【沖縄からの通信】

 辺野古埋立て設計は破綻
    「あきらめない」8・12沖縄官民大会に45000人

 8月15日、土木技術者・北上田毅さん(沖縄平和市民連絡会)の講演会がもたれた。講演内容は、北上田さんによるシュワブ工事現場の視察と、県・国に対する情報公開請求から得られた資料とをつき合わせて、分析した結果の報告である。
 その要旨。政府・沖縄防衛局は、大きな難問に突き当たっている。これまで3年間もボーリングをしてきて、必要なデータは持っているはずであるが、誤算があるようだ。
・ K9護岸工事がストップした。
・ 来年3月までの土質調査(その1)11本、土質調査(その2)8本のボーリングを入札公告。
・ ケーソンの仮置場海上ヤードの取り止め。
等々が判明した。
 考えられることは、海底地盤のデータが不十分で、工事がこれまでの設計どおりに進められないのではないか。海底地盤のデータの不十分で、護岸のケーソン工法の取り止めになっているのではないか。(ケーソンとは、巨大なコンクリートの箱で、これを並べて中に土砂を入れ、護岸を造っていく。三重県で発注済み。護岸とは、海中に突き出す滑走路埋立地の外周)。
 つまり、ケーソン工法から、鋼管抗護岸工法への変更の可能性がある。
 設計は元からやり直さねばならず、知事への申請書を提出し、承認を得なければならない。埋立て工事が頓挫することもありえる。
 また、美謝川の水路をどこに付け替えるかを、解決しなければ埋立て工事は進められない。稲嶺名護市長の承認が必要であるが、承認が得られそうにもないので、防衛局自らが申請を引っ込めたままになっている。
 K9護岸は現在、100mほど作られている。しかし、残り数百mを残してストップした。4月末以降、目に見える形で進んだのは、このK9であるが、これさえもストップせざるを得ないのは何ゆえか。作られた100mの護岸らしきものも、完成品ではないらしい。来年3月までボーリングをやるわけで、それを待たなければ設計できないわけであるから、工事は進められない。進められないけど、進めているように見せかけている。波消しブロックで覆われている100mのK9らしきものは、不可解なものである。
 来年3月までのホーリング・データに基づいてやり直される大がかりな設計変更、これも知事承認が必要である。
 投げ入れられる土砂は、県内からは辺野古ダム周辺から採取されるが、これについても知事承認が必要となっている。
 K9、最近始めたk1、N5など、目に見える形で工事が進んでいるように見える。シュワブ基地の作業ゲート前で、公権力が不当に市民の座り込みを押しのけ、工事車両がどっと入って来ることによっても、工事は進んでいるように見える。
 しかし、北上田さんの報告からすれば、実質的にそれほど進んでいない。むしろ大きな困難に突き当たって、ストップしているという。
進んでいるように見えるのは、防衛局が進んでいるように見せかけているのだ。我々は、錯覚に陥れられているのだろうか。
さて、諸段階の諸工事について知事の承認を必要とするが、翁長知事が承認しないことが分かっているのに、工事を進めるというのは、ギャング団の地上げなどよりももっと悪質な犯罪行為ではないのか。安倍ら国は、知事権限、市長権限を沖縄県民に握られ、仲井真時代のようにはいかないので、翁長知事が12日の県民大会で言ったように、国ともあろう者が「法令をすり抜けることに心血を注いで」いるのである。
政府にできることは、「工事が進んでいる」ように見せかけることと、もう一つ、沖縄県知事の座、名護市長の首をねらうことである。
知事選は来年11月頃、名護市長選は1月28日告示・2月4日投票と迫っている。国がこれらを取れば、いかなる申請でも承認されるわけである。最高裁さえ味方にしえる国が、一県の知事の権限に苦しんでいるわけだが、国は知事を取り替える策略にはたけている。かって日本政府は、沖縄知事選に乗り込んできて、大田県政を倒した。
今回も同様に、政府は翁長「政権」を倒せるのか。1998年のようにはいかないだろう。あの時の対立候補・稲嶺恵一は諸条件を兼ね備えた候補者であったが、今回は成り手が存在しないということである。安倍政権の沖縄に対する強圧が、沖縄自民党の政治的威信をズタズタにしてしまっているからだ。恥辱の仲井真「承認」効果、島売りアイコ効果は、そうかんたんには消えないだろう。
だから、防衛局の戦略は、「工事が進んでいる」ように錯覚させること、この一つだけにしかないと言えるだろう。
沖縄県民が、この防衛局の策に陥り、「工事は後戻りできないほど進んでいる」と錯覚すれば、無意識のうちにマインド・コントロールされて、「反対」「阻止」をあきらめてしまう。これでは、知事権限、市長権限も取り返されかねない。
今、シュワブ現場では、機動隊が毎日のように誰かを逮捕している。「工事を進めている」と錯覚させるためである。
北上田さんの報告に示されたもの、工事は困難に陥っていることを、みんなが共有することが、今、大事なことである。仲間たちの声、「国は沖縄人があきらめるよう、策をろうしている」、「現場を強化しよう」、「那覇から毎日バスを出す」、「土曜日の議員団行動を徹底しよう」、「翁長知事、稲嶺市長を守ろう」、「我々はあきらめない」などを共有・拡大することが求められている。

  炎天下、翁長決意表明

日時はさかのぼり8月12日。
 「8・12翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」の会場、那覇市・奥武山競技場。草一本生えていないグランドは、陽炎で暑くまぶしい。今年の沖縄の8月平均気温は、史上最高を記録した。
 この炎熱、太陽の真下に、皆出てきてくれるだろうかという心配が、開催前から人々にあった。
 グランド中央は、各地の島ぐるみ会議、労組、諸団体が、50度はあろう熱された地面に座した。いったいどれくらいの人数なのか、グランドを囲む周囲の木立の日陰に、人々は逃げ込んでいる。
 登壇の各氏は、主催の「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」の代表3名、南部・中部・北部の島ぐるみ会議の代表がそれぞれ3名、山城博治(平和センター議長)、安次富浩(ヘリ基地反対協共同代表)、南西諸島自衛隊配備に反対する人々の代表2名、福山真劫(総がかり行動実行委)、米国ピースアクションの代表。そして翁長雄志知事、稲嶺進名護市長である。
 時間は、翁長知事の演説、決意表明に多く与えられている。この大会が、国に対する県の法廷闘争などをバックアップするものであるから、当然である。
 すでに、うるま市の「島ぐるみ」が3回、平和市民連絡会が2回、知事に対し、埋立て承認の「撤回」を執行するよう要請している。この件に、少なからずの人々が強い関心を持ち続けている。長期にわたって「承認撤回」の知事権限の発効がなければ、夏の暑さ、気だるさと一緒に閉塞感に陥らんともかぎらない時期である。知事が下手なことを言えば、一気に支持を失ってしまうこともありえる。こういう状況下での翁長演説であった。
 が、知事の演説は、記憶に残るような立派なものであった。念入りに草稿が練られたと思われる。
その要旨は、「日本の独立は神話」。オスプレイ墜落事故に対する、日本政府の主権放棄。
「国は法令をすり抜けることに心血を注いでいる」。岩礁破砕許可更新を得ていないなど、違法工事の強行。
「この状況は、必ず埋立て承認の撤回につながってまいります。あらゆる情報を判断して撤回の時期について、私の責任で決断を致します」。知事権限行使の決意表明である。
また知事は県民大会後の記者会見で、「県民に対するいかなる差別的、犠牲的な扱いにも反対する」と決意を述べた。
これらの発言は、過去の沖縄県知事には無かった内容である。
また、翁長知事の発信には、アジア情勢、その中での沖縄の立場・役割について触れる場合がある。この発信は、一昨年の代執行訴訟(その後「和解」で取り下げ)での知事陳述書が、「平和の緩衝地帯としての役割をこれから沖縄がはたしていき、アジアと日本の架け橋になる」と述べたことに代表される。
他の諸県と違って、「日米同盟」の生贄になっている沖縄では、知事が外交情勢を語らなければならない。辺野古問題の発祥の地、普天間基地を抱える宜野湾市の市長として苦しんだ、伊波洋一さんも「情勢」を訴え続けた。
伊波さんは、普天間基地の海兵隊を、中国のミサイル戦力の向上ゆえに、グアムに退ける戦略をアメリカが持っていることを早い時期からつかんでいた。日本政府は、この米戦略を隠して「移設」を正当化した。伊波さんは、知事選、市長選で敗北を重ねながらも、この情勢論からの辺野古NO!を訴え続けた。
沖縄はもちろん日本全土の米軍基地が、中国のミサイルの照準下に入っている時代に、また朝鮮のミサイルが日本列島を飛び越えている時代に、米軍基地の「抑止力」とは何ぞや。「抑止力」論は、相互の軍拡、相互の戦場化でしかない。未来のために発想を変えるべき時代にある。
さて、翁長知事は8・12県民大会で、立派な決意表明をしたのだから今はもう、日本政府との間に「落としどころ」などはないのである。日本政府と対決しなければならない。
県民大会は、翁長知事に万雷の拍手を送った後、「県民大会宣言」と、オスプレイ飛行再開に徹底抗議する特別決議とを採択した。
大会の終盤で、オール沖縄共同代表の高里鈴代さんがマイクをよこどりにして、「木陰の皆さん!出て来てください!」と呼びかけた。全体がすぐに応じ、グランドは人で埋まった。それで全体の規模がやっと分かり、参加者4万5千人と発表された。
この4万5千人が、「我々はあきらめない」のメッセージボードを一斉に掲げ、また「我々はあきらめない」と一斉にコールした。
散会時には、「よかった」があちこちから聞こえ、「暑い」は吹っ飛んでいた。(沖縄T)