5・1第49回釜ヶ崎メーデー
 社会的就労対応のセンターを

 5月1日、大阪・西成では第49回釜ヶ崎メーデーが闘われた。
 釜ヶ崎におけるメーデーとは、「オレたちも労働者だ!」と1970年に声を上げた「第1回釜ヶ崎メーデー」より始まる。1972年(釜共闘の時代)には、「本工主義」ゆえに下層―非正規を切り捨ててきている既存の労働運動に対するするどい問題提起として、釜ヶ崎労働者が、大阪総評のメーデー会場の演壇占拠(これは戦術的には問題があった)を闘ったこともある。この例にもみられるように、釜メーデーは常に、その時々の闘いの方向を、全労働者階級の立場に立って捉え返し、方針を打ち出す場であった。
 越冬闘争や夏祭りと共に、釜ヶ崎においては、最も重要な闘いの一つである。
 第49回目の釜ヶ崎メーデーも、「全国・全世界の労働者、闘う仲間と団結しよう!」、「原発も基地(戦争)も、差別も失業―野宿もない社会を目指そう!」、「安心して働き生活できる釜ヶ崎を実現しよう!」のスローガンを掲げて闘われた。
 第一の課題は、90年代以降の反失業闘争のさらなる発展だ。
 深まるアブレ地獄の中、高齢化がすすむ釜ヶ崎労働者にとって、社会的(公的)就労を就労の基本にすえ、「働いてメシの喰える『新たなしくみ』」を作り出していくことだ。
 そのために、①今ある「特掃」を拡大し、月13日就労にする。(これによって日雇雇用保険・健康保険の受給権利を得ることができ、これ以外の仕事に就けなかったとしても生活保護並みの収入を得ることができる)。なお「特掃」とは大阪府・市による高齢者特別清掃事業、NPO釜ヶ崎が委託)。
 ②生きるために新たに釜ヶ崎にたどりつく若い仲間にも、「特掃」のような「しくみ」を作り出すこと。(「特掃」は55歳以上であり、若い仲間には土木・建築の経験のない人が多いので、また、若く元気である事も考える必要があり、方針としては単純に「特掃」の年齢制限の解除とはならない)。
 ③「住居費だけでも」といった生活保護の「単給支給」を認めさせ、これを「特掃」とセットにする。
 これらのことによって、安定的な「働いてメシの喰えるしくみ」が実現できる。
第二の課題は、「センター建て替え問題」だ。
 来年度からは、労働施設が仮移転され、今の西成総合センターの建て替えが始まる(社会医療センターと市営住宅は、旧今宮小学校跡地へ移転とされ、建設工事がすでに進められている)。
 1970年に今のセンターが建てられる際、釜ヶ崎の労働者の声が反映されることは無かった。(全港湾西成分会はいくつかの要求を行ない、一部は実現した)。
 時代が変わり、行政も釜ヶ崎労働者、地域の住民の声を聞かざるをえなくなって、そのための会議も進められている。
 しかし、来年度からの「仮移転」について、その内容・規模が決まっていない。ましてや建て替え後のセンターについての討論が深まっていない。
 かって万博景気にわき、高度経済成長期の只中、労働者も若く元気だった1970年当時と、今の低成長(マイナス成長)時代、すなわち労働者派遣法もでき、労働者が高齢化し、多くの仲間が失業―野宿を強いられている今の時代とでは、センターの位置と役割は決定的に異なる。釜ヶ崎の労働者の声を、具体的要求へと編み上げねばならない。仕事は民間まかせで、それへの民主的規制としてあった「あいりん方式」のセンターから、社会的(公的)就労を基本にすえた「働いてメシの喰える『新たなしくみ』」に対応できるセンターへと、建て替えていかなければならない。
 第三の課題は、安倍政権の打倒である。
 4・27板門店での南北首脳会談、そして今後の米朝首脳会談と続く、朝鮮半島をめぐる情勢の大きな変化が始まった。これに逆行し、自主的統一への前進に何かとケチ付けを行ないながら、改憲・戦争への道をいぜん突き進みたいというのが安倍政権である。内政でも、公文書改ざん等の責任をとらないまま行き詰まっている。この安倍政権を、一日も早く打倒することだ。
 なお、あいも変らず「職安は仕事を出せ!」のみを主張し、強いられた野宿を「自由の証し」と称賛し、あまつさえセンター建て替え問題についても、「コンクリートは50年たてば、後は年々強度を増す」とどこで聞いてきたのか訳のわからない理由で、建て替えに反対している部分、つまり失業―野宿を固定化し、「今のまま」を主張する部分もいるが、こうした「反対」論は、きちんと批判しなければならない。
 さて、メーデー当日、センターは朝から赤旗が林立し、労働歌が流れ、メーデー一色に染め上げられた。仕事が無い事を反映して普段朝のセンターに出てこなくなった仲間も、顔を出している。
 そうした仲間の注目のもと、センター中央で集会が開催され、仲間からの発言が続いていく。「土地の日」の闘いとイスラエル軍による殺傷、そのパレスチナの現状を伝える仲間の発言もあった。
 まず、全港湾西成分会のデモが出発。かれらとは、1972年・釜共闘結成以降、運動的・組織的に分岐して久しい。それでも、「別個に進み、共に撃つ」という姿勢でこれを見送る。
 いよいよ、釜日労・反失連のデモが出発だ。横断幕を先頭に140名の隊列が、「認定通り」を三角公園横をへて行進、さらに「銀座通り」へと地域内をねり歩く。多くの仲間、地域住民も注目している。
 ふたたびセンターにもどり、ただちに要望書を持って、大阪市・大阪府に向かう。市役所前では、全港湾西成分会のメーデーに参加した労働者も、数名合流した。
 大阪市には従来の要求に加え、生活保護の「単給支給」など、きめ細かい施策を求めるとともに、社会医療センターと市営住宅のセンターからの切り離し以降も、トンコすることなく、センター問題について責任を持つことを求めた。

   特掃削減糾弾!

 大阪府に対しては、反対の声を無視し、上からの一律5%削減に従って「特掃」予算を削減し、1日5人の就労機会を奪ったことを徹底的に糾弾し、「とられたものは(倍にして)とり返す」宣言を行なった。
 すべての行動を終えて、場所を大阪城公園に移し、恒例となっているカンパイを行なった。なお同公園で実施された連合大阪のメーデーでは、今年もメーデー会場清掃の仕事を釜ヶ崎労働者に出してもらうことができ、約100名の仲間がメーデーに参加し、仕事に就くことができた。(釜ヶ崎S)


5・1第89回日比谷メーデー
 「働き方改革」法案を廃案へ

 5月1日東京では、日比谷野外音楽堂の内外にて「第89回日比谷メーデー」が行なわれ、約6千人が参加した。主催は、全労協や都労連などによる同メーデー実行委員会。
 今年の日比谷メーデーは、公文書改ざん事件などで安倍政権が傾く中、「働き方改革」法案の国会提出が4月に強行されるという情勢下で開かれた。今年のスローガンは、「9条改憲反対!戦争法廃止 安倍政権の退陣を!」、「なくせ貧困・格差 8時間働けば暮らせる社会を!」「福島を忘れない!原発の再稼働糾弾!辺野古新基地建設阻止!」、これらが掲げられた。
 開会宣言の平賀雄次郎さん(中小民間労組懇談会)につづき、鎌田博一さん(国労東京地本)が主催者挨拶を行ない、8時間労働制破壊と資本のための生産性向上をねらった「働き方改革」法案を絶対阻止し、安倍政権を打倒しようと訴えた。
 都労連委員長の西川晋司さん、また同時刻に代々木公園で全労連などによる第89回中央メーデーが開催中であるが、その実行委員会から橋口紀塩さんが連帯挨拶を行なった。国会議員からは、福島瑞穂参院議員が「ウソ政治、嘘つき政権、さようなら」と挨拶した。
 韓国民主労総からメッセージが寄せられた。「韓国では小企業・交通運輸・医療などで時間規制の除外がひろく行なわれ、長時間労働が強制されている。広場の民主主義を職場の民主主義へ、財閥王国を変えるために闘う。」「4・27板門店宣言では、平和に生きる南北国民の意思が表現された。日本の皆さんと共に、闘いの道、連帯の道を進みたい」との呼びかけであった。
 各闘いからは、非正規雇用について宇田川朝史さん(郵政産業労働者ユニオン)、外国人労働者についてビクトールさん(全統一)、5・3憲法集会実行委から菱山南帆子さん、JAL不当解雇撤回争議団から山口宏弥さんがアピールした。
 労契法20条裁判の東日本原告でもある宇田川さんは、「昨年の東京地裁に続き、今年2月には大阪地裁では、手当全額で格差是正を命ずる画期的判決をかちとった。しかし今春闘では、JPは格差是正と称して、なんと正社員の手当削減を回答してきた。そんなことを私たちは求めているのではない! この回答をすぐに呑んでしまったJP労組多数派の対応は、批判されるべきだ」と指摘した。
 メーデー集会は、アピール採択、金澤壽さん(全労協議長)音頭の団結ガンバロウで締め括られ、初夏並みの晴天の下、2手に分かれてデモ行進が行なわれた。(東京W通信員)


関西新空港反対!4・8泉州現地集会
  訪日客頼みの先は軍事利用

 4月8日、大阪府泉南市の岡田浦浜で、「関西新空港反対!4・8泉州現地集会」が開かれた。主催は、泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会で、釜ヶ崎日雇労組など40名が参加した。
 住民連絡会の根本事務局長は、「関西新空港はインバウンドとLCCの乗り入れ増により、収益も大幅に改善されたといわれている。しかし1994年の開港以降、一本目の滑走路の離発着目標の年間16万回を超えたのは3年前からであり、インバウンド効果がずっと続く保証はない。いつでも軍事利用される可能性を常に考えていかねばならない」と訴えた。
 釜日労の佐々木さんは、釜ヶ崎労働者の置かれているいぜん厳しい現実を報告しながら、反空港闘争への決意を述べた。
 さらに関西三里塚闘争に連帯する会、東大阪連帯する会、尼崎の仲間、そして関西共同行動より連帯の挨拶があり、また三里塚の空港反対同盟からのアピールが読み上げられた。
 集会後、樽井までのデモ行進が行なわれた。(関西Si通信員)