【沖縄からの通信】

日本政府の妨害はねのけ、県民投票は大成功
  自己決定権確立へ前進しよう

 2・24県民投票は、辺野古埋立て「反対」が43万票を得、昨秋知事選での玉城デニー得票39万票(知事選歴代第一位)を大きく上回って、辺野古新基地NO!の沖縄人の民意を明確にし、さらに積み上げた。
 すでに、日米SACO合意以降23年という長年、名護市民投票、国会議員選挙、知事選挙等々で民意は明らかであったが、日本政府の沖縄だけに対する構造的差別によって、この民意は殺されてきた。その結果、県民投票の明確な回答が生まれ出た。沖縄人の苦闘の結果である。
 沖縄県の埋立承認撤回に反し、日本政府は違法な工事を続けている。政府側が「工事は進んでいる。もう止められない」と唱え続け、県民投票はその渦中で、直接請求で条例が制定され、実施されるという経過であった。

  その経過

 安倍政権は当初、県民投票そのものを抹殺せんとして、みっともない妨害を画策した。宜野湾市長ら子飼いの「チーム沖縄」と内外連結して、妨害を組み立てた。中央政府で「結果の如何にかかわらず、工事を進める」と県民を恫喝し、これを基に県議会の中では、「しかたない」を選択の中に忍び込ませようとした。3択、4択となれば、「反対」の得票率が低下することは実験実証されている。これは失敗した。
 それでチーム沖縄を使って、投票そのものの破壊を策した。5つの市で連携して、市議会で投票事務予算を否決させた。
 5市長は、「議会を尊重する」、「県民投票は行なわない」と表明した。これは投票ボイコットなどではなく、投票権じたいを奪う市長クーデターと言えるものであった。日本政府は、沖縄において、投票権が根幹のはずの民主国家の権威をかなぐり捨てて、徹底的な困難・混乱を作り出そうとした。5市が県民投票をサボタージュすれば、有権者の3分の1が投票できず、投票率が50%を切る危険は高い。
 しかし5市が、市民によらず、市長によって「投票を行なわない」などできるはずがない。最終的には、市長が恥をかき、リコールされる(それは県民投票の結果をみれば分かる。5市において「反対」は「賛成」の3倍を取っている)。5市の市民は、各市長へ押しかけ、抗議行動は続き、市民の組織戦となり、内容も洗練されていった。自主投票準備に進もうとする市民も出ていた。
 「そんなこと市長ができるの!エー!」、「私らの投票で市長になったんでしょ!そんなあなたが市民には投票させないなんて、何様だと思っているの!」など、喧喧ごうごうと市長に詰め寄った。
 うるま市では、一日千件も抗議電話が鳴った。これが続けば、市長の評判はどんどん落ちていく。支持者の自民党員にさえ、「あなたに私の投票を歪める権利があると本当に思っているのか、ヤマトーの言いなりになるのか」と、市長は言われた。
 チーム沖縄の連係プレーは、タガがはずれ出した。市民に謝罪もできず、辞職もできず、自民党県連に泣きつく市長も出てきた。
 ついに、この混乱は、この日本政府が画策した妨害は、条例の改正(「どちらでもない」を加えた3択化)の採用となった。この改正は、全県実施の見通しを付けたが、「反対」の得票率を低下させることになる。
 評論家の佐藤優は、日本政府・チーム沖縄・自民党県連の連携プレーによる妨害については一言も批判することなく、照屋守之(自民県連)と金城勉(公明)をベタほめして、デニー知事と県幹部を叱っている。佐藤は、「沖縄社会が分断される危機」という虚構を立て、危機を招いたのはデニー知事で、これを救ったのが照屋氏らだったと暗に言い、一連の行動を自己決定権に基づいた政治行動だったなどと言っている。
 日本政府の妨害に、デニー知事は揺らぐことなくよく耐えた。妨害は県民投票に痛手を与えながら、妨害者たちは県民投票で、それ以上の痛手を受けた。

  投票諸結果

 県民投票は出口調査によると、自民支持層でも、「賛成」41%に対し「反対」が48%を占めた。自民・公明・維新は「自主投票」とし、自民支持層からは棄権が多く出たとみられるが、投票に行けば7%も反対が上回る。
 公明支持層では、「賛成」26%に対し「反対」が55%を占めている。全体の反対72%にはほど遠いが、反対55%という数字は予想外であり、いくたの選挙で自民と同盟関係にある人々としては法外な数である。公明幹部と下部のかい離が、いかに大きいかを語っている。公明のこの構造が、5市の連係の分解に際して、反自民・反市長として分解を早めたとみられる。
 沖縄の公明党の、上が同盟しても下が納得していない関係は、4月衆院補選で、正真正銘の基地推進派の島尻安伊子が自民公認で登上するとき、どうなるのか、多くの人々が注視している。
 また県民投票は、41市町村すべてで勝った。普天間基地が居すわる宜野湾市でも、「反対」は67%。普天間「移設」先の名護市でも「反対」72%。日本政府が言う「辺野古の工事は、普天間基地の危険性の除去」というペテンは、崩壊した。宜野湾市は、基地を「持ち込まれる」名護市と違って、「撤去される」側であるから、政府の言い分を受け入れても、市民の利益にもなりうる。それで政府も、宜野湾では多くを計らって「危険性除去」を口だけでは言ってきたが、そのまやかしも崩壊した。
 辺野古NO!の県民は一人として、「普天間の危険性除去」に反対するものはいない。にもかかわらず、政府は「オール沖縄」がそれを妨害しているごとく喚きちらかしてきた。オール沖縄が、普天間の「5年以内運用停止」の閣議決定を実行するよう、政府に迫っているが、政府は何一つとしてやらない。(この閣議決定は、仲井真知事から埋立て承認を引き出すための演出であったが、承認が前提条件などは書かれていない)。辺野古強行の大義名分のために、政府に利用されてきたのが、現・松川、前・佐喜真の宜野湾市長。政府の小使いだからありえないことだが、もしも彼らが、「約束を守れ!」と言って安倍・菅を追及するとすれば、政府に大打撃を与えることができる。
 政府側の「辺野古のへの字も言わない」選挙戦術は、昨秋デニー知事選で破られた。追い討ちをかけるように、今度は沖縄人の側から賛否を「明らかにする戦術」、県民投票を挑まれて、日本政府は再び破れた。県知事選、続く県民投票が、具志堅用高のワン・ツーパンチのように急所を打った。
 県議会で自民党が、「反対」72%は全有権者の「37%にすぎない」等々とケチ付けているが、無知蒙昧も甚だしい。安倍自民党が直近総選挙の25%得票だけで政権を率い、沖縄に暴力を振るえているのは、おかしくないのか。県民投票の投票率52・5%も、大成果だ。各陣営が票の掘り起こし・動員・利益誘導を必死でやる知事選や議員選挙と比べて、住民投票の投票率は一般的には低くなる。今回は、自民党に投票に行かない対応もあった。このなか若い人たちが、投票に行こうの運動を盛り上げた。

  4月衆院補選

 次は、4月21日の衆院3区補選。島尻安伊子を出し、日本政府も、破産した「への字も言わない」戦術は捨ててくるだろう。アイコは、隠しようもない安倍ベッタリの辺野古「賛成」派、と言うより官邸一員の推進当事者である。島尻陣営は、国家主義を背景にした国防論・抑止力論で、積極的に出てくるだろう。この結果、①自民内外の若い国家主義者たちの指導権は強まるだろうが、②自民党沖縄県連は弱体化すると考えられる。
 国防論や抑止力論は、支配する側の「伝統」と「論理」であるから、沖縄でもそれなりの強い影響力をもっており、ナショナリズムを基盤として、国民は日常的に同調を求められている。国防論などに同調する人々に、どう働き掛けるかは、闘いの重要な部分である
辺野古NO!の人でも、近年の日韓関係で、韓国を非難する人は多い。また若い人々の多くは、国防論にいったんは肯定させられる。旧い世代は、戦争体験で国防論を否定することができたが、若い人にはそれを拒絶する理由は今のところ無い。
 翁長さんの「イデオロギーよりアイデンティー」の考え方には、緩衝地帯・アジアの架け橋・沖縄平和発展論として、国防論への批判が込められていた。
 昨年2月の名護市長選敗北で、若者の右傾化に警鐘を鳴らす人は少なくなかったのだが、「オール沖縄」体制には、未だに「翁長さん継承」の具現化への努力はみられない。アイコ戦では、それが強く迫られるのではないか。
 「オール沖縄」は、選挙に勝つための合力だけではない。その真の役割は、日本政府の構造的沖縄差別の支配から人々が離れていくための、受け皿となっていくためのものではないのか。

  自己決定権

 県民投票後、現在まで沖縄2紙には、多くの論評が提出されている。
 その中で、3氏が自己決定権にふれている。以前のように、あからさまに「行使した」など自己決定権の文言が、自己満足的な、空疎な用語としては使われていないが、運動論・政策論を立て、伝家の宝刀として自己決定権を使うための考え方は出されていない。
しかし、普久原均氏の説(沖縄タイムス2月25日、「問い続ける自己決定権」)は、注目に値する。
 「民意をくまなくてもよい存在としての特定の地域」。「県民投票で問われていたのは、沖縄が今後もこの位置付けを甘受するか否かだった。沖縄が、政府の決定に従うだけの存在か、自己決定権と人権を持つ存在なのかを問う。そんな色彩を帯びていた。」
これは、従来の精神論、主体性論としての自己決定権の用語の使い方、単なる枕詞、空論から抜け出した自己決定権の概念になっている。
 特定の地域(沖縄)があり、政府が(日本政府)が、その特定の地域を「民意をくまなくてよい」(その地域の人々の基本的人権を侵害してよい)地域として、差別・抑圧・支配している。自己決定権の概念の要素は、すべて出揃っている。ここからは、運動論も、立法論もすぐに展開されてくると思う。願わくは普久原氏に、沖縄人の・沖縄の自己決定権法、この法案を具体化してほしいと願う。そうしたあかつきには、それを土台として、自己決定権法を制定していく方法の論議もなされていくと思われる。
 辺野古NO!の県民投票の勝利は、その主体と主張において、自己決定権としての主張(これこれについて中央政府に従わない)とそっくり同じである。だが国家は、県民投票結果は「法的効力をもたない」と言ってのけ、実質的に沖縄人の基本的人権を侵し続ける。沖縄で各級議員を選ぶ投票は効力があっても、その選挙よりもはるかに多くの人権に関わる今回のような投票には効力が無いなどというのは、最大の不条理である。しかし人類の歴史は、不条理を条理に変えてきた歴史である。「効力がない」を、効力あらしめるのが、自己決定権の確立である。
 自己決定権は、国際法である。かって植民地であった特定の地域の人々は、一人ひとりには基本的人権がその国の法によって保障されることになっている。しかし、特定の地域全体が一括して、その国の特定の法や他国と結んだ条約によって、ふたたび基本的人権が奪い返される場合がある。沖縄については、日米間の安保条約・日米地位協定である。沖縄での日米地位協定は、実質的には日本国憲法第95条(特別法の住民投票)の適用に相当する。
 こういう場合、その地域の人々の基本的人権を実現するために、その地域に国家を超越して人権を付与するのが自己決定権なのである。
 人類の文明的到達点は、基本的人権は何者も、国家も国際機関も、これを侵すことはできないと考えるに至っている。国家や国際機関は、権力者や富裕層のためにあるのではなく、逆に基本的人権を守り、実現するために存在するというのが現代の国際法潮流である。人権実現のために国際法が各国家権力を制約することは、国際的立憲主義とも呼ばれる。
 山城博治さん(平和センター)は、高江ヘリパッド建設で沖縄人伝来のヤンバルの森が大規模に伐採されている状況を調査するために、米軍基地内に入った。これが地位協定を侵したとして、日本の裁判所で裁かれている。現代の国際法は、これを不条理とみる。
 沖縄人が自己決定権を確立すれば、不条理は条理に逆転される。裁いている者が、裁かれる。(3・2記、T)