コロナ人災の自公政権退場せよ!

 菅政権の失策によって、今冬ついに新型コロナ感染の爆発的拡大を招いた。感染の第2波、第3波と言えば自然現象のようであるが、安倍・菅両政権による資本主義経済を回すことが先に立ち、感染対策と補償は後手後手となる政治、これが招いた人災である。こんなことを繰り返しているのは、東アジアでは日本だけだ。
 これを反省せず菅政権は1月7日、首都圏諸知事の後塵を拝する形で、コロナ特措法に基づく2回めの緊急事態宣言を発した。1月18日にようやく開いた国会には、コロナ特措法(改正新型インフル等特措法)改定案、感染症法改定案などを提出した。また、相変わらず感染収束後の経済刺激策を主とする第3次補正予算を1月28日成立させた。
 この2つの改定案は、野党との調整で、刑事罰が行政罰になるなど罰則の軽減化が見込まれているが、罰則新設は有害無益である。とくに感染症法改定案は、ハンセン病強制隔離を反省してきた経緯に逆行し、病者保護の法運用を妨げるものだ。我々は、戦争・改憲を意識したコロナ特措法じたいに反対し続ける。問われていたのは非常時立法ではなく、自律的な行動規制を促す感染症補償立法であった。
 もはや、自公からの政権交代が最大のコロナ対策である。その転換を活かし切るためには、労働者民衆の連帯と闘争の拡大が不可欠である。(編集部)


偽装解散を強行
 日韓で拡大するサンケン抗議

 現在の日韓労働者連帯の焦点、韓国サンケン争議は、会社側が何らの解決案も示さないまま1・20を越えた。
 この1月20日の韓国サンケン解散・清算にともない、韓国サンケン労組組合員への解雇通知もないまま、1月21日に法人抹消手続きだけがなされ、一片の説明もないまま会社側は法的手段だけを強行した。
 それと同時に、韓国サンケン社前に極寒のテント座り込みを敢行している労組員に対し、命の綱ともいえる電気・水道を止めるという暴挙に会社側は出ている。
 1月28日には、韓国サンケンの精算人(前社長)のイ・テホンが、韓国サンケン労組支会長オ・ヘジンさん宛てに、内容証明郵便物を送致してきた。そのタイトルも、「法人解散(廃業)による不法仮設物の撤去ならびに労組事務所撤去の要求」との類のものである。
 それは4点で、①㈱韓国サンケンは21年1月20日付で解散及び廃業となりました。②これに、法人精算人は残余財産整理のため、会社の建物を売却しようとしていますが、貴労組が会社敷地内に不法な仮設物(テント)を設置、占拠しており、労組事務所に備え付けてある什器を撤収していないので、この建物売却に甚大な支障を招いています。③ここに、貴労組で設置した不法仮設物を即時撤去され、貴労組の事務所も即時空けてくださるよう(退去)お願します。④もし、今後も不法な占有を続け労組事務所の退去に応じない場合、当然これによる民事、刑事上の措置や、これを理由とした訴訟に要する費用全額も受信人が負担しなければならないこともお知らせするので、この内容を受け取ったら即時に措置してくれるよう願います、というもので脅しそのものである。このような脅しは、韓国ばかりではなく(双竜自動車での労組への不当請求など)、日本でも横行している。
 すでに韓国サンケン労組(全国金属労組慶南支部韓国サンケン支会)の16名の組合員は決意を固め、1月20日オ・ヘジン支会長、キム・ウニョン副支会長が剃髪を行ない、組合潰しの偽装解散に対決し、現場復帰を誓い合っている。
 このような事態を招いたのも、サンケン電気が朴軍事独裁政権時代の1973年に、政権の反共政策の一環として当時組合結成を認めず、労働者の奴隷状態を容認することを前提として、馬山の自由貿易地域に進出した企業であり、その前近代的な姿勢が変わらず今に至っていることに起因している。
 韓国社会では、与党・共に民主党の国会議員13名がこの問題を重視し、日本の経産省、外務省、厚労省に照会を要請している。また当該地域の昌原市議会においては、全会一致でサンケン電気非難が可決され、市長、道知事も非難声明を発している。KBSをはじめ主要マスコミも特集報道を放映している。
 日本では1月21日、「韓国サンケン労組を支援する会」などによって、「解雇は許さない池袋緊急行動」がサンケン東京事務所前で行なわれ150名が参加した。この日、大阪でも70名の参加で、サンケン大阪営業所抗議行動が闘われた。2月1日にも、サンケン本社(新座市)と東京事務所に緊急抗議行動が続いている。
 日韓労働者民衆連帯の力で、韓国サンケン労組勝利を勝ち取ろう!(東京Ku通信員)


第51回釜ヶ崎越冬闘争、コロナ化でも貫徹
 反失業・野宿脱却の仕組みを

 大阪では、2020年12月28日の突入集会から、2021年1月4日の「集団野営」の終了までの「第51回釜ヶ崎越冬闘争」が闘い抜かれた。
 新型コロナ感染の「第3波」かと言われだしたのが昨秋、その10月下旬に始まった越冬闘争に向けた会議では、討論の多くが「コロナ対策」にあてられた。
 それは、500メートル四方に2万人という人口密集度、その多くが高齢化しているという地域の現実。また、行政の施策や民間の「炊き出し」等も、「感染症の拡大」を想定しておらず、ひとたび「クラスター」が発生すれば、一気に全釜ヶ崎に拡大する恐れがあるからだ。
 越冬闘争実行委員会は、「炊き出し」「パトロール」「集団野営」といった、冬の寒さから仲間の生命を守り抜く基礎的活動を「コロナ対策を徹底する」上で行なうこと、「えっとうまつり」は残念ながら中止することを決定した。
 昨春「第1波」の際、大阪市内の約20団体で結成され、取り組みを継続している「新型コロナ住まいとくらし緊急サポートプロジェクトOSAKA」との連携を深め、この共同行動による緊急相談会(12・30~1・3)も開催された。
 さて、今越冬闘争は「大々的に呼びかけず、行なう」予定ではあったが、「突入集会」をはじめ諸行動に全国から仲間が駆けつけてくれた。また、「今年は行けないが、カンパは送ります」と例年に倍するカンパが届けられ、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」を合言葉にした闘いを最後まで闘い抜くことができた。
 また、例年であれば実行委としての活動を終了した1月4日以降も、「延長戦」として連日炊き出しを続けている。
 今年も、「臨泊」を274名(2名は入院)の仲間が利用し、また、例年と比べて大きく減少したとはいえ野宿の仲間も60名と存在し、路上で寒さに震えながら年を越さざるを得なかった。
 他方、「野宿の自由」を主張し、旧センターを「占拠」して、「越冬闘争」とする諸君もいる。この「野宿を絶対視」する主張では、「排除を許さず、野宿で正月を迎えられてよかった」、「これからもガンバって野宿をしていこう」という結論しかなく、中には「炊き出し」も、「野宿者が生活保護を受けることを防ぎたい」ために行なっている部分もいるようだ。
 かって行政は、失業を理由とした生活保護の申請を、書類すら渡さず一切拒否していた。その後、「再開発」が進む中、役所は野宿者にも生活保護をとらせて路上から一掃しようとしており、とろうと思えば誰でも生活保護をとれる現況に変わってきた。それで一部の人は、「排除に手を貸すから、役所の手に乗らず野宿を続けよう」と主張している。これでは、「反行政」があたかも「反権力」であり、「革命的」であるという独善的な態度にしかならない。野宿者とはまったく無縁な、独りよがりの主張である。
 実際、「延長戦の炊き出し」に対して、「(オレたちのシマである)ここで炊き出しを配るな」とイチャモンをつける人も現われた。
 「コロナ不況」が増々深まり、今越冬では顕在化しなかったが、多くの非正規・下層の仲間が地域からはじき飛ばされ、生きる術を求めて釜ヶ崎にたどり着いてくるだろう。何もしなければ、野宿者も再び増加してくる。こうした仲間に、「毛布はここにあります、ガンバって野宿して」、「炊き出しをしますから、生活保護に行かないように」という対応だけでは、行政の無策を容認するものでしかない。
 課題は、行政の無策を批判し、失業・野宿を生み出す構造を打ち破り、「安心して働き生活できる」社会に向け、「新たなしくみ」を創り出すことだ。
 大筋で言うと、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者も出すな!」という闘いは、年が明ければそこそこに仕事があった1980年代までの闘い方であり、反失業闘争を軸とした1990年代以降は、こうした闘いと同時に「新たなしくみ」がより切実に求められている。
 「サポートプロジェクト」との連携や「相談活動」の重視と言った今回の第51回釜ヶ崎越冬闘争は、新たな歩みを始めた越冬闘争として大きな意味を持つものであった。(釜ヶ崎S通信員)

 釜歩きツアー
 
 釜ヶ崎越冬闘争の期間中、「釜ヶ崎講座」は12月31日に講座連帯行動デー、1月3日に釜ヶ崎歩きツアーを挙行した。
 31日の行動には、遠方から3名、内2名は学生の人の参加があり、コロナ禍でキャンパス内外での活動が困難な中、熱心に釜ヶ崎に連帯してくれた。この日は、夜8時から難波・戎橋への、50名の人民パトロールに参加。橋上で街宣。野宿を強いられている仲間への激励とともに、この地で1995年に起きた野宿者襲撃・虐殺事件の犠牲者追悼を行なった。コロナ状況にもかかわらず人出は多く、実行委の情宣にはかなりの人びとが立ち止り、聞き入ってくれた。
 明けて3日、釜歩きツアーは参加者約20名で、釜日労前を出発。北シェルター前、工事進行中の星野リゾート、「刑場」跡地、大衆演劇場など数々の地を巡った。ココルームで中途休憩し、今回は「ふるさとの家」で終了後の意見交換会を行なった。
 そこで、案内人の水野阿修羅さんは語った。「釜は引き続き、外からの人の流入が続いている。いろんな障がいを抱えながらも仕事を探す若者も増えている。ベトナムを中心に外国人も増え、外国人の地主や地位を持つ人も釜で目立ってきた。街の問題で言うと、たてまえを気にせず、入るも出るも自由ということが大事であって、さらに街全体で各人の次への自立へ繋げることが大事だ。このことが、人の排除と街の衰退とを、住民側から防ぐことになると思う」と。(講座会員I)