【沖縄からの通信】
  
 「オール沖縄」はなぜ
      敗け続けるのか

  原点を再考し、沖縄人の新スローガン「戦場化阻止」へ!
        
 不思議でならない。昨年の衆院選でも、今回の1・23名護市長選挙でも、“ミサイル戦争の戦場化を阻止”することが争点にならないことである。「オール沖縄」は、大敗を喫し続けている。
 「オール沖縄」が“ミサイル戦場化阻止”を唱えなくても、勝つことはありえる。それを主張しなかったから敗北したのだとは断じがたい。しかし私は、それを主張すべきであり、主張しなかったから敗北したのだとあえて言いたい。
 “主張”と“敗北”には直接的な関係はないが、媒介する何かがあれば関係があることに説明がつく。選挙後の記者座談会でよく言われている“前が見えない”という言葉が、媒介する何かを表しているのではないのか。
 「中国包囲網」「クワッド」、また「領海侵犯」「ウイグル人権侵害」等々、コロナ禍の巣ごもり、そこにニュースの形で毎日流されてくるナショナリズムの波にさらせれながら、最も重大なことを言いきれない「オール沖縄」に失望し、市民の少なからずは、会社・地域ボスその他の勧誘に抵抗しえなくなったのではなかろうか。
 数年前から自衛隊の南西シフトが言われ、宮古、八重山その他でミサイル基地建設が進んでいた。米中対立の基調が強まり、そこに米中限定戦争の具体的作戦の存在が明らかになるにしたがい、沖縄の戦場化の可能性が高まってきていた。
 「オール沖縄」に、それに対抗するシフトが生まれ、戦場化阻止が辺野古NO!と共に沖縄人の新しいスローガンになるものだと、私は2~3年前から思っていた。
 しかし、それは“勝って読み”だった。一丁目一番地の課題が、重要な一連の各選挙に一言一句も出てこないのである。これほど摩訶不思議なことがあろうか。
 沖縄の諸政党で、立民はさておいても、社民・共産・社大の政党が何故この課題に無言でいられるのか、不思議なことだらけだ。
 社民党の無言は最大の不思議だ。護憲の一丁目一番地、第九条の一丁目一番地が犯されているのに。本来の護憲が、若い党員の中にはもはやなくなっているのだろうか。その結果、立民と残留とに分裂したのだろうか、私は知らないが、沖縄人の私から言えば、辺野古NOを闘うためには分裂はやっておれないし、辺野古NOを勝つためには極右政権を倒し、代わる政権を作らねばならない。これを日本人に訴えるのが、沖縄人党員の仕事ではないのか。社民党は、沖縄人ということよりも、東京思考がかれらの思想の中心をなしているのだろうか。護憲も反安保も、沖縄の闘いなしにはあり得ないのに。
 共産党の場合はどうか。「県外」移設が出たとき、かれらは反対した。そして“自己決定権”にも、無言あるいはそれを独立論とみなすかれらの態度から、おおよその推測はつく。「県外」反対の理由として、「他県への犠牲の転嫁」と言った。たんに日本人であれば、かれらの言うように辺野古NOを日本全体の反安保の闘いだと言っていれば、それでよい。
 しかし、辺野古NOは、構造的に差別されている沖縄人の闘いでもある。そのとき、当然「県外」はありうる。沖縄人党員として、「県外」に反対はできないので、党本部も沖縄条項を作ってそれを許すのが本来の姿ではないのか。沖縄人としての政策や行動は、今日のかれらには無い。
 どうしてそうなったのか。戦後しばらくの間は、沖縄人共産党員には、“天皇制日本からの琉球の独立”という綱領的な考え方があった。党本部も、1946年・共産党6回大会で沖縄人連盟宛てに「沖縄民族の独立を祝うメッセージ」を送ったことなどにあるように、独立論支持であった。しかしその後、冷戦開始、日本共産党は反米路線に転換し、沖縄でも、沖縄切り捨ての講和条約を目前にした1951年には日本復帰要求が始まる。こうした内外情勢の変化の中で、沖縄人民党の「全沖縄民族の解放」「人民自治政府の樹立」などの主張が、まともに総括されることもなく日本復帰論に変わっていく経緯がある。
 祖国復帰協が1960年に結成されるが、その前の50年代に、瀬長亀次郎・野坂参三による会談が行なわれる。ここで、人民党(共産党員が主流)は社大党との共闘(統一戦線的運動)をやめる、それを前提に日本共産党が沖縄人民党を資金援助する、という合意がなされた。かくして人民党はなくなり、日本共産党の一部として東京の支配下に置かれる。
 1972年の返還時に、人民党のかれらは沖縄人の帰属決定の最終決着として闘い、「これからは我々は日本人としてやっていくのだ」と決意している。このとき決定的に「沖縄人」を捨てた。独立論者(だった者)が沖縄を捨てると、もはや“沖縄差別”“構造的差別”“自己決定権”“沖縄人組織”はタブーとなる。

  「子育て無償化」に何を対置したのか

 名護市長選は、防衛省の米軍基地再編交付金を財源とする「子育て支援の無償化」に負けたと言われている。子育て世代には、給食費無償化などありがたいわけで、渡具知陣営の勝因でもあろうが、一面これは敵失となる要素でもある。極右政府はその候補者が辺野古YESが言えば負けるので、あえて言わせず、国の権力への統合作戦として合法的に“言うことを聞く者には、おカネをあげる”ということだが、これは実質的には国家による投票買収をやらざるを得ない挙に出たということである。これは正々堂々のやり方ではなく、沖縄人差別でもあるわけだから、反応によってはマイナスに働くこともありうる。
 このマイナスに働かせるということが、オール沖縄にできなかったのである。岸本陣営は、再編交付金財源に対し、「それがなくても可能」論を対置している。これでは、本来の「オール沖縄」の主張をしない方向へ、民意が誘引されてしまう。
 つまり、翁長知事時代に「米軍基地は経済発展の最大の障害」、「誇りある豊かさを!」として確立している精神を活かした対置になっていない。沖縄差別を追及し、防衛省がなぜ子育て支援か、それは子ども家庭庁の仕事ではないのか。名護市の子どもだけでなく、全県に平等に与えられるべきものだ。そもそも軍拡を行ない、生活支援・教育・社会保障の予算を減らしている日本政府が、辺野古新基地建設のために名護市の子どもだけにおカネをあげるというのは子供だましで、詐欺師然たる行為であることをなぜ言わないのか。名護市民を信用せず、おじけづいて票をいただくという態度だ。全市民の市長であり、全県民の一つの市長であることを忘れている。結局こうした買収策への冷ややかな反応が、低い投票率として表れている。
 「オール沖縄」は、未来を語る言葉を失っているのではないか。翁長さんは、沖縄の未来故に自民党を捨てた。彼の言葉は人々の心をとらえた。「翁長知事を継承する」として、デニー知事が誕生した。しかしオール沖縄は、継承すべきものが何かを明確にしてこなかった。翁長さんは、沖縄人と日本政府が対立した関係にあることを認識していた。だから「チバラナヤーサイ」と言って、団結をもって闘う姿勢をいつでも表明していた。デニー知事は、日本政府との関係を「話し合い」と言っている。
 デニー知事は6・23追悼式をコロナにことかけて、日本軍国主義を象徴する場所で行なおうとした。批判を受けて取りやめた。首里城が燃え、消失した。翌日、政府に再建を乞いに行った。米軍基地からオミクロンが流出し、爆発的な感染拡大をもたらしたが、デニー知事の対応は、まん延防止措置の適用を政府に乞うだけで、基地封鎖、外出禁止、地位協定改正を政府に対し追及しなかった。これらは県民に釈明すべきだ。
 そして、ミサイル要塞化に対し、新聞記者に問われて初めて「反対」と言った。オール沖縄の知事であれば、積極的に県民にどう考えているか、どうするかを語らねばならない。県民はコロナで、デモも集会も表現や交流も奪われ、政府サイドの情報にさらされている。しかし知事には発言の機会が多い。この立場を政治的に行使しているとは思えない。
 さらに知事は、辺野古埋立用土砂を船積みする本部港のベルトコンベアー設置を、一業者に許可している。民港の軍事使用も認めた。“あらゆる知事権限を行使して阻止する”がオール沖縄の公約であるはずが、まるで便宜を計っているように見える。
 企業集団と保守派・誘致派の一角を崩してオール沖縄に参加していた呉屋守將氏が、誘致派にもどった。経営者としての生き方が主因であったであろうが、オール沖縄内の党利党略等に文句もこぼしている。企業集団が一枚岩になれば、政府の締め付けは強力になる。これは、オール沖縄の信用の低下と合わせて、文頭で言った“主張”と“敗北”の関係をつなぐ要素と言えるのではないか。

 米中限定戦争と恐怖の日本参戦
 
 米中対立は、長期にわたってあり続ける。軍拡とナショナリズムは、勢いを増すかもしれない。
 それについての知見は私には無いが、専門家たちは、十数年後、米・中の経済力が逆転することを想定している。アメリカは座して、退いていくことを受け入れないであろう。今、絶対的有利に立っている軍事力を行使せず、むだに捨て去ることも受け入れられない。とすれば、「唯一の競合国」中国に対し軍事力を使って、出る杭を打つことを考える人々が出てくることは避けられない。危険きわまりない戦争に転化する。だから、いろいろなシュミレーションが考案されるのだろう。
 全面戦争になれば、アメリカも日本など同盟国もズタズタに破壊される。だから、戦争の想定は限定的戦争にとどまる。しかし政治意思が戦争を行なうわけだから、こうした想定も勝って読みとならざるを得ない。
 しかし、どんな想定でも、沖縄は常に戦場の中心部分になることがシロート目にも分かる。海兵隊の新作戦にもとづく台湾有事日米共同作戦案が、年末に明るみに出た。しかし米中が交戦するとすれば、台湾周辺とは限らない。中国の石油シーレーンである南シナ海で、初戦は起こるかもしれない。どちらにせよ、嘉手納の戦略空軍基地をはじめ沖縄米軍基地のすべてがミサイル攻撃を受けずにはいられない。アメリカの想定に、それを許すというのが含まれていれば、計画上ではすでに沖縄人は死ぬ運命が決定づけられている。太平洋戦争では、大本営が32軍の降伏を許さず、一木一草最期の一人まで戦えと命令を下した時、沖縄戦の戦死者20万人は決定された。だから今、米中限定戦争が“沖縄はミサイル攻撃を受ける”と許容した時点で、“沖縄人100万人が戦死する”ことが決定づけられる。
 沖縄人としてはっきり分かることは、こんなことは認められない、沖縄人100万人の命をアメリカが中国を頭打ちにするために提供するわけにはいかない、沖縄の戦場化を絶対阻止するということである。
 沖縄人は、南西諸島のミサイル要塞化に対する共通認識を作り上げることを急ぎ、戦場化を阻止する運動を発展させねばならない。
 アメリカが限定戦争を主導するのだが、日本がそれにからみ、参戦すれば恐怖である。日本は太平洋戦争を総括していない。絶対的に勝つことのできない相手に対し、早期講和に持ち込む目途もなく、軽佻浮薄に米英に開戦した。制海・制空権を奪われた後も、ガダルカナルから沖縄まで、ぼう大な兵士の餓死者と、ひたすら銃剣突撃を命じての戦死者を出しながらも、なおも降伏を軍人自身で決めることができず、人命無視の自動システムにまかせて、結局2000万人の人びとを殺すに至った。
 今日の日本政府の構成者たちは、かの軍国主義者たちの末裔であり、そのうえ軽々しくも「敵基地攻撃能力」を国会で唱えている。このような日本の指導者たちの米中戦争への介入は、いっそうの恐怖をもたらす。
 前首相・鳩山由紀夫が主催する東アジア共同体研究所が、ミサイル要塞化に対して警鐘を鳴らしてきた。昨年12月のそのシンポで、沖縄平和センター前議長の山城博治さんが、戦場化阻止のための沖縄人の組織を作ることを表明した。
 そして1月31日に、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」が発足した。わたくし的に気になることは、①小規模な市民団体ではダメである。以前、核弾頭の存在が明るみに出たとき、読谷の山内徳信さんが中心となって会が結成されたが、うまく行ったとは思われない。小規模で終わる轍は避けることが重要だ。オール沖縄は、これまで辺野古・オスプレイ断念を一致点としてきたが、新課題として取り組めないのか。オール沖縄で反自衛隊は取り組めないともされるが、戦場化反対はより大きな課題ではないのか。
 ②選挙にタッチしないと言う。超党派で、という意図と思えるがいかがなものか。辺野古NOは当初、名護を中心とする市民運動であった。糸数参院選を通じて全県民的に発展し、オール沖縄になっていった。選挙での争点化は必要だと思う。選挙タッチは運動の広範化を阻害するものではなく、その逆ではないのか。一方では、超党派をめざし「自民党にも働きかける」とも言う。市民感覚からすれば指導性が疑われる。翁長時代と変わって、今の自民党沖縄は辺野古推進で、極右が支配している。
 文言上で「超党派」は必要だが、その実際が問われることとなるだろう。(記2月6日、沖縄T)