安倍礼賛・弔意強制の「国葬」断固反対
  「自民党=統一教会」を居直る岸田政権打倒!

 岸田政権は7月22日、安倍元首相の公的な葬儀を「国葬」として行なう閣議決定を強行した。日程は9月27日、日本武道館でとしている。安倍と「アベ政治」の礼賛、弔意強制、国民・国会無視の「安倍国葬」に断固反対しよう!
 岸田首相は、7月8日の安倍銃撃死亡事件の混乱が続くなか、10日の参院選、12日の安倍家の葬式をへて、早々と14日に国葬実施を表明した。参院選で敗北した野党はどうでもよい、安倍無き安倍派を取り込み、自民党を統治することが最優先という政権維持策である。国葬で弔問外交を演じ、今や安倍政権の成果は岸田と林芳正外相によって継承されているのだ、と内外に示したいのだろう。
 このように安倍国葬は第一に、主権者国民の無視、内閣の独裁である。税金ムダ使いというだけではない。「アベ政治」の検証を求める国民・国会は無視し、岸田派(宏池会)・安倍派(清和会)の派閥抗争次元で国葬方針が出てきているのである。
 首相経験者の葬儀は、80年死去の大平元首相以降、これまで「内閣・自民党合同葬」が慣例である。今回岸田政権は、安倍を別格扱いの国葬とする理由として、「憲政史上最長の8年8カ月」とか「内外から幅広い哀悼が寄せられ」とかを上げているが、本音隠しの言い訳にすぎない。
 国葬とする法的根拠としては、内閣府設置法で国の儀式が内閣の所掌事務とされているので、閣議決定によって国の儀式として国葬を行なえるとしている。戦前の旧憲法下では「国葬令」があったが、1947年に失効した。戦後日本で国葬に当たるものは、89年の昭和天皇「大喪の礼」の他は、67年の吉田茂元首相の国葬が前例としてあるのみ。「大喪の礼」は皇室典範を法的根拠に国の儀式として行なわれたが、元首相などの葬儀を国の儀式として行なう法的規定は存在しない。それで吉田国葬の時は、総理府設置法を法的根拠に強行された。今回、そのやり方が踏襲されているが、これは法治の偽装である。
 安倍国葬は第二に、安倍礼賛・弔意強制である。
 松野博一官房長官は、「国民一人ひとりに政治的評価や、喪に服することを求めるものではない」としているが、国葬という特別扱い自体が安倍礼賛となり、安倍と「アベ政治」の批判を排除する同調圧力となる。国家公務員は強制動員され、地方自治体、学校などで弔意が実質的には強要される。
 安倍元首相は、海外武力行使を可能とする憲法違反の安保法制を強行し、「モリ・カケ・サクラ」等々で政治を私物化し、新自由主義とアベノミクスで非正規格差社会を作った。それらを正当化する国葬など絶対に許されない。
 また第三に安倍国葬は、カルト宗教と政治家の癒着が招いた安倍銃撃死亡事件という性質、この一大不祥事からも許されるものではない。
 この事件は、これまでの捜査情報等によれば、統一教会への多額献金による家族崩壊の被害者である山上容疑者が、その恨みを晴らすため、教団と近しい関係にある有力者・安倍を標的とした殺人事件である。全容は今後、裁判によって解明されねばならないが、統一教会(下村博文文科相が15年に名称変更を不当認可して以降は、世界平和統一家庭連合とも称する)と長年相互利用関係にあった安倍と自民党が、自ら招き寄せた自業自得の事件である。
 歴史の激動の中で、政治家が左右の政治的テロルによって仆れる。これはある意味、政治家の本懐とも言えるが、安倍銃撃死亡事件はそういう次元にはない。政治家が、社会的・法的な問題を継続的に引き起こしている宗教団体(カルト宗教)と癒着関係を続け、その結果、カルト宗教被害者の恨みを買って報復されるなどというのでは、ただの不祥事である。まして安倍は元首相であって極めてみっともなく、国民が恥ずかしい事件で国辱ものの死に方である。こんなのが、どうして国葬なのか!
 安倍国葬反対の声と運動は、国会内外で発展しつつある。7月22日には、国葬閣議決定反対の首相官邸前緊急行動が市民諸団体によって行なわれ、また安倍国葬経費支出中止を求める仮処分が、憲法会議などの人々によって提訴された。
 8月3日の臨時国会開会日には国会前で、総がかり行動や反戦実行委などが閣議決定に抗議して、国葬反対の大行動へ火ぶたを切った。
 安倍国葬反対の闘いは、国葬を中止へ追い込むとともに、統一教会との癒着を居直っているような極右政治家を一掃し、岸田政権の安倍政治継承を粉砕する闘いである。またそれは、9条改憲など改憲発議阻止、対中国・朝鮮の戦争反対を前へ進める闘いとなるだろう。安倍国葬やめろ!の高揚を!(A)