12・5釜ヶ崎講座「ハンセン病問題から何を学ぶか」
  植民地主義としての強制隔離

 12月5日、大阪市西成区の太子福祉館で、第17回釜ヶ崎講座学習会が、「ハンセン病問題から何を学ぶか」のテーマで開催された。会場には約35名が参加。また今回は、講座の新しい取り組みとしてYouTubu同時配信を行ない、15名の視聴希望者も募られた。
 話題提供者は、福田佳昭さん(虹の会おおさか{ハンセン病回復者サポーターズ}事務局長)。学習会はまず、DVD「ハンセン病療養所で受けた私の被害-断種・堕胎-」を鑑賞。これは、患者をはじめ家族の受けた生々しい迫害の記録だ。ところで、福田さん自身の今学習会へのアピール文から、その一節を記しておきたい。
 「さて、釜ヶ崎はハンセン病病歴者にとって一種のアジールでした。収容所を抜け出した人々にとって、西成に行けば仕事がある、障害があっても雇ってもらえる、ドヤにだって泊まれる、そんな情報が療養所内にありました。釜ヶ崎は彼らにも大切な街でした。」
 福田さんは、若い頃より釜ヶ崎に密着してきた人。現在もNPO釜ヶ崎で働き、一方でハンセン病問題をライフワークとしてきた人。この日は、1970年代、初期の越冬闘争の炊き出しでハンセン病歴者と出会うことからのこの闘いとの関わり、これから話が始まった。
 お話しの要旨は、①歴史の話だが、明治時代に開国が本格化して、実はハンセン病者に手をさしのべたのは、外国のキリスト教宣教師たちだった。それらに触発されて、時の政府は動いたのだ。しかし国はハンセン病者を醜い者として扱い、隔離・収容の動きをとる。1909年施行の「らい予防に関する件」がその始まりだ。全国に療養所設立。1930年以降に国立療養所が設立されていく。
 ②1910年朝鮮併合、植民地主義の台頭の中、「らい患者」の絶対隔離政策が、「満州事変」等侵略強化によって戦時下の民族浄化・優生思想と結びつく。1931年「らい予防法」制定となり、戦争に役立たぬ者としてハンセン病者は強制収容・絶対隔離の対象へとエスカレートする。また、国民は国の「無らい県運動」に積極的に係わり、病者の居所を警察・行政に進んで密告・通報し協力した。山奥に逃げ暮らすハンセン病者も、銃を構えて引きずり出し、収容し、一丸となって人権を踏みにじっていった。じつに、この考え方は敗戦後も近年に至るまで継承されたのだ。1951年の戦後「らい予防法」の成立から1996年廃止まで、患者のすべての人権は閉ざされてきたに等しい。
 ③ハンセン病当事者も、すさまじい反抗と闘争をこの歴史の中で展開してきた。療養所=強制収容所からの脱走、戦時下では1930年代の「日本プロレタリアらい者解放同盟」の大阪での結成。戦後、治療新薬プロミンを求める全国闘争の組織的展開等、共助・団結の歴史であった。そして1998年、断種・堕胎を頂点とした人権蹂躙の回復を求めての、13名の国賠訴訟立ち上げへと押し上げらていくことになった。これらが2001年、小泉政権の謝罪と補償の成果に結びつく。
 と、福田さんは分かりやすく述べられたが、また、患者・家族の人権回復にかかわる国への提訴と協議は現在も種々進行中であり、これからも終わることはないと強調した。
 質疑応答では、なぜ医療従事者や市民の中から、この理不尽な事態に声が上がらなかったのかとの質問も出された。「当時、医療分野でも不当だと意見はあったが、多くの軋轢にはさまれ、声がもみ消されることになったのではないか」と福田さんは応答。障がいや人と違う質を持ち合わせただけで違う目で見られ、気が付けば差別され排除、というのが温存される今の社会システムが想起される。まさにホローコストに匹敵する被害を、明治期以降、また近年の「市民社会」からも受けてきた患者・家族たち。
 そして、この国を貫いてきた植民地主義の歴史の中で、在日朝鮮・韓国人、沖縄人のハンセン病者の比率が低くないことを福田さんは指摘し、在日の半島出身者をして「ハンセン病は植民地病だ」と言わしめたと付け加えた。
 また福田さんは、「菊池事件」再審請求人に参加して、ハンセン病問題への関わりを引き続き私たちに求めている。(菊池事件とは、療養所出身者に対する1962年の冤罪死刑執行事件。熊本地裁への再審請求が最近開始された。)
 誰でも安心して働き生活できる釜ヶ崎をめざすこの地で、今回は福田さんのお話しを通じて、さらなる共生・協働の思いを共に感じられた学習会であったのではないか。
 最後に、第51回釜ヶ崎越冬闘争を前に、釜ヶ崎反失業連絡会の山中さんから挨拶。この1年コロナ禍の中、生活保障や定額給付金で共に主張すべきは正面から要求し、完全ではないが形として権利を実現してきた。今度の越冬闘争は従来どおりのスケジュールにはならないが、団結を強め、要求実現にもさらに力をいれていくとアピールした。(関西I通信員)


12月「19の日」国会前行動、12・18閣議決定糾弾!
 菅支持率急落、打倒の年に

 菅政権与党が12月5日に臨時国会を閉めて逃亡を図る中、12月19日の国会前では、61回めの「19の日」行動が闘われた。この「いのちを守れ!学術会議の任命拒否撤回!安倍前首相の国会喚問!改憲手続法強行許すな!改憲反対!12・19国会議員会館前行動」には、800名が参加。主催は、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委と、安倍9条改憲NO!全国市民アクション。
 前日の18日、菅政権は閣議で、12式地対艦誘導弾の射程を9百キロに延長し、相手の射程圏外から攻撃可能な長距離巡航ミサイルとして開発する方針を決定した。新型イージス艦2隻の建造も決めた。この閣議決定は、「敵基地攻撃能力」の文言を避けただけで、それを装備上では推進するものであり、先制攻撃の戦争準備である。
 一方菅政権は、コロナ対策の失敗で支持率が当初の65%から39%(朝日新聞)に急落、政治の潮目が変わりつつある。
 行動では最初に主催者挨拶、総がかり行動実の高田健共同代表が、学術会議任命拒否撤回、敵基地攻撃能力保有反対、安倍国会喚問について発言し、「1月18日開会の通常国会で、必ずこれらを追求し、菅政権を倒す」と決意を表明した。
 国会野党挨拶では、立憲民主党の石川大我、日本共産党の山下芳生の両参院議員が発言、社民党の福島瑞穂参院議員も、「自民党は通常国会で国民投票法改正案を成立させ、改憲を進めようとしている」と指摘した。
 市民からの発言では、宮子あずさ看護師(東京新聞「本音のコラム」執筆)が登壇、「医療崩壊を前に、コロナ感染防止は個人の責任と言われる。入院できない態勢を作ったのは国だ。病気になっても安心、それが国の仕事。個人の責任と責める、この分断を許してはならない。連帯させない社会を、政権は作っている」と発言。新自由主義と戦争する国との推進で、分断支配をねらう菅政権打倒を訴えた。
 また、桜を見る会を追及する法律家の会・泉澤弁護士は、「桜を見る会は、現役首相の犯罪だ。安倍は、国会喚問で事実を明らかにすべき」と訴えた。
 最後に、戦争させない千人委の勝島一博さんが行動提起。
1・14、新宿駅西口情宣(午後6時)。
1・18、国会開会日行動(正午、国会正門前)。
1・19、「19の日」行動(午後6時半、議員会館前)。
 菅打倒の年が明ける、大闘争へ。

11月「19の日」行動
  井上科技相の軍事研究要求糾弾

 また、11月の60回めの「19の日」行動は、「いのちを守れ!学術会議の任命拒否撤回!敵基地攻撃能力保有反対!改憲反対!11・19国会議員会館前行動」として、1千名が結集。
 この行動前の11月17日、参院で井上信治科学技術担当相が、「軍民両用」(デュアルユース)研究を課題に入れるよう、梶田日本学術会議会長に求めたと答弁した。この軍事研究要求は、梶田会長が学術会議の在り方についての5項目検討課題を井上に示した10月23日に行なわれたものと推定される。
 日本学術会議は、1949年創立以来、軍事目的の研究に一貫して距離を置いてきた。軍事研究に反対する声明を50年と67年に発表し、また防衛省が軍事転用可能な研究への助成制度を拡充した後の17年3月には、この二つの声明を「継承する」として助成制度の運用を批判する声明を出している。菅政権はこれに敵対して、6名の任命拒否を実行し、続けて井上担当相が「軍民両用」研究を要求したことは明らかである。
 これへの怒りの国会前行動となった。最初に藤本泰成さん(戦争をさせない千人委)が主催者挨拶。
 国会野党からは、日本共産党・藤野保史衆院議員、社民党・福島瑞穂参院議員、立憲民主党・石垣のりこ参院議員、沖縄の風・伊波洋一参院議員が挨拶。
 続いて、山積みにされた「改憲発議に反対する全国緊急署名」79万3571筆(累計105万4905筆)が、参加議員に託された。
 連帯アピールは、オスプレイいらない習志野・八千代・船橋ネットワークの金光理恵さんなど。金光さんは、「木更津駐屯地が整備拠点にされ、今後たくさんのオスプレイが東京湾や住宅地の上を飛び回ることになる。習志野演習場は落下傘部隊の基地で、周辺に百万人の市民が住むが、ここに自衛隊のオスプレイが訓練にやってくる。草の根から、オスプレイいらないの闘いを!」と訴えた。
 最後に、憲法共同センターの竹下武さんから、行動提起を受けて終了した。(東京O通信員)

11・3国会正門前3千人
  学術会議任命拒否撤回

 11月3日の日本国憲法公布記念日、国会正門前で、「平和といのちと人権を!11・3大行動」が、「憲法が生きるコロナ後の社会」を副題として開かれ、約3000名が参加した。主催は、総がかり行動実行委員会。
 臨時国会で、学術会議会員任命拒否問題の追及が始まり、この課題がメインの11・3となった。高田健さんが主催者挨拶、反貧困ネットの瀬戸大作さんなど発言が続いた。
 この大行動に相次いで、「『学問の自由』を守れ!学者・学生・市民による抗議行動」が開かれ、約800名が参加した。この主催は、安保関連法に反対する学者の会など。任命を拒否された6人のうち、小沢隆一、岡田正則、松宮孝明の3教授がメッセージを寄せた。
 その後、新型コロナ感染が菅政権の失策でまた拡大し、任命拒否追及がコロナ対策論議に隠されたようになり、そのまま12月5日に臨時国会も閉会させられてしまった。戦争のための学者統制、この追及を絶対に曖昧にしてはならない。(東京A通信員)


「三里塚大地共有運動の会」が12・6第3回総会
  市東さん土地取り上げ許さぬ

 12月6日、東京・文京区民センターで、「一般社団法人三里塚大地共有運動の会・第3回総会」ならびに「第3回総会・記念集会」が開催された。
 第3回総会は、繁山達郎事務局長から事業報告などがなされ、事業計画・予算案などの議案を賛成多数で承認した。総会は、法人化から3年目を通過し、あらためて三里塚闘争および一坪共有地運動を守り抜いていく取り組みの意義を再確認した。
 続いて記念集会。主催が一般社団法人三里塚大地共有運動の会、共催が三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)、三里塚空港に反対する連絡会で40人が参加。
 山口幸夫さん(三里塚大地共有運動の会代表理事)が、コロナ禍での空港破綻をふまえて主催者挨拶。「もう一度、三里塚の農民の闘いは何であったのか。現代社会に対して文明を見直せということを突きつけた闘いであった。12月4日、大阪地裁で大飯原発3・4号機設置許可取り消し判決が出た。原子力ムラが生き続けることができない時代になった。新しい時代に向かってより深く、思想、運動を広げていこう」と述べた。
 山崎宏さん(横堀地区)の現地報告、急逝した石井紀子さんの映像映写などの後、平野靖識さん(東峰地区、らっきょう工場)が、「三里塚はいま」をテーマに講演。
 平野さんは、「空港会社は、天神峰の市東孝雄さんの土地を、農地法を悪用して取り上げようとしている。東峰住民一同は、土地取り上げを許さない『請求異議控訴事件についての要望書』(11月30日)を高裁に出した。市東さんの土地取り上げがあれば、次の標的はらっきょう工場か、一坪共有地かもしれない。円卓会議の合意があるのだから、あらゆる意味で強制力を使ってはならない」と述べた。
 記念集会は、島田清作監事の閉会挨拶で終了した。
 (連絡会の共同報道文より要約)