福島第一原発事故・東電6月刑事公判
  「対策あれば事故は防げた」

 福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣三人の6月公判が、東京地裁(永渕健一裁判長)で行なわれた。
 6月公判は、1・12・13・15・20日(第14回~18回)の5回にわたって開かれ、事故当時の土木学会津波評価部会のメンバーらが証言。「事故は、やりようによって防げた」など、東電の主張に反する証言がなされた。
 第14回公判では、前回に引き続き都司嘉宣・元東大地震研究所准教授が出廷した。
第15回公判では、東北大学・今村文彦教授(津波工学)が、当時の土木学会津波評価部会のメンバーとして、検察官役の指定弁護士と東電側弁護士の両者の要望で出廷・証言した。
今村教授は、推本(文科省地震調査研究推進本部)の長期評価には「違和感があった」と繰り返し述べ、対策工事の必要性について「考えていなかった」などと証言した。
 しかし、2008年2月に東電社員の相談を受けた際、「福島沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できない。波源(津波が発生する領域)として考慮すべき」と発言した事実を認め、「長期評価を取り入れた試算を行なうべき」と助言したことを是認した。そして、東電が長期評価に基づき、最大15・7mの津波が襲来するとの計算結果を得ていることについて「知っていた」、また「津波が越えない高さの防潮堤を1~4号機建屋前面(東側)に設置すれば、浸水はかなり止められた」と証言した。
 これは、東電の「防潮堤は南側にとどまる」との主張に矛盾する証言である。
 第16回公判では、東北大学の首藤伸夫名誉教授(津波工学、当時土木学会津波評価部会主査)が出廷し、「事故はやりようによっては防げた」と証言。東電の担当者から08年に津波対策の相談を受けた際、「想定に備えるだけでは不十分」、「津波が防潮堤を越えても、設備が浸水しないようにする『水密化』などの対策を講じることが必要」と述べている。
 しかし首藤証人は、一方では、巨額の費用がかかる対策を取らせるには「根拠が必要で、説得は容易ではない」とも述べた。東海第二原発や女川原発などが、長期評価に基づき、対策を始めているにもかかわらず。
 土木学会評価部会は、津波の専門家・首藤教授が参加していたが、委員31名中13人が電力会社に、5人が電力関連団体に所属し、電力関係者に牛耳られる組織であった。そして電力会社に資金を依存し、コントロールされていた。発言の矛盾は、ここに由来する。
かって首藤教授は、津波想定の精度は「倍半分」(2倍の誤差がありうる・予測5mなら10m)と主張していた。しかし、第6回津波評価部会(01年)では、科学者の良心を裏切って、誤差を見込まない安全率1・0を提案した。「倍半分」は、事前の評価部会幹事団(10人中、東電社員2、子会社員1、電力中央研究員3)の会議で圧殺されたのだ。
 東電は、自由にコントロールできるこの幹事団を使って、対策の先送りを謀ったのである。
 第17回公判では、東大の岡本孝司教授(原子炉工学)が証言。原子力安全委で審査委員を務めた岡本教授は、弁護側証人として出廷し、「事故前は、想定を超える津波に対する発想がなかった」と証言し、「仮に浸水の危険が示されていれば、防潮堤の建設や原子炉冷却設備の確保といった対策をとるべきだった」と発言した。
 第18回公判では、事故前に土木調査グループの主任だった東電社員が尋問を受け、15・7mの津波が襲った場合、「非常用設備は維持できない」との意見が社内から出ていたと証言。「計器類も動かせない」という危機感さえ寄せられていたとも発言。そして、対策先送りは「経営判断と受け止め」、「従うべきだと思った」と振り返っている。
 以上のように、新事実が次々と明らかにされ、東電の犯罪性がばくろされている。しかし、永渕裁判長の裁判指揮に対し、「他の裁判とはあまりにも違い、被告人を守っているとさえ感じられる」との傍聴者の感想も寄せられている。油断は禁物だ。

  福島第二廃炉へ

 東京電力は6月14日、福島第二原発を「廃炉の方向で検討する」と表明した。これによって、福島第一原発6基、第二原発4基の計10基が廃炉の見通しとなった。廃炉が決定されれば、東電の持つ原発は、新潟県の柏崎刈羽1~7号機(6~7号機は、すでに再稼動に必要な新規制基準に適合済み)のみになる。
 廃炉について明言を避け続けてきた東電が一転したのは、福島県民が追い詰めた結果である。と同時に、東電が廃炉表明をテコに、汚染水処理問題の「解決」をねらっているのも事実である。
 福島第一原発では、汚染水を保管するタンクの用地が限界になり、除染しきれない放射性物質「トリチウム」を含む汚染水が、たまり続けている。国や東電は、水でうすめて海に放出する方法を中心に検討しているが、地元漁業関係者が「風評被害につながる」と猛反発。東電と国は、漁業関係者や住民の反発を押さえ込んで、海に放出してしまおうと画策している。
 一方、内堀福島県知事は、県内全原発の廃炉を公約に掲げ、当選した。今年10月には知事選が実施され、内堀知事も再選をめざして近く出馬表明と言われている。東電は、汚染水処理をねらって、知事との関係強化に奔走している。海洋放出を有利に進めようとの思惑が働いている。
 また、新潟知事選で、原発推進の自公が支持する花角英世候補が当選したことがある。柏崎刈羽再稼動の可能性が生まれたことも、東電の廃炉表明への転換を促がした。福島で断念しても、新潟で再稼動を画策している。

  大健闘の新潟知事選

 新潟知事選が6月10日に投開票され、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民など推薦の池田千賀子脱原発候補が50万9568票(得票率46・2%)を獲得し、大健闘した。
 自民、公明(推薦ではなく「支持」と称した)の花角陣営は、柏崎刈羽原発再稼動という最大争点を隠し、企業・団体締めつけ、創価学会をフル動員した期日前投票など悪らつな手段を用いた。「辺野古」争点隠しを徹底させた2・4名護市長選と、同じやり口である。
 池田候補は敗れはしたが、花角候補に約3万7千票差まで追い上げた。三位の脱原発候補に票が分散しなかったら、勝てている僅差であった。NHK出口調査でも、柏崎刈羽再稼動反対は73%と圧倒的多数を占めた。花角陣営による保守系脱原発票の獲得策が、効を奏している。
 東電に事故の刑事責任をとらせることも、柏崎刈羽の再稼動阻止も、闘いによって実現される。原発推進の安倍政権打倒・脱原発を実現しよう。機は熟しつつある。(東京O通信員)


6・28原発ゼロ基本法制定めざす市民集会
 国会審議を開始せよ

 川内・玄海・大飯など原発が次々に再稼動され、日本一危険な東海第二原発の再稼動と運転期間20年延長の認可さえ目論まれている。
 世界の動向に逆行する安倍政権のエネルギー政策に対し、その破綻を宣告し、転換を求めて、6月28日「原発ゼロ基本法の制定をめざす市民のつどい」が東京都内・なかのゼロホールで開催され、750名の労働者・市民が結集した。主催は、さようなら原発一千万人アクションと、原発をなくす全国連絡会で、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委が協賛。
 原発ゼロ基本法案は、原発廃止、省エネ、再生エネルギーの3項目で構成。法施行後5年以内に、全ての実用発電用原子炉等の運転の廃止。エネルギー総消費量を2030年までに30%以上削減(2010年比で)。再生エネルギーの電気供給量に占める割合を2030年までに40%以上に、等々の目標が掲げられている。
 それらは、安倍政権のエネルギー政策に根本的に対立し、安倍政権の暴走を止め、安倍政権打倒を促がす内容をもっている。
 集いは、さようなら原発一千万人アクションの鎌田慧さんの主催者挨拶で始まった。
 鎌田さんは、「原発ゼロ法案は3月に提出されたが、審議が開始されていない。法案の内容を宣伝し、一日も早く原発から脱却したい。当面、東海第二原発の再稼動を止めることが、最重要課題だ。首都圏にある最も古い危険な原発を止める。」「東海第二をとめ、青森の再処理工場を止める。下北の大間もとめる。一つひとつ止めて脱原発闘争に勝利する」と発言し、課題を鮮明にした。
 次いで、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の吉原毅会長が、「原発ゼロ・自然エネルギー推進に向けた展望と課題」の演題で講演。
 吉原会長は、「原発事故を起こせば、全国が高濃度に汚染される。これを無視して、再稼動・新増設の危険な状況に置かれている。70%の国民が、原発に反対している。しかし、保守の人々に推進派が多い。この人たちに真実を伝え、反対運動を進める必要がある。原発がなくても充分やっていける」と述べ、「経済発展に再生可能エネルギーの採用はかかせない」と事例を上げて説明した。
 原発ゼロ基本法案の趣旨説明では、立憲民主党・山崎誠衆院議員、共産党・藤野保史参院議員が発言。山崎議員は、「党は、全国20ヵ所で法案について討議し、2千名の人々が参加した。多くの人々の意見をもらって、法案をつくり上げた。今までになかったことだ。そして、立民・共産・社民・自由の4党共同提案になった。」「日本の経済発展を押しとどめているのは原発だ。廃止は、経済や国民生活にプラスになる。」「3月9日、法案を衆議院に提出した。応援をいただいて国会で取り上げさせたい。審議できなくても、法案は出し続ける」と決意を表明した。
 集いは最後に、原発をなくす全国連の小田川義和さんが、①原発利益共同体を追い込み、廃炉を実現する。②安倍政権に退陣を迫るため、来夏の参院選の争点に原発ゼロを加える。③小集会を全国で開催し運動を拡大する、と行動提起を行なった。
 延長国会となったが、原発ゼロ基本法案はいぜん審議入りが阻まれている。少なくとも継続審議とさせることが必要だ。(東京O通信員)


6・2釜ヶ崎講座学習会「仕事づくり集中講座」
  ワーカーズコープの可能性探る

 6月2日、大阪市の西成市民館で「第13回釜ヶ崎講座学習会」が、「釜ヶ崎講座×釜ヶ崎支援機構タイアップ企画・仕事づくり集中講座」として開催された。
 話題提供者は、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会センター事業団の田中羊子理事長と、同事業団参加の地域福祉事業所ワーカーズネットリングスの木下史郎さんのお二人。
 今春より、NPO釜ヶ崎支援機構と、東京都内を中心としたワーカーズコープとの業務交流が開始される中、上記コープセンターの歴史と実践に学び、釜ヶ崎で新たな協同労働づくりを形づくっていけるのか、この日の学習会は熱心な討議の場となった。
 まず、釜ヶ崎支援機構事務局長の松本さんが挨拶、「釜ヶ崎における主要な仕事は、社会的就労としてある特別清掃事業だ。この大阪府市からの委託事業の拡大・充実という取り組みとともに、新たな起業活動の開拓の機が熟してきたと考える。これにより働くことを取り戻し、野宿をなくして、人間らしさをつちかっていけると確信する。これまで支援機構も、さまざまな人々と協力して仕事づくりに携わってきたが、軌道に乗せきれていない。ワーカーズコープさんの多様な経験を吸収しながら、本格化の道を追求していきたい」と切り出した。
 最初に、木下史郎さんのお話し。木下さんが所長を務めるワーカーズネットリングスは、東京渋谷区・笹塚を拠点としながら、おもに清掃事業で活動している。「昔は個人的には飲食業を転々としていたが、病気にもかかり、生活破綻した。ワーカーズと出会い、さまざまな障碍や病気のリスクを持ち合わせた仲間とも出会い、その仲間たちとの協同労働の大切さにたどりついた。半端でない苦労・体験を共有して、起業・運営を手がけている。みんなで収入と居場所を分かち合い、生き甲斐を実感している」と語った。
 次に、田中羊子さんのお話し。「私自身は20代前半から協同組合に入り働いた。ワーカーズコープは、日雇労働者の生活の厳しさから生まれてきた側面も持っている。小泉内閣当時の規制緩和の最中、さまざまな公共サービス事業が奪われていった。しかし地域ニーズの追求が、協同労働の発展を促進した。現在、子どもたちの保育、年配者の居場所、子ども食堂などなどへ、その形は広がっている」と語った。
 ワーカーズコープ連合会センター事業団は、「NO排除・NO支援・NO援助」とし、独立して事業を進めてきた。その木下、田中両氏の並々ならぬ努力と苦労が、映像でも紹介され、見る者に感動と実感を与えた。学習会は、釜ヶ崎でのこの方面での、活動の前進を促がすものとなった。(関西I通信員)