強権NO連帯YES!
     新型コロナ災害緊急アクション 相談電話 090‐1437‐3502

 異例の書き直しとなった新型コロナ対応の今年度補正予算が、4月30日に成立した。
総額25・7兆円で、全ての人一律10万円給付に12・9兆円、減収小規模事業者への最大100万円(法人200万円)給付に2・3兆円。これらの直接給付も一回きりで、支給は遅い。緊急医療支援はわずか1490億だが、収束後の消費喚起策は巨額の1・7兆という異常さである。こんな補正予算案でも、国会野党は(れいわを除いて)、政府の転換(減収世帯30万から一律10万へ)を評価して賛成した。
 これでは、路線の対置ではなく、追加措置を求める条件闘争にとどまる。緊急事態宣言は4月7日に強行され、16日に全国拡大、5月6日以降も延長されんとしている。{要請」「自粛」だから補償なし、それでも「第3次世界大戦」(安倍首相)に協力せよ、を続けるのか。必要なのは、国家の非常時宣言ではなく、「いのち」「くらし」のための市民連帯宣言である。(編集部)


社会の崩壊とどう闘うか
     自治・連帯・共生社会を求めて
                       松平 直彦

 新型コロナ肺炎の世界的大流行と、それを契機とした金融バブルの崩壊とによって、社会が崩壊していく一時代の幕が開かれた。この時代は、人が生きるためには、資本主義に代わる新しい価値観と社会システムを創造することが問われる、そうした時代になる。社会を建直すことができなければ、人類史はここで終わる。崩壊との闘いへ、共に踏み出そう。

    Ⅰ 新型コロナ災害との闘い

 新型コロナ肺炎の大流行の原因は、自然破壊、都市への人口密集、格差・貧困である。この三要因そのものは国家の下において、利潤を目的とする資本の自己増殖運動がたえず生み出す諸結果である。今日の特殊性は、それらがいまや人類社会の存立と両立しえないレベルに到達した点にある。
 ブルジョア階級は、社会の存立をとるか国家・資本主義をとるかという絶望的選択を迫られて右往左往しながら後者に固執し、人類社会を崩壊の淵に引きずり込みつつある。コロナ事態の中でわれわれが眼前にしているのはこれである。我々は、人類社会の未来を拓く。

 ① 自然との共生関係の再構築を
 そもそもウイルス類は、細菌類などと同じように、人類とこの地球生命圏において共生している存在である。採集・狩猟時代にもウイルスが、人類社会の中へと生息域を広げて人に害を及ぼすということがそれなりにあったろう。しかし当時の人類社会は、疫病が全人類的に蔓延する生活スタイルには程遠かった。
 資本主義社会になると人類は、対象的自然を「征服」の対象とするようになる。その推進主体は国家と資本、その武器は自然科学と産業の発展であった。当時は、対象的自然の限界をあまり意識しないで済んだ時代だった。治療薬が開発されて、病が次々と退治され、公衆衛生環境が目覚ましく改善された。
 しかし今日、そのような国家と資本主義の下での産業発展時代の一側面は過去のものとなっている。産業の成熟によって、自然破壊が地球環境限界を越え、地方の犠牲の上に巨大国際都市が肥大化し、絶対的過剰人口が形成され格差問題が深刻化した。社会の存立が危うくなっている。このことは、「発展途上国」を含むグローバルな視野でみるとより明確になる。今回の疫病の大流行は、そのことを明白にした。
 安倍首相は、目に見えないウイルスへの人々の恐怖を利用して対新型コロナ「第三次世界大戦」論を叫ぶ。それは、自然に対して「征服」で臨む資本の本質的態度だというだけに止まらない。それは、疫病の大流行を招いた自己の統治責任を覆い隠そうとする態度でもある。
 即ち第一に、国家を私物化してきた悪事の数々の隠蔽に精力を割いて、疫病への対処を軽視したこと。第二は、オリンピック開催のために疫病の蔓延を過少に見せようとPCR検査をサボタージュしたこと。第三に長年にわたって、医師養成の制限や保健所の整理など、災害時に備えた医療・保健体制を弱め、資本による金儲けのための医療・保健に置き換えてきたこと、である。誤りを認めない指導者は、より大きな災いを招くものである。
 ともあれ新型コロナ肺炎を大流行させたのは、コロナではないということである。我々は、対象的自然との共生関係の現代的な再構築を戦略的目標としていかねばならない。ウイルスに人への感染力を獲得する変異を起こさせるような「開発」志向をやめ、対象的自然との関係の質的豊かさ・量的定常化の道を見出すことである。それと同時に、保健的、医療的な「備え」がなければならない。真の敵はコロナではない。国家と資本主義であり、安倍政権なのだ。

 ② 世界史的趨勢の変化-集中から分散へ
 新型コロナ肺炎大流行のもう一つの原因は、巨大国際都市への人口集中構造である。
 資本主義は、人口の急激な都市集中をもたらした。まず工業化を促進し、農業人口を削減・動員することによって。さらに世界的な投機マネーの肥大化と経済の情報化、サービス化を促進し、工業部門から、また発展途上諸国から人口を移動させることによって、巨大国際都市を出現させた。
 しかし今日のように、産業が成熟し自動化が高度に進むと、その土台の上に出産・育児・保育・教育・学習・保健・医療・介助・死別・自然環境保護、さらには学問・文化・芸術などほんらい関係性の豊かさを育む社会活動領域が広がっていく。人と自然、人と人の関係性の豊かさを求める社会は、巨大都市と過疎の対立構造と両立しない。
 求められる社会は、住民自治の発展、人間の誕生・成長・死別を支え合う地域生活の充実、対象的自然と身近に関係の持てる環境が備わった適度に分散した地域社会の連合であるだろう。従ってそれは、単に既存の巨大都市を分散させればよいというものではない。個に解体されてきた関係の再構築、自治・連帯・共生の関係の育成を伴うものでなければならない。
 新型コロナ感染予防対策として、「三密」を避け「ソーシャル・ディスタンス」を保つということが言われている。適度な物理的距離を保つというのは良い。しかしそのことが、関係を疎遠にすることにならないようにすべきだ。疫病が蔓延する場合、人と人の相互不信が掻き立てられ、社会的差別が助長される。為政者がそれを利用し増幅して政治的保身に利用する現実がある。こうした否定的現実に抗して、民衆が助け合い、いっしょに生き抜く関係・新しい社会システムを創造していくことが大切なのである。
 これからの社会の基幹を成す上記の諸活動は、私的財産権に基づく諸々の「権利」や「等価交換」といった制限を越えて助け合うことなしには、円滑に機能しない。それは新型コロナ肺炎との闘いにおいて、医療や介助の現場をみれば明白である。
 ただし「滅私奉公」とか、「利潤目的」というのがある。これは、「権利」や「等価交換」といったブルジョア民主主義的地平を反動的に「越える」価値観であり、国家と資本のために人を犠牲にする道を、無制限に開くものである。我々は前に向かって、民衆の自治・連帯・共生関係を豊かにするために、狭い制限を越えるのである。

 ③ 格差・貧困問題の解消へ
 疫病は人を選ばないと言われる。今回のコロナでも、イギリスのジョンソン首相が感染した。とはいえ疫病大流行の背後には、いつでも差別と貧困が存在している。民衆は新型コロナ蔓延の中でも居住、通勤、労働、買い物など、経済的理由から「密」環境を強制されている。感染を疑っても検査さえ受けられず、感染がわかっても病院をたらいまわしだ。特に安倍政権は、今や統治体制の重要部分として登場した医療体制を守るために、民衆の感染死を放置・隠蔽する戦略をとっている。しかしかえって医療体制の外部に感染の大津波を生み出し、医療の崩壊を招いている。格差・貧困に苦しむ民衆の、形を変えた逆襲と言えるだろう。
 国家は民衆に対して、外出自粛と休業の強要する。それは民衆にとっては、コロナで死ぬか、飢え死にするか、といった選択である。財政破綻のおりだから、まともに休業補償も所得補償もしない。しかし大資本に対しては、生き延びさせる支援を惜しまず、V字回復の布石に精を出す。大軍拡、辺野古新基地建設、米国製兵器爆買いをやめようとしないし、オリンピックを中止しようとしない。要するに、民衆の犠牲の上に疫病の大流行を乗り切り、再び資本主義の繁栄を謳歌しようという訳なのである。
 これに対して最も大事なことは、生存の危機に陥っている人々に寄り添い、生活を建直し、そして反撃していくことだ。雇止め、派遣切り、解雇との闘い、失業者の闘いが増大する。しかし経済成長時代の闘い方からの転換が必要だ。大量失業の時代、社会が崩壊していく時代の民衆運動の在り方が求められる。
 メシと屋根の組織化を背景とした闘い、新しい価値観と社会関係を創造していく意識性が問われる。我々には、90年代初頭のバブル崩壊後の経験・運動のそれなりの蓄積がある。それを足掛かりに、崩壊の時代に立ち向かっていかねばならない。
 
 Ⅱ 金融バブル崩壊にどう対処
 
 コロナを契機に金融バブルがはじけ実体経済が崩壊すると、本格的な崩壊の時代に突入する。その過程は既に始まっており、備えがなければならない。

 ① 大資本・大資産家の財産を没収し、生活物資を無償で分配する
 2008年リーマンショックの際の金融バブルの崩壊は、その後の中国における産業(世界史的には陳腐化した耐久消費財産業)の発展によって克服された。市場規模の巨大さの効果に他ならなかった。しかしいまやその中国も、米・欧・日とならぶ産業成熟国になろうとしている。
 産業の成熟が一段と世界史的な事態となったことで、過剰貨幣資本と過剰労働力の大規模な吸収を可能にする新産業の勃興はありえない。そうした時代においては、財政出動や金融緩和でマネーを大資本へといくら大量に供給しても、経済的波及力は生まれず過剰貨幣資本を肥大化し財政破綻を招くだけだ。
 結局資本は、ゼロサムゲーム的な展望なき抗争を熾烈化させ窮極の独占の形成へと突進しながら、過剰貨幣資本を一層膨張させ、その対極に失業人口を一層増大させる。新型コロナ肺炎の大流行を契機にしてはじまった人々の間の相互不信の醸成と関係の崩壊が、一段と進行していくことになる。それらは、人々の生存を危うくする。
 予想されるこうした事態を打破するには民衆が団結すること、ブルジョア階級に代わって社会秩序を回復すること、大資本と大資産家の私有財産を没収し、賃金制度を介することなく生活のために必要な物資を無償で分配ことが必要となる。それは、自治・連帯・共生の社会への第一歩となるに違いない。

 ② 自治・連帯・共生の社会へ
 産業が成熟段階に到達し、大量失業が長期に深刻化していく時代には、物質的富の私的所有、労働賃金という形態による分配、等価交換による配分調整という資本主義のシステムは、人々に飢え死にを強制するシステムとなる。
 たほう資本主義に代わるシステムは実現可能である。いまや経済的諸要素の配分調整もネットワーク装置が代替しつつあり、生産と分配の自動化がすすむ。物質的豊かさの実現によって、人と人、人と自然の関係の豊かさへの欲求が高まり、それが社会の中心的欲求(目的)となっていく。新たな欲求を推力に、住民自治、地産地消の循環型経済、自然との共生、贈与経済のネットワークを土台とした助け合い社会が現れる。

 ③ 国境を超えて連帯し、第三極政治勢力を
 新型コロナ大流行への対処にせよ、金融バブル崩壊への対処にせよ、国境を超えた助け合いが欠かせない。しかしアメリカ帝国は衰退と分解の色彩を濃くし、むしろアメリカ自身が「自国ファースト」を掲げてこれを促進。米中覇権争奪も収束させようとする気配さえない。そうした中で日本も、韓国に対して植民地支配の謝罪・賠償を拒む態度を強めるなど、排外主義的傾向を増幅させている。
 人類社会の存立の危機を前にして国家とブルジョア階級は、国際協力を組織する意思も能力も欠いていることを自己暴露している。労働者民衆が国境を超え手を携えて起たねば、人類の未来は危うい。
 社会の崩壊は、旧い体制が用済みになったことを意味する。このためブルジョア階級は逆に、自己の国家にしがみつき、民衆に対する監視・分断・弾圧に全力をあげる。日本では緊急事態条項を盛り込む改憲が目論まれている。しかし今日進行中の社会の崩壊は、国家がコントロールできるレベルを越えつつある。
 新型コロナは人類社会にとっての「黒船」となるだろう。全世界が新型コロナに対する「攘夷」を叫び、大揺れになっている。だが遠からず、アメリカ「幕府」と各国の「佐幕派」政権は統治責任を問われ、「討幕」が前面化する。我々は、「討幕」と「社会革命」をめざす戦列を、多様な動揺的部分と一線を画しつつ、立ち上げなければならない。まずそこからだ。
 国境を超えて連帯し、第三極政治勢力を形成しよう!