12・14釜ヶ崎講座「農業分野の仕事づくりを釜ヶ崎で!」
 「農福連携」先進事例に学ぶ

 12月14日、大阪市のエルおおさかにて、「農業分野の仕事づくりを釜ヶ崎で!農福連携と産消提携の先進事例に学ぶ」をテーマに、第25回釜ヶ崎講座講演の集いが開かれ、約70名が参加した。
 今回は、釜ヶ崎講座、NPO釜ヶ崎支援機構、大阪市立大学都市研究プラザの3団体で、事前討議を経ての共催となった。
 講演者は、今回テーマの「農福連携・産消提携」を先進的に実践中のお二人、埼玉県熊谷市の新井利昌さん(埼玉福興株式会社・代表取締役)と、神奈川県藤沢市の小島希世子さん(株式会社えと菜園代表取締役、NPO農スクール代表理事)。
 集いは、釜ヶ崎講座の渡邊代表の開会挨拶と、NPO釜ヶ崎支援機構の松本事務局長による、すでに取り組みが始まっている釜ヶ崎での仕事づくりに力を加速するためにも、農分野での議論に集中したいとの挨拶でスタートした。
 最初に、今回のテーマの提案者であった大阪市立大学の綱島洋之さんが、釜ヶ崎を取り巻く「農事情」を説明した。釜ヶ崎とは資本主義の矛盾が集積する街、これと向き合う中で、労働者の誇りに応える意味で仕事の作り直しを!と述べ、それが今回のテーマである農へと繋がったと説明。
 つづいて、農業と福祉の連携を現実に釜ヶ崎とタイアップする形で進めている4地域の事例報告が、各当事者から行なわれた。
 まず、①大阪府柏原市の雁多尾畑(かりんどおばた)農作地。自らも釜支援機構との協働でこれに携わってきた綱島さん、ほか2名が報告。
 成長したオクラ、ミョウガ、チシャ等をスライド説明。作業行程は、自分でじっくり考えて組み立てられる。自分の長所を発見できた。採りたては食感が違う。みんなで料理し、味わう、参加の意義がそこにあるとの意見も。
 ②釜ヶ崎ひと花センター、その畑作業に従事の方からの報告。
 釜地域内の畑地で、葉もの、スイカ、トマト等いろんなものを手掛けたが、炎天下作業はきびしい。うまく成長するほうが少ない、と栽培の苦労が語られた。作物は、西成地域のイベントにも出しているとのこと。
 ③京都府京丹後市の「よりそいサポートセンター」からの報告。
 ワーカーズコープに所属している。就労困難な人との農の結びつきに従事している。セミナーの開催で、農への関心と就労意欲の向上を図ってきた。だが、本人の「自立」への道は厳しい。一般的就労が自立とは言えない。農業に失業は無い。助け合いに価値ありと、地元の先達者の言葉を旨に、釜ヶ崎と連携して今後も活動を強める。
 ④大阪府八尾市の「はばたき作業所」からの報告。
 農への関心の中、綱島先生とも知り合え、ノウハウを得た。地域との関わりの中でしか、成長できない。栽培方法・技術の蓄積を図りながら、人の結びつきを強めたい。
 以上4報告に続き、お二人からメイン講演。その要旨は以下の通り。

 藤沢えと菜園の小島希世子氏

 小島希世子氏の発言要旨。
 ①神奈川県藤沢にて、農で作る、食べる、学ぶを実践してきた。農薬・化学肥料使わない、大量生産方式とらない、で自然に依拠してやっている。自然に生えた雑草が栽培の源になるのも分かった。出身は熊本、オンラインショップを開設して熊本産品も販売、しだいに関心を集めることが出来て、藤沢周辺市民が、畑に集うように変貌してきた。
 ②こうした人々は、作るだけではなく、学ぶ意欲も旺盛。協働の中、コミュニティと知識が集積される。近年は、アフリカなど海外からの研修の人も増えてきた。
 ③かって学生として都会で暮らすことで、ホームレスの存在と貧困、ストレス社会の存在が、年月を重ねる中で分かってきた。横並びの農作業をする中で、自信を喪失していることや、ストレスにさいなまれていることをとらえ返し、自信に再生していけるのかなと、この事業の継続の中で思っている。

 埼玉福興の新井利昌氏

 つづいて、新井利昌氏の発言要旨。
 ①埼玉県熊谷を拠点に活動している。日本で一番暑い所だ。1993年頃から、生活寮・作業所を併せ持つ障がい者雇用として始まった。農作業に手を広げたのは2004年頃。農業就労者に「顧問」になってもらう。農家のオジーちゃんに教えてもらったのだ。私たちは、農業は一年生だ。出向いてもらって直接指導をしてもらった。
 ②私たちは、ニート、ひきこもり、そして障がいをもつ多様な人との関わりの日常だ。農家さんとの接触の中、一人作業、ペア、チーム等、作業形態の確立に多くの労苦を割いたと思う。本人それぞれの個性にマッチした作業集団の動かし方に腐心してきたと言えるし、それぞれの作業の一からの取り決めにも力をそそいだ。こうして例えば、牛舎やハウスの保守、商品の流通の確保まで、作業区分への配慮を欠かさぬような日常が確立されてきたように思う。
 ③そんな中、次第にみんなは同じように働けない、みんな、いつかは死ぬ、最後まで人の役に立つ世界で生きる、最後まで生きる、といった理念が生まれてきたと思う。今後も前進していきたい。
 以上、両氏の論点は紙面ですべて網羅できないが、総じて、現(資本主義)社会における人としての存在の喪失に抗しての、自力の生産と意識の確立という、目覚ましい取り組みがそこに展開されていることが感じられた。これは、前段で報告があった釜関連の各取り組みにも、共通する。
 多くのお話しで時間がなく、パネル討論は簡略となったが、釜ヶ崎における仕事づくりに向けての、「参考資料」になったのはまちがいない。
 集いの最後に、釜ヶ崎越冬闘争実行委のメンバーから第50回越冬闘争への参加要請アピールを受けて、終了した。今後の釜ヶ崎における仕事づくり、就労確立の運動前進を期待したい。(関西I通信員)


11・27「廃炉デー」東海第二再稼働反対行動
 やっと署名受け取ったが

 11月27日、東海第二原子力発電所(茨城県東海村)の再稼働に反対し、東京・秋葉原の日本原子力発電本店前で、東海第二の廃炉などを求める署名提出行動が約250名の参加で行なわれた。主催は、「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」および再稼働阻止全国ネットワーク。
 今回、事業者・日本原電はようやく、署名(約6万3千筆)を受け取った。昨年の11・27では、原電は「事業方針に反する署名は受け取れない」として、社前に誰も出で来ず、また事前に送られた署名(約4万8千筆)も返送するなど、頑なに受け取りを拒否していた。
 それで、提出行動参加の人々は、社前に出てきた原電側に、今回態度を変更した理由は何か、今までの受取拒否の反省はないのかなど説明を求めたが、原電側は「今回は受け取ります」と繰り返すのみであった。また、原電が受け取ると返答してきたのは、ぎりぎり前日であり、社内での受け取りは拒否、社前に出てきても名刺も渡さないという不誠実な対応であった。
 何箱ものダンボール箱に入った署名を原電側が引き取った後、社前で集会が続けられた。たんぽぽ舎の柳田真さんが、「事前の私たち市民、国会議員、周辺地元の地方議員の働きかけなど総合力で、やっと署名を受け取らせることができました。しかし、これは第一歩で、目的ではなく手段です。目的は、再稼働阻止・廃炉です!」と述べ、再稼働(目論まれているのは2021年3月以降)阻止の正念場となる20年の闘いの飛躍を訴えた。
 また、提出行動には東海第二の周辺6市村からも、地方議員・住民が多く参加しており、村上達也・前東海村村長、阿部功志・東海村議などが発言した。
 この日11・27は本来一年前に、老朽原発・東海第二の20年延長が認められず、廃炉が確定するはずの日であった。しかし、原子力規制委員会は安倍政権の原発依存政策におもねり、20年延長申請を認可してしまい、超危険な「首都圏原発」が延命することとなったのである。
 それで、この日は「廃炉デー」と名付けられた。署名提出行動は、「東海第二原発の20年延長を許さない!11・27廃炉デー大アクション」の一環であり、署名提出後は、秋葉原周辺デモ行進、夕刻には原電本店ヒューマンチェーンが展開された。
 なお、同じ11月27日に、原子力規制委は東北電力・女川原発2号機(宮城県)について、新規制基準適合のための審査書案を了承している。女川原発も東海第二も、2011年東日本大震災での被災原発。女川2号機は、この被災で原子炉建屋に1130ヵ所のひび割れが入るなどしている。宮城県では今後、地元同意の手続きとなれば、再稼働是非を問う県民投票の実現をはじめ、大きな闘いとなる。
 被災原発の福島第一は壊滅、福島第二もようやく廃炉決定となった。残りの東海第二、女川2号機は再稼働となれば、それは、「フクシマ3・11」の人類史的教訓に対する真っ向からの冒涜である。そういう意味でも、東海第二、女川の闘いは重要だ。(東京W通信員)


東電刑事裁判、闘い続く
 女川2号機再稼働も止めよう!

 東京地裁・永渕裁判長が東京電力元経営陣3名に無罪の不当判決(9・19)を下してから、ほぼ3カ月の12月11日、福島原発刑事訴訟支援団は、50名超の参加で東京地裁前抗議行動を展開し、反撃の火の手を上げた。
 この行動を皮切りに支援団は、1月23日(午前8時半)、3月3日(正午)と地裁前(=高裁前)で、宣伝行動と集会を展開する。
 さて11月27日、原子力規制委員会が、女川原発2号機の再稼働に必要な安全対策をまとめた審査書案を了承した。事実上の審査「適合」である。
 東北電力女川原発は3・11では、3基が自動停止したが、2号機の建屋地下は浸水した。外部電源5回線のうち4回線が停止し、残った電源で辛うじて冷却し、3基を冷温停止させている。しかも建屋に、震災の揺れと乾燥による無数のひび割れが発見されている。
 新規制基準に「適合」とする原発は、女川2号機で9原発16基となる。安倍政権は、2030年度の電源構成に占める原発の比率を20~22%としており、電力資本は、安倍政権が続く内に、再稼働の既成事実を積み上げようとしている。
 また東電では12月に入って、福島第一の1・2号機排気筒の解体作業で、4ブロックめを人力で切断する事態を引き起こした。ずさんな工事管理で、作業員6名に最大1ミリシーベルトの被曝を強いた。東電の無責任体制は、無罪判決で増幅されているのか。
 この無責任体制を、東電刑事裁判の逆転有罪判決実現で終焉させねばならない。
 地裁前の集会は、「地裁判決は、原発事故を起こしても良いという、とんでもない判決。東京高裁では、誰が加害者かを明らかにし、責任をあくまで追及する」との司会挨拶で開始された。
 支援団副団長の武藤類子さんが主催者挨拶、「先の水害(10月・台風19号)では、川が氾濫して放射性物質に汚染された土が流れ出し、汚染が拡散された。排気筒解体作業でも、生身の人間に切断させて被曝させるなど、国や東電の無責任体制が鮮明になっている。不当な判決を正し、正義の判決を高裁に求める」とアピールした。
 郡山から参加した森園さんは、「被曝の危険性の中で、労働者が収束作業をしている。裁判官には事故の惨状のみならず、この事実も知ってほしい」と訴え、裁判官の現地検証を求めた。
 さらに、「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟支援の会」からアピール、「我々の主張の中心は、公衆被曝の限度は、年間1ミリシーベルトを超えないことを確認すべきということ。20ミリ以下だから帰還しろとはとんでもない。子どもにとって安全なのか。20ミリの壁を崩そう」と訴えた。
 最後に、会津在住のAさんが発言、「裁判長にとっては、事故は他人事だったのだ。子どもが甲状腺ガンに侵され、故郷が汚染されても他人事。必ず有罪に。そして原発を廃炉に」と訴えた。
 控訴審闘争には困難がともなう。しかし闘いを拡大し、必ずや高裁で勝利しよう。(東京O通信員)