〔綱領論争!新しい左派共同政治勢力へ〕

自然と共生し、人の関係を豊かにする社会を
  新たな政治勢力を形成するための諸課題       
                                      松平 直彦


 人類史的危機を打開する政治勢力の形成は、それを妨げる次のようないくつかの傾向を克服する作業と共にあります。第一は、資本主義の発展・産業の発展時代(19-20世紀)の理論と運動に固執する傾向の克服。第二は、ソ連の崩壊や中国の変質を自己の問題として捉えられない傾向の克服。第三は、産業の成熟・資本主義終焉の時代に正しく対処できない傾向の克服。第四は、政治革命の現代的特殊性を掴もうとしない傾向の克服です。

① 19-20世紀の革命理論に対する保守主義的傾向の克服

 今日、マルクス、レーニンに代表される革命の理論が、基本的に通用しなくなっています。社会が変化し、過去の社会の在り方が副次的要素でしかなくなってしまったからです。そのことは、「マルクス・レーニン主義」を信奉してきた左翼の衰退に現れています。そこにおいて、修正主義派と革命派の違いはありません。
 一つは、産業(特に機械制大工業)労働者を革命主体だとし、資本蓄積(産業の発展)と共に進行する労働者階級の数と結束と反抗の増大が革命を必然化するとしていた点です。今日の現実は、産業の成熟によって資本の新規投資領域が産業領域において失われていく時代に世界的に入り、資本は過剰貨幣資本(投機マネー)の膨張へ、その対極に失業者群が増大する、という時代となっています。いまや本当の意味で、資本主義が社会を成り立たせるシステムではなくなっているのです。二つは、まずもって既存の国家を転覆し革命国家を樹立することだとし、生産手段の国有化をテコに社会革命を展望していた点です。今日の現実は、社会の崩壊が進む中で非営利・協同・連帯を特質とする新しい社会システムづくりが広がっています。それは国家を必要としない社会、そのような時代の到来を引き寄せるものでもあります。三つは、革命組織の建設において、中央集権的な官僚機構の建設を核心としていた点です。今日の現実は、横のつながるネットワークを介して情報の収集・方針決定・相互調整が可能な時代になってきています。国家廃絶の技術的条件の成熟です。
 こうした現実社会の変化の中で、旧来の革命理論に対する保守主義的傾向は、歴史の遺物になってしまっています。

② ソ連の崩壊や中国の変質を自己の問題として捉えようとしない傾向の克服

 これは、19-20世紀の共産主義運動の総体としての終焉を事実として受け入れようとせず、「社民主義批判」「スターリン主義批判」をもって、総体的な終焉から自己を救い出そうとする病で、革命派を自認する部分の一部が陥っている傾向です。
 ロシア革命や中国革命が勝利し、そして終焉した時代は、産業が資本主義の下で力強く発展していた時代でした。「一つの社会構成は、全ての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することは決してなく、また新しい高度な生産諸関係は、その物質的な存在条件が旧い社会の体内で孵化し終わるまでは、旧いものにとって代わることは決してない」(マルクス)とするならば、あの時代は、新しい高度な生産諸関係が資本主義にとってかわるはずもない時代でした。
 実際、先進資本主義諸国では、産業の発展をテコに資本の支配秩序が強化され、労働者階級の階級闘争が制度的に組み込まれ、上層が買収され取り込まれていく過程が進行しました。それを背景に、先進資本主義諸国において社会民主主義が潮流的に登場したのでした。
 こうした中でプロレタリア革命は、先進資本主義諸国では起こらず、遅れてブルジョア革命に揺れていたロシアや中国で勝利しました。人口中圧倒的割合を占めていた農民階級を味方に引き寄せた労働者階級が、地主支配を打倒するブルジョア革命の渦中で、生まれたばかりで不安定なブルジョア国家を打倒し革命国家を樹立したのでした。その過程では、帝国主義列強の世界市場再分割戦争の勃発と反帝民族独立運動の高まりが有利に作用しました。
 しかしロシア、中国においては、革命国家が樹立されましたが、国家をテコに共産主義社会に向かう社会革命を遂行しようとした途端、壁に突き当たらざるを得ませんでした。当の民衆は、飢餓からの脱出と物質的豊かさを求め、それに適した資本主義と市場経済を必要としていたからです。その為ロシアは、党支配を維持するために国家資本主義を基幹に立て、党・国家官僚ブルジョアジーの国へと変質し、そして1991年のソ連の崩壊へと至りました。
 また中国は、党・国家官僚ブルジョアジーの支配の確立、その転覆を目指したプロレタリア文化大革命(再度の政治革命)とその敗北、「改革・開放」による資本主義的高度成長と大国化という道をたどりました。
 つまり19-20世紀の共産主義運動は、資本主義がその歴史的役割を果たし社会を成り立たせていた時代に、これに挑んだのでした。政治革命に勝利しても、社会革命の条件の未成熟という絶対的壁に突き当たらざるを得ず、党・国家資本主義へと変質する以外ありませんでした。先進資本主義諸国における革命派が、この時代に極少数派・反対派の壁を越えられなかったのも、そうしたことの一面だったということでしょう。
 19-20世紀の時代に社会革命の諸条件が存在したとする態度は、克服されなければなりません。なぜならそのような態度は、社会革命の諸条件を見誤っていたことを認めない態度だからです。
 機械制大工業の発展時代とは、精神労働領域(とりわけ官僚機構と市場)の専門化・特権的地位を不可避とした時代。人々の主要な欲求が出世と収入増にあり、資本主義発展の推進要素だった時代。新産業領域を残されていたことで、資本主義は社会のそうした欲求に繰り返し応え得た時代でした。機会制大工業の発展、それに伴う資本の集中集積-独占の発展、資本-賃労働関係の拡大再生産などは、むしろ資本主義が社会を成り立たせていたあり様であったと言えます。

③ 産業の成熟・資本主義終焉の時代に正しく対処できない傾向の克服

 産業が成熟段階に到達し、物質的豊かさを享受できる生産力を手にしたことで、人々の欲求は、物質的豊かさの追求から離陸し、人と人、人と自然の関係性の豊かさを求める領域に入りだしています。私たちは、国家と資本主義を社会の基幹すえ、関係性を犠牲にすることで物質的豊かさの実現へと突進してきた社会の在り様を根底から変革する時期を迎えているのです。
 国家と資本主義の下では、産業の成熟は、一方における貨幣資本の過剰化と他方における失業人口の膨張をもたらし、「生産関係に規定された」ブルジョア階級と労働者階級という階級秩序の崩れをもたらしつつあります。
 この崩れは、新しい社会関係形成への過渡である訳ですが、この過渡状態を美化する傾向が登場してきました。それが、ネットワークでつながる多数多様な人々(「マルティチユード」)の「民主主義」を社会変革の目標とするネグリ的主張です。「権利」というブルジョア的価値観を民衆レベルでさらに徹底拡張することで、ブルジョア的階級秩序の崩れに対処しようというものです。
 産業発展時代のブルジョア的階級秩序が崩れることによって生み出された人々は、既存のエリートと対立し、したがって新しい社会を目指す左翼の基盤にもなり得ますが、しかし国家の力に頼って古き良き時代を取り戻そうと幻想する極右の基盤ともなり得ます。今はやりの「ポピュリズム」とは、この層の過渡的・流動的性格を、支配層の立場から批判的に評した言葉と言えるでしょう。

④ 政治革命の現代的特殊性を掴もうとしない傾向の克服

 人類は、産業の成熟(物質的豊かさの実現)という地平の上に立って、物質的豊かさを求めて関係性を犠牲にしてきた時代から、関係性の豊かさを求める時代へと離陸しようとしています。しかし資本主義がその桎梏となっているのです。事態を放置すれば遠からず、人間社会の崩壊・地球生命圏の崩壊、が現実化するでしょう。国家はこの危機を前に、公的機能を放棄して巨大投機マネーと多国籍企業のあからさまな擁護者に転じて危機を加速させ、民衆に対する監視と抑圧を強めています。
 こうした中で人々は、社会の再建と地球環境の再生へと動き出しています。とはいえ依然多くの場合、国家と資本主義を取り除く政治を欠いたままです。
 また今日の人類史的危機を打開する社会変革は、既存の国家の転覆を不可欠とはしますが、これまでの歴史上の革命のように新たな国家の樹立へと帰結するのではなく、国家の廃絶へと至る革命になります。その諸条件が成熟しています。
 この社会変革の旗印は、ブルジョア革命の旗印であった「自由・平等・博愛」を民衆的に拡張した「権利」の要求ではありません。目指すのは、「権利」を主張しなくても、「権利」を保障する民主主義的な国家が存在しなくても、必要な物が手に入り、必要な協力が得られ、能力に応じて貢献できる社会の実現です。この革命は、物質的生産諸力の発展が「産業の成熟」(物質的豊かさの実現)へと到達したこと、そのことに促されて、人々の欲求が物質的豊かさから関係性の豊かさへ離陸する時代に入ったことに拠っています。
 国家を打倒し廃絶する事業において大事なことは、人々の「関係性の豊かさへの欲求」に訴え、これを価値観へと高め、政治(勢力)化することです。
 もちろん政治革命においては旧来のような、「権利」のために闘う人々との共同は不可欠です。否、既存の国家を倒す戦列においては、そうした人々が圧倒的多数を占めます。しかし来たるべき革命の性格は、そのことによって決まるのではありません。これまでの歴史上の革命がそうであったように、新しい社会の価値観と新しい社会システムの形成を先導する社会勢力が社会変革の性格を規定するのです。
 「権利」のための(民主主義的な国家を求める)闘いは、社会の崩壊が進む程に多数多様化していきます。それは、既存の国家に分断統治されやすい弱点を抱えているということでもあります。助け合い社会の形成と国家の廃絶を目指す人々を推進翼として政治的に登場させること、そのことによって初めて「権利」のために闘う人々の怒りと数の大きさが力になるのだと思います。
 今日の革命は、政治革命の領域においても、今日的な目的意識性が問われているのです。(了)
 
(初出は、「自然と共生し、人の関係を豊かにする社会を――「社会変革のためのプラットホーム(案)」(反戦実)の紹介を兼ねて」『共産主義運動年誌第20号2019年』で、その第3章)