12・28~1・4第48回釜ヶ崎越冬闘争闘い抜かれる
  労働者・住民のための新センターを

 昨年12月28日の「突入集会」から、本年1月4日の大阪府・市への要求行動(お礼まいり)まで、第48回釜ヶ崎越冬闘争は勝利のうちに闘い抜かれた。
 釜ヶ崎の労働者にとって、この時期は最も厳しい時期だ。それは冬の寒さだけではない。現場が閉まり、仕事がまったく無く、また行政の窓口が閉ざされ、さらに飯場からも追い出され、多くの仲間たちが野宿を強いられ、餓死・凍死の淵へと追いやられる。
 行政の施策は、わずかばかりの「一時金」(これは今では廃止された)、そして「治安対策」としての「臨泊」のみであった。
 あいりん総合センターが建ち、「あいりん方式」が始まった1970年の冬、全港湾西成分会の有志らが中心となって、「仲間の生命を守り抜く闘い」として第1回越冬闘争(当時はこの名称ではなかった)が闘い抜かれた。
 こうした運動は一方で、「対行政闘争」「ゼネコンとの闘い」のみを主張し、暴力手配師と闘わない全港湾西成分会との路線的・運動的分岐を創り出し、「黙って野垂れ死ぬな!やられたらやりかえせ!」をスローガンに、「暴力手配師追放!釜ヶ崎共闘会議」(釜共闘)が1972年に結成された。
 国家権力の集中した弾圧によって「釜共闘」が解体して以降も、越冬闘争は毎年闘い抜かれ、今年で48回目を迎える。
 仲間が最も苦しい時期、共に支え合い「生き抜く闘い」を闘わずして、仲間の団結は作れない。「越冬闘争が釜ヶ崎の闘いの『原点』」といわれる由縁である。
 事実、越冬闘争を通じて作り出された団結した力で、70年代には「暴力手配師・ケタオチ業者」との闘い、80年代には「賃金闘争」、そして90年代からは「反失業闘争」が闘い抜かれた。
 とりわけ、アブレ地獄がいっきに深まった90年代は、それまで越年期や年度変り、梅雨時期などの時期的なものであった失業―野宿が、通年化・常態化していった。越年対策だけではなく、通年的な失業対策・雇用施策が求められたのである。
 2000年代には、中之島公園や大阪城公園での野営闘争やセンター夜間解放闘争も、90年代の闘いの蓄積のもとで闘われ、釜ヶ崎においては、社会的・公的就労としての「特掃」が、そして「シェルター」が闘い取られた。
 また02年には、失業―野宿が「なまけ者」「自己責任」ではなく、「国の責任」であると認めさせた「ホームレス自立支援法」の成立を闘い取り、昨年は2度目の延長(10年間)を実現させたのであった。
 今越冬闘争でも、昨年10月末、釜ヶ崎で責任をもって活動している団体・個人によって実行委員会が結成され、同志的な討論の中、「仲間内の団結で一人の餓死・凍死者もだすな!」を合言葉に準備が進められ、全国からの支援の下、闘いが貫徹できた。仲間の生命を守り抜くことができた。
 第48回越冬闘争が終っても、冬の寒さはまだまだこれからが本番だ。1月下旬には歴史的寒波とも言われる。実行委参加の団体・個人は、それぞれ連携を取りながら、「炊き出し」「夜廻り」などの活動を続けている。
 2018年の闘いにすでに突入している。改憲をめぐる安倍政権との決戦が近づいている。
 釜ヶ崎においては、アブレ地獄はますます深まるばかり、「建設業の人出不足」が言われながら、「釜に仕事が来ない」状況が続いている。
 今越冬時においても、「臨泊」を379名が利用せざるを得ず、また集団野営を含めて100名以上の仲間が路上で新年を迎えざるをえなかった。
 社会的・公的就労の「しくみ」をさらに充実していくことが、ひきつづき釜ヶ崎の第一級の課題である。
 また、「センター建て替え」問題では、医療センター・市営住宅の移転工事、センター本体の仮移転工事が始まっている。
 問題なのは、どのようなセンターへと建て替えさせていくのか、という点での討論が遅れていることだ。「センターは安全」、「壊すのはもったいない」のみを主張する部分は論外としても、議論を急ぎ、労働者・住民の声をあげていかねばならない。
 かって高度経済成長下、大阪万博をひかえ、労働者も若く元気だった。そして労働者派遣法は無く、寄せ場が「景気(雇用)の調整弁」だった。この五十年前と、大不況が進行し、失業―野宿が常態化し、労働者の高齢化が進む今日、また派遣法により、派遣が景気(雇用)の調整弁となっている今日とでは、センターの役割は大きく変らざるをえない。おおいに議論を深めていきたい。
 また、日雇雇用保険をめぐる厚生労働省との闘い、また、結果として労働者が現場からしめ出される「通達」を出した国土交通省との闘いもある。
 2018年、大きく変化する年となるだろう。団結して前進するのみ!(釜ヶ崎S)


1・3新春釜あるきツアー
  町の変化と向き合って

 釜ヶ崎講座は、今48回釜ヶ崎越冬闘争に連帯しながら、講座独自企画として12月30日「越冬連帯行動デー」と新年3日の「釜あるきツアー」の行動を、のべ30名で成功させた。
 また、4日の釜ヶ崎反失業連絡会による対府市要望書行動(お礼参り)にも参加して、とりわけ大阪府の「特掃予算削減」の動きの撤回を求め、約60名の仲間と共に抗議した。こうして、本年の新たな運動構築の決意を固めることができた。
 1月3日の、講座恒例の「新春釜あるきツアー」では、今回も水野阿修羅氏のスピーチと引率で、変化する釜ヶ崎の実相を学習した。
 今、釜ヶ崎では、新たな外国人観光客向けのホテル建設の加速と対照をなして、西成総合センター建て替えを軸とした、従前の寄せ場機能の衰退という現象があらわれている。
 この日の意見交換の場でも、釜ヶ崎の日雇労働者の街としての姿は消失するのではないかという質問が出た。これに答えて水野氏は、日雇労働と寄せ場の機能は無くならないと思う。良くも悪くも建設業総体の人材不足の中で、釜ヶ崎の人材業者は、人を扱うすべを心得ている。それは、関東の仕事などを主としながら機能していることからも分かる。とくに、福島被災地の徐染など人の嫌がる仕事で。国もこの点を承知していて、ベトナム、ミャンマー、ネパールなど各国からの「研修生」身分での労働力の流入の実態とともに、釜の人材手配が一つの流れを形づくっているのではないか、と述べた。
 また水野氏は、釜での外国人流入については、「中国籍を中心とした外国人のカラオケバーなどの乱立がいちじるしいが、かれらは街づくりの話しにも顔を出してくるし、この街の変化と在り方にまじめに向き合おうとしている人も多い」と述べ、安心して働いて暮せる街づくりには、排除ではなく、全ての人々の参加と力が必要だと重要な観点を述べた。
 「あなたと釜ヶ崎をむすぶ」市民団体・釜ヶ崎講座は、就労を軸とする反失連など釜の闘いに本年も連帯しながら、地区外のみなさんへの、釜ヶ崎の活動紹介にいっそう力を注いでいく。(講座会員I)


日雇全協1・13山谷集会
  寄せ場と社会運動むすび

 1月13日、東京・山谷の玉姫公園で、「佐藤さん山岡さん虐殺弾劾、追悼、寄せ場を結び社会運動の前進を!1・13山谷集会」が、約200名の参加で行なわれた。主催は、日雇労組全国協議会。
 集会はまず、佐藤さん、山岡さんへの黙祷で開始された。司会の荒木さん(山谷争議団)からは、現下の安倍政権に対する諸運動と寄せ場闘争の意義が提起された。
 連帯あいさつは、争議団連絡会議、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、反天皇制運動連絡会、差別排外主義に反対する連絡会議、たんぽぽ舎が行ない、また山谷越冬闘争の報告などがなされた。
 日雇全協各支部としては、釜ヶ崎、笹島、寿、山谷から、また渋谷越冬実行委から決意表明がなされた。釜日労からは、大阪の維新府政による西成特区構想の一環である西成総合センター建て替え問題にかかわり、釜ヶ崎労働者の闘う陣形の構築が力強く表明された。
 どの寄せ場においても、高齢化が進み、生保獲得もひとつの大きな課題となっている。一方で、フクイチの原発下請け労働や、東京五輪にかかわる建設ラッシュなど過重労働の問題が押し寄せてきている。寄せ場の闘いは、社会運動各層と結びつき、安倍政権と対峙する更なる発展が求められる。
 集会参加者は、警視庁機動隊と公安警察による過剰警備の弾圧をはねのけ、山谷一帯の果敢なデモ行進を貫徹した。(東京ku通信員)


1・14三里塚空港反対同盟「旗開き」、東峰現地行動
  住民の反発ひろがる第3滑走路計画

 1月14日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)は、横堀農業研修センターで「18年反対同盟旗開き」を行ない、40名が参加した。
 国交省・成田国際空港会社・千葉県・関係自治体が一体となって、飛行制限時間緩和・成田空港「第3滑走路」計画を押し進めている。18年度政府予算案では、成田空港機能拡大に向けて52億円を計上。同時に「第3滑走路」計画の着手にむけて、地元工作のバックアップを表明している。地元説明会は、すでに120回行なわれている。「対話型説明会」と言っているが、推進派の一方的な押し付けであることが実態だ。住民に「説明した」という既成事実の積み上げでしかない。
 成田国際空港会社の夏目社長は「新年ご挨拶」で、「可能な限り速やかに更なる機能強化の最終的な結論が得られるよう最大限努力」と述べ、説明会で明らかになった住民の不安・疑問・反対の声はほとんど無視し、強行突破する姿勢をあらためて示した。
 反対同盟はこのような推進派を糾弾し、旗開きで年頭の闘う決意を打ち固めた。
 最初に、山崎宏さん(横堀地区)が現地報告。「各地の説明会では、騒音で大きな被害を受ける地域から強い反発があり、絶対反対の声もあがっている。とくに横芝光町の住民は、『騒音直下で騒音地域が拡大するばかりだ』『地元にはなんの利益もない』と、かなり強い反発が噴出している。第3滑走路計画はデッドロック状態だ」。「一方、地元自治体は、地域振興策と引き換えに容認していこうとする動き。芝山町、成田市、多古町は前のめりになっている」と報告した。
 柳川秀夫さんは、「第3滑走路問題は結局、どんどん開発し、自分たちが潤っていくという考え方が根底にある。だからこそ新しい価値観と文明をもう一度きちっと作っていくことが問われており、三里塚闘争がそれを全国発信していく」と強調。石井紀子さん(川上地区)は、島村昭治さんの息子の務さんの一文(週間金曜日12月号)を紹介し、農業と闘争を引き継いでくれる人たちへの思いを語った。平野靖識さん(東峰地区)は今年4月の、らっきょう工場40周年の集いを案内した。
 加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会代表)は、「横芝町長は、騒音被害で空港利益をもたらさないし、四者協議会の離脱もありえると表明している。四者協議会では、空港機能拡大に賛成しているが、市町村格差が増大し、交付金を増額せよと要求している。」「首長は、温度差はあるが交付金に群がるハイエナである。空港で犠牲になる住民を生贄にしようとしている」と糾弾した。
 また清井礼司弁護士、高見圭司さん(スペース21)、中川憲一さん(元管制塔被告団)、関西三里塚闘争に連帯する会、日米安保終了を通告する会が発言。沖縄から参加した仲間は、名護市長選の報告を行なった。
 旗開き終了後、東峰地区に移動し、「三里塚空港に反対する連絡会」の呼びかけで東峰現地行動が取り組まれ、開拓道路から空港に向けて「第3滑走路計画反対!」などのシュプレヒコールを行なった。(連絡会共同報道文を編集部責任で要約)