東海第二原発
 新安全協定で再稼働不同意を
   10・20首都圏大集会、各首長・議会への働きかけを確認

 首都圏3500万人の命を危険にさらす東海第二原発の再稼動・20年運転延長が、強行されようとしている。
 9月26日、原子力規制委員会は東海第二について、「新規制基準適合性審査」の審査書案を了承した。次いで10月28日には、安全対策の詳しい設計を記した「詳細設計と工事計画」を認可。最後の三つ目にあたる「運転期間延長」の認可も、11月下旬の期限までに出される見通しだ。日本原電と原子力規制委は、日本一危険な原発の再稼動を強行せんとしている。
 この緊迫した情勢を迎え、東京都内で「10・20東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」が開催された。主催は、「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」で、神田の日本教育会館に730名の労働者市民が結集した。
 東海第二原発は、岩盤の上ではなく、一万年前からの土砂が堆積してできた地層の上に建設され、福島第一より2mも低い敷地の上に造られている。そのため、地震・津波に極めて脆弱である。30年以内に震度6弱以上の地震発生確率81%、海溝型地震マグニチュード8から9の発生確率26%以上(百年に1度)、という地域に建っている。1580ガルの熊本地震レベルの揺れが襲えば、一たまりもない。基準地震動が2014年の901ガルから、16年に1009ガルに引き上げられたが、到底及びはしない。
 しかも、寿命30から40年の電気ケーブル1400kmすべての難燃化は不可能で、規制委の田中前委員長でさえ「電気ケーブルの交換は至難」、原発は「元々30年運転が前提」と述べていた。東海第二が火災に見舞われる可能性は大きい。
そのうえ事業者・日本原子力発電は、実質倒産した企業で、安全対策に懸念がもたれている。2011年以降一基の運転もなく、運転のノウハウも失われている事実もある。
さて集会は、村上達也・前東海村村長ら3名が講演し、おしどりマコ&ケンさんのトークショーもあって、再稼動阻止・廃炉に向けて大いに盛り上がった。
 最初に、鎌田慧さん(ルポライター)が、「プルトニウム社会と六ヶ所村、東海村の再処理工場」の演題で講演。原発の建設は、多額の資金を使って核兵器の開発のために行なわれたことを暴露しつつ、「東海村もその中にあり」「東海村に再処理工場が造られて六ヶ所につながった」と指摘。原発の建設は「秘密とカネで一貫してやられている。各地で反対運動があり、運動は強かったが、それをつぶすようにカネと権力が使われた」と資本と国のあくどさを暴露した。
 次に、吉原毅さん(原発ゼロ自然エネルギー推進連盟会長、城南信用金庫顧問)が、「原発ゼロ社会をめざして」として講演。原発4基の再稼動で供給力が高まった九州電力が今月、太陽光発電の事業者を一時的な発電停止に追い込んだ事実にふれて、「自然エネルギーよりも原発を優先しているが、日本経済は自然エネルギーによって大きく発展できる」と発言。「原発は、400から600ガルで壊れ、配管も簡単に破損する。熊本地震と同程度の1580ガルでは爆発する」と、その危うさを強調した。
 次いで三番目の講演者・村上達也さんが登壇、「前東海村長が訴える、あってはならない原発」として、人口密集地に原発が建設された理由、東海第二の危険性などについて講演した。村上前村長は、東海第二の再稼動・20年延長が強行されようとしている理由として、東海第二原発が、日本原電の存立・命運を決する最後の虎の子であり、また、日立製作所のお膝元で「原子力発祥の地」東海村の火は消せない、ということがあると指摘した。
 そして、茨城県内で再稼動反対を表明する議会や首長が相次いでいることに言及。実際に再稼動するには、地元の同意が必要である(周辺6市村との3・29新協定)ことから、「住民の意識を高め、首長らに再稼動反対を働き掛けないといけない。首都圏の皆さんにも応援してほしい」と呼びかけた。
 実際、再稼動反対に類する意見書が採択されているのは、18年9月議会をもって、県内44市町村議会のうち29市町村となり、66%となった。再稼動反対の市長・村長も10名に上り、地元6市村では初めて、那珂市・海野徹市長が10月22日に再稼動反対を表明している。
 集会では、「東海第二原発の20年延長・再稼動反対はもとより、国内のあらゆる原発の再稼動に反対するため広範な国民運動を目指し、粘り強く闘う」との、「10・20首都圏大集会決議」が満場の拍手で確認された。
 最後に、主催の首都圏連絡会から柳田真さん(たんぽぽ舎)が行動提起。
・ 10月26日 日本原電本店包囲「人間の鎖」
・ 11月7日 日本原電本店行動(午後5時)、東電本店行動(午後6時半)
・ 11月27日 20年延長阻止「最大限デモ」(詳細は未定)、また27日までに日本原電行動を延べ4回。(なお日本原電本店の所在地は、千代田区神田美土代町1-1)
・ 東海第二原発の廃炉を求める意見書提出を、各地で働き掛ける行動。
 労働者市民の大衆闘争を拡大・発展させ、東海第二・全原発の廃炉を実現しよう!(東京O通信員)


東電刑事公判・被告人尋問、嘘と「知らぬ」連発で責任回避
  厳正判決求め地裁包囲を

 津波の高さは「聞いていない」、対策先送りは「指示していない」。
 津波対策を先送りして大惨事を招いた責任者・武藤栄元副社長は、10月16日の公判で自らの責任をことごとく否定し、居直った。極め付けは、「15・7mは根拠のない計算結果、対策を先送りしたと言われるのは大変心外」、「私が大きなことを決めたように言われるが、副本部長に決定権はない」とまで言い切った。東電元幹部らは、嘘と「知らぬ」を連発して、あくまで責任逃れを図ろうとしている。
 福島第一原発事故での業務上過失致死傷罪を問う東京電力刑事裁判(東京地裁)は、10月は2、3、16、17、19、30日(第28回~第33回)の6回行なわれ、第30回公判(10月16日)からは最大の焦点・被告人尋問に突入した。
 第28回公判(10月2日)は、今村文彦東北大学教授が、指定弁護士(検察官役)の要請で出廷。福島第一の敷地内に高さ20mの防波堤を建設していたならば「敷地の一部が50cm以下の浸水を受けるだけで、大津波による被害は防げた」と、津波解析結果のCG映像を基に説明した。そして、構造などの検討事項が多く「実際建設するまでに長い時間がかかる」と証言した。
 第29回公判(3日)は、事故当時、旧原子力安全保安院の安全審査官だった名倉繁樹(現原子力規制庁職員・安全管理調査員)氏が、被告側証人として出廷。名倉調査官は、「15・7mの計算結果を事故4日前の2011年3月7日に初めて知った」と証言。国の地震予測「長期評価」について、「判断の根拠がなく違和感があった」と発言。「長期評価は信頼できなかった」との被告側主張を追認している。
 注目の第30回公判(16日)。公判は、これまでの元社員らの証言から①2008年2月、新たな対策を「長期評価」に基づいて策定する方針が、社長出席の幹部会で了承されたこと。②同年6月には、津波が原発の敷地を超える最大15・7mになる試算結果が正式報告され、原子力・立地副本部長の武藤元副社長は「水位を下げられないか」と発言、対策の詳細を検討するよう指示していること。③同年7月、防波堤の設置などで数百億円かかると報告され、武藤は長期評価に基づく対策をとるのではなく、試算方法自体を研究することを指示した事実(元社員はそれを「時間稼ぎだ」と証言)等が明らかになっている。
 これらの事実を、武藤はことごとく否定した。2月の会議は「機関決定の場ではない」とした上で、長期評価という言葉も「08年6月に初めて聞いた。そもそも長期評価自体が信頼できないと思った」と主張。ぬけぬけと嘘を言ってのけた。「もう少し水位が下がらないか」との発言にも、「絶対あり得ない。言うわけがない」と強く反発。では、現場の社員らが沖合防波堤を建設した場合の費用や工事期間の算出などで奔走、資料を作成したのはなぜなのか。
 公判の焦点は、旧経営陣が、海抜10mの敷地を超える高さの津波を予測し、対策を取れたか否か。中でも武藤元副社長が、最大15・7mの津波の試算結果を部下から直接聞いて、危険性をどこまで認識していたかである。
 武藤は、自分に不利になる事実を尽く否定し、知らぬ・存ぜぬでとおした。他方では、心にもない謝罪を行ない、「正直さや誠実さが、仕事を進める上での全ての基礎」などと信条を述べて、裁判官の心証をよくすることにのみ奔走した。この対応は他の被告も同じで、これは東電弁護側の戦術なのか。
 第31回公判(17日)も武藤が出廷、「過失はなかった」などと強調した。
 第32回公判(19日)には、08年3月に長期評価に基づく津波の詳細試算値が東電子会社から上げられた頃から、原子力・立地本部長であった武黒一郎元副社長が出廷。武黒は、冒頭「責任ある立場にあった者として、お詫び申し上げる」と頭を下げたものの、「記憶にない」、「吉田(福島第一所長)が言った」を連発、罪を他人になすり付け、責任逃れに終始した。
 武黒は、外部機関(土木学会)に研究を委託したことについて、15・7mは「部下からあてにならないと聞いた」、「専門家に聞かないと前に進めないので、外部機関への調査委託でいいと思った」と証言。そのくせ、「部下に調査の進捗を問うこともしなかった」と発言し、本部長として、再調査を名目に先送りしたことを暴露した。
 武黒は事故の責任を問われて、「誰も予測できない巨大地震と巨大津波によってもたらされた」と他人事のように答えている。しかし、東電内部の試算が15・7m、土木学会が後に出した再試算が13・6m。実際に福島第一を襲った津波12~15mは、かなり正確に予測されていたのである。
 第33回公判(30日)には、勝俣恒久元会長が出廷。勝俣も改めて無罪を主張し、「社長は万能ではない」などと居直った。
 社長だった08年には、長期評価も津波試算も「報告は受けていない」と主張。会長に就任後の09年2月の幹部会での、元社員による「最大14mほどの津波が来るという人もいる」との報告に、「そういう話しもあるんだぐらいに受け止めた」と発言。「津波対策は原子力・立地本部が、しっかりやってくれると思っていた」とし、最高責任者にあるまじき無責任ぶりを露呈した。そして、「長期評価の存在を知ったのは、3・11からだいぶ経った後」と説明して、傍聴席から驚きの声が上がった。
 この第33回公判で証人尋問が終わり、11月14日公判では、事故後の避難で亡くなった病院患者の遺族らが意見陳述する。なお、永渕裁判長はこの日、福島第一等の現場検証は「必要ない」として却下した。
 被告人尋問で3名は、元社員らの証言、会議資料など客観証拠を尽く否定し、責任逃れに終始した。しかし「裁判官は、3名には丁重に対応している」、「裁判官は一体どちら側の人間だ」との不審の声さえある。公正・厳正な判決を求めて、終盤へ入った東電刑事裁判を大衆的に包囲していかねばならない。(O)


10・31寺尾判決44周年に狭山市民集会
  再審不可避の「下山第2鑑定」

 「下山第2鑑定」「福江鑑定」など新証拠によって、狭山事件は冤罪に終止符を打つ時を迎えている。
 10月31日、44年前、東京高裁寺尾裁判長が無実の石川一雄さんに無期懲役の不当判決を下したこの日に、「狭山事件の再審を求める市民集会」が東京日比谷野音で開催され、約3000名の労働者市民が結集した。主催は、狭山事件の再審を求める市民集会実行委。
 「下山第2鑑定」は、有罪証拠の発見万年筆が被害者の物ではなく偽物であることを、第1鑑定に続いて確定させた。第2鑑定は、蛍光X線分析装置を使ってインクに含まれる元素を分析、被害者が事件当日まで使用していたインクからはクロムが検出され、発見万年筆のインクにはクロムが含まれていないことを科学的に明らかにした。
 集会では、組坂部落解放同盟委員長、石川一雄・早智子さんの訴えの後、狭山弁護団の中北龍太郎さんが報告、「鑑定人尋問が大切、裁判所に認めさせる」としつつ、方針として「下山鑑定の学習会推進、『獄友』上映運動の拡大、関東ブロック等での意見広告」の三つを提起した。
 これら三つの闘いなどをおし進め、事実調べ・再審を実現しよう。(東京A通信員)