逃げるな、出て来い!サンケン電気1・25集会
  尾澤さん奪還で再攻勢

 1月25日の夜、「韓国サンケンの解散撤回!尾澤孝司さんは無罪だ!逃げるな、出てこい!サンケン電気1・25集会」が東京・池袋のとしま産業プラザで開かれ、感染対策をとったうえで大盛況の結集であった。主催は、韓国・金属労組慶南支部サンケン支会(韓国サンケン労組)、韓国サンケン労組と連帯する埼玉市民の会、韓国サンケン労組を支援する会の3団体。
 昨年5月10日のサンケン本社前行動でデッチあげ逮捕され、不当に長期拘留されていた支援する会事務局次長の尾澤孝司さんが、12月27日に保釈された。この集会は当初「尾澤さん早期釈放!」を掲げて準備されていたが、尾澤さんが集会に参加・発言することができたことは素晴らしい。尾澤さんの戦線復帰をかちとったことで、会社を解決交渉に引きずり出す、その攻めの闘いに皆で入っていこうという雰囲気の集会となった。
 筆者がごったがえす会場に着くと、なんと尾澤さんが手消毒役をやっている。尾澤さんは保釈条件を考慮し、発言後は退出することになっているので、プシューとやって参加者一人ひとりに挨拶ということのようだ。
 さて集会は、中原純子さん(東京全労協)の司会で始まり、さっそく尾澤孝司さんの登壇。尾澤さんは、このかんの救援へのお礼を述べつつ、「私への長期拘留は、グローバル企業と闘うことに対する、資本・権力側の報復です。負けられない国際連帯の闘いを勝ち抜こう!」と報告し、会場は万雷の拍手となった。
 主催者挨拶を渡邉洋さん(全労協議長)、現状と課題の報告を鳥居一平さん(支援する会事務局長)と続く。鳥居さんは、「裁判や労働委員会で争議が決まってしまうわけではない。埼玉市民の会の皆さんが月曜行動を献身的に続けているように、粘り強い闘いで解決を求めていこう。支援の私たちが納得、ではなく当該サンケン組合員が納得できる解決をです。」と報告した。
 第2次サンケン闘争の記録映像(日本側・韓国側各10分)を映写した後、韓国サンケン労組のオ・ヘジン支会長、キム・ウニョン副支会長らがオンラインで発言。ウニョンさんの発言はけっこう長く、闘いの厳しい局面を思わせるものもあった。なお、2月の民主労総代議員会で、尾澤さん夫婦に感謝盾が送られるそうである。
 集会は、東京清掃労組、ゲンマ・ジャパンユニオンが連帯発言、サンケン本社(新座市)の地元から埼玉市民の会が発言。
 集会決議案が、ここ1年をまとめ、今後の尾澤さん刑事裁判をふまえた内容で提案され、拍手で採択された。
 最後に行動提起は次の3項目、①毎木曜行動(サンケン本社前・志木駅南口・池袋東京事務所前)に参加しよう。②尾澤さん公判に結集しよう(さいたま地裁での公判日程は3月以降)。③尾澤さんの「公正な裁判を求める」ハガキ提出をひろげよう、を確認した。
 昨年1・20の解散強行・全員解雇から1年、仕切り直しの集会は、団結ガンバロウでしめ括られた。(東京W通信員)


大阪・釜ヶ崎
 第52回釜ヶ崎越冬闘争12・28〜1・4貫徹
  「特掃」の賃金改定も要求

 昨年12月28日の「突入集会」から、本年1月4日の「地域内デモ」、大阪府・市への要望書提出まで、「第52回釜ヶ崎越冬闘争」が闘い抜かれた。
 2年続けてのコロナ禍での越冬闘争となったが、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」を合言葉に、越冬闘争実行委員会に結集する個人・団体の団結で、そして全国の仲間の支援の下で、今回の越冬闘争期間も、釜ヶ崎の仲間の生命を守り抜くことができた。
 12月28日の「突入集会」は、コロナ禍にもかかわらず、反原発の「若狭の家」の仲間、沖縄辺野古新基地建設に反対する「大阪行動」の仲間、「日本軍従軍慰安婦ネット」の仲間、そして狭山再審を求める「大阪キャラバン」の仲間など、大阪・関西でともに闘う仲間が結集してくれた。
 この集会冒頭、韓国サンケン労組を支援する本社前での闘いの中、不当逮捕・起訴され、長期拘留を続けられていた東京の尾澤孝司さんが昨日(27日)夜、保釈されたことが報告され、終始、熱のこもった集会として貫徹することができた。
 そして、さっそくその夜から、三角公園横の「旧禁酒の館」跡地での3基の大テントでの集団野営が始まり、また医療パトロール、炊き出しが開始された。12月30日からは、三角公園・釜ヶ崎への封じ込めを突破し、人民パトロールが始まった。
 また、そうした闘いと一体のものとして、仲間たちに少しは年末年始の気分を味わってもらおうと、「もちつき大会」「ソフトボール大会」「卓球大会」が行なわれ、三角公園ステージでは「のど自慢大会」も行なわれた。
 今年の越冬闘争の特徴は第一に、数が減ったとはいえ未だ多くの仲間たちが失業・野宿を強いられ野垂れ死にの淵に立たされていることに対して、相談と対処の新たな取り組みを始めたことだ。
 今年も、大阪市の行なう「臨泊」を221名の仲間が利用し、また60名前後の仲間が路上で正月を迎えざるをえなかった。
 泊まる所がなく野営本部に訪れた仲間に対して、釜ヶ崎で日頃、介護など生活相談を行なっている仲間の協力も受け、今回は実行委としても相談活動を重視して、「臨泊」への「押し込み」を実現し、また、「緊急サポートプロジェクト」と連携し、ドヤ(簡易宿泊所)への入居を実現することができた。
 特徴の第二は、1月2日の「センター建て替え問題新春討論会」に見られるように、西成総合センター建て替えの必要性と議論の現状、当面の課題を明らかにすることによって、「センターは建て替えではなく閉鎖され、跡地は売り渡される」といった悪質なデマをあばきつつ、労働者・住民のための新センター建設に向けた取り組みを前進させたことだ。
 第三の特徴は、府市委託の特別清掃事業についての新たな要求として、旧来からの「月13日以上働かせろ!」という要求と併せて、「特掃」賃金の改定を要求したことだ。
 1月4日提出の対大阪府市要望書では、「1994年から据え置きとなっている特別清掃事業の賃金を、この間の最低賃金の上昇に対応して、改定してください」と要求した。
 構造的なアブレ地獄の深まりが、コロナの感染拡大と合わされて、釜ヶ崎労働者に襲いかかっている。これに抗し、新たに生きるすべを求めて釜ヶ崎にたどり着く仲間も含めて、「安心して働き生活できる」新たな「しくみ」をつくり出していかなければならない。
 越冬闘争終了後の1月15日の昼過ぎ、旧センター脇で野宿をしていた仲間が亡くなった。「特掃」にも登録していた人だが、最近は体の具合が悪くて働いておらず、炊き出しなどで声をかけても「いらない」と言う状態であった。
 仲間の生命を守れなかったという、運動のこの現実をしっかりと見据え、「安心して働き生活できる釜ヶ崎」に向けて、さらに闘いを前進させていかなければならない。
 合掌。(釜ヶ崎S)

あなたと釜をむすぶ
  釜ヶ崎講座1・3「釜歩きツァー」

 「あなたと釜ヶ崎をむすぶ」市民団体「釜ヶ崎講座」は、今越冬闘争の中、年末31日に「越冬連帯行動デー」、新年3日には「新春釜歩きツアー」を行ない、両日で35名が参加した。
 「連帯行動」では、人民パトロールに結集した70名と共に、ナンバ戎橋に出向き、一人の犠牲も出さない越冬闘争の意義を、また廻りに行き倒れと思われる人がいたら越冬実に通報してもらうようにと、大晦日の街行く人々に大情宣を展開した。
 戎橋は、1995年10月18日の朝、藤本彰男さん(当時63歳)が、3人の若者に投げ殺された場所だ。バブル崩壊後の生活苦の中、リヤカーを引いての段ボール集めで疲れ果てていた藤本さんを、若者がからかい、川へ突き落して逃げ去った許されない事件である。その場で、全員が花を川へたむけて黙祷した。
 最近では、名古屋入管職員による、スリランカ女性を死に追いやる事件があった。権利が保障されず、病気を抱えているなど「弱者」への暴力が、日本社会の至るところで発生している。差別排外主義を許さない、それを訴えていくのも越冬闘争の任務の一つである。
 明けて3日の「釜歩きツアー」は、定番となった水野阿修羅さんの案内で、約30名が参加。ベトナムの人の増加とその料理店や食材店の増加、インバウンド衰退でもビジネス外国人相手にしぶとく経営し続けるホテル群、労働者が寄宿する新たなビルの建設など、街の近況を見学。
 就労と生活が多様な形態で結びつきながら、釜の街で暮らす人々。「特別清掃事業」をはじめ、暮らしを支える取り組みの存在、その拡充の必要をあらためて感じた。水野さんは、釜へ流れ着いてくる多種・多様な人びとも含めて、釜で働ける何らかの手立てがあり続けるかぎり、釜の街はこれからも持ちこたえていけるだろう、と語った。(講座会員I)


韓国大統領選挙
 平等社会実現迫る
  進歩勢力の統一候補は成らず

 年末発行の前号(1月1日号)において、韓国大統領選挙における進歩陣営の統一候補者の可能性についての見通しを報じた。しかしその後、その希望的可能性が断たれたことが判明し、報ぜざるをえなくなったことを痛苦の思いで記載する。
 経緯は次のようになっている。昨年11月13日の全国労働者大会で、「不平等打破―韓国社会大転換のための民主労総―進歩政党大統領選挙共同宣言」が発せられ、これを皮切りに候補者の一本化に基本的に合意した協議が始められ、昨年末までに予備選挙の方式を決定する予定であった。
 当初、民主労総、全農などに参加する労働者、農民、女性、青年による直接選挙の方向で候補の決定を目指していたが、国会に議席を持つ正義党が国民世論調査方式を主張して、その対立が明らかとなった。民主労総は、折衷案として直接選挙7割・世論調査3割の方式を提示したがまとまらず、本年に入っても二度の協議が行われたが、結局決裂し一本化は霧消してしまった。
 この事態を招いたのは、筆者としては、もっぱら正義党にあると言わねばならないだろうと考える。当初から筆者は、正義党がこの協議に参加することに疑念を抱いていた。正義党は、かって統合進歩党から離党したグループによって結成され、現在国会に6議席を有している。民主労総が支持を表明している進歩政党5党(正義党、進歩党、労働党、緑色党、社会変革労働者党)に加わっているが、運動圏と議会制度圏の中間に位置し、その既成政党化が幾多の面で垣間見られる。
 正義党が今回の世論調査方式を主張したのも、直接選挙制を否定し、ある意味ブルジョア的な間接選挙制に傾斜していると判断するのが妥当ともいえるのではないだろうか。
 確かにこの日本においては、中間的で第二極的な体制内の改良勢力に対しても共闘の方向性を探ることが迫られるだろう。しかし韓国の政治情勢は明らかに日本より進んでおり、労働者民衆勢力が、民主労総や統一民主化を目指す民衆運動組織などとして力をもっている。この第三極的な政治勢力の存在が、韓国社会の中で認知されているのである。
 それゆえ、大統領選挙共同宣言を発した意義は多大であり、そこでの10項目にわたる公約・要求は意味深い。この実現は、韓国社会の根本的な転換をうながし、真に労働者民衆が主人公となる社会の端緒を切り拓くこととなるだろう。
 3月9日投票の韓国大統領選挙にむけて、まだ進歩陣営の闘いは続くものと確信している。韓国労働者民衆の勝利に注目し、連帯しよう。東アジア、北東アジアの危機的状況を打破する国際連帯を勝ち取ろう。(Ku)

韓国サンケン闘争
 
 韓国労働部が12・14本社要請

 昨年末に、韓国サンケン闘争は大きく二つの動きをもたらした。
 一つは、12月27日に尾澤孝司さんの釈放を勝ち取ったことである。幾度となく尾澤さんの保釈を請求していたが、検察側はサンケン本社側の意向をくみ、保釈に同意しなかった。27日当日も、裁判所の保釈提示に対しても検察側が抵抗し、保釈は夜の8時半という寒空のなかで行なわれた。保釈には不当な条件が二つ付けられている(本社前への立ち入り禁止、弁護側証人との接触禁止)が、尾澤さんの釈放は日韓の韓国サンケン闘争にとって大きな励みとなるだろう。
 年明けの連帯闘争では、サンケン本社社長・会長宅への年始「挨拶」行動に始まり、支援する会の木曜行動、埼玉市民の会の月曜行動と気合の入った闘いが組まれている。キム・ウニョンさんもオンラインで、「昨年は連帯の年、今年は勝利の年にしよう」と述べ、闘いの明るい前進が見られる。
 また一つは、韓国労働部の動きがあった。
 12月13日には、韓国政府機関の釜山地方雇用労働庁昌原支庁からサンケン電気株式会社代表取締役あてに、「貴社が現在の状況を打開するために、韓国サンケン支会との対話に臨む意向があるのかを確認したく思うので、貴社の最終的立場を返信してくださるよう要請します」との協力要請が送られた。
 この要請に対しサンケン本社側は、いまだに返答を行なっていないようであるが、これで韓国政府に対し、本社は無関係だと決め込む口実を失うことに追い込まれるだろう。一層支援の闘いを強めていく機会が設けられたと言える。
 昨年1・20の韓国サンケン清算・全員解雇の強行から1年の闘いをふまえ、また尾澤さんの奪還を得ての、1・25集会が大成功した。(Ku)