「GIGAスクール構想」=教育産業大規模導入で学校は解体
「5・0」教育を阻止し、共生教育を
                                    浦島 学
 
 新学習指導要領(以下、新指導要領)が、今年4月から中学校で全面実施された。新指導要領は、改悪教育基本法と学校教育法の改悪部分を本格的・全面的に適用するもので、教育内容や指導方法を強制する。カリキュラムマネージメントで現場の教職員を統制し、実行を迫る体制の構築を掲げた反動的代物である。2008年改訂の指導要領では時期的にもこれらを本格的に反映できず、今回の新指導要領は反動勢力の並々ならぬ決意を込めて作成されている。すでに昨年20年4月には、小学校で全面実施されている。
 ところが、ほんの数か月前の19年12月に文部科学省は、「GIGAスクール構想」を突然発表した。技術革新のスピードの速さからも新指導要領は、10年持たないだろうと言われてきた。その次をめざす教育の改変がすでに準備され、着手されようとしている。その一つが、このギガスクール構想。
 構想は、「教師・児童生徒の力を最大限に引き出す」をキャッチフレーズに、児童・生徒一人一台の端末と高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備、校内LANの整備も掲げている。これによって「多様なる子ども達を誰一人取り残すことなく公正に個別最適化され、資質・能力が一層確実に育成できる教育ICT環境を実現する」としている。
 一見良さそうに見える構想で、歓迎する教育関係者や保護者も少なくない。しかし、現在の学校教育制度を解体しかねない構想で、コロナ禍に便乗して一気に推進しようとする勢力も存在する。構想は2020年度補正予算によって増強され、基本的には進められる方向にある。

(1)「Society5・0」の教育
 GIGAスクール構想は、「Society5・0」(以下「5・0」)の教育構想に基づいて打ち出されている。
 人類が狩猟生活を送っていた狩猟社会が「Society1・0」。農耕が始まって「2・0」、工業社会が「3・0」、そして現在は工業化をベースに情報化が進んで「4・0」=情報社会。これに続く将来の社会が「5・0」と規定された。しかし、これらは科学的・学問的に根拠があるわけではない。単なる造語である。
 内閣府のホームページでは、「5・0」は「サイバー空間(ネット空間)とフィジカル空間(現実空間)が高度に融合、経済発展と社会的課題の解決が両立する人間中心の社会」と規定している。すべてのものがインターネットとつながり、AI(人工知能)、ビックデーター、ロボット工学など最新技術の発展と活用によって経済成長を実現し、社会的課題を解決できる社会というわけだ。しかし、これで貧困や格差、失業問題など様々な社会問題が、解決できるとは到底考えられない。新自由主義推進の勝手な概念以外の何物でもない。
 2017年9月、「5・0」は国家戦略実現にむけた報告「未来投資戦略2017」に位置づけられ、安倍政権の成長戦略にまで押し上げられた。
 これによって、教育に成長戦略を推進する役割が課せられ、教育は大きく変化する。
 その一つは、「5・0」を実現し担うことのできる人材の育成である。旧教育基本法には「教育は人格の完成をめざし、平和的国家及び社会の形成者として・・・個人の価値をたっとび・・・自主的精神に充ちた・・・国民の育成・・・」がうたわれている。ブルジョア教育の枠内であっても教育の目的がより深く高いところにあることを示している。しかし「5・0」の教育は、新自由主義政策推進のための人材育成に教育の目的を切り縮めている。
 二つ目は、教育の場で最新テクノロジーがフルに駆使される場として編成され、教育課程、学年・学級、一斉授業などこれまでの学校制度の枠組みが解体され、指導方法や教員養成等も根本的に変化を強いられることだ。
 三つ目は、教育と産業界との連携が必須になり。教育の場は、市場として大胆に解放されることがはっきりしている。
 つまり「5・0」の教育は、教育の公共性を解体し、ICT(情報通信技術)化で学校制度の枠組みを解体する。大胆な市場化の推進である。
 
(2)文科省の「5・0」教育
 安倍政権の成長戦略に「5・0」が押し上げられて文科省は、2018年6月「Society5・0にむけた人材育成」なる報告=教育構想を発表した。そして、19年6月にはその続きとして「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策」が出されている。それらは教育ではなくあくまでも人材育成。
 報告には、①個人の進度や能力、関心に応じた学び。②同一学年集団の学習到達度や学習課題等に応じた異年齢・異学年集団での協働学習。③学校の教室での学習から、大学・研究機関、企業、NPO・教育文化スポーツ施設での多様な学習プログラムへの転換が掲げられている。
 つまり教科学習では、子どもたちそれぞれが端末に向き合って学習。個人別々に蓄積された学習記録や成績、生活履歴等のビッグデータをもとに作成した学習内容で、電子機器と学習者が対話して学ぶ構想(教科学習の個別最適化)である。個々の到達度や能力に応じて学習内容を提供、より効率的に新自由主義推進の人材育成を目指している。
 さらに、教科学習の「個別最適化」でAIの助けを受ければ時間が浮く。その時間をSTEAM教育(Science,Technology,Engineering,Art,Mathematicsの略)にあてる。つまり、理系のものを個々別々に学ぶのではなく、融合的・横断的に課題解決的に学ぶ学習、探求学習を実施しようとしている。一人一台のコンピュータを前に何人かの子どもがグループで学習するが、互いに助け合い知恵を出し合って解決するようには見えない。端末での作業が中心にも思える。「個別最適化」の学習も、STEAM教育も「家でも出来る」と言われている。
 文科省の「5・0」教育は、学年・学級、標準時間数等学校教育の枠を取り払い、子どもたちの学びを能力主義に基づいて個別化し、自己責任化を押し付ける差別選別教育以外の何物でもない。

(3)急先鋒は経産省
 GIGA(G1oba1 and Innovation Gateway for A11の略で、データ容量の単位ギガに引っ掛けて用いられている造語)スクール構想は、前述の文科省報告に基づき「5・0」教育の一環として打ち出されている。つまり、学校教育の枠組みを解体しかねない危険な代物である。
 この構想は、文科省だけでなく経済産業省も打ち出している。実は、「5・0」の教育には、経産省・総務省・文科省の3省が関わっている。
 総務省は、もっぱら自治体等と連携、学校の通信ネットワークの整備やICT機器の配備など条件整備に力を入れている。そして経産省は、より積極的な構想を掲げている。実質的な教育政策の決定は、首相官邸とそのもとにある教育再生実行会議が担い、官邸官僚を通じて経産省の影響力も強化されている。文科省は、安倍・菅政権のもとでは自律的な政策の立案主体には成りえていない。これまでの構想も「5・0」教育に乗り遅れまいとして報告されている印象をぬぐえない。
 経産省は2016年、省内に「教育産業室」を立ち上げ、18年1月には有識者会議「『未来の教室』とEdTech研究会」を発足させた。EdTech(エドテック)とはEducation(教育)とTechno1ogy(技術)を組み合わせた造語。それは「5・0」が国家戦略化されることを見据えた対応で、18年6月には「第一次提言」を発表し、1年後には「『未来の教室』ビジョン」を打ち出している。
 内容は、教科学習の「個別最適化」を進め、残りの時間を探求学習としてSTEAM教育だけを推進。産業界の人材育成を強く意識した学校スリム化のため、特別活動などもカットする構想。つまり経産省の構想は、「学校の教室で学ぶ必要はない。家に居たってできる。社会全体が未来の教室」という学校教育解体の論理になっている。経産省は学校現場に民間企業活躍の場をふんだんに用意、教育コンテンツの作成からプログラムの実施運営まで、産業界との密接な連携のもとに実施される教育を標ぼうしている。
 2018年以降「未来の教室」は、すでに実証段階に突入、事業の柱が示されている。①企業と小中高校の共同研究によるモデル校の推進。②STEAM教育のコンテンツを開発するSTEAM LIBRARYの推進。③主に教員向けの課題解決型研修を行なう「リカレント(生涯学習)STEAM」の実施。④「個別学習計画」の開発。⑤教員研修等、5本の柱だという。それらには、教育産業、IT企業、コンサルティング、人材など大手からベンチャー企業まで民間企業が参入、「5・0」教育の先導的試行がすでに始められている。教育は教育産業などの食い物にされ、また学年・教科・標準時数・教室の学びなど従来の学校教育は、徐々に解体される危険に直面している。

(4)学校教育の終焉
 各省による構想が提出され、次いで2019年6月教育再生実行会議が、第11次提言「技術の進展に応じた教育の革新、新時代に対応した高等学校改革について」を提出した。
 提言は、データサイエンスなどを含めた基盤的な学力と情報活用能力の育成、STEAM教育の推進等を掲げている。内容的には、現行の学校制度の枠組みや新指導要領を前提としながらも、「未来の教室」路線を入れ込もうとし、制度改変の突破口に、と考えている。
 ともあれ「5・0」教育がこれによって動き出す。この流れの中で、新指導要領が昨年4月小学校、今年中学校で全面実施された。文科省は、新指導要領に依拠しつつ従来の一斉授業等を実施し、また個別最適化の学習も組み込もうとしている。STEAM教育の探求学習も、ICTを使用しての運用を考えている。つまり文科省は、学校教育の形態を温存しつつ「5・0」教育への移行を目指し、最終的には「学校教育」も「公教育」も解体する方向で市場化・民営化に進むと思われる。経産省は急進的に、文科省は斬新的に「5・0」教育に進んでいく。
 しかし「5・0」教育は、子どもたちに大きな負の影響をもたらす。学習の「個別最適化」は、学級集団で共に考え合い互いに学び合って人間として成長する機会を奪い、学習集団の中での共同・協同の学びの豊さを奪うことになる。STEAM教育の探求学習も、テクノロジー主導型の課題解決にとどまる狭さは否定できない。
 二つめは、学びの自己責任化だ。「個別最適化」は、進んで取り組む子や学習方法・学習プログラムを受け付けない子など、その反応は様々。これによって意欲に差が生じ、学力差も拡大する。これらは全て自己責任とされ、多くの子どもが置き去りになる。経産省は、学習者が学習をデザインするとしているが、それでは人類の知的遺産を系統的に学ぶのは難しい。教育者による意識的な実践こそが必要なのだ。
 三つめは、教育課程が教科と探求のみで構成され、特別活動のない学校では、社会性の獲得や社会的課題意識を引き出すなど、人間的成長の機会を根こそぎ奪ってしまう。子どもたちを主権者に育てることも難しい。
 そして四つめは、教育の市場化が進み、教育の場が利益追求の場と化す。提供された教育が人間的成長を保証するのか否か甚だ疑問である。「5・0」教育推進は、子どもの幸せとは無縁だ。
 地域職場から闘いを組織し、地域の労働運動・市民運動と連帯して「5・0」教育阻止、指導要領の拘束から教育を解き放つ必要がある。闘いこそが明日を開く。地域にでよう!

(5)共生社会の教育は?
 人類は社会的に存在している。社会生活を営むには、集団の中で学び合い、共に育つ教育が不可欠。「5・0」教育のように一人ひとりをばらばらにし、人材育成に偏重する教育は論外だ。
 また、自然との豊かな関係を追及する自治・連帯・共生の助け合い社会を維持発展するには、個人の基本的人権を尊重し、差別を許さず真理と平和を大切にする子どもたちの成長が求められる。自然を大切にし、住民自治を支える姿勢も必要だ。集団で学ぶ場は、コンミューンごとに公選制の教育委員会を設置、住民・保護者・教員・児童生徒の話し合いで決定された教育内容に基づいて運営される。学校は小規模になるだろうが、すべては住民自治で決めることだ。闘争を強めて、子どもたちが生き生きと集団で学べる場を実現しよう。(了)