【沖縄からの通信】

2・4名護市長選挙の敗北―その徹底的総括へ向けて
  沖縄人の主体性を確立しよう 

 2月4日投開票の名護市長選挙での稲嶺現職候補の敗北は、沖縄全島をおおう激震であっただけに、ひと月を経た今もなお、人々の心からうっとうしさが消えていない。「民主主義の死」などという言葉で終らせることなどできない。徹底的な総括が迫られている。
 人々のあいだで、今もなお総括作業は続けられているが、このかんの諸指摘を参考にして、筆者なりの総括を述べたい。
 選挙結果の得票数は
稲嶺進  16931
(社民、共産、社大、自由、民進推薦、立民支持)
渡具知武豊20389
 (自民、公明、維新推薦)
 投票率は76・9%(前回76・7%)で、期日前投票が、投票者総数の内57・7%(前回44・3%)にも達している。
なお前回14年選挙は
稲嶺19839
末松15684
 日本政府は、名護市長、沖縄県知事の権限行使によって、辺野古の工事をすることができない(現在進められている工事は、県の岩礁破砕許可を得ずに、違法に行われているもの)。合法的な工事のためには、不許可権限を行使しない市長・知事を作らねばならない。したがって名護市長選は、形は一地方自体の首長選挙であるが、実質は辺野古新基地拒否か容認かをかけた、名護市民・沖縄人全体と日本政府とのあいだの特殊な選挙であった。

 「工事進行」は虚構

 日本政府の今回の市長選挙戦略の柱は、五つあげられる。
① 真意を隠すための「辺野古ワード」の封印、
② 工事強行
③ 沖縄公明党のろう絡
④ ステルス作戦(水面下の組織戦)
⑤ SNSを使った若者獲得
 まず①について。仲井真やアイ子のような、みじんの信頼もないキモイ司令塔や、沖縄自民党の政策丸出しでは、戦わずして敗北が決まる。言えば言うほど敗北に近づくわけだから、「徹底的に言わない」。封印がかけられ、「辺野古の『へ』の字も言わない争点隠し」が行われた。市議時代の渡具知氏は辺野古容認を口にしていたが、是非を語らざるをえなくなる候補者討論会も拒否した。
 ②について。選挙期間中も工事強行が続いたが、これは、「工事は進んでいる。もう止めることはできない、この問題は終りだ、楽になりたい」という名護市民の世論を作り上げるためのネタであった。「工事強行」は、市長権限・知事権限の無効をかもし出し、「オール沖縄」による辺野古阻止の無力化を印象づける。この②が、①③④⑤とも絡み合い、人心をまどわす虚構として、戦略の中核をなしている。工事強行、これしか手がなかったともいえる。
 実際は、作業ヤードも、仮設道路も、美謝川切り替え工事も市長に拒絶されて、政府・防衛局は困り果てていた。大浦湾側ではK9護岸工事は中断され、調査ホーリングからやり直しとなり、違法工事を承知で、反対の浅瀬側で工事を続けるしかなかった(K1護岸、N5護岸)。
 政府は工事進捗を宣伝するが、軟弱地盤問題、大浦湾の活断層問題も合い間って、全体設計が破綻している。本部港で石材をダンプから台船に、K9を桟橋として使って台船からダンプへと、手間隙を浪費して浅瀬側の工事を続けている。今夏には土砂投入とも言われるが、これは、辺野古漁港に作業ヤードを作れないため、N5護岸付近に土砂投入して作業ヤードを作る苦肉の策と見られている。これで埋め立て開始なのか。(2面図参照)
 「オール沖縄」と名護選対が、「工事が進んでいる」という市民認識を許したのは、敗北の一因どころか、敗北そのものであると言うべきだ。
 この点は、一~二年前から市民運動では認識されていた。北上田毅氏(平和市民連絡会)は、「工事は見せかけ」、「壁に突き当たって進めようがない」ことを論証してきたし、学習会も持たれてきた。(月刊『世界』08年3月号・北上田論文参照)
 昨年10月の衆院選では、「工事は進んでいない」を、オール沖縄・全4候補の共通の訴えとして全県に周知徹底させるよう、市民運動は主張したが、4候補は誰一人実行していない。現場感覚が無いのか、勝とうと思わないのか、核心点を認識しえていない。それでも衆院選では3候補は勝った。
 名護では、この勝ち戦で慢心した。オール沖縄も名護当事者も、自分たちの仕事を放棄している。「国のやることなんだから、止めるのは無理でしょう」(選挙会合での有権者の言)に対し、「護岸工事が進む報道を見れば『止めるのは無理』と感じるのは、正直言って分かる気がする」(選対)と言っている。(沖縄タイムス2月7日『代理戦の裏側』)
 稲嶺市政は、辺野古を阻止するためにあった。市民から負託を受け、市長権限を行使して、現実に工事の進行を止めている。それを、日常的に市民に報告する義務があったはずだ。日本政府との争いであること、自分たちが何物であるかの自覚があったのか。現在でも、辺野古反対は7割近く(共同通信1月28日名護世論調査では66%)もあるのに。動揺させられた反対派市民は、その弱い部分から3割近くも持っていかれた。日本政府の虚構を破壊する材料は、すぐに印刷できるように、テーブルの上にあったのに。
 ③について。沖縄公明党は、東京党本部の推進派と違い、辺野古NO!の立場である。従来、名護市長選では中立(自主投票、実質はNO!の候補への投票と思われる)であった。知事選では、自公協力の位置に立ち矛盾を抱えていた。
 今回、市長選で公明がそのまま中立であり続けるならば、日本政府の戦略が成り立たない。基礎票(名護で公明2千票と言われる)の段階で、勝算が立たない。沖縄戦から来る思い、軍事基地、戦争に対する反感は、創価学会婦人部にとくに強い。辺野古新基地の建設は、まさに彼女らが憎むものである。彼女らが辺野古Yes派に投票することは、不可能である。今回、彼女らの意志が形式的には保たれつつ、実質的には逆に転じる政治的カラクリが編み出された。沖縄公明と渡具地氏とが、「海兵隊の県外・国外への移転を求める」と明記した政策協定を結んだことである。いかなる会話、いかなる困難を経たかは知りようもないが、ともかく協定書が成立している。
 創価学会の原田稔会長が1月に来県し、学会の佐藤浩副会長が党の選挙事務所を設けて常駐した。公明党の取り込みと、①の辺野古隠しとは裏腹である。
 ④について。日本政府は辺野古推進を名護で言えない以上、「ステルス作戦」で渡具知票をもぎとるドブ板にならざるをえない。菅官房長官が名護市内の小さな会社の役員の携帯に、「官房長官の菅です」と電話をかけ回っている(琉球新報2月7日『激震市政転換』)。  菅は1月には、名護市内の辺野古を含む小さな集落の三つ(久辺三区)に来て、水利施設が欲しいという青年団に、「カネをやる」と約束している。自民の二階俊博幹事長も「カネをやる」ために来県している。元閣僚や国会議員が絶え間なく来県した。典型的ステルスは、全国比例の参院議員である。かれらの選出母体、医師・建設業・郵便局・遺族会などなど職能団体をつうじて名護在住者リストを作り、ドブ板で歩き廻った。
 また、沖縄の経済界グループは10万枚のビラを、北部の町村の全戸に配った。「チーム沖縄」に属する北部の町村長らは、他の自公グループらと共に、名護市の北端ビー又に裏選対を作り、北部出身名護在住者への対策に当たった。これらは、すでに今秋の知事選挙にもなっている。
 金武町、恩名村、本部町、今帰仁村、東村、宜野座村、大宜味村、国頭村などは(数百票の伊平屋、伊是名の二村をのぞいて)、辺野古NOの「島ぐるみ」の得票数のほうが多いのであるが、何ゆえか首長は自民党が独占しているのである。「島ぐるみ」や「オール沖縄」はおっとりしていて、「チーム沖縄」はカネを追いかけ、日本政府を追っかけ、国家予算を狙う、すばしっこい連中だからなのだろうか。
 ⑤について。18歳選挙権になって、最初の名護市長選であった。日本政府は名護での若者対策にも、昨年の早くから始動している。出口調査によると、若年票の多くを獲得している。投票日を待たずに、東京からやって来たSNSのプロ集団は帰還したらしい。 
平和市民連絡会の総括討論に、SNSの若者状況に危機感を抱いた若い女性が2人も初めて参画し、報告している。「シュワブゲート前の人たちは、おカネをもらって来ている」、これが若い人たちのSNSの中では、もう動かしがたい真実となってしまっているらしい。稲嶺候補の息子の悪口など、ありとあらゆるウソが真実になっているらしい。
 ごく一部には、「小泉に負けるな、行け立民」(自民党・小泉進次郎が二度も名護入り)、「走れ枝野」もあるらしい。沖縄にも名護にも、立憲民主党は存在しない。しかし長年活動する社民や共産よりも、衆院比例票では県でも名護でも得票数は多かった。今回の選対に、立民ブームにうまく反応する感性があったとはいえない。
 オール沖縄も、SNSを徹底的に研究・実践せねばならない。何よりもウソを見抜く情報、これを発信できるネットワークを形成しなければならないだろう。

  沖縄の自己決定権

 以上、いろいろな事例で名護市長選挙の敗因を挙げてきた。しかし今回のように、日本政府が国家の金力と権力を総がかりで出動してくる事態、辺野古NOの運動の新しい局面が新しい事態に行きついてしまっている今では、敗因を並べても総括にはなりえないだろう。オール沖縄を形成する沖縄人が、真剣に総括を続けていって、だんだんと対応能力を身に付けていく以外に道はない。
 そのためには、諸政党や様々な団体が間口をひろげ、自由にものが言えるようにならなければならない。自由な討論が行われ、磨きがかけられると、そこから沖縄人の主体性が形成されるにちがいない。
 辺野古NO!の運動は、20年のあいだに変化している。最初、多くの沖縄人は、長年のしがらみから自民党に背を向けることができずにいた。県知事も名護市長もずっと彼らが占めていた。97年12月の名護市民投票で反対派が勝って以降、沖縄戦体験者の古参の自民党員たちが、堂々とNO!に移ってきた。日本では沖縄戦と十五年戦争を知らない自民党に世代交代が進むにつれて、沖縄自民党との間に大きなズレが生じ、仲井真知事の時代にズレが破断して、翁長知事グループが大量にNO派(県外移設派)となった。
 首長の座の交替はあるが、時間の経過は、NO派の伸長が右肩上がりである。この傾向は続いている。今回の名護市長選での争点隠しは、日本政府の作戦勝ちと言うよりも、日本政府がYesを公然と表明しては選挙を戦いえない段階に、今やそこまでに至っていることを示している。この大局を見失わずに、今後の現場闘争や今秋知事選に臨んでいく必要がある。
 沖縄人の主体性が問題だというのは、筆者からすれば結局、沖縄人の自己決定権の獲得という課題である。
 運動の大部分、選挙の大部分を取り仕切っているのは、各政党人である。それは仕方のないことであり、誰でもできるものではなく、今はかれらがやる以外にない。社民党や日本共産党の主題は、米軍基地の法的根拠である日米安保の解消であったり、改善であったりする。その路線では、日本の国会と政府での勝利、日本全体での勝利がなければ、沖縄の米軍基地からの解放は無いことになる。
 しかし、日米安保の肯定論者も、県外移設論者も、どんどん辺野古NOの運動に入ってこなければ日本政府には勝てない。このかん「オール沖縄」はそのようにして優勢を保ってきた。が、その全体をカバーする主体性が作られねば、大きなエネルギーには成り切れない。沖縄の自己決定権の確立は、日本全国民がまだ勝利できていない段階においても、沖縄が軍事基地を拒否できるための戦略である。
 ガルビン(米国生物多様性センター)と、ゴルバチョフ(元ソ連大統領)は辺野古の闘いの熱烈な支持者だが、2人とも、辺野古は「沖縄と東京」の闘いだと見ている(東京というのは「日本政府」という意味)。つまり自己決定権の問題と見ている。何ゆえ、沖縄人が国際法上の最も有効な手を使わないのかと、批判的に激励している。自己決定権の確立は、原理主義的な沖縄独立論ではない。沖縄人マイノリティの主体性を育て、憲章とマイノリティ議会を創設していく具体的過程である。

  「撤回」断行を!

 筆者の大方向はこういう所にあるが、読者の最大の関心は、名護市長を失った後の当面の闘い方にあるだろう。
 渡具知新市長は、大きな矛盾を抱えることとなった。「海兵隊の県外・国外移転」と「辺野古容認」は完全に矛盾する。岩礁破砕裁判の3月13日判決がどうであれ、容認表明はありえず、許されない。
 翁長知事は2月14日開会の県議会で、「辺野古に新基地は造らせない、ということを引き続き県政運営の柱に、全力で取り組む」と表明した。問われるのは、その実質だ。平和市民連絡会や「うるま島ぐるみ」は、このかん埋立承認「撤回」を求めてきた。知事は昨年3月、「撤回を力強く、必ずやります」とシュワブ前で語ったが、ずるずる「撤回」しないまま名護市長選となった。「撤回」断行で(一時的にせよ)工事を中断させ、「工事進行」の虚構性を示すべきではなかったか。
 今後は、土砂投入の前の、「撤回」断行が問われている。「撤回」は、岩礁破砕未許可だけでなく、設計変更申請をしないなど不法行為ごとに、何回でも断行できる。闘う姿勢を堅持することが、知事選必勝の前提となる。
 これら当面する課題については筆を改めたい。沖縄人は主体性を確立しよう。安倍・菅極右政権を打倒しよう!辺野古新基地は造らせない!(T、2・28記)