新型コロナ市中感染1年、自公政権失敗
  政権変えずに収束なし

 菅政権は、新型コロナ特措法に基づく2回めの緊急事態宣言(1月7日に11都府県で発令)を、2月7日の期限に解除できず、続く再期限の3月7日にも、首都圏4都県では解除できないはめに陥った。もう2週間(3月21日まで)延長する、と発表したのである。
 なぜ1カ月の再延長ではなく2週間なのか、その理由ははっきりしない。菅首相は「陳謝」しつつ、「状況をさらに見極まるために必要な期間」と言うだけであった。
 しかし、「復興五輪」を掲げて3月25日に被災地からスタートさせようとしている東京五輪聖火リレー、この日の以前に非常事態宣言を終わらせたいからだ、と誰もが見ている。これでは、まじめな感染対策ではなく、政治的思惑での国民対策である。
 東京など首都圏でなかなか感染が収束しないのは、都内で暮らす者の生活実感としては当然だ。夜8時以降に飲食店の多くが閉まるだけで、人の混雑はコロナ以前と変わらなくなっている。市民や店舗はマスク・手消毒・3密回避などを続けており、これで感染爆発までは行かないのかもしれないが、これだけ人流があれば感染は簡単には収束しないと皆見ている。
 菅政権は、第二次のコロナ緊急事態宣言が失敗に終わったことを素直に認め、即刻退陣しなければならない。それがいやなら、このかんのコロナ対策の信を問うとして、解散・総選挙を行なえばよい。
 しかし菅は今のところ、どちらもやりそうにない。新型コロナ・ワクチン接種の拡大と、何がなんでも東京五輪7月開催とを強行し、その2つを「成果」とするまで、政権の座にしがみつく魂胆である。
 国会野党は立憲民主や共産では、菅政権退陣を毎日のように口にする。しかし、菅打倒が最大のコロナ対策であるとして攻めなければ、政局よりもコロナ対策という一般論に勝てず、菅政権に対する諸要求運動に終わるのである。これでは、衆院10月任期いっぱいまでの菅政権の延命を容認することになる。
 日本で新型コロナの市中感染とそれへの対策が始まって以来、約1年となる。これまでの自公政権の対策は基本線が間違っていた。菅を打倒しなければ、この間違いは続くことになる。
 間違いの第一は、PCR検査を症状が出た人の治療と位置づけ(実際は症状がひどくても容易に検査してもらえず)、感染拡大を阻止する防疫として位置づけないことによって、結局いつまでたっても、大量検査体制を作らないことにある。
 菅は今回の再延長で、市中での無症状者への検査を追加したが、これまでの基本線は変わらない。おかげで、陰性証明が欲しいなど検査したい人は、高いカネを払って民間検査に行くしかなく、結局諸外国に比べて検査総数が圧倒的に少ないままである。
 第二に、陽性と判定されても安心して休職・休業・療養ができる制度体系ができていないことである。これは、検査数が少ないことと裏表の関係にある。
 たしかに種々の支援金の施策は実施された。しかし労働者の場合、雇用調整助成金など会社申請が前提であり、休職補償をもらえず、そのまま解雇・離職となった人は多い。非正規が百万人失業し、若い女性の自死が増加した。定額給付金のような、本人申請の拡充が必要だ。
 雇用調整助成金は現在、在籍出向など産業雇調金として大企業を助けている。環境、デジタルなどへの、企業グループ内での労働力移動に使われている。K字回復といわれ、オンライン急速普及などで利益をあげている業界もある。コロナ対策の公平な負担が問われる。
 間違いの第三は、コロナ以前の国公立病院と保健所の縮小路線を、今も改めていない。
 差額ベットで成り立つ民間病院をもって「ベット大国」と言ってきたが、感染症拡大に対応できない医療システムが明らかになった。
 1年をふり返って、自公政権のコロナ対策の問題点を言っていれば切りはないが、その是正には改良的にできることと、資本主義の体制変革が必要なこととがあるだろう。
 菅政権を、自公政権を倒すことから、この改良と変革が始まる。
 議会制度圏の情勢は、2021年度予算案が3月2日衆院を通過させられ、自然成立も可能になった。これで、菅個人の思惑はどうあれ、いつ総選挙に突入してもおかしくないこととなった。4月25日投票の3選挙、北海道の衆院補選、長野の衆院補選、広島参院の再選挙、これらで野党統一候補を勝利させ、菅政権を終わらせなければならない。
 しかし、いつも言われるように、運動が起き、世論が広がり、投票率が伸びなければ、選挙でも自公に勝てない。激動のアジア情勢から熱をもらい、行動で情勢を動かすことが必要だ。(了)


コロナ・ワクチンの強制接種反対
 失政挽回の道具化

 2月末から日本でも、新型コロナのワクチン接種が開始された。政府のスケジュールによると、3月から医療従事者への優先接種が始まり、4月に市中感染の震源地である東京都内から、高齢者(65歳以上)、基礎疾患のある人などを先にして一般の接種が始まる。そして夏に向かい全国の自治体へ広げるという。
 このコロナ予防注射は、もちろん強制ではない。一般の接種では、希望者は事前に申請し、「接種券」を受け取るという。コロナ・ワクチンが不安な人は、申請しなければよい。
 このコロナ・ワクチン接種の問題点の一つは、法的に強制ではないのに、事実上強制的な全体主義的な接種が行なわれる危険があることだ。
 ワクチン接種は医療行為であり、手術の同意確認と同様に、接種を受ける個人の同意・不同意の意思確認が明確でなければならない。
 医療従事者や介護従事者などであっても、ワクチン接種に不同意な人が、不利益扱いされるようなことは決してあってはならない。医療・介護にかぎらず広い業種で、接種を受けずに後に感染が判明すると不利益扱いされるに決まっているという恐れから、接種に同意してしまうことが予想される。これでは事実上の強制接種である。
 問題点の二は、強制接種であってはならないことの背景でもあるが、コロナ・ワクチンの医学的信頼性である。
 予防注射で人為的に免疫を広げる手法が、感染症対策で有効であることは確かである。しかし今回は、世界中で「感染収束の決め手」であるとして、各国で異例のスピードで開発され認可されている。副作用はまれ、など治験ではいろいろ数字は出ているが、変異株への有効性をはじめ分からないことが多い。新型コロナウイルス自体が、少し既知になっただけで、いぜん未知のウイルスなのである。
 とくに、日本で使われる米ファイザー社のワクチンは、史上初めてのRNA遺伝子ワクチンである。「決め手」と決めつけるのではなく、慎重に扱われるべきだ。
 第三の問題点は、感染対策と経済刺激の行ったり来たりで、政権不信が高まっている日本では、コロナ・ワクチン接種の政策が、医学的見地からよりも、より政治的見地から位置付けられていることだ。これが最大の問題点といえるのではないか。
 接種が「感染収束の決め手」としてだけでなく、「経済回復の決め手」としてより大きく喧伝され、これまでの自公政権のコロナ失政を一挙に挽回するための、政治的道具と化しているのである。
 菅政権の危機と東京五輪の危機を、コロナ・ワクチン接種で「危機突破」である。それが思惑どおりにいくとは思えないが、到底許される政治ではない。(A)