〔綱領論争!新しい左派共同政治勢力へ〕

資本主義反対派運動を脱却し
  未来社会建設運動へ

                                          山崎  哲

 新自由主義下の資本主義が不可避にもたらしている戦争、貧困、自然破壊が、いま人類の生存条件を大きく壊し始めている。人民の反戦、反貧困、自然保護のたたかいが全世界的規模で拡大している。資本主義が人類の生存とますます両立しえない時代に突入している。
 資本主義が生産力を発展させる力を持っていた時代は、人民のたたかいは資本家政府に要求を突き付け、資本の横暴を少しでも抑制する資本主義反対派運動を展開する以外になかった。しかし、現在の資本主義は、自らがもたらした戦争、貧困、自然破壊という人類の生存条件を脅かす課題について解決する能力をもたなくなっている。この状況下で、資本家政府に改善を要求する資本主義反対派運動は限界を露呈し始めている。
 共産主義者は資本主義を克服した次の社会、未来社会をしっかりと見つめ、未来社会に至る変革の展望を示さなくてはならない。未来社会をいかに展望するのか。未来社会に向けて現在の運動にいかに対処するのか。運動、組織をいかに組み立てていくのか。改めて問い直されている。
 資本主義反対派運動を脱却し、未来社会建設運動に本格的に取り組まなければならない。

一、 未来社会

 未来社会は資本主義社会の次の社会である。レーニンが『国家と革命』で「共産主義社会の第一段階」と呼んだ社会と考えてよい。
 レーニンはここで、主に経済的領域を中心に未来社会を展望している。「生産手段はすでに個々人の私有財産ではなくなっている。生産手段は社会全体のものである。社会の各成員は社会的に必要な労働の一定部分を遂行して、これこれの量の労働を給付したという証明書を社会から受け取る。この証明書で彼は消費手段の公共の倉庫から、それに相当する量の生活物資を受け取る。」と。
 またその限界を次のように指摘している。「共産主義社会の第一段階」では平等な権利はあるが、そもそも人々はそれぞれ異なった能力を持ち、異なった環境におかれているので、結果として、諸個人が社会の消費基金から受け取る持ち分は「平等」にはならない。「第一段階」では資本主義的権利意識が残っているので、真の公正はまだ実現しない。不公正が残っている。資本主義的権利意識が残っている限り、権利を保護するための国家は必要である。階級はなくなっているので、他の階級を抑圧するという本来の意味の国家は死滅している。しかし、「生産手段の共有を保護しながら、労働の平等と生産物の分配の平等を保護する国家の必要は残っている」のである。
 レーニンは国家の在り方について、「共産主義の高い段階ががやってくるまでは、社会主義者は、労働の基準と消費の基準に対する社会と国家のきわめて厳重な統制を要求する。この統制は、資本家の収奪、資本家に対する労働者の統制から始められ、しかも官吏の国家によってではなくて、武装した労働者の国家によっておこなわれなければならない。」と述べている。
 「武装した労働者の国家」とは、「本来の意味の国家ではない」「特殊な機関がなくても、たんなる武装した大衆組織(さきまわりして言えば労働者・兵士代表ソビエトのような)によっても搾取者を抑圧することが出来る。」と述べている。「武装した大衆組織」が過渡期の国家を機能させる中心的な役割を持つことを指摘している。しかし、国家の形態についてはそれ以上言及していない。『国家と革命』が書かれてから100年。わたしたちは過渡期の国家の在り方について、話を進めなければならない。
 歴史上現れた「労働者国家」は、帝国主義諸国のさまざまな圧迫、干渉の中にあり、「国家」の存続を防衛するために、中央集権体制を必要としてきた。また既存の「労働者国家」は生産力の低い状態から出発しており、国の生産力を急速に高める必要に迫られていた。社会の富を少数の拠点に集中し、周辺の労働力を含む資源を搾取し、収奪する資本主義の手法によって生産力を成長させてきた。こうした歴史的制約によって、「労働者国家」に中央集権体制を余儀なくさせてきた。
 現代は、この資本主義の手法が全世界的に大きな矛盾に突き当たっている。新自由主義の資本主義がもたらしている戦争、貧困、自然破壊という人類の生存条件を脅かす危険が、既存の「労働者国家」をも巻き込んで進行している。
 中央集権国家は、商品経済を基礎とする資本主義が要請する国家形態である。これに対して、未来社会は人民の社会である。人と人、人と自然が共存し、助け合いの価値が大切にされる社会である。人民の自己統治社会である。
 人民の自己統治社会は、人民が自分たちにとって必要なものは何か、その必要な量はどれほどかを自ら計算し、計画し、生産と消費を計画的に実行する社会である。
 未来社会は人類がこれまで発展させてきた第一次産業、第二次産業、第三次産業の産業発展の基礎の上に自力更生を基本として、自律的経済を運営する一定の地域的ひろがりを基礎単位とする社会である。人口の大きさでいえば、2000万人ほどの社会が考えられる。おのれの自己統治社会と他の自己統治社会の関係は対等な連合として、地域的、世界的に協力し合う社会となるだろう。
 社会を運営するのは人民自身であり、「武装した大衆組織」がその中核となる。「武装した大衆組織」では完全な民主主義が実践される。
 「武装した大衆組織」は現在の反戦、反貧困、自然保護のたたかいの経験から、その中で生まれる。現在のたたかいと未来社会の建設をつなぐ柱は現在のたたかいのなかから生まれる「過渡的要求」である。共産主義者の当面の任務は「過渡的要求」を明確に示し、「過渡的要求」のもとに労働者人民を組織し、団結させることによって、資本家政府を打倒し、「労働者国家」を打ち立てることである。

二、 過渡的要求

 資本主義から未来社会への発展の過程には、過渡期として、中央集権的な国家資本主義の時期、「労働者国家」の時期を経なければならない。政治制度としてはプロレタリアートの独裁期である。未来社会に向けて政治、経済、社会の環境、制度を準備していく時期だ。
 資本主義を打倒し、「労働者国家」を組織する過程で、共産党が運動、組織を主導的、献身的に担うのは当然ありうることだ。しかし、ここからプロレタリアート独裁が共産党独裁と混同される傾向がみられる。既存の「労働者国家」では生産力の急速な発展が課されていてたために、中央集権国家が長期に存在し、共産党独裁が生まれる一定の条件が存在した。しかし、未来社会への発展の段階では運動、組織は労働者人民の自己統治組織に立脚しなければならない。
 労働者人民の自己統治組織とは、レーニンのいう「武装した大衆組織」のイメージだ。「武装した大衆組織」の”武装した”という形容は他の武装した国家、組織からの武力による抑圧、干渉に対しても対抗しうる”自立した”組織、必要とあらば武力的にも対抗する能力を持つ”自立した”組織ということである。
 「武装した大衆組織」は現在の反戦、反貧困、自然保護の広範なたたかいの中に源泉を持っている。いま現在、全世界で資本主義がもたらしているこれらの課題に対して、人民が自立したたたかいを組織している。現在の人民の個々のたたかいは資本主義の下でも部分的には解決しうる課題があるかもしれない。人民の意識は資本主義そのものに対する批判ではなくて、資本主義の下での人民の欲求、要求、権利の主張であるかもしれない。個々のたたかいの集合だけでは、資本主義を廃棄し、未来社会を建設する意識は形成されない。
 反戦、反貧困、自然保護のたたかいは資本主義がもたらした人類の生存条件と矛盾する課題への挑戦である。資本主義を廃棄して、未来社会を築く以外には根本的解決が得られない課題である。また未来社会に至れば基本的に解決しうる課題である。
 共産主義者の当面の任務は反戦、反貧困、自然保護の個々のたたかいから、資本主義を廃棄し、未来社会の建設に結び付けるために、現在のたたかいのなかから、根本的解決をめざす「過渡的要求」を導き出し、スローガン化して、現実のたたかいの個別性を突き抜け、課題の根本的解決をめざす大衆運動の意識性を指導することである。
 例えば、ロシア革命の大衆的スローガンは「平和、土地、パン」であった。1919年、ロシア人民は帝政が第一次帝国主義世界大戦に参戦し、人民の生活を圧迫していた。農村経済が主要な産業であったが農民は大地主に土地を占拠され、自分の土地を持てなかった。この状況下で、「平和、土地、パン」の要求は多くの人びとのスローガンになった。1917年2月、ロシア人民は各地でソビエトを組織し、帝政を打倒した。臨時政府が樹立された。しかし臨時政府は帝国主義戦争からの撤退も土地改革も実行できなかった。ロシア共産党(ボルシェビキ)は「平和、土地、パン」のスローガンを実行するために、10月革命を指導し、ソビエト政府を組織した。直ちにドイツ帝国との講話(ブレストりトフスク講話)を実現した。農民への土地革命を行った。ロシア革命の「平和、土地、パン」は「過渡的要求」として機能した。
 「過渡的要求」はそれ自身、権力奪取を求めるスローガンではないが、時の支配階級の利害を体現する政権では果しえない課題であり、権力を打倒し、新たな人民の政権によって、実現する人民の要求をまとめたものである。人民のたたかいによって時代が変わる時期に人民のたたかいの軸になる重要なスローガンとなるものである。
 いま、日本の人民の運動のなかに、「8時間働けば暮らせる社会の実現を」というスローガンがある。8時間労働制は100年を超す世界の労働運動の中心的課題であった。法制度としての8時間労働制は実現されても、実質的な8時間労働制はいまだ実現していない。労働者人民が要求しながらも、資本主義の下では実現できない課題である。
 資本主義が新自由主義の段階に至って、資本は大量の貧困層をつくり出してきた。大量の貧困層をおくことによって安い労働力の利用、労働力の流動化などをつくり出し、利潤の最大化をもくろんできた。現下の資本主義の下では「8時間働けば暮らせる社会の実現を」は、ますます解決しえない課題となっている。「8時間働けば暮らせる社会の実現を」の要求は、「最低賃金1500円」の要求と不可分の要求である。時給1500円が保障されなければ、年収300万円は維持できない。「最低賃金1500円」がなければ、8時間労働では安定した生活を送ることはできない。年収300万円以下は貧困層と言われている。このスローガンは、社会の貧困を撲滅するたたかいの象徴的なスローガンでもある。
 このスローガンは資本家政府の下では解決しえないスローガンである。人民の要求を実現するのには、現政権に代わる新たな人民の政権を打ち立てる以外にない。「8時間働けば暮らせる社会の実現を」のスローガンを発展させ、新しい人民に立脚した政権を打ち立てるスローガン、すなわち「過渡的要求」に成長させることは可能と思われる。
 反戦、自然保護のたたかいのなかからも、「過渡的要求」となるスローガンを発見していくことが必要だ。課題の実現を迫って、新しい人民の政権を打ち立てるたたかいに人びとの意識を組織していくことが重要だ。「過渡的要求」は、時代が新しく変わる時期の人民のたたかいの重要な要素だ。
 未来社会建設のたたかいは現在の反戦、反貧困、自然保護のたたかいのなかから組織され、引き継がれて、資本家政府を打倒し、「労働者国家」を樹立する中で、新たなステージへ進む。この事業は「武装した大衆組織」すなわち人民の自己統治組織を推進力として展開されていくことになるだろう。いまわれわれはその端緒についているところだ。(了)