12・28〜1・7第39回釜ヶ崎越冬闘争
   新たな野宿層にも備え

 十二月二八日より本年一月七日まで、大阪・釜ヶ崎で第三十九回越冬闘争が行なわれた。今年も「安心して働き、生活できる釜ヶ崎を!」をメインスローガンとし、「一人の死者も出すな!生きて春を迎えよう」を合言葉に取り組まれた。
 今冬は、あいりんセンターでの仕事も九月より昨年度比で二十%以上減少し、命綱のアルミ缶も、一時はキロ百七十円もしたものが、六十円に値下がりするなど厳しい冬となった。加えて、昨秋の国際金融恐慌から始まった非正規労働者への契約打ち切り・雇い止めは、厚労省調査ですら全国で三月までに八万五千人(一月末調査では十二万五千人)にもおよぶと予想される中での越冬であった。
 こうした情勢をふまえ、越年対策を「高齢者対策」に限定(四十歳以上という年齢制限や期間の短縮)しようとする大阪市の姿勢に対し、越年闘争実行委は十二月四日対市交渉を行なった。また、大阪駅周辺での事前の夜間パトロールを実施するなどの対応を強めた。首都圏や名古屋のような「派遣切り」がもたらす事態は、未だ釜ヶ崎では顕著なあらわれはなかったが、南港無料臨時宿泊所の利用者は、このかん減少傾向にあったものが1334人と十%増加し、新たな野宿者層も増える傾向をみせた。
 十二月二八日、三角公園での越冬「突入集会」が行なわれ、越冬実や釜日労等があいさつし、『蟹工船』が上映された。例年通りセンター下での布団敷き、三十日から三日までは人民パトロール、毎日の炊き出し(大晦日〜三日は日二回)、医療パトロールが取り組まれた。三十日からは「越冬まつり」が三角公園で行なわれ、連日ステージで音楽が演じられ、新たに釜ヶ崎での労働・福祉・医療などの情報を周知させる工夫も行なわれた。人パトでは襲撃され亡くなった野宿労働者の仲間、道頓堀で藤本さん、天王寺で小林さんを追悼した。
 一月五日には恒例の、大阪府市に対する要望書提出(お礼まいり)が行なわれ、特別清掃の仕事を週三日はまわすよう拡大を、定額給付金は適用から漏れない対応を、等が要求された。今年の越冬では、実行委に新たな仲間が増え、情宣や活動が活発になったことが心強かった。
 なお、一月三日には釜ヶ崎講座による恒例の「越冬ツアー」が行なわれ、二十名の参加者が水野阿修羅さんの案内で、釜ヶ崎の成立の歴史を探索した。
 釜ヶ崎でも、三月年度末へ向け予想される多数の非正規労働者の首切りの中で、野宿に至らざるを得ない労働者との団結した闘いへと、その取り組みが迫っている。(関西S通信員)


東海地方―「派遣切り」を許さず
  反失業反貧困の拠点固める
                          
 トヨタなどの高層ビル群の日陰に、年末二八日から一月四日朝まで、JR名古屋駅近くの西柳公園を拠点にたたかった「拠点越冬」は、小さいながら市場経済システムの矛盾を撃つ人民の砦であった。
 東京の日比谷公園では、支援者がお互いの違いを越え「年越し派遣村」が設営された。名古屋では、今期で34回を重ねる名古屋越冬闘争も、笹島日雇労働組合や笹島診療所をはじめ多くの日雇労働者・野宿労働者、様々な労働団体・市民らの参加、協力によって、また民主党・社民党・共産党の来訪も受けて、垣根を越えて反失業反貧困の拠点を固めたのである。
 ネットカフェ「難民」や「派遣切り」が社会的に問題になるずっと前から、社外工や日雇労働者の不安定な雇用や生活状態があり、極限的な失業と野宿の苦しみや差別の痛みを受けてきた。「トヨタショック」の激震は日雇労働者・野宿者にとっても直接、間接に仕事の減少など多大な影響を及ぼしている。
 現在、トヨタ、キャノン、ソニー、いすゞなど大手の製造業、その関連企業による事業縮小と急激な派遣・非正規職らへの首切り、寮追い出しが進められている。今期越冬では、たくさんの「派遣切り」の労働者と出会ったことが特徴だ。
 Aさん(44歳)は十月に派遣を切られ、サウナに泊まってバイトするが、その仕事も失い越冬炊き出しに来た。Bさん(48歳)は足に障がいがあり、十一月末に「派遣切り」の末、夜回りに出会い越冬テントで宿泊した。また街頭カンパ活動では、三十代の二人のトヨタ下請労働者が、「わたしもいつ首切りされるか……」と涙を流しながらカンパしたことが印象的だ。

 拠点越冬に先立ち、十二月二十三日には西柳公園で、「派遣・非正規切り」に抗議し反撃する「仕事よこせ!生きさせろ!12・23緊急行動」が東海地方の地域ユニオンや全労連系の共催でもたれ、約二百人が参加した。この労働団体系列の枠を越えた緊急行動には、多くの日系ブラジル人や地域の労働組合が集まり、愛知労働局や愛知県経営者協会に対する要請決議を採択して、デモ行進を行なった。
 「派遣切り」の特徴は、派遣会社では@解雇予告手当を惜しんでの「30日前予告」、A退職勧奨、B有給休暇を認めないケースが多く、C社会保険や雇用保険に加入していないケースも少なくない、派遣先企業ではD人員削減を派遣会社に通告するだけで、解雇回避努力もしない、E病弱者や高齢者など社会的弱者から解雇、F「細切れ雇用契約」を利用し「雇い止め」…と悪質だ。集会の要請決議では、これら派遣・非正規労働者の現状と首切りに抗議し、その是正を十六項目に渡って要求した。
 この12・23緊急行動は、派遣・日雇・外国人を含め非正規職の地域共闘の確かな一歩を印した。

 同時に拠点越冬をはさんで、後段の越冬闘争に突入した。焦点は、越冬実行委員会が突きつけた「住居を失った人々の生活保護に関する緊急抗議・要望書」の実現である。今期の名古屋市の無料宿泊所=船見寮への入所者は、前年比21%増の394人。加えて昨年来から、自立支援センターやシェルターは派遣労働者も含め前年の二倍近い収容でほぼ満室状態。正月休み明けの七日、市は船見寮入所者を退所させ、バスで名古屋駅前まで移送してハイ解散、という無責任な事態となった。この船見寮閉鎖に伴ない、正月明け以降の中村区役所への相談は毎日百名以上に及び、市当局の緊急宿泊所や一時保護所援護はパンク状態になった。
 この中村区役所への相談者は、従来の野宿者に加えて若い派遣労働者が目立った。市当局は急きょ、ホテルや民間の元社員寮の借り上げで急場をしのいだが、「不況の先が読めず、このままでは際限がない」などとして追加対応をやめてしまった。
 一月十三日の夜。緊急宿泊所に空きがないとして宿泊希望者を寒空の下に放り出そうとする市当局の言動。庁舎外への退去要請の読み上げに抗議し、もみ合う事態ともなった。越冬実と笹島連絡会はあくまで当事者を支援し、布団を持ち込んで中村区役所に泊まり込む闘いとなった。そして十四日もパンク状態は解消されず、当事者とともに泊まり込んだ。十五日、越冬実と笹島連絡会は、「船見寮を第2次臨時緊急宿泊所として開放せよ」等を求める緊急アピールを発した。
 これから年度末の三月を一段のピークに、路頭に迷う人々が激増しよう。大規模かつ急激な労働者使い捨てに対し、派遣先や派遣元へのたたかいと同時に、生活領域の支援が求められている。(名古屋・I)
 

日雇全協の飛躍かけ1・12反失業総決起集会
  日雇・野宿・非正規の大合同で

 一月十二日、「佐藤さん虐殺24ヵ年、山岡さん虐殺23ヵ年弾劾!追悼1・12日雇全協反失業総決起集会」が東京・山谷の玉姫公園において、寄せ場日雇、野宿労働者、派遣非本工、職場で闘う本工、争議団などの仲間約四百名の大結集で開催された。
 山谷争議団の仲間の司会で始まった集会は、冒頭、国粋会・金町一家(現在山口組傘下)に虐殺された二人の同志に黙祷を捧げるとともに、日比谷公園で年末年始に取り組まれてきた「派遣村」への連帯を表することから開始された。
 司会は、山谷争議団と日雇全協の歴史にふれた。一九八〇年代、「戦争のできる国家」をめざした資本・国家・帝国主義者が天皇制キャンペーンで反動を強め、労働戦線の右翼的再編とゼネコンによる日雇労働者への抑圧が強められた情勢下、各地寄せ場の闘いを形成し、拠点を建設し、苦闘する中から日雇全協を結成して、階級的労働運動の推進力として闘ってきた。それ故に金町による虐殺があり、我々は対金町報復を宣した。それから二十数年にわたって暴力手配師、天皇主義右翼、権力・独占資本との闘いがあり、これらを継承しながら、今日の二十一世紀の新しい運動の発展がある、と発言し議事が始まった。
 第一部では連帯アピールが、反天皇制運動連絡会議の仲間が代表する形で、組織犯罪対策法反対共同行動、アタック・ジャパン、三里塚芝山連合空港反対同盟(北原事務局長)などから行なわれた。
 第二部は、参加者の連帯発言。争議団連絡会議を代表して、三十年にわたって「一人の解雇も許さない」闘いをがんばる品川臨職の仲間が発言した。つづいてフリーター全般労組、大阪北越冬実、関西越冬闘争に連帯する学生・労働者の会、名古屋笹島野宿者の人権を守る会、笹日労芸能部、三多摩自由労組などから熱烈な挨拶を受けた。山谷労働者福祉会館運営委からは「生活保護申請の集団行動での闘い」と行政の対応について、横浜の寿越冬闘争実行委からは、炊き出しが一日一千食を超えたことなどが報告された。また渋谷野じれんからは、東急グループによる地下街からの野宿者追い出しと、「宮下公園のナイキ化」(スポーツ用品大手ナイキへの売り渡し)との闘いが報告された。
 第三部で、全協各支部の決意表明に移った。バス「勝利号」で大挙結集した釜日労の仲間からは、若い者の結集が強まっており、熟年と若者が協力して闘っていくようにすること、住まいと仕事をよこせの闘いをさらに拡げるとともに、資本との原則的な闘いを現場から強めていくことが提起された。笹日労は、今越冬を各政党・労働団体の枠を越えた支援で闘ったことを報告し、名古屋地区では外国人労働者をはじめ一万人の解雇がさらに予想され、一層の闘いが問われると決意表明した。寿日労が闘いの拡大を報告し、山谷争議団が、金町にやりかえし、また派遣非本工とも連帯して闘おうと決意表明した。
 シュプレヒコールを唱和し、デモンストレーションに移って、山谷の街を席巻した。
 かってないほどの雇用危機の下での、今冬の各越冬闘争とこの総決起集会は、激動の二十一世紀を闘い抜く新たな全協運動の飛躍の出発点となり、階級的なプロレタリアート・人民の闘いの胎動を示すものであった。(東京Y通信員)


大阪1・10〜12
怒りのナンバ連日行動
     非正規切りヤメロ!
       クボタ、ヤンマーの外国人労働者切り許すな

 大阪では、全労協、各ユニオン、全港湾大阪支部、全日建連帯労組などで実行委員会を作って、一月十日〜十ニ日に渡り、「反貧困!派遣切り・非正規切りヤメロ!怒りのナンバ連日行動」が難波高島屋前三角広場において、三日間の連続行動として行なわれた。
 初日、三角広場にはスローガンを書いた横断幕が張られ、テントが設営される中、約百名の各組合員が集まり、各団体、労働者弁護団などのアピール、情宣活動で集会が始まり、三日間の連続行動に突入した。
 広場では、映画『蟹工船』のビデオ上映、「生きさせろ」という文字を描くタペストリーの作成、大阪府・市と関西経営者団体連合会に対する署名活動などが行なわれ、また各組合が連続してアピールし、派遣切り反対・派遣法廃止などを通行人に訴えた。テントの中では、弁護士による労働相談・生活相談が行なわれた。
 そして、なんば周辺では、「クボタは外国人労働者を使い捨てにするな」と訴えるビラまきが行なわれた。大手機械メーカーの株式会社「クボタ」は長年、日系ブラジル人などの外国人労働者を、偽装請負という形で使用してきたが、社会的批判が高まったため、〇七年四月からは直接雇用に切り替えた。しかしそれは、六ヶ月雇用を三回更新、最長二年という有期契約社員。このままでは、クボタの外国人労働者は今年三月で解雇されてしまう。かれらは二年前に全港湾大阪支部に加入し、〇八年九月には「〇九年四月以降の同社従業員としての地位確認」を求めて提訴、現在大阪地裁で審理が続けられている。
 連日行動の二日目には、趙博(チョウパク)さんが歌の応援で駆けつけてくれた。十二日、寒さに負けず三日間の、怒りのなんば連続行動が終わった。
 今春、関西各地でも首切りがさらに進められんとしている。外国人労働者が多く働く滋賀県では、県内のヤンマーの5工場で期間従業員250人に対し会社は、雇用契約が満了する二月十五日で契約更新せず、と通告してきている。これに見られるように、地域ユニオンや個人加入制組合では、外国人労働者の差し迫った相談と闘いが増えてきている。
 「派遣切り」は、資本主義社会では労働者がモノとして扱われていることを明るみに出した。まさに労働者は商品ではない、人間である。生きていくために「派遣切り」に怒りを燃やし、解雇に反対して闘っていこう。(関西N通信員)