8・27経済報復撤回!官邸前緊急行動に350名
  韓国市民迎え「NO安倍!」

 8月27日の夜、国会傍の首相官邸前で、安倍政権の対韓政策を糾弾する集会、「対韓輸出規制拡大反対!韓国除外『政令』撤回!安倍政権は『徴用工問題』の報復やめろ!対話で解決を!8・27官邸前緊急行動」が行なわれた。韓国市民団体からの3名を含め、日本の労働者・市民約350名が参加した。主催は、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委と、「3・1朝鮮独立運動」百周年キャンペーン。
 行動は、「報復外交いますぐやめろ!」「反省できない首相は辞めろ!」「日韓の市民は連帯!」などのコールの中、尾澤邦子さんの司会で始まった。
 最初に、主催者挨拶を小田川義和さん(憲法共同センター)。「明日、輸出優遇国除外の政令が施行されてしまう。先日、韓国が日韓軍事情報協定GISOMIAを破棄したが、安倍政権は安全保障上の貿易管理と言って政令改定の閣議決定を行なったのであるから、日本のほうが先に仕掛けたことになる。」「徴用工問題で個人請求権は有る、この解釈は日韓で変わらない。安倍政権は民事に介入するな。隣国との友好のために、安倍は退陣を!」と訴えた。
 矢野秀喜さん(強制動員問題と過去清算のための共同行動)は、本来もっと早く、徴用工問題は日本での裁判で解決されるべきであったことを語った。梁澄子さん(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動)は、「少女像」は「反日」ではなく「平和の碑」なのです!と強調した。白石孝さん(日韓市民交流を進める希望連帯)は、8月21日の朴ソウル市長との会談を報告しつつ、「上から目線で韓国を見る日本人はいぜん多い。こういう行動だけでなく、日韓市民が交流して、生活の周りから変えていく必要がある」と訴えた。
 韓国からは、安倍糾弾市民行動と社会市民連帯会議の各代表がアピールを行なった。市民行動のキム・へチョンさんは、「日本に来て良かった。安倍がいくら嫌韓感情をあおっても、市民の連帯は固いことを実感した。日韓市民の連帯万歳!」と叫んで、大きな歓声が上がった。
 在日韓国民主回復統一連合のソン・セイルさんも発言、「GSOMIA破棄は、キャンドル民衆の力によるもの。これは、民族自主外交の始まりとなる」と重要点を指摘した。
 最後に、総がかり行動実の高田健さんが行動提起。「政令施行前に黙っている訳にはいかなかった。今日の行動をふまえ、9・17日韓日朝集会を成功させ、11・3に大規模集会を!」と提起して、官邸前行動を終えた。
 なお、上記8・27の他、東京で安倍政権の韓国敵対政策に反対する行動は、8・8の韓統連主催の官邸前行動、8・15の反戦実や日韓連帯委員会よびかけの官邸前行動(記事3面)、8・31の「韓国は『敵』なのか」集会(主催「韓国は敵なのか」声明の会)等々行なわれてきたが、多くても数百名程度にとどまっており、これからの行動が期待される。
 国会5野党と市民連合の「5・29合意」では、日朝ピョンヤン宣言に基づく日朝正常化の実現では合意されているが、日韓関係では白紙である。国会野党をまともな方向に動かす必要もあるが、どう大衆運動を発展させるかが第一である。
 日韓関係の悪化に心を痛めている人は多い。安倍政権が居直っているだけなら、それは批判に転じてくる。韓流世界でも安倍NO!を拡げよう。(東京A通信員)


日韓の8・15
 無反省の安倍、文「対話」演説を拒否
  8・15ソウル「経済報復糾弾キャンドル集会」に10万人余

 日韓の政府間関係が、徴用工賠償問題での昨秋の韓国大法院判決、それを「国際法違反」と決めつける安倍政権による今夏の対韓国輸出規制の発動などとして、1965年の国交「正常化」以降もっとも悪化していると言われる中、74回目の8月15日を迎えた。日本では「終戦」記念日、韓国では旧日帝支配からの解放を祝う光複節である。
 韓国では政府主催の光復節式典で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、格調高い演説を行なった。それは、「板門店宣言」などこのかんの南北合意を着実に前進させ、光復100年の2045年までには「ワン・コリア」を実現する、また、この統一との関連で対日関係を大局的に展望し、現在の日本に対話を呼びかけるものであった。
 またこの日、韓国の労働者・市民はソウルで、民主労総の決起大会その後、安倍政権の経済報復を糾弾する「キャンドル集会」を10万人余(主催者発表)で開くなど、「NO!アベ」・歴史歪曲糾弾・輸出規制等撤回の大行動を展開した。この光化門広場での「第5回汎国民ろうそく文化祭」は、750団体で構成する「安倍糾弾市民行動」や、市民社会団体連帯会議など4団体が主催し、日本の参加団からは、総がかり行動実の高田健さんが連帯挨拶を行なった。「ろうそく文化祭」とは、7月下旬から日本大使館前で毎週、安倍政権の報復措置を糾弾して開始されていたもの。
 現在の韓国民衆の闘いでは、「反日」ではなく、「反安倍」を意識的に強調し、良識ある日本市民との連帯を求めていることが一つの特長となっている。
 また15日の昼間には、ソウル市庁舎前から、徴用工被害者問題解決のための平和行進が、強制動員共同行動の主催で行なわれ約2千人が参加した。日本からは日本強制動員共同行動の矢野事務局長や、全労連の小田川議長が連帯挨拶を行なった。

  8・15官邸前

 8月15日、日本の東京では、首相官邸前で午前11時から、安倍政権に輸出規制撤回などを求める緊急行動として「経済報復撤回8・15日韓連帯行動」が行なわれ、約50名が結集した。この官邸前行動は、日韓民衆連帯委員会や、安倍たおせ!反戦実行委の呼びかけによるもの。韓国と同じデザインで、「NO!安倍」のプラカードが掲げられた。
 官邸前では最初に、在日韓国民主回復統一連合の宋世一(ソン・セイル)さんが、「安倍政権のやっていることは結局、統一への敵対です。昨日・今日の韓国での闘いは、皆さんの安倍打倒とつながっています」と指摘した。反戦実の松平さんが、「過去を謝罪しないということは、また侵略するということ」と指摘し、日韓民衆連帯委員会の尾澤さんが、「安倍は韓国を信頼できない国と言うなら、GSOMIAを継続するな!」と訴えるなど、発言とコールが続いた。午後にも、他の日韓連帯団体による官邸前行動が続いた。

  「平和の少女像」

 前日14日の水曜日には、ソウルの日本大使館前で2万人近くが抗議集会を行なった。8・14は、1991年に日本軍「慰安婦」被害者の金学順さんが実名で名乗り出た日であり、文政権になってから「日本軍慰安婦を称える日」となった。この日は、日本軍「慰安婦」メモリアルデーとして、韓国をはじめ日本・中国・米国など世界各地で、戦時性暴力被害者の人権回復と平和を求める同時行動が展開された。
 日本大使館前の毎水曜行動の中から、「平和の少女像」(平和の碑)が生まれた。日本の世論は、「少女像」が、「反日」シンボルではなく、国境を超えた戦時性暴力反対・女性人権回復の普遍的なシンボルとなっていることを理解する必要がある。「少女像」が日本批判の意味をも持ってくるのは、歴代の日本政府が、日本軍「慰安婦」問題の解決をあいまいな政策でごまかし続けているからである。また安倍政権になってからはより酷くなり、安倍政権の内外で、日本軍「慰安婦」の強制性を否定する発言が続いているからである。
 名古屋市長・河村が、「あいちトリエンナーレ」の一企画で展示された「少女像」に対し、「日本国民の心を踏みにじるもの」などと主観的な異常発言を行ない、これに誘発された脅迫ファクスなどによって8月3日、「少女像」を展示した「表現の不自由展」が中止に追い込まれた。この威力業務妨害・脅迫事件に対して、菅官房長官は、表現の自由の侵害を批判するのではなく、逆に、同展などへの補助金交付を再検討すべきなどと発言した。
 このように、第二次安倍政権の7年間によって、政権の内外から「反日」のレッテルを貼る排外主義が煽られている。これをベースとして、安倍政権の韓国敵対政策が開始されている。
 他方、文大統領の光復節演説は、「反日」を超えたものであった。日本国民に向けて、「光復は日本国民が軍国主義の抑圧から脱し、侵略戦争からの解放の日」であり、「日本が隣国に不幸を与えた過去を省察しながら、東アジアの平和と繁栄を一緒に導くことを望む」と呼びかけ、日本政府に対しては、「今からでも日本が対話と協力の道に出れば、我々も喜んで手を握る」と呼びかけた。
 文政権は、この対話を呼びかける演説内容を事前に安倍政権に伝えてもいるのだが、安倍政権はこれを無視した。安倍政権は、大法院判決を破棄せよ、という無理な前提を変えようとせず、対話ベースにのせるチャンスをすすんで破壊した。
 輸出管理優遇国(ホワイト国)からの韓国除外という閣議決定は、8月2日であった。その前の7月29日、日韓双方の同盟国である米国が、日韓対話のための「一時休止」合意を両国に勧告していた。この米提案を文政権は歓迎したが、安倍政権は拒否した。米提案自体が、日本では報道されなかった。
 こうして安倍政権は、半導体材料輸出規制の7月実施に続き、韓国除外の改定政令の施行を8月28日に強行した。安倍政権は、文政権を交渉相手としてではなく、打倒対象として扱っているのか。世界が歓迎する朝鮮半島の平和統一、これを進める文政権を打倒したいというのなら、それは、世界から孤立したかっての日本の道、戦争と滅亡の道と同じだ。

  新天皇「反省」?

 8・15戦没者追悼式典で、安倍首相は7年連続で、戦争の「反省」を語らなかった。他方この式典で、新しい天皇は「反省の上に立って」と式辞し、前天皇の「反省とともに」の表現をより強めて、「平和天皇」像を続ける意図を示している。
 しかし、何を「反省」するのかが問題だ、最近明らかにされた初代宮内庁長官の「拝謁記」によると、天皇裕仁は、独立回復式典で戦争の「反省」を式辞に入れたがっていたが、それは戦争を近衛首相や軍閥のせいにする責任逃れのための「反省」であった。対米英戦は反省しても、朝鮮・中国・アジア侵略は少しも反省せず、また戦争目的を反省するものでもなかった。
 アジアへの加害責任に触れない点では、天皇裕仁・明仁・徳仁も、安倍首相も同じだ。天皇明仁はフィリピン訪問で、米軍とのマニラ市街戦で市民を巻き添えにしたことには反省を口にしたが、日本軍政が抗日抵抗運動などを虐殺し続けたことには沈黙し、反省しなかった。「平和天皇」といってもこの程度である。安倍と対比して、「平和天皇」がクローズアップされがちである。これは、日本の現体制に国民多数を左右ひろく包摂するために、政府と天皇で役割分担をしているのではないか。
 日韓の関係悪化は、今年の「8・15」をより深く考えさせるものとなった。隣国・韓国との関係を改善できないようならば、戦争の反省も平和憲法も、すべて薄っぺらなものに過ぎなかったということになるだろう。(W)