参院選勝利へ「19の日」行動
 改憲・軍拡阻止!

 戦争勢力の自公・維新・国民民主の伸長で改憲・軍拡を許すのか否か、が第一に問われる参院選挙を前にした6月19日、各地で「19の日」行動が闘われた。
 東京では、79回めの「19の日」行動が国会前・午後2時から、「参院選勝利!ロシアのウクライナ侵略反対!即時撤退!改憲発議反対!軍拡やめろ!辺野古新基地建設中止6・19国会議員会館前行動」として行なわれ、800名超の労働者・市民が結集した。主催は、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委と、9条改憲NO!全国市民アクション。
 選挙前情勢としては5月以降、石油に加え生活必需品の物価高が進み、参院選の大きな争点となってきた。物価高の要因は、日銀・政府の異次元金融緩和の継続策によって円安(輸入価格高)が進行していること、およびウクライナ戦争を契機とした石油・小麦の国際価格上昇によるものである。すなわち景気回復・賃金向上による物価上昇ではまったくなく、自公政権の失策による生活破壊の物価高である。
 時事通信の6月10日世論調査では、岸田政権支持率は前月比2・1%減の45・7%となり、4か月ぶりに5割を切った。岸田政権の物価高対策を評価しないの回答は、前月比4・3%増えて54・1%となっている。
 それで各野党は、改憲・軍拡の是非に加え、物価高対策・生活防衛の争点で与党を攻める選挙戦術に移行している。外交・安保の基本政策が自公と大差が無い立憲民主党に、とくにその傾向がある。この物価高の争点化は、改憲・軍拡の争点をあいまいにする嫌いもある。しかしまた、参院選後の自公政権が生活破壊政権として国民から孤立し、改憲・軍拡のほうも容易には進められなくなること、この可能性も示している。戦争勢力に「黄金の3年間」は無いのである。
 さて行動は、憲法共同センターの小田川義和さんの主催者挨拶で開始、「参院選では戦争・改憲勢力に3分の2を許してはならない。物価高で苦しんでいる庶民の暮らしよりも改憲、という岸田政権にNOを!」と基調を述べた。
 政党挨拶は、立民・大河原雅子、共産・宮本徹の両衆院議員、社民・福島瑞穂参院議員が発言。大河原さんは、「ロシアの軍事侵攻を止められなかった。日本は2度と戦争をしないと誓った国。政治の役割は、平和を守り国家による暴力の連鎖を押し止めることだ。非戦非暴力の誓いを実践する」と決意を述べた。
 市民からの発言では、戦場ジャーナリストの志葉玲さん。「ロシアによるブチャでの市民虐殺は犯罪。しかし岸田の言う、ロシアの暴走を止めるために9条を変えるとはとんでもない。何が平和のためだ!」と発言した。
 次いで、安保法制廃止・立憲主義回復を求める市民連合の福山真劫さん。「格差が拡大し市民生活が困窮している。自公政権をいつまで許すのか。今回は不充分なまま、選挙戦に突入する。一人区は12選挙区で必ず勝とう。それ以外でも立憲野党が全力で闘えば必ず勝てる」と檄を飛ばした。
 安保法制違憲訴訟の会の内田雅敏弁護士。「多くの訴訟で門前払いされ、残るは名古屋と高知。高裁も請求を棄却している。しかし安保法制を合憲とする判決は無い。裁判官には、人生を懸けて判決を書かせねば。」と報告した。
 最後に、戦争をさせない千人委の田中さんが以下を行動提起。
 7月14日、ウィメンズアクション、有楽町イトシア・午後6時。
 7月19日、第80回「19の日」行動、議員会館前・午後6時半。
 7月22日、新宿駅西口情宣、午後6時。
 参院選挙戦の中、筆者が街頭行動に参加していても、物価高騰への市民の怒りが伝わってくる。市民生活のことより9条改憲・軍拡が先とする自公政権、その打倒の可能性はそこにあるだろう。(東京O通信員)


東アジアで戦争を起こさせないために—
  日中関係基本資料

 ★今年で50周年となる日中共同声明など、戦後の日中関係を規定してきた諸事実をひろく顧みるということが、近年の日本のマスメディアでは避けられる傾向にある。例えば、中国政府サイドでは、中日関係の「4つの基本文書」との文言が今もよく出てくるが、日本政府はその文言を意図的に避けている。これは、このかんのアメリカの対中国包囲政策に、日本政府が引きずられている結果と言えるだろう。
 東アジアで戦争を起こさせない、とくに対中国戦争に反対し、平和を実現する闘いが緊要となっている。そのために必要なことの一つは、日中関係、米中関係、中国・台湾関係などの重要資料を頭に入れておくことである。(資料解説W)
 
 ①日中共同声明(1972年9月29日)

 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。
 一、日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
 二、日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
 三、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
 五、中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
 六、日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
 七、日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。

 ★1945年ポツダム宣言の第8項。「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」
 1943年カイロ宣言。米英中の「目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国から、剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。
 日本国は、また、暴力及び強欲により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される。」
 共同声明第三項は、「理解し、尊重」するという曖昧な表現となっているが、ポツダム宣言・カイロ宣言の再確認によって、台湾は中華人民共和国の一部であることを日本側が認めたもの。(今後、仮に中台間で武力紛争が起きても、それは中国の内戦であり、それ自体を理由に日本は個別的・集団的自衛権を発動することはできない)。
 なおカイロ宣言は、尖閣諸島のみならず、琉球諸島の帰属も依然未確定であるとする説の論拠ともなっている。

 ②日中平和友好条約(1978年8月12日)

 第二条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。
 
 ★七十年代はソ連社会帝国主義と中国の関係が非常に緊張しており、①②の反覇権条項は、中国側ではおもに対ソを意味していた。日本側は対ソ外交が制約されることから、この条項に乗り気でなかったが、鄧小平が「この反覇権条項は、将来、中国が覇権国家とならないためにも必要なんです」と説得したとも伝えられている。
 鄧小平は、1974年4月10日の国連特別総会で、次のように演説した。「中国政府と中国人民は、一貫して毛主席の教えを守って、民族独立をかちとり、守り、民族経済を発展させ、植民地主義、帝国主義、覇権主義に反対するすべての被抑圧人民と被抑圧民族の闘争を断固支持する。」「もし中国が変色し、超大国になり、世界で覇を唱え、いたるところで他国をあなどり、侵略し、搾取するようなことになれば、世界人民は、中国に社会帝国主義のレッテルをはるべきであり、それを暴露し、それに反対すべきであり、また中国人民とともにこれを打倒すべきである。」
 なお、①は国交回復声明であり、②は平和条約である。それで②には条約破棄条項がある。
 第五条の2、「一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる」。この条項からすると、現在の日本政府が日中平和友好条約の終了予告を行なわず、また終了予告を提起することもなく、「台湾有事」日米共同作戦計画を進めることは条約への背信行為となるのではないか。
 
 ③日中共同宣言(1998年11月26日)

 双方は、過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。中国側は、日本側が歴史の教訓に学び、平和発展の道を堅持することを希望する。(中略)
 双方は(中略)、友好的な協議を通じて、両国間に存在する、そして今後出現するかもしれない問題、意見の相違、争いを適切に処理し、もって両国の友好関係の発展が妨げられ、阻害されることを回避していくことで意見の一致をみた。
 
 ★この「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」は、中国国家主席の初訪日となった江沢民と、小渕恵三首相とによるもの。1995年に米空母が派遣される台湾海峡危機があったが、日中関係は比較的良好であった。1993年に成立した細川非自民連立政権は、戦後初めて「侵略」の文言を使って過去を反省し、95年の村山談話につながり、さらに小渕・江沢民の共同宣言につながる。この宣言で、日中の政府合意としては初めて「中国への侵略」の文言が入った。(また小渕・金大中による98年の日韓パートナーシップ宣言で、「植民地支配」の謝罪・反省が初めて入った)。
 安倍元首相は、村山談話を彼の第一次政権で打ち捨ててしまいたかったが、条約など外交合意は簡単に捨てられない。安倍は日中共同宣言で村山談話の遵守が記されていることを、「とんでもない落とし穴」と嘆いている。
 
 ④戦略的互恵関係の日中共同声明(2008年5月7日)

 4、双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。双方は、互いの平和的な発展を支持することを改めて表明し、平和的な発展を堅持する日本と中国が、アジアや世界に大きなチャンスと利益をもたらすとの確信を共有した。
 
 ★この「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」は、胡錦濤主席と福田康夫首相によるもの。小泉首相による靖国参拝の繰り返し、05年中国各地の反日デモによって悪化した日中関係を、この共同声明は多方面の合意で修復した。
 以上の①~④が、日中関係の「4つの基本文書」とされる。日本側はすべて自民党政権であった。
 その後、民主党政権になってからのほうが、2010年の中国漁船船長逮捕事件、12年の「尖閣」国有化などで急速に日中関係は悪化した。①や②の締結時に「尖閣棚上げ合意」があったが(公式文書は無い)、中国側は「尖閣」国有化を、日本による一方的な現状変更ととらえ、それを容認しないために以後、公船の出動を繰り返すこととなっている。
 この修復の試みは、自公政権を復活させた第二次安倍政権によって行なわれた。
 
 ⑤日中関係改善の2014年合意

 3、双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。
 ★14年11月7日に谷内国家安全保障局長と楊国務委員がこれを合意し、同10日に安倍が訪中して習近平と首脳会談。日本政府は尖閣領有権紛争は存在しないを公式態度としているが、内田雅敏さんによると合意文書で、見解の相違があることを日中双方で確認したとするところに「意味」がある。
 
 ⑥2018年日中首脳合意

 ★安倍首相は18年10月に訪中し、李克強国務院総理と会談して多くの実務的合意を行なった。その合意は、習近平国家主席の訪日実現など政治的相互信頼の醸成、防衛交流・ホットラインなど安全保障分野の協力及び信頼醸成、東シナ海資源開発での交渉再開、対中国ODAの終了と今後の経済協力、国民交流の促進等々多方面にわたっている。
 伊波洋一さんによると、「日中関係が冷え切った8年分の懸案のほとんど全部といえる31案件について合意した。しかし、米政府の対中政策とコロナ禍で合意案件は、多くがストップしたまま。岸田首相には『台湾有事』で日本が滅びる道ではなく、18年合意を再確認して実行することを求める」としている。(つづく)