「いのち」よりも「国家」優先
   緊急事態宣言に断固反対する!

 現在、東京をはじめとして大都市で感染者が日に日に増大する中、新型コロナウイルス対策特別措置法にもとづく非常事態宣言が出されるのかどうかが、大きな関心事となっている。
 安倍首相らが、東京五輪の今夏開催を維持していた時期には、検査が抑制されて、都内の感染者増加は微々たるものであった。しかし五輪「延期」へ転じると、急に遠慮会釈なく確認された感染者数が増えだした。政治的な作為と世論操作を疑わざるをえない。
 我々は、コロナ感染の今後のいかなる状況においても、安倍首相の強権政治・改憲政治の産物であるコロナ特措法および非常事態宣言に断固反対する。そして国家権力による支配・統制としてのコロナ対策ではなく、主権者国民である労働者民衆、医療・保健の従事者、自治体・国の行政サービス、これらの連帯・連携としてのコロナ対策が推進されることを求める。
 新型コロナ特措法(改正新型インフルエンザ特措法)は、3月13日成立し翌日施行された。最大野党の立憲民主党などによる統一会派は当初は、非常事態宣言に国会承認を求めていたが、国会事前報告という付帯決議が付いたとして賛成した。しかし、「とくに緊急を要する場合を除き」事前報告という付帯決議であり、行政権独走を拘束できるものではない。首相は、国会休会中でも非常事態宣言を発動できる。
 反対したのは、日本共産党、れいわ新選組のみで、野党統一会派の中からは衆院では、立民の山尾志桜里、阿部知子、参院では社民の福島瑞穂、国民民主の足立信也が、また衆院無所属の寺田学が、反対あるいは欠席で抵抗した。
 安倍首相が緊急事態宣言を出せる態勢として、コロナ特措法にもとづく政府対策本部が3月26日に設置された。特措法によると、安倍が緊急事態宣言を出すと、都道府県知事が、住民への外出自粛要請、学校・保育所・福祉施設などの閉鎖要請や指示、集会・イベントの中止要請や指示、立入拒否に対する罰則付きで土地・施設の強制使用などを行なうことができる。また首相は、指定公共機関(独立行政法人、赤十字、NHKなど)に必要な指示を行なうことができる。民放を含むのかどうかが国会で問題となったが、有事法制でいう指定公共法人(官民の医療・運輸・放送などに広範な動員が掛けられる)との境界は曖昧だ。
 このかんの東京都知事などによる土日の外出自粛要請、それに伴う商業施設の営業自粛は、緊急事態宣言の先取りであるが、感染拡大の低減に一定の効果は認められる。「三密」を避け、感染リスクを意識した生活はすでに一般化している。図書館など公共施設の閉鎖は、過剰すぎる次元にすらある。
 これ以上、何をやれというのか。感染拡大に対応できる重症者への医療体制の構築など、真っ先にやるべきことをやらずに、有事演習の国民統制が先に来るのか。そんなアベ政治は、即刻終わりにしよう。(W)


文科省3・24通知―またもや教育への不当介入
  学校再開は地域が決めること

 新型コロナ感染拡大防止のためと称して実施された全国一斉休校をめぐり、文部科学省は3月24日、学校再開へ向けた指針を都道府県教育委員会などに通知した。
 しかし、学校保健安全法20条は、臨時休校は学校設置者の権限と定めている。学校再開等は各市町村の教育委員会が現状をふまえて決定すべき事柄で、文科省は再開に向けた指針を通知する立場にはない。
 萩生田文科相は、「患者が出ていない地域まで休校にする必要はなかった」、「効果より、家族の負担が大きかった」など高まる批判をかわして、安倍政権を守るために、あえて今回の通知を行なった。もう一つの狙いは、新学習指導要領など国家主導の教育の強化である。
 指針は、4月再開に向け、「学校設置者の判断を優先するが、都道府県ともよく相談してほしい」としつつ、再開の条件について、また感染者が出た場合の対応などについて、こと細かく要請している。また今後オーバーシュート(感染爆発)が起きた場合、国から改めて休校を要請する可能性もあるとする。
 極め付けは、「一斉休校で学習に著しい遅れが生じないよう、2020年度の教育課程内で補習授業を行なうこと」や、「各自治体の判断で、長期休業の短縮や土曜の授業も可能」としている点である。
 文科省は、「要請」と言いながら、細部にわたって「指示」している。あくまでも地域教育委員会主導の対応を許さず、国家の統制下で学校再開を実施しようと身構えている。安倍首相による一斉休校「要請」は、教育基本法でいう明白な「不当な介入」であったが、今回の文科省通知も、地方教育行政法での文科相の関与権限を拡大解釈し、逸脱する不当介入である。
 通知は、教育現場を混乱させ、子どもたちに負担を強いるものである。その一つが休校に伴なう補習授業の実施である。
 17年3月告示の新学習指導要領は、前指導要領に比較して学習内容が大幅に増え、教科書の平均ページ数が10%増、新設の英語科を含めると14%強増加している。それは、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げた98年指導要領と比較すると、1・8倍にもなる。
 授業時数も大きな問題である。今年3月までの小学校の授業時数は、児童会活動等を加えて5~6年生で一週29時間になる。過酷な時間割表である。それでも新指導要領は、3~4年生に英語で一コマ(=45分)、5~6年生で二コマを加えている。
 文科省が求める20年度教育課程内の補習は、困難である。土曜日の授業や夏休みの短縮が強いられるにちがいない。子どもたちに余裕のない学校生活を強い、教職員には過重労働をさらに強いることになる。
 文科省の前提は、20年度教育課程の実施にある。これは、一次・二次安倍政権の教育改悪を全面的に適用した最初の指導要領としてある17年告示の新学習指導要領、これを貫徹したいということである。新指導要領は小学校では、今年4月から実施に入る。ここに学校再開の意図がある。
 また、先述20条など地域の教育委員会権限を一つずつ奪い、教育の国家統制を強める意図も見逃せない。
 本来、コロナ対策でも、地域の教育委員会が現状を把握し、休校・再開等の対応を決めることが筋である。国は、そのための情報を伝え、医療体制を整えるのが責務である。
 同様に国の責務は、教育の内容や方法をあれこれ指示することではなく、教育条件の整備にある。地域住民の教育要求を基礎にした教育と本来の教育委員会制度の実現、これが求められている。(教育労働者O)
 

東京五輪の費用・施設は、全てコロナ対策に回せ!
  「延期」ではなく「中止」を

 今夏開催予定であった東京オリンピック・パラリンピックが、新型コロナウイルス感染の世界的で急速な拡大によって、「中止」になった――と普通はなるところであるが、五輪史上に例のない「延期」という異常な扱いになった。ちょうど一年延期の来年7月23日に開幕するという。
 しかし、このさい東京五輪は、「延期」ではなく、潔く「中止」とすべきである。延期の追加負担だけでも3千億円といわれる。五輪の開催費用と施設を、新型コロナ感染症対策およびコロナ大恐慌での国民生活支援に、全て回すべきなのである。
 今からでも遅くはない。開催都市・東京の都知事と開催国・日本の首相が、コロナ対策で「返上」しますと英断すれば、主催者の国際オリンピック委員会IOCは承諾するしかない。いまだにマスク一つまともに供給できない無能無策な安倍首相が、「人類がコロナに打ち勝った証しとして開催を」などと言っても虚しい。屍の上に五輪の栄光なのか。
 もともと東京五輪は、安倍政権が福島原発事故収束のでっちあげを世界に演出し、日本人は偉い式の偏狭なナショナリズムを煽るために、また「3・11」後の資本のための有効需要策として企画され、またIOC関係者に賄賂を渡して開催が決まったもので、史上稀にみる汚いイベントである。
 こんなものに利用され、翻弄されるだけなら、アスリートもサーカスの動物にすぎない。しかし実際は、3月初旬で、予定どおりとしているのは日本とIOC幹部だけで、世界のスポーツ界では「不参加」「中止」が大きな世論となっていた。このまま行けば混乱の末、中止である。そこに3月12日、トランプが「延期すべきかも」と助け舟を出した。IOCの最大の財源は、米国からの放映権料である。日米同盟とIOC利権貴族の結託で、「延期」がねじこまれた。
 さて、東京都知事選挙が6月18日告示、7月5日投票である。東京五輪「返上」を掲げる人こそ、新知事にふさわしい。(A)