沖縄知事選 大勝利!何が問われているか
 
 「沖縄と日本政府の政治決戦」9・30沖縄県知事選挙で、玉城デニーと沖縄民衆が大勝利を収めた。厳しい選挙情勢をくつがえした歴史的な大勝利である。これによって、次のような情勢の転換が勝ちとられつつある。
 一つは、辺野古新基地阻止の勝利の展望が切り拓かれた。安倍政権による埋立て工事再開など、もってのほかである。「撤回」への法的対抗措置じたい許されることではない。米政府のほうはどうか。県知事選結果に対し、辺野古「移設」は政府間合意であるから、としているが米国内世論も動き出している。日本側は、安倍政権では話しにならない。日米合意見直しを米政府に提起できる日本の政権交代、これが視野に入ってきた。
 また一つは、改憲をはじめ安倍政治の行き詰まりである。安倍は、総裁第3期目の改造内閣を10月2日発足させた。しかし、総裁選での石破との抗争で「安倍一強」は揺らぎ、何よりも沖縄県知事選大敗北によって、満身創痍の自公政権継続となった。民心は離れつつある。9条改憲案を臨時国会に提出するならば、自爆行為となるだろう。
 また一つは、大局的にもっとも重要なことであるが、朝鮮半島に続いて、まさに沖縄が、東アジア大変動の推進要素として登場したことである。「オール沖縄」の今後の闘いに、東アジアの未来がかかっている。日本「本土」の闘いが、これに遅れをとってはならない。(編集部)

【沖縄からの通信】

  勝った「オール沖縄」に問われるのは
    継承「遺志」の明確化

 デニーが勝った。沖縄人にとって、これほど嬉しいことは滅多にない。
 「辺野古」は、積年の心痛のタネである。この知事選の帰趨も心痛のタネであった。投票日9・30に至る数日は劇的に過ぎた。期日前投票が過去最高の35%に達した。
 前日29日、秒速60mに近い台風が、沖縄島の山野をかきむしり、ぼう大な木々の枝をへし折り、まきちらしながら終日荒れた。
 投票日はどうなる? 残る65%はどうなる?
 9・30投票日の早晩の空には、月がこうこうと照っていた。投票締め切り直後、まだ9時にもならない時間帯に、玉城デニー当確が報じられた。
 「辺野古」をめぐり、もう20年も日本政府に対峙している。その沖縄人を代弁し、信頼を集めてきた翁長知事を失って、気落ちしている中での、超短期決戦となった知事選だった。
 名護市長は2月市長選で、すでに奪われている。次に日本政府は、佐喜真淳を宜野湾市長から知事候補に転じさせ、強大な力で沖縄県知事の首を取りにきた。内閣官房長官の菅が3度も来沖した。小泉進次郎も、あれこれの大臣も国会議員も総動員でやって来た。(安倍と争ったばかりの石破や希望元祖の小池東京都知事まで、政治的意図を別にもって選挙応援にやって来た)。政府・与党系総がかりの官邸直営選挙である。
 公明党が名護方式をとり、4年前の前回知事選での中立(自主投票)から、政府派(推薦)に移った。全国動員の上に党の山口那津男代表、創価学会の原田会長がそろってやって来た。かれらの「訪問戦術」を受け入れてきた沖縄人の寛容さも限界に達し、門前払いが増えてはいるのだが。
 前回、下地幹郎が独自に出て7万取った維新も、政府派に回った。要するに、「自・公・維・希」の枠組みは完成していたのである。基礎票段階で、日本政府に分があることになる。辺野古NOは沖縄人の7~8割を占めているものの、最大のピンチである。「オール沖縄」の他の面々に、翁長のような感性が備わっているようにはみえない、これもピンチだ。
 が、結果は周知のように、
玉城 396632票
佐喜真316458票
 の八万票の大差で日本政府が大敗した。
 日本政府の選挙戦略は基本的には、名護市長選と変っていない。つまり「辺野古の『へ』の字も言わない」である。しかし、それ自体の意味、その効果となれば、状況の変化の中で実質が変ってくる。
 翁長知事は8月8日の死の寸前、7・27に埋立て承認「撤回」を宣言し、副知事の謝花喜一郎代理が、8・31に防衛局に通知を出し「撤回」を実行した。工事は止まった。日本政府は、8月17日から土砂投入を開始して埋立て既成事実を宣伝すること、また、撤回を執行されても直ちに法的対抗措置を打つこと、これらの作戦が、知事選繰り上げで使えなくなった。
 普通の市民にとって、常識や法を無視して問答無用に暴力を振りかざしてくるヤクザはこわい。名護市民にとって、「への字も言わない」争点隠しで、ものを言わず問答無用に工事だけを進めてくる日本政府は、わけの分からないこわさを生み出した。
 が、知事選では、「工事は進んでいる」が県民に印象づけられない事態となった。「への字も言わない」は、単なる「沖縄人侮辱」に変質する。
 翁長知事が、命を賭して作った「撤回」は、日本政府の工事を止め、沖縄人に勇気と「チバラナーヤサイ、マキティヤナイビランドウ」(頑張りましょう、負けてはいけませんよ)「ナマカラルヤイビンドウ」(今からですよ)というアイデンティティの連帯を生み出した。
 「辺野古の『へ』の字も言わない」戦略が今回は、逆作用を果たした。こう考えなければ8万票大差はうまく説明できない。
 佐喜真は、「普天間基地の危険性の除去」を勝ち誇ったように多言してきた。これは、辺野古「移設」の理由を意味する日本政府の常用語でもある。佐喜真は宜野湾市長の座にある時は、その言葉を持参して県庁に乗り込み、翁長知事に何回も嫌がらせをしていた。
 しかし、「への字も言わない」戦略に「危険性の除去」の文言が、適っているとはかぎらない。人々にとって、市長としての佐喜真が「自分のところ(宜野湾市)から出て行け」と言うのは一定理解できることである。しかし、知事になっても同じことを言えるのか、自分のところ(沖縄県)から出て行けと言えるのか? 辺野古を黙っていて、そう理解することはできない。人々にとって、「おしゃべりで煙に巻こうとする見識のない人」という印象になる。
 自公などの敗戦の弁での「佐喜真の知名度が低い」という言は、それと同義語だ。実際を言えば、佐喜真のほうがデニーより知名度は高かった。デニーは3区衆院議員であったが、佐喜真は普天間基地所在地の市長として、事あるたびにマスコミに出ていた。翁長知事、稲嶺名護市長の次にくる著名人であった。名護市長選で知名度ゼロの渡具知の場合は「勝てばよい」なのに、著名市長が負けたら「知名度低い」になぜなるのか!愚弄するのもいい加減にしてほしい。
 こうして、日本政府派は、自民の支持層から2割余り、公明から3割弱、維新から5割、そして無党派からは7割をデニーに持って行かれた(出口調査などから推定)。「への字も言わない」名護方式は、県民の怒りに触れ、反転して、安倍、菅たち自身を切り捨てたのである。(付言すれば、「への字も言わない」戦略は、佐喜真と日本政府との矛盾をも作り出した。安倍官邸は、事務所開きでの佐喜真による普天間基地早期返還の熱弁に悩んだ。これを封じる考えも出されたが、結局できなかった。演説を「整理・縮小」にトーンダウンさせつつ、県民に公開された討論会を許さなかった。まさに官邸直営であった)。
 以上、日本政府の敗因を語ってきたが、沖縄県民の勝因を語らねばならない。納得のいく真の勝因は何なのか。ここが核心である。
 多くの人々が言う、「遺志の継承」だと認めてよいと思う。しかし、字義どおり死んだ者の後を継ぐという意味では、何らの意味もない。重視したいのは、「遺志」の内容である。存命中の翁長の感性、思想、方針である。
 他の弁説者のものは翌日には忘れるが、翁長の発言は不思議と記憶に残っているのが多い。「イデオロギーよりアイデンティティ」というのも、翁長の発言に発する。「自己決定権をないがしろにしている」、「沖縄人が一つになれば、君が思っているよりも、ずっと大きな力を出すんだよ」等々。これらから、一つの思想・方向性を感じることができる。
 個々人にとっては、「感じられる」段階でもよいのかもしれないが、「オール沖縄」にとってはそれでは済まない。約40万票の水源を出来うるかぎり明瞭な形とし、「オール沖縄」の方向性を確認できるよう、できれば文章化して提起することが求められているのではないか。

   若い世代への取組

 勝利に沸いている翌10月1日、沖縄タイムスの朝刊で、佐藤学・沖縄国大教授が「オール沖縄」の弱点について述べている。「若者の保守化は続く。沖縄現代史への無知から、ネットの言説に影響される世代が確実に大きくなる。この構造的問題に今、取り組む必要がある」と。この「世代」とは10~20代を指すが、出口調査によると、この世代だけはデニーがサキマに負けているのである。
 この課題は、「遺志」を明瞭化し「オール沖縄」の方向性を確認していく課題と、一体の闘いでもあるだろう。若い世代も、沖縄の労働者・市民の子であり、父母・先輩の生き方を理解できないものではない。「オール沖縄」が、かれらに何も提供していないということこそ、反省が迫られているのではないか。
 翁長の遺志を継承しよう! 辺野古を断念させ、安倍極右政権を倒そう!(10・4、沖縄T)