8・11沖縄県民大会7万に連帯し、東京・全国で同時行動
土砂投入は阻止、さあ攻勢だ!
8月11日、那覇での沖縄県民大会の同時行動として、東京では「埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8・11首都圏大行動」が、午前11時半から東池袋公園で行なわれた。主催は、辺野古土砂首都圏連など多くの団体が参加しての、同大行動実行委員会。辺野古国会包囲実が協賛、総ががり実や全労協が賛同。この日、東京・池袋の他、全国20ヵ所以上で沖縄県民大会連帯行動が取り組まれた。
この首都圏大行動には、2800人が参加。同公園で、また同じような諸団体で、今年の2・25は400人、昨年8・12は800人であるから、関心の高まりは明白である。8月8日に急逝した翁長知事を追悼し、遺志を継いでいく場となること。また今後はどういう闘いになるのか、こういう関心によって、運動圏の周囲から広く人々が集まったと言える。
最初に、全員で翁長知事に黙祷を捧げる。
実行委から花輪伸一さん(沖縄環境ネットワーク)が主催者挨拶、「沖縄では11時から、翁長知事の遺志を引き継ぎ、県民大会が始まっています。副知事が一刻も早く埋立承認『撤回』を行ない、8月17日土砂投入を止めることを求めます」と訴えた。
会場に、沖縄県民大会で謝花副知事が知事職務代理者として発言する音声が、中継された。謝花副知事は、「撤回については聴聞の審理状況もふまえ、辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強く熱い思いをしっかりと受け止め、毅然として判断してまいります」と発言している。
知事の遺志を継ぎ、埋立てを止めようという発言が、沖縄一坪反戦地主関東ブロックの青木初子さん、総がかり行動実行委の藤本泰成さん、大学生の佐川由佳梨さんと続いた。
奥武山競技場の県民大会には7万人と報告され、池袋の会場は大きな拍手となった。最後に実行委から尾澤孝司さん(土砂首都連)が、8・16~17防衛省座り込み行動などの行動提起を行なった。
続いてデモ行進が、「翁長知事の遺志をつぎ、辺野古新基地は造らせない」と大書きした横断幕を先頭に行なわれ、休日の池袋に大いにアピールした。
防衛省正門前
8・16~17座り込み
8月16~17日には、東京・市ヶ谷の防衛省正門前で、辺野古埋立て違法工事の中止を求める防衛省抗議行動が連日行われた。主催は、辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会。8月17日とは、沖縄防衛局が土砂投入の開始を、沖縄県に通告していた日であった。
沖縄では、土砂投入阻止のために、シュワブ米軍基地ゲート前で「辺野古新基地建設阻止8・6~10、8・16~18連続集中行動」が、8・8翁長死去、8・11県民大会を挟んで、連日闘われた。主催は、オール沖縄会議現地闘争部。また8・17には、辺野古海上大行動がカヌー49隻、抗議船5隻で闘われた。
東京での対防衛省行動は、これに呼応し、日本政府・防衛省に肉迫して、土砂投入を止める闘いとして企画された
8・16~17の両日、朝の出勤時に防衛省正門や市ヶ谷駅前などで情宣、その後正午まで五十名以上が正門前座り込み、午後5時から7時半まで情宣・座り込みが行なわれた。17日の夕刻からは、正門前大抗議行動として二百名以上が参加し、防衛省に工事中止の要求書を提出した。
県民大会7万に示されるように、沖縄を中心に、翁長知事の遺志を継ぎ、安倍政権の横暴を改めて許さないという気運が高まった。政府・防衛省はこれに恐れをなし、沖縄県民大会の後、「天候」を理由に8・17土砂投入の延期を口にせざるを得なくなった。
また土砂投入延期は、一つは沖縄県の「撤回」執行を牽制するためでもあり、また一つは、沖縄県知事選挙で日本政府側陣営が、「辺野古」争点隠しをやるための策略という面もある。
安倍官邸サイドは、「県知事選までの土砂投入の先送り」と「『撤回』の先送り」の取り引きを、翁長さん亡き沖縄県に迫っている。県はこれを拒否し、8・31に撤回を執行した。
17日の防衛省正門前集会でも、司会などから土砂投入延期の両面性が指摘された。名護からは安次富浩さんが電話で訴えるとともに、憲法市民連絡会の高田健さん、島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会、南部全労協などなどが発言。油断をせずに土砂投入を阻止しつづけよう、と確認して行動を終えた。
政府が土砂投入強行の構えのままであれば、対防衛省行動は、より激烈で大きな行動となったであろう。9・30沖縄県知事選の終了とともに、より強力な大衆闘争を防衛省・首相官邸・国会にぶつけていく必要がある。(東京W通信員)
8・12〜15第47回釜ヶ崎夏祭り
俺たちのセンターを
大阪では8月12~15日、「第47回釜ヶ崎夏祭り」が成功裡に開催された。
1972年に釜ヶ崎労働者の祭りとして始まった夏祭りは、毎年取り組まれ、近年は地域の祭りとして、さらには闘う仲間の団結の場、文化創造の場として発展している。
今年の会場では、現在もっとも重要な課題としてある「センター建て替え問題」について、アンケート調査などが行なわれ、「オレたちのセンター」に向けた議論が進められている。仮移転先の機能、そして新しいセンターの機能を現実の情況に見合うものとさせるため、議論を深め、具体的要求を作り出していかねばならない。
今年も、地区外、全国から、多くの仲間たちが夏祭りに駆け付けてくれた。辺野古新基地建設に反対する大阪行動、若狭の家、「慰安婦」問題関西ネットの仲間、狭山再審を求め東京で活動している野島ミカさん、などなど。
15日の慰霊祭には、翁長沖縄県知事(8月8日死去)、西岡智さん(6月29日死去、部落解放同盟矢田支部初代書記長)の遺影も掲げられた。また、イスラエル軍による虐殺の犠牲者を悼み、パレスチナの旗も掲げられた。
夏祭りでの仲間たちの諸提起を受け、釜日労など釜ヶ崎労働者は、8・25関電本店包囲闘争を手始めに、秋期連続闘争に入っていく。(釜ヶ崎S)
市民団体「釜ヶ崎講座」は、釜夏祭りの中の独自企画として、「特掃体験」ならびに「釜歩きツアー」を行なった。猛暑のさ中、延べ25名が参加。
13日の特別清掃事業の体験企画では、水分補給をしつつ、釜ヶ崎労働者の背中から、特掃の意義をかみしめた。
15日のツアーでは、「民泊とインバウンド問題」を柱に街を回りきり、案内人の水野阿修羅さんから話題提供を受けた。
ツアー後の感想会では、熱心な質問が続いた。「労働者の街」としての釜ヶ崎は消失していくのか、という不安を含む質問に対し、水野さんはこう答えた。
「釜ヶ崎では、仕事に就くことを背景に、闘いと支援の結合、その持続が続けられてきた。就労・福祉あるいはその他のジャンルでも、人材の力がある。それが、釜で暮す人々、あるいは流れ着く人々にとっての力にもなっている。この優位性が、今後も私たちの街づくりの源になるだろう」と。(関西I通信員)