辺野古「不承認」断固支持の拡大を
  すべての辺野古工事の即時中止、南部土砂使用計画の撤回!


 玉城デニー沖縄県知事が11月25日、政府・沖縄防衛局の辺野古工事「設計変更申請」を不承認とした。これを断固支持し、すべての工事の即時中止を求める行動が、翌26日の首相官邸前や沖縄県庁前などでの緊急支持行動に続いて、全国各地で続いている。
 12月3日、東京と沖縄での同時行動として、首相官邸前では、「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委、総がかり行動実の主催で500名が集会。国会包囲実の木村辰彦らがアピールし、沖縄県庁前集会からは、高里鈴代オール沖縄共同代表が電話発言で訴えた。
 12月4日、沖縄では辺野古シュワブ基地ゲート前で、オール沖縄主催による県民大行動が一年余ぶりに行なわれ、全県から800余名がゲート前を埋め尽くした。
 高里鈴代さんの主催者挨拶に続き、玉城知事が登壇、こぶしを握り締めながら、「不承認」を報告して工事中止を求め、県民の一致団結を訴えた。沖縄選出の国会議員からは、衆院の赤嶺政賢さん・新垣邦男さん、参院の伊波洋一さんが発言。新年1月23日投票の名護市長選挙の予定候補である、岸本洋平名護市議も決意を語った。
 12月6日、国会議員会館前での300人結集の臨時国会開会日行動(総がかり行動や共謀罪廃止の市民団体)でも、臨時国会下での課題の一つとして、辺野古「不承認」支持が訴えられた。
 12月7日、沖縄防衛局が不当にも「私人」に成りすまし、行政不服審査法による審査請求を斉藤国土交通相に申し立てた。国が県の「不承認」処分を取り消す方法としては、通常の行政事件提訴があるが、岸田政権はアベ・スガ政権に続いて、時間がかからないこの脱法的やり方をまたもや強行した。
 しかし、この国による違法行為で「不承認」を取り消しても、11・25以前に戻るだけで、工事変更「承認」は出ないままである。政府にとっては秋の沖縄知事選で、「承認」を出す知事を当選させるしかない。(あるいは、知事の「承認」するという行政行為を国が代執行するための、強権的手続きに入るかである。しかし代執行裁判も時間はかかる。代執行裁判は、太田知事時代に前例があり、また翁長知事の時には、国・県「和解」による代執行裁判取り下げというのがあった)。
 「不承認」支持の世論を拡大する上で、2つのことが強調されるべきだ。
 一つは、軟弱地盤などで「移設」工事全体が不可能とみられるのだから、地盤改良工事ではない他のすべての工事も即時中止せよ、である。辺野古浅瀬側の埋立て地・護岸のかさ上げ工事、大浦湾側に突き出る護岸(土砂陸揚げに違法使用している)の工事、美謝川の流路切り替え工事など、これらはすべてが無意味であり、すべて中止されねばならない。「不承認」後も、これらの工事を続けているのは言語道断である。
 二つは、沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る南部土砂を辺野古埋め立てに使用する計画を即時撤回せよ、である。
 南部土砂使用は、設計変更に伴って出てきた計画である。しかし、沖縄県の「不承認」は公有水面埋め立て法の適合性についての判断であるので、南部土砂問題は「不承認」通知書には触れられてはいない。そこで玉城知事は、「不承認」発表の会見時に、「今回の審査は行政手続法に基づく審査基準があることから、南部の土砂の件について反映させていない。しかし、遺骨混じりの土砂が埋立てに使われることは絶対にあってはならない」と強調している。
 そして、1月23日投票の名護市長選挙の応援だ。名護市の親戚・知人に、全国から岸本候補へ投票を!と働きかけよう。また、名護市民・沖縄県民が選挙運動に力を投入できるように、ゲート前行動などへ「本土」からの参加を増やすことも必要だ。
 「不承認」断固支持、辺野古断念の世論・行動をひろげよう。(W)


12・11集会
 日本「復帰」50年を問う—
 「復帰」前後の在日沖縄青年運動

    自己決定権への道程

 12月12日、「日本『復帰』50年」を問う・「復帰」前後の在日沖縄青年運動、と題する講演集会が東京都内の新宿歴史博物館講堂で開かれ、約50名が参加した。主催は、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。
 集会の趣旨は、1971年10月19日「沖縄国会」で佐藤首相が演説中に、3人の在日沖縄青年が、国会内で爆竹を鳴らしビラをまき、「沖縄のことは沖縄が決める」と訴えた。その行動は、その後のヤマトにおける在日沖縄人運動にどう引き継がれたのだろうか、というものだった。
 講演は、その3在日沖縄青年の一人、本村紀夫さん。当時23歳であった本村さんは、その後も長く在日沖縄青年運動にかかわり、1983年結成の一坪関東ブロックなどで活動を続けて、現在は沖縄在住。
 本村さんは講演で、半世紀余の在日沖縄青年運動について、運動史的に詳細に語ってくれた。沖闘委に始まり、沖青同、その後の沖研などなど、「本土」の新左翼諸党派もからみながらのその運動史は、筆者も初めて聞くことも多く勉強になった。在日沖縄人の団体ということではないが一坪関東ブロックの結成に至るまでのその過程は、在日沖縄人がその主体性を強化していく苦闘の過程であったことを学ぶことができた。また、自立した沖縄人と自立した日本人によって闘いのスクラムはがっちりと組まれる、という運動史の中の文言も強く印象に残るものであった。
 講演の後の質疑応答では、「在日」沖縄人という文言に新鮮な印象を受けたという感想や、沖縄の若い人に沖縄独立論は増えているのか等の質問も出された。本村さんは、「沖縄人という文言は、近年はメディアでも普通になってきている。独立をかかげる人もいるが、独立論はごく少数派で、多くは自己決定権の実現という広い立場ということではないか」と回答していた。
 沖縄民衆の復帰闘争が、日米両政府の返還協定で裏切られてから半世紀。辺野古新基地強行など日本政府の暴政、構造的沖縄差別を、「本土」の我々は打倒できないままである。まして、沖縄を再び戦場化するミサイル基地化など、絶対に許してならない。
 この講演集会も、その課題を我々に問うものであった。なお、反戦実行委11・23集会で関東ブロックの大仲尊さんからの誘いもあったためか、反戦実の参加者も少なくなかった。再スタート反戦実の方針の一つ、「米中対立のはざまに、沖縄・韓国・日本などの民衆大連合を!」のうえで、勉強になる集会でもあっただろう。(東京W通信員)


軍事費1%枠を破棄する2021年補正予算案
  大軍拡ひらく岸田政権

 今年度予算の補正予算案が、12月15日に衆院を通過させられた。
 約32兆円という過去最大の補正予算案で、その内容は新型コロナ対策に18・6兆円、デジタル・脱炭素・経済安全保障など「新しい資本主義」の起動に8兆円余、等々としている。この補正予算のための赤字国債発行が22兆円で、当初予算と併せると65兆円の新規国債発行となる(前年度予算では108兆円)。これで国債残高は1千兆円の大台に乗る。アベノミクス以来、補正予算の本来の意味(緊急の支出)は失われ、国債増発で何でも上積みという財政である。
 与野党とも、いわゆる積極財政派が圧倒的になっている。立民や共産やれいわ新選組なども、コロナでの生活・営業支援金の額が足らないと補正予算案を批判している。しかし、これら野党も、岸田首相が2回めの所信表明演説(12月6日)で言う「経済あっての財政であり、順番を間違えてはなりません」という立場を共有しているので、「分配」重視とされる岸田政権との対決点がなかなか鮮明にならない。
 補正予算案で1・4兆円をとる住民税非課税世帯への一律10万円給付など、コロナ生活支援の緊急策は、より早くより広く必要である。しかし、一時的なバラマキでは効果は薄い。生活権・労働権の持続的な保障となるのは制度改革であり、そこに国会の議論は進むべきだ。
 補正予算案の審議では、1・2兆円をとる「18歳以下への10万円給付」のやり方については、与野党論議も大きく報道され、この施策で岸田政権の事実上の方針転換が行なわれた。
 しかし、補正予算案で防衛関係費が7738億円も追加されたことについては、共産や社民が批判しただけで、マスコミの取り上げ方も小さい。辺野古埋め立ての追加費801億や、おもに過去契約の工事費・正面装備費などである。
 軍事費は、安倍、菅政権でも補正予算で2~3千億円取ってきている。しかし、武器=正面装備の新規調達(C2輸送機、P1哨戒機、パトリオット改良型)に補正予算を使ったのは、今回が初めてである。武器の購入を急ぐのは、近ぢか戦争をおっぱじめるつもりなのか。
 また、その額も画時代的である。軍事費の今年度当初予算5兆3422億円に、この補正予算を足すと6兆1160億円。今年のGDPを550兆円とした場合、GDP比1・1%強となる。1976年の三木内閣以来の1%枠の破棄である。野党第一党の立憲民主などがこれを糾弾しないようであれば、今後ゼロ・低成長下で自公政権が続く限り、軍事費1~2%が常態化してしまうだろう。
 自民党は、「NATO諸国の国防予算GDP比(2%以上)を念頭に防衛関係費の増額をめざす」、これを先の総選挙公約として一応勝利した。この軍拡公約によって票を取ったわけではないが、自民党は大手を振って軍事費2%以上を当たり前にしようとするだろう。
 この2021年度の軍事費6兆円越えに続いて、2019年~2023年中期防衛力整備計画、防衛計画の大綱、国家安全保障戦略、これらを向こう一年を目途に改定せんとしている。岸田は所信表明演説で、「敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず」と明言した。自衛隊の攻撃戦力化が公然と主張され、「専守防衛」が言葉としても破棄されつつある。
 4月の菅・バイデンの日米共同声明は、首脳宣言としては初めて「台湾」を明記した。そして、「日本は、同盟及び地域の安全保障を一層強化するために、自らの防衛力を強化することを決意した」と声明している。元首相・安倍は台湾を訪問し、「台湾有事は日本有事」と演説した。中台関係が日本の自衛権発動の理由となると強弁し、中台介入の帝国主義戦争を煽動するものである。
 その安倍が、細田に替わって自民党最大派閥のボスになり、自民党の改憲「推進本部」も「実現本部」に名称替えした。岸田政権が一見きれいごとを言っても、極右反動勢力に支配された政権でしかない。(A)


12・12「三里塚大地共有運動の会」第4回総会と記念集会
  登記変更で共有地を守ろう

 12月12日、「三里塚大地共有運動の会」の第4回総会と記念集会が、東京・文京シビックセンターで開催された。今年の総会は、正会員64人。出欠は出席14人、委任状31通、傍聴1人。
 総会は、山口幸夫代表理事の開会宣言の後、山口さんが議長で議事が進み、総会成立を確認した後、渡邉充春理事が議案の事業報告。事務局から補足説明。これらの質疑を行なった。
 続いて決算報告。島田監事から監査報告・監事挨拶、事業計画・予算の提案が行なわれた。
 今年、登記義務化法が成立し、登記変更が遅れて、物故者が出ている状況で、どのようにすべきかについて質問、意見が出された。
 採決で、1号議案から5号議案までの議案が全会一致で承認された。
 続いて総会記念集会には、32人が参加。
 辻さんの司会で、山口幸夫代表理事が主催者あいさつ・総会報告。
 三里塚からのメッセージで、柳川秀夫さん、加瀬勉さんのメッセージを紹介。
 山崎宏さんが、24年滑走路着工と芝山町長選などについて三里塚現地報告。
 大森武徳理事が映像で、木の根ペンションで行なわれているイベントを報告し、また研修センターなどを守っていくための取り組みについて発言した。
 事務局からは、法人活動報告があった。
 講演は島田清作さん。1957年と65年に立川基地に突入して安保刑事特別法違反で逮捕されている島田さんが、今年で闘争66年となる砂川闘争について講演した。
 記念集会第2部は、各地から連帯発言。
 関西から山田謙さん、同じく関西から南西諸島ミサイル戦争基地化反対について根本博さんが発言し、また元管制塔被告団の和多田粂夫さんが発言した(予定していた清井弁護士は欠席)。
 渡邉理事の閉会あいさつで、終了した。
 なお会場で、三里塚物産の落花生は今年も完売したようであった。
 (会員S)