3・17山城初公判、3・18保釈、そして3・25現地大集会
 沖縄は攻勢へ向かっている

 まず山城さんの保釈を共に喜びたい。今回の反戦実第9次派遣団としての訪沖は、3月15~18日で、17日の山城さんたちの初公判と重なり、山城さんたちへの長期拘留を弾劾し即時釈放を求める地裁前の闘いに参加できた。山城さんの保釈の確定と実際の出獄は18日の帰京後だったが、この保釈は、沖縄の人々が『闘いとった』というのが実感だ。また辺野古現地の工事阻止行動も、粘り強く闘われており、ヤマトで流布していた押されている観は全くなかった。3月25日の辺野古現地でのオール沖縄の大集会を、攻勢への転機にしようとする流れを体感することができた。
 15日は、夕刻に宿泊場所に到着し、状況について話を聞いた後、早めに寝る。
 16日、早朝5時起きで7時ころから工事用ゲート前で座り込み。前日は集中日で250人も座り込んだので機材搬入を阻止できたそうだが、この日は120人位。山城さんが言っていたように搬入を阻止するには200人の座り込みが必要のようだ。9時ころ機動隊にごぼう抜きされて、生コン車、ユニック、トレーラー、ダンプなどが入っていった。更に昼飯時、そして午後3時ごろと、搬入・搬出があった。3時の際には、こちらは12人しかいなかったが、しっかり座り込み・ごぼう抜きを強いる闘いを貫徹した。諦めない、少しでも遅らせるという精神で、翌日につなげた。
 そして17日。この日は、山城さん、稲葉さん、添田さんの初公判の日だ。辺野古のゲート前を気にしながらも、那覇へ向かう。那覇地裁前の城岳公園で午前9時ころからはじまった「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」など5団体が主催する集会に参加。三百人を超える参加者は、鉄柵と地裁警備員や警察に厳重に守られた那覇地裁・法廷に向かって、「即時釈放しろ」「辺野古新基地阻止」の声をあげた。集会が終わっても多くの人が残り、、歌をうたい、リレートークをやり、デモをも敢行。そして午後1時頃、公判が終わって出てきた仲間を出迎え、城岳公園で集会を開いて傍聴者や弁護士の報告を聞く。「山城さんは、まず不当な拘留に抗議し、そして無罪だとしっかり主張していた」「裁判官は検察官の方ばかり見ていた。沖縄を裏切るという印象をうけた」…。
 集会後昼食をとり、辺野古に戻る。この日ゲート前では、わずか20名によって工事車両を完全に阻止した(現れなかった)とのこと。県警が、地裁の警備で手一杯だったようだ。
 18日は、議員行動日ということで国会議員、県議会議員、市議会議員の皆さんも、早朝より工事用ゲート前の座り込みに参加。我々は、昼前に現場を離れて帰途についたが、それまでの間に機動隊・工事車両は現れなかった。
 後日の3月25日ゲート前で開催された大集会には3500名が参加し、そこで翁長知事が、前知事の出した辺野古埋め立て承認を『撤回』すると宣言した。(M)
 

3・26サンケン電気本社抗議デモに200人
 解雇撤回へ日本遠征団と共に
 
 3月26日、サンケン電気本社に対して、子会社の韓国サンケンの整理解雇に抗議するデモが行われた。
 埼玉県新座市に本社があるサンケン電気の韓国における100%子会社の韓国サンケンにおいて、昨年9月赤字を理由に生産職現場労働者34名が全員整理解雇になった。
 この3.26サンケン電気本社抗議デモは、昨年12月韓国・地労委で「解雇は不当」と判定が出たことを契機に、労働組合と地域住民の声を大きく集め、地労委の判定に従って解雇を撤回し、組合員を職場に戻すことを強く要求するために行われた。
 この行動を呼びかけたのは、韓国サンケン労働組合、韓国サンケン労組を支援する会と、韓国からの争議団と連帯する埼玉の集い実行委員会。
 朝から生憎の雨にもかかわらず約200名が、元気よくデモを行った。
 サンケン電気本社正門前では、デモの先頭が差し掛かると慌てて門を閉めるなど予想外のデモの多さに慌てた様子が伺えた。
 また車のドライバーや、マンションから手を振ってくれたりと沿道の反応もよかった。デモの最後は志木駅南口ロータリーを一周回って市民にアピールした。
 デモに出発に当たって、本社の近くの三軒屋公園で、支援する会共同代表で東京労組フジビグループ分会被解雇者の中原純子さんの司会の下に、簡単な集会を行った。
 ます初めに主催者として支援する会共同代表で北関東ユニオンネットワークの代表の中村宗一さんと、韓国からの争議団と連帯する埼玉の集い実行委員会の坂本俊さんが挨拶した。
 中村さんは「北関東ユニオンネットは、7つのユニオンで結成されている。毎年年2回共同行動をしている。韓国サンケン労組の闘いを、昨年秋から大きな課題として位置づけて取り組んでいる。昨年秋は、韓国サンケンの整理解雇の問題で埼玉県労働部と国の埼玉労働局に交渉した。今年は4月19日に共同行動を予定している。埼京ユニオンのポラス分会の闘いと韓国サンケン労組の闘いを大きな闘いとして位置づけて闘いたい。」と決意を語った。
 坂本さんは「新座に30年住んでいる。サンケン電気本社がある埼玉県新座において、韓国サンケンの争議団と連帯する埼玉の集いを立ち上げた。去る1月20日地元を中心とする第1回目の集いには多くの人々が参加していただき、更に支援の輪を広げていくことを誓いあった。志木駅前での粘り強いサンケン電気本社への抗議を訴える宣伝活動は、次第に「頑張って下さい」「応援しています」との声も多くなっていると思う。それがどんなに彼らの心の支えになったのかと心強く感じている。今日は生憎の天気になったが、サンケン電気の経営者に不当な解雇は許さないと訴えたいと思う。韓国の労働者は涙をこらえて闘っている。私は勝利する日まで彼らを支援していくと共に連帯する集いの幹事を代表して挨拶にしたい。」と連帯の意を表した。
 次に、参加者を代表して労働組合の立場から東京全労協の議長の大森進さんが挨拶し、地域の立ち場から朝霞市議会議員の田辺淳さんが発言をした。
 最後に韓国サンケン労組日本遠征闘争団の3名(キム・ウニョン、ぺ・ピョンゴン、キム・ヒョンジン)が登壇し自己紹介の後、代表して韓国サンケン労組解雇者復職闘争委員会の共同議長のキム・ウニョンさんが闘う決意を表明した。その闘いの決意を表現する労働運動の踊りーユルトンを3人で披露し、大きな拍手を受けた。
 金ウニョンさんは、まず「雨が降ってこんなにお天気が悪いのに私たちの闘いを支援するためにわざわざおこし下さいまして本当にありがとうございました」とお礼を述べ、次のように決意を語った。
 私は韓国サンケンで働いて20年以上になる。サンケン電気は、韓国サンケンを100%の資本で馬山の輸出自由貿易地域に設立し44年間に亘って運営してきた。韓国の国民の税金で様々な恩恵を得ながら、大きな利益を上げてきた。
 韓国サンケンは、韓国の国内に設立された会社だが、全ての生産計画、経営計画、全てが本社の指示によって行われていた。
 私たち34名を解雇するに当たって、なぜ韓国サンケンが、本社の指示や介入がなかったといい切れるのか。
 手のひらで太陽を隠したとしても、太陽そのものを遮ることはできない。
 サンケン電気は、地労委の命令に従って私たちの解雇を直ちに撤回させ、職場復帰をさせなければならない。
 私たち韓国サンケンの仲間たちは、団結して闘い続けている。零下16℃や20℃近いソウルの地で、韓国の国会の前で、日本大使館の前で闘いを続けてきた。韓国サンケンのある工場の前では、ビニールのテントを張って24時間体制で座り込みを続けている。
 そして私自身は、この日本にやってきて韓国サンケンの解雇撤回のために本社前の闘いを続け160日を過ぎようとしてる。 
 私たちは正直言って辛い冬を越した。とても辛い時もたくさんあったが、私たちは組合員の仲間を信じ、支援の仲間を信じていたからこそ、この闘いを乗り切れたのだと思う。
 今ここで見まわすと旗の色が赤かったり、緑色だったり、黄色だったり、オレンジ色だったり、いろいろな色の旗がある。また国籍も韓国だけでなく、日本だけでなくいろいろな方がここにいると思う。
 しかし労働者は一つだ。労働者が団結して手を取り合えば、できないことはない。私たちは最後まで闘って勝利を勝ち取りたいと決意を持ってる。
 デモは、出発地点の公園に戻り、最後に全国労働組合連絡協議会の事務局長の中岡基明さんがまとめの発言と団結ガンバロウでこの行動を締めくくった。