崩壊する「安倍一強」、第3次改造内閣を葬り去れ
  
安倍打倒の秋は来た

 第2次安倍政権は、このかん秘密保護法・戦争法・共謀罪法を強行成立させ、またさらに安倍首相自身が自衛隊明記の9条改憲案とその改憲日程を提示するなど、極端な暴走を続けてきた。しかし現在、国民一般の広範な怒りと不信に包囲されて、急速に失速し、倒壊の危険水域に入りつつある。
 8月3日の内閣改造・自民党役員人事では、野田聖子や河野太郎が入閣、岸田文雄前外相が党政調会長に就き、新鮮味を出しつつ安倍独裁色を和らげた。この改造は、全国民的に批判が高まる「安倍一強」を手直しするとともに、「ポスト安倍」の始まりともなっている。しかし、この手直しによっても、安倍批判の火消しはもはや不可能である。
 安倍は内閣改造後の記者会見で、「日程ありきではもちろんない」として、自衛隊「加憲」などの自民党改憲案を出すのは今秋の臨時国会、という方針をアイマイ化した。5・3にぶち上げた改憲案・日程に安倍自身が自縛され、今さら撤回もできず、かといって強行もできないという事態である。「安倍改憲」の失敗と、安倍政権の倒壊は同一事となりつつある。
 この安倍政権の危機は、共謀罪法案で参院法務委員会の採決省略という大暴挙に始まった。そして7月2日の東京都議会選挙での自民党大敗北、7月23日の仙台市長選での自公候補の敗北によって明確となり、さらに、加計疑惑問題で開催された7月24・25日の衆・参閉会中審査において安倍首相らが対応に失敗したこと、また南スーダン日報隠し問題など数々の失策・失言によって、稲田朋美防衛相が7月28日辞任に追い込まれたこと、これらによって加速された。
 商業新聞の世論調査によると、6月17日調査の朝日新聞では(6月15日共謀罪成立)、安倍内閣支持率は41%(前回47%)に低下したが、これは政権の想定内であった。しかし都議選の後の7月8日になると、第2次安倍政権では最低の支持33%、不支持が47%となって明確に潮目が変わり、下旬の毎日新聞では支持26%に落ち込み、共同通信では不支持が53%と跳ね上がった。
 こうした世論調査は世論誘導でもあり、自民支持率2~3割からすると、元々安倍支持率5割というのは変であった。それでも、ここ1ヵ月での安倍不支持の高まりは、政権の想定外であり対策急務のレベルとなった。
 都議会選挙では、投票率の上がった分、自民と民進が得票を減らした分、これらのほとんどが都民ファーストの得票となった。都民ファの得票をすべて安倍批判と見ることはできないが、民意が政治の変化を求めていることは確かである(関係記事3面)。
 7月23日の仙台市長選は、自公候補と、民進党衆院議員を辞して立った群(こおり)和子を候補とする「4野党・市民共闘」との総力戦となって、後者が激戦を制した。投票率は45%程度であるが、前回比14%も上がっており、無党派票が安倍批判に動いたことが明白である。
 首都・東京に続き、東北最大の街・仙台市で、安倍政権は決定的なダメージを受けた。(なお7月30日の横浜市長選は、「自公」対「野党・市民」の構図になりきれず、連合神奈川や民進の一部が現職自公候補に相乗りしており、カジノ統合型リゾート誘致に反対した共同候補は敗北した)。
 安倍政権は加計問題でも、閉会中審査でかえって信用を失うだけの結果となった。7月10日に衆院内閣委員会・文部科学委員会で開かれた閉会中審査には、前川前文科省事務次官が初めて参考人として証言に立った。しかし安倍首相は外遊して欠席、「総理が言えないから私が言う」の和泉補佐官も欠席。
 その代わり、今治市の加戸市長に、獣医学部新設はずっと前からの地元の要望と言わせた。これは維新・松井大阪府知事の進言に沿って、加計問題は地域振興のための規制緩和と描く作戦であったが、無理があった。小泉政権や民主党政権の「特区」には地域振興の要素があったが、安倍政権の「国家戦略特区」は、日本を企業が世界で一番活動しやすい国にするために特定地域を実験場にするというもので、その対象は、地域の要望ではなく、政権が上から決めるのである。
 安倍らの欠席で、政権支持率はさらに低下。再度、7月24・25日の衆参予算委員会で閉会中審査を開かざるを得なくなり、やっと安倍や和泉が出てきた。和泉は「記憶がない、だから言っていない」と居直った。安倍はこれまでと打って変わって神妙な言動であったが、加計学園の申請を知ったのは「1月20日」という大失敗発言をやってしまった。これまでの諸答弁と明らかに矛盾する。安倍政権はウソつき、やっぱり信用ならない、が世論となった。
 さらに、安倍チルドレンの稲田が辞任に追い込まれた。南スーダン日報隠し問題について、7月28日に特別防衛監察報告が出され、防衛省・陸幕の法違反を指摘したことの責任を取る形で、稲田は辞任した。しかし報告は、稲田自身の日報隠しへの関与についてはアイマイにしている。廃棄したはずの日報が保存されていたことを知った稲田は、「どう答弁したらいいの?」と動揺したといわれる。
 この問題の追及は、稲田が防衛相を辞めても幕引きとはならない。元々この問題の根幹は、南スーダンPKO自衛隊が現地情勢を「戦闘」と日報で報告しているものを、安倍政権と稲田が「衝突」と言い換えることによって、昨秋、派兵継続と新任務付与を閣議決定したことにある(その後、内戦激化でどうしようもなくなり撤兵決定)。このPKO協力法違反をごまかすために、日報隠しが行なわれたのである。
 戦争法を強行し、その新任務付与に躍起となった「アベ政治」そのものが一掃されなければならない。
 問題は、この危機に立つ安倍政権に取って代われる政治勢力が存在するのか、である。稲田辞任と同じ日に、民進党の蓮舫氏が都議選敗北を理由として、党代表を辞任した。これは、自民もダメ、最大野党もダメを広く印象づけた。しかし、民進党だのみで「野党・市民共闘」が進むわけもない。民進党の動揺は、自立した労働者民衆の政治的前進にとっては、むしろ好機だ。
 見えてきた安倍打倒、これへ向けて総がかり的な共同行動の発展が問われている。安倍が無謀にも、「安倍改憲」を強行しようとするならば、総がかりをこえる総がかりの大行動によって、安倍政権を必ず終らせる。
 我々革命的左翼はこの共同行動の一翼を担い推進し、労働者民衆の自立した政治勢力を「第三極」として形成することを目指す。この闘いの中で左翼の団結・統合を前進させ、安倍打倒の先の、根本的な社会・政治変革を目指していく。