首都から安倍政権崩壊が始まる

 安倍政権は、参院法務委員会の採決を省略する「中間報告」の大暴挙によって、6月15日に共謀罪法案を強行成立させ、「加計」疑獄の追及から逃げ回るように通常国会を閉じた。
 安倍のファシスト的凶暴性・謀略性は、5・3に右派集会で彼が公表した「自衛隊」明記・9条加憲案にも示されている。現在、安倍の提灯持ちどもは、12年改憲案の責任も取らず、安倍の新案に沿った新しい自民党改憲案をまとめんとしている。そして安倍は、今秋の臨時国会時の衆参憲法審査会にこの自民党改憲案を提案し、来年の通常国会で「自・公・維」だけでも強行して最速で6月頃までに発議、任期満了の来年12月総選挙で改憲国民投票を同時に実施する、などという自分勝手な日程を立てている。
 安倍の9条加憲案は、戦後あいまいに憲法9条と「共存」してきた自衛隊を追認するのではなく、14年「集団的自衛権行使7・1閣議決定」と15年戦争法成立の後の自衛隊を憲法に追認させるものである。さらには、改憲派の本音である9条2項抹殺への第一歩とするものである。「専守防衛」の自衛隊を支持してきた保守派の人々もすべて、安倍9条改憲に反対せざるをえない。
 が、安倍の改憲日程は、7・2都議選での自民党の歴史的大敗北によって早くも崩れてきた。安倍の国政私物化、「憲法改正」私物化は、誰の目にもあまるものがある。今夏、安倍打倒の諸大衆行動を先行させ、臨時国会を安倍政権の墓場とせよ。(編集部)


福島原発刑事裁判6・30初公判
 必ずとらせる東電の責任

 6月30日、福島第一原発事故で業務上過失致死傷罪で強制起訴された勝俣恒久東電元会長、武黒一郎・武藤栄元副社長の被告3名に対する初公判が、東京地裁で行なわれた。原発事故の刑事責任が裁判で争われるのは初めて。
 公判では、15・7mの津波が押し寄せるとの試算結果を得た後の3人の対応が焦点になる。また適切な対策を取らなかった理由や、対応をしていれば事故を防げたか否か、そして原発事業者に課せられた注意義務の程度が争われる。
 冒頭陳述で検事役の指定弁護士は、2008年3月の国の地震調査研究推進本部(推本)が出した長期評価に基づき、東電は福島第一(F1)に最大15・7mの津波が襲う可能性があるとの試算を得、子会社に津波対策を検討するよう依頼したと指摘。さらに子会社が作成した原発東側から南側を囲う標高20mの防潮堤建設の図面を提示して、長期評価に基づく対応を進めていたことを明示した。にもかかわらず東電は、土木学会に検討を依頼して対策を見送りにした、またF1・F2の安全対策さえ検討されていたが、07年中越地震で多額の赤字を計上し、巨費がかかる防潮堤建設を先送りしたと主張した。
 被告側は、「F1では、法令上要求された津波対策は実施していた」、「推本の長期予測は、信頼性を持つものではなかった」として「津波は予測できなかった」と主張、「長期予測を津波対策に取り入れる方針を決めたことはない」と反論した。
 被告には罪の意識の一欠けらもなく、自己保身の反論と言う他はない。
 今後裁判所は今夏に、180点以上の証拠や供述書等を調査することになる。次回期日は未定。東電追及の闘いを強めて、「想定外」などという屁理屈を許してはならない。東電に必ず刑事責任をとらせよう。(東京O通信員)


6・16韓国サンケン闘争勝利報告集会
 日韓労働者が同志的連携

 韓国サンケン労組の闘いは、6月2日の労使合意により全面的勝利をもって終結した。最後に残った16名全員の原職復帰、会社側による民主労総全国金属・韓国サンケン支会の承認、組合事務所の工場内設置(会社側の負担による)の承認、工場移転に伴う一ヵ月の有給休暇など、労組側の要求を全面的に呑む形となった。
 整理解雇された34名のうち、韓国中労委の和解勧告段階で18名が退職とはなったものの、中労委の勝利裁定(4・28)をへて、16名が整理解雇撤回・原職復帰を勝ちとった。このような勝利は、これまでの韓国進出日本企業の争議では無く、日本の争議でも滅多にない画期的なもので、支援してきた全労協にとっても掛け替えのない勝利と言える。
 キム・ウニョンさんをはじめとする日本本社遠征団は、6月3日に一旦帰国し職場復帰の準備などを行ない、その後、全国金属の幹部も含め韓国サンケン労組の8名が再来日した。
 6月16日には、東京の全水道会館で「不当解雇撤回闘争勝利報告会」が開かれ、会場は立錐の余地がないほどの盛況であった。「韓国サンケン労組を支援する会」の人々をはじめ、それに参加する全労協の各労組員、日韓ネットや韓国良心囚支援運動のメンバー、サンケン本社のある埼玉県新座市近辺の人々、安倍たおせ!反戦実行委の支援者など多彩な人々が参加した。
 報告集会では、主催者挨拶を支援する会共同代表の金澤壽・全労協議長が行ない、報告とお礼を、キム・ウニョンさんと支会長のヤン・ソンモさんが行なった。キム・ウニョンさんは、「見返りを求めず、相手のために身を投げ出すこと。」「皆さんを同志として胸に刻みたい」と挨拶。この言葉に、解雇から246日、遠征闘争から229日の思いが詰まっていた。ヤン・ソンモさんは、「生産を再開するのが課題、これまでよりも厳しい闘いが待っているかもしれない。」「労働者として胸をはって活動していきたい」と決意を語った。
 プログラムに無かったが、このかん共謀罪阻止を国会で闘ってきた福島みずほ社民党副党首も登壇。共謀罪は、韓国の国家保安法と深いつながりがある。国家保安法は、日本支配時代の治安維持法をベースとして制定された。その治安維持法の現代版と言われるものが、共謀罪新設だ。
 韓国サンケン遠征団もこの5月、国会前で共謀罪阻止の座り込みをしている「戦争・治安・改憲NO総行動」に連帯し、駆けつけてくれた。共謀罪と国家保安法の類似性を意識しての、連帯行動であった。
 集会は、支援する会共同代表の渡辺一夫さん(韓国良心囚を支援する会全国会議代表)の音頭で祝杯を上げ、なごやかな交流の後、支援する会事務局長の尾沢孝司さんの閉会挨拶で終了した。なお、前日の15日には、新座市で地元支援者らとの報告集会も行なわれた。
サンケン闘争を通じて、日韓労働者民衆の同志的連携を形成する一歩がつくられた。(東京Ku通信員)


どうなる?日雇労働
  日雇雇用保険問題などで6・3釜講座

 6月3日、「日雇労働はどうなるか」をテーマに、第12回釜ヶ崎講座学習会が大阪市・西成市民館で開かれ、約45名が参加した。
 最初に、現在全国的な問題となっている「日雇い労働者雇用保険適用の変更」問題について、釜ヶ崎日雇労働組合の大戸さん、キリスト教協友会の吉岡さんが以下のように報告。
 政府による日雇い雇用保険の「是正指導」とは、2ヵ月連続で18日以上、あるいは6ヵ月連続して同一業者のもとで働くと、日雇いの適用は取り消され、一般の社会保険の適用とされること。今、現場では、続けてきた仕事をあきらめて辞めたり、「一人親方」に切り換えたり、困惑と不安が広がっている。雇用保険・健康保険・年金の資格証明がセットでなければ、仕事から外される。条件を揃えなければ仕事はさせない、という国の一方的な締め付けだ。
 それでなくても、現状で仕事保障の機会の少ない釜の労働者にとっては、いっそうの生活権の侵害だ。「変更」見直しの取り組みを強めながら、労働者の団結を図っていかねばならない。
 以上の報告の後、水野阿修羅さん、松繁逸夫さんから話題提供が行なわれた。
 水野さんは、日本の日雇い労働市場の変遷について語った。1950年代からの「失対事業」、60~70年代の港湾・建設業の成長、大阪万博などでの国・資本の都合に合わせた供給、80年代以降の「研修生」資格での外国人労働者への差別的使役。今日は「寄せ場」の衰退の中で、大手ゼネコンとタイアップした人夫出し業者・不動産業者により、ワンルームの住居(飯場)も作られ、携帯・身分証のセットで日雇い供給が行なわれている。この携帯手配で、関西からも東北・関東の「除染」・オリンピック関係へ労働者が出向いている。日雇い労働は、今後もなくならない。日雇いの失業・社会保障が必要だ。
 松繁さんは、こう語った。ぼくらの若い頃は、生活は苦しくとも、まあ日雇いもいいかという、ささやかながら仕事を選択できる日常があった。しかし今は、仕事は出すが逃げることはアカンといった、一種統制型の労働市場を形成しようとしているのではないか。関西では、関西新空港建設時に労働者数の「プール制」を実施してきた経緯もある。必要な時に、必要な人数のみを調達する手法である。
 最後に、NPO釜ヶ崎支援機構の山田さんから、野宿労働者自立支援法の再延長はあと一歩との報告(6月中旬に成立)など、今後の運動強化へ向けた挨拶があった。日雇い労働問題の現在を、共有化できた学習会であった。(関西I通信員)