10・31総選挙—野党共闘の敗北
 問われるポスト資本主義


    公示前    新議席  (内比例区)
自 民  276   261   (72)
公 明   29    32   (23)
維 新   11    41   (25)
立 民  109    96   (39)
共 産   12    10    (9)
国 民    8    11    (5)
社 民    1     1    (0)
れいわ    1     3    (3)
その他   13    10    (0)
 計   460   465  (176)


 岸田内閣、始まったらいきなり総選挙、と持っていかれたその衆議院選挙は、10月31日に投開票された。その結果は、与党自民党・公明党が過半数(233議席)を大きく維持し、立憲民主党を中心とした野党共闘への政権交代が阻まれただけではなく、自民単独での過半数の継続も許すこととなった。
 東京比例区の得票率が、自民31・4%、野党筆頭の立民が19・4%では、とうてい政権交代は実現できない(2009年総選挙での政権交代では、鳩山代表の民主党が比例42・4%という驚異的な得票率であった)。
 しかも、自公、維新を合わせての衆院3分の2(310議席)を崩すこともできなかった。これは維新の躍進によるものであり、改憲発議阻止の課題できびしい闘いが続くこととなった。
 自公の議席は減ったとはいえ、我々も含めた反自公勢力の明確な敗北である。投票率は55・3%程度で、このかんの低調さを打破できなかった。(各党の11月1日時点での獲得議席数は別表)
 自公政権は、12年12月の総選挙で第二次安倍政権として復活し、17年総選挙で圧勝したが、「アベ・スガ政治」のコロナ失政を経て、その動揺期に入っている。今回野党はその動揺を選挙結果で示せてはいないが、自公崩壊の時は遠くはない。来年7月参院選挙を念頭に、自公打倒の決戦を準備せねばならない。
 今回の総選挙の特徴は、大きく言って二つあった。一つは、20年1月以降、世界と日本で長期に続いている新型コロナウイルス大災害という未曽有の事態をふまえての、初の全国国政選挙であったことである。
 投票率が低調に終わったことは、コロナ災害で高まったとみられる若い世代の政治への関心や広範な世代の抗議を、反自公勢力が獲得・動員できなかったことを示している。
 この一年、反自公勢力は、安倍退陣後のつなぎに過ぎない菅政権に対し、コロナ・五輪での失政が明確であったにもかかわらず、早期に打倒することができなかった。総選挙の結果は、このかんの反自公勢力の闘いの弱さの反映である。また菅の退陣と自民党総裁選、岸田政権発足という自民党とブルジョア宣伝機関による世論工作攻勢に対し、有効に反撃でなかったことも敗因である。
 安倍政権・菅政権のこのかんの(東京五輪強行を含めた)コロナ対応の是非、また、コロナ感染が明るみに出した格差拡大などアベ・スガ政治の10年、これを続けるのか変えるのかが、総選挙の最大の争点であった。この争点では自公は不利である。そこで自民党は、菅から岸田に急きょ総選挙の顔を書き換え、岸田新政権に期待できるかどうかに争点をずらす作戦に出た。
 岸田は10月8日の所信表明演説で、新自由主義の「弊害」を口にし、「分配なくして次の成長なし」、「新しい資本主義」などと語って、アベ・スガ政治を継承するのかどうか曖昧戦術を取りつつ、分配重視の新味を出してみせた。岸田の「新資本主義」は、米バイデン政権の「ミドルアウト」(中間層の購買力向上)、中国習近平政権の「共同富裕」と調子を合わせるものとも言える。
 しかし、所信表明演説をしただけで、岸田はまだ何もしていない。審判せねばならないのは、岸田が実際は継承しているアベ・スガ政治であった。問うべきは、アベ・スガ政治の新自由主義推進であり、さらには新自由主義を手直ししつつ、それ進めるしかない資本主義体制そのものであった。
 岸田の「分配」に対して各野党は、「1億総中流社会の復活」(立民)、「給料の上がる国へ」(国民)、「家計応援の政治」(共産)、「一人月20万円給付」(れいわ)ともっぱら対置し、与野党が資本主義の枠内で再分配策を競い合う様相となって、対決軸は不鮮明となった。これでは、コロナ災害後の政治闘争としては低水準であり、民衆の怒りを鼓舞することもできない。
 新しい社会主義の展望などコロナ後の体制選択を提起して選挙戦を戦った野党は、皆無であった。資本主義を超える新しい時代へ向けて労働者民衆に働きかけることができなかったという意味では、議席の敗北以上に、今回の総選挙は根本的な敗北であった。
 総選挙のもう一つの特徴は、野党共闘(立民・共産・国民・社民・れいわ)の候補一本化、およびオール沖縄による統一候補が、全289小選挙区の四分の三に近い213小選挙区で成立し、野党共闘と自公が全国で激突する初の総選挙であったことである。
 今回、野党一本化候補が勝利したのは、一騎打ちの三分の一程度にとどまり、野党共闘の有効性に限界が示された。最大の限界は、野党共闘の拡大によっても、それだけでは投票率を上げられなかったことにある。
 来年7月の参院選に向けて、16年・19年と続いた32「一人区」全てでの野党一本化、これを続けることはもちろん必要である。しかしそれだけでなく、長期のコロナ災害で追い詰められる人びと、2千万の非正規労働者これらをどう味方につけていくのか、全国比例区の闘い方を含め、深刻な検討が必要だ。(了)