れることはない。第3次再審で結着をつける」とアピール。石川早智子さんは、「事実調べを何としても実現させたい。そのための署名だ。1回めの署名は10万を超えた。マスコミもよく取り上げている。狭山に風が吹いてきた」と述べた。
 狭山弁護団の中北龍太郎事務局長が発言。「請求によって第3次再審は大きな山場に入った。11人の鑑定人は脅迫状の筆跡、識字能力についての、また発見万年筆が被害者のものでないことを証明する鑑定書等を作成した。これによって検察・警察の有罪証拠は見事に崩れた。あとは事実調べで真実を明確にすることだ」と報告した。
 狭山事件では、自宅鴨居で「発見」された万年筆が、石川さん有罪の決め手になった。しかし下山鑑定は、蛍光エックス線分析で被害者のペン習字文字と発見万年筆とのインク成分を鑑定し、被害者の万年筆と発見万年筆が全くの別物、すなわち証拠が偽物であることを明確にした。
 これについて、片岡明幸解放同盟中央副委員長は、「高裁は、科捜研や民間機関に分析してもらってでも、偽万年筆であることを明らかにしてほしい。下山鑑定は闘いの肝だ」と訴えた。
 連帯アピールでは、袴田巌さんを支援する清水・静岡市民の会の山崎俊樹さんが発言。
 袴田裁判は現在、差し戻し審のほとんどが終了。高検が、味噌漬け血痕の色の変化を調べる実験を続け、11月初旬に高裁の立会いのもと変色具合を確認する段階にある。山崎さんは、「検察の実験は実際と違って、味噌の量が極端に少なく衣料が多い。その中でも血痕は黒くなり赤みがなくなっているはずだ。それを確認すれば再審開始は確実。裁判長は、再審の可否を年度内には判断したいとの意向を示した。それでも予断は禁物」と報告した。
 最後に、鎌田慧・狭山事件の再審を求める市民の会事務局長がアピール。「来年5月で60年。狭山事件は部落差別に基づく差別事件、事件の解決なくして日本の民主主義はない。石川さんを陥れた警察、検察、権力を絶対に許さない。20万30万人の署名をやりとげ、再審開始を実現しよう!」と呼びかけた。
 その後参加者は、閉会挨拶を受けてデモ行進に出発。証人尋問と鑑定実施、再審開始を道行く人々に訴えた。
 狭山は今や最大の山場。世論を喚起し、行動・署名を拡大して、石川無罪判決を勝ちとろう!(東京O通信員)


東アジアで戦争を起こさせないために②
   米中関係基本資料

 ★8月の米ペロシ上院議長の訪台強行、これに対抗する中国軍の台湾周囲での大演習などによって、台湾をめぐる米中関係の緊張が進んでいる。

台湾政策法案

 ★このなか9月14日に米上院外交委員会が、台湾への軍事援助強化などを内容とする「台湾政策法案」を賛成多数で可決し、さらに9月18日、米バイデン大統領はCBS番組で、台湾有事での米軍投入について、「イエスだ。もし実際に前例のない攻撃があった場合は。」と重大発言を行なった。また9月28日には米下院に、ほぼ同様の台湾政策法案が提出された。中間選挙が11月にあるものの、来年1月までに上下両院の本会議で可決される見込み。
 台湾政策法案は、①今後5年間で65億ドル等の軍事支援、②現状変更行為を抑止する手段としての対中国経済制裁、③台北事務所長の格上げ、④在米の「台北代表処」を「台湾代表処」に変更、⑤台湾をNATO非加盟の同盟国並みに扱う等の法案であり、これまでの台湾関係法での台湾政策を危険な方向へ書き直すもの。
 さてアメリカの台湾政策は、第二次大戦から今日まで、対中国政策の変化に伴って度々変遷している。
 当初、米トルーマン大統領は、台湾に逃げ込んだ蒋介石中華民国政府に見切りをつけ、1950年1月に台湾不干渉声明を出した。続いてアチソン国務長官声明が出され、そのいわゆるアチソン・ライン(不後退防衛線)は台湾島を除外した。
 しかし朝鮮戦争が勃発すると、台湾海峡に第七艦隊が派遣され、トルーマン台湾中立化宣言が出された。この宣言は、カイロ宣言に反し、台湾帰属未確定論を唱えた。(これが一因となって、対日講和条約では日本の台湾放棄先が不明となった)。54年米台相互防衛条約が結ばれ、長期の米中冷戦対峙が72年上海コミュニケまで続いた。
 米国の台湾政策は、対中政策に伴う変数である。米政府は、台湾そのものに地政学的に関心がある、あるいは台湾住民の生活と権利に関心があるというよりは、台湾を対中戦略のひとつの重要な道具として扱っていると言うべきだろう。(解説W)

上海コミュニケ
(1972年2月28日)

 中国と米国の社会制度と対外政策には本質的な相違が存在している。しかしながら、双方は、各国が、社会制度のいかんを問わず、すべての国の主権と領土保全の尊重、他国に対する不可侵、他国の国内問題に対する不干渉、平等互恵、及び平和共存の原則に基づき、国と国との関係を処理すべきである旨合意した。国際紛争は、この基礎に基づき、武力の使用または威嚇に訴えることなく解決されるべきである。米国と中国は、相互の関係においてこれらの原則を適用する用意がある。(中略)
 双方は、米中両国間に長期にわたって存在してきた重大な紛争を検討した。
 中国側は、台湾問題は中国と米国との間の関係正常化を阻害している要(かなめ)の問題であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、夙(つと)に祖国に返還されており、台湾解放は、他のいかなる国も干渉の権利を有しない中国の国内問題であり、米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならないという立場を再確認した。中国政府は、「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」及び「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する。
 米国側は次のように表明した。米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭におき、米国政府は、台湾から全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するにしたがい、台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。
 ★「上海コミュニケ」は、中華人民共和国を初訪問した米ニクソン大統領と、周恩来首相とによって合意され、米中の国交正常化交渉を開始させた。
 ベトナム戦争が終結した後、1978年12月16日に米中両国は「外交関係樹立に関する共同コミュニケ」を発表し、翌79年1月1日をもってする米中国交樹立、および台湾当局との国交断絶、79年内の台湾駐留米軍の撤退、米台相互防衛条約の終了を宣言した。
 1982年には、レーガン米大統領と趙紫陽首相とによって、「第2上海コミュニケ」(八・一七コミュニケ)が合意された。これは、米国の対台湾武器売却問題を主眼とするもの。これら「上海コミュニケ」「外交関係樹立の共同コミュニケ」「第2上海コミュニケ」が、米中関係の3つの基本文書とみなされている。

第2上海コミュニケ
(1982年8月17日)

 1、1979年1月1日にアメリカ合衆国政府と中華人民共和国政府により発出された外交関係樹立に関する共同コミュニケにおいて、アメリカ合衆国は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府であることを承認し、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場をアクノレッジした。そうした関係の範囲内で、双方は、アメリカ合衆国が台湾の人々と文化、交易、その他の非公式な関係を維持していくことに合意した。この基礎の上に、米国と中国の関係は正常化された。
 2、米国の台湾に対する武器売却問題は、両国の外交関係樹立に関する交渉の過程では解決されなかった。双方は、相異なった立場をとり、中国側は、正常化後再び同問題を取り上げる旨述べた。この問題は米中関係の発展を著しく害することになるものであることを認識し、双方は(中略)以後、この問題についての討議を行なった。
 6、双方の上記の声明(W注・79年鄧小平「台湾同胞に告げる書」等)を念頭に置きつつ、米国政府は台湾への武器売却を長期的政策として実施するつもりはないこと、台湾に対する武器売却は質的にも量的にも米中外交関係樹立以降の数年に供与されたもののレベルを越えないこと、及び台湾に対する武器売却を次第に減らしていき一定期間のうちに最終的解決に導くつもりであることを表明する。右を表明するに際し、米国は本問題の完全な解決に関する中国側の一貫した立場をアクノレッジする。
 ★「第2上海コミュニケ」から今年で40年だが、「一定期間のうちに最終的解決」とされた武器売却問題が未だに解決されず、そればかりか米軍参戦すら唱えられている現状は異常と言うほかはない。なお、「アクノレッジ」は普通「承認する」と訳されるが、米・日サイドでは「認識する」的な意味で使われている。
 この40余年、米台の「非公式な関係」、および台湾への軍事援助の程度を規定してきたのが、79年4月10日大統領署名の「台湾関係法」である。

台湾関係法
(1979年4月10日)

 第二条B項 合衆国の政策は以下の通り。
 1、合衆国人民と台湾人民との間および中国大陸人民や西太平洋地区の他のあらゆる人民との間の広範かつ緊密で友好的な通商、文化およびその他の諸関係を維持し、促進する。
 2、同地域の平和と安定は、合衆国の政治、安全保障および経済的利益に合致し、国際的な関心事でもあることを宣言する。
 3、合衆国の中華人民共和国との外交関係樹立の決定は、台湾の将来が平和的手段によって決定されるとの期待にもとづくものであることを明確に表明する。
 4、平和的手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試みは、ボイコット、封鎖を含むいかなるものであれ、西太平洋地域の平和と安全に対する脅威であり、合衆国の重大関心事と考える。
 5、防御的な性格の兵器を台湾に供給する。
 6、台湾人民の安全または社会・経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使、または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する。
 ★現在審議中の台湾政策法案が、台湾関係法での上記政策をどのように変更するかは、今後のホワイトハウスと議会との調整などにも係るだろう。長距離攻撃的な兵器供与を可能としたり、台湾を同盟国国家並みの扱いとしたりするならば、西太平洋での戦争の危険は著しく高まるだろう。(つづく)