【沖縄からの通信】

  翁長知事はただちに埋立承認「撤回」を

 沖縄人のイライラが続いている。
 翁長知事が、辺野古埋立て承認の「撤回」を出さず、権限空白が続いているからである。
 辺野古裁判で最高裁が昨年12月20日不当判決を出すと、翁長知事は同26日に承認取り消し処分を取り消してしまった。国が訴えたこの裁判は、国の是正指示に対して県が行政不作為だということを判断しただけであって、普天間基地の辺野古「移設」問題そのものに憲法的判断を行なったものではまったくない。また、「判決に従い」を含む昨年3月の「和解」合意も、国地方係争委員会の決定を無視して国のほうが訴訟を起こした時点で、国側が和解合意を破棄したに等しい。
 司法判断に行政が従うのは当然と言って、知事が処分をすぐに取り消したのは、行政としても対処方法を誤まってしまったと言う他はない。処分取り消しをそのままにしていれば、国は代執行裁判を復活させる、それだけのことであり、その間辺野古工事は止まったままとなっただろう。
 百歩ゆずって処分取り消しやむなしとしても、返す刀で、埋立て承認「撤回」を言わなければ、処分取り消しは完全な利敵行為になってしまう。残念ながら処分取り消しとなった後には、誰しもが百%「撤回」が行使されると思っていた。(埋立て「取り消し」というのは、埋立て承認に瑕疵があったから取り消すということだが、「撤回」というのは、埋立て承認後に事情変化があったから撤回するということ。オスプレイ配備問題もあるが、辺野古NO!を公約とする知事を県民が選んだ14年県知事選結果は、最大の事情変化である)。
 この、すぐに「撤回」という想定が壊された後、間髪を入れずに、うるま市「島ぐるみ」会議が、「撤回」要請で県庁に押しかけた。平和市民連絡会も、「訪米前に『撤回』を出すべきだ」と申し入れている。
 あれから数十日は経っているのに、まだ出ない。前知事仲井真と違って、翁長知事は高い信頼を得ているわけで、多くの人々は「そのうち出る」と思ってきたにちがいない。それが今は油断できなくなった、出るか出ないか分からなくなった。
 県に何が起こっているのか。ことここに至って疑問は疑問を呼び、県が今までやってきたことまで問い直されることになりうる。一昨年8月の「1ヵ月休戦」は何だったのかから始まり、最近の「何ゆえ、菅・安慶田秘密会談を持ちながら、安慶田は副知事辞任となったのか」まで疑問を呼ぶ。
 これまでのように、公約や選挙協定だけでは、民意のしばりをかけることはできないのかもしれない。「辺野古NO」「建白書実現」という大略的取り決めにとどまらず、厳密な文言とその実行のための枠組み、県と県民の定期的な協議会のようなものが求められるのではないか。
 ヤマトの人が、「県」と「日本政府」の対立を「二重権力」と評したことがあった。これは、翁長県政を買いかぶりすぎていることになる、そういう現状である。

  沖縄の自己決定権

 ここで改めて、沖縄の自己決定権を考えてみたい。
 現憲法下の地方自治体=沖縄「県」が、「国」に対して拒否権を持つことは考えられない。ここで言う「拒否権」とは、地方自治法でいう自治権で可能な範囲を超えた権限をいう。しかし沖縄人は、この拒否権を持つことが可能である。(本土の人々は、改正地方自治法に依拠し、全国共通の問題として沖縄への自治権侵害を批判している。この場合、沖縄の自己決定権を自治権の意味で語っていることとなるが、それはそれでよいと思う)。
 現憲法下でも、沖縄人が日本人のままで、この権限を持つことできるが、他の都道府県は持てない。なぜなら沖縄は、沖縄人という民族的マイノリティが集住する地域だからである。(アイヌの人々も、民族的マイノリティとして沖縄人と原則的には同じであるが、この集住する地域性を持たず、国の施策に対する拒否権発動の事項が明確ではないと思われる)。
 沖縄人が、日本から分離・独立しないままで、つまり日本国民のままで、日本に対して拒否権を行使しえる可能性ということは、日本人も当の沖縄人もほとんど考えないでいる。しかし、少数民族の基本的人権、また自治州や場合によっては独立国をつくる権利は、国家を飛び越え、日本国憲法を飛び越えて、国連人権規約などによって与えられている。これは自己決定権として、国際法学者の間では常識である。我々は憲法と日米安保条約は知っていても、こういう国際法は知らない傾向にある。
 しかし、今のままでは、自己決定権を沖縄人は持っていない。持てるには、それを確立するには、沖縄自身で「法」を作る必要がある。その「法」を作るには、沖縄自身の「議会」を作る必要がある。この議会は、今のような地方自治法上の沖縄県議会ではない。
 「県内移設」強行の不条理を沖縄人は嘆くが、汗をかいて「議会」「法」を作り、自己決定権を確立すれば、日本政府を窮地に追い込むことができる。
 この、国際法を根拠として沖縄の自己決定権を確立するやり方のほうが、独立論よりも百倍も簡単である。独立論の是非は、辺野古NO!に勝利してからでよいではないですか。
 独立論にはジレンマがある。辺野古を勝つためには、「県外移設」「本土移設」や「反・非独立」を含むオール沖縄の団結が必要だ(しかも独立派は圧倒的少数派)。辺野古に勝てなければ、独立の可能性は半永久的に遠くなる。それでも今、辺野古NO!の闘いの中で独立の運動をあえてやるならば、もはや宗教になってしまうのではないか。
 なぜ多くの沖縄人が独立論に立たないか、と言えばそれは、沖縄人のもつ直感である。米軍基地のある現状では「独立」は、「逆復帰」と同義語になる。米軍占領を通過してきた沖縄人は、直感でそう了解している。

  山城博治即時釈放

 最後に、このかんの高江での闘いと、山城博治さんらへの弾圧・長期拘留の意味について触れたい。
 安倍・菅政権は、昨年の7月参院選の投票が終った翌早朝から高江への攻撃を開始し、7月22日からは全国動員一千名規模の機動隊で襲いかかって来た。これは、明治期に琉球や台湾に侵略派兵したのと、同規模である。
 わざわざ貴重な照葉樹林を破壊するために、沖縄の反基地市民運動を弾圧するために、沖縄史上最大規模の国家暴力を送るということを、あえてやったのか。①参院選・島尻安伊子惨敗の政治的隠蔽、②翁長県政に対する圧力とオール沖縄の分断、③辺野古工事再開へのマインドコントロールなどが考えられた。
 「アイコ敗北」は、沖縄では安倍を倒した!と同じであった。辺野古NO!の隆盛につながる。そこに爆弾を落として、爆弾の非道をののしらせ、アイコ大敗の喜びのほうを忘れさせる、そういう菅の作戦が成功した。
 ②については、沖縄「県」は96年SACO合意を歓迎している。知事は、高江ヘリパッド=オスプレイパッドに反対を言えず、北部訓練場「返還」を歓迎し、「苦渋の選択」と仲井真と同じことを言ってフクロ叩きにあい、記者会見で謝った。③は、日本の本土人にも向けられた強力な心理・マスコミ操作であった。
 高江での機動隊の暴力は、市民たちのテント群を破壊しつくした。山城らは、この暴力を眼前にしても毅然と闘ってきた。ゲート前や道路のいわば制空権を奪われているため、従来のやり方が通用しない。そこで山城らは橋上作戦をとった。この狭い橋を利用して対峙する作戦は、一定成功した。が、内部と地域から反対意見が出た。「地域住民に迷惑をかける」、こういう理由は、特定の政治的部分が裏で仕掛けることもあるが、衆議の結果、橋上作戦は中止となった。
 かくなるうえは、山城らの作戦は「森に入る」となった。それは日米地位協定の線の内側であり、米軍管轄となるため、警察も対処が分からない未知の領域となる。
この作戦は成功した。パッドの工事現場の人たちは、無用ないざこざを避け、工事を中止した。山城らが持ち帰った調査と撮影写真は、地元二紙に掲載され、県民に大きな衝撃を与えた。工事が政治的に大急ぎで強行されたため、より激しい自然破壊となっていることが示されたのである。
地位協定ライン内に入るということは、かって恩納村の実弾射撃演習阻止のために実行されたことがある。情勢の変化に応じて、非暴力実力闘争も変化していくことは当然だ。沖縄人が自己決定権を確立すれば、地位協定のほうが国際法違反に変化してしまう。
市民運動は非暴力実力闘争を基軸とし、日本共産党などは選挙・議会を軸にする。これをオール沖縄の形成から見れば、非暴力抵抗がなければ、それが生まれる胎盤が無く、候補者一本化や超党派がなければ、オール沖縄への成長が無い。一長一短である。
つまり現場か選挙か、ではないのだが、山城らの現場重視は、共産党からは常時警戒され、情勢の発展によって、考え方の違いが顕現してくる。(海上ヘリポート阻止の時でも、単管足場に座り込む闘争に共産党は決して加わらなかった。かれらからは、「安保反対無き悪しき現場主義」とよくののしられた。)
この二つの違いは、沖縄人をどう見るかの違いでもある。一方は沖縄人のエネルギーを発揮させようとし、他方は、全国の安保反対の力の結集によってしか、沖縄人は救えないとする。一方は沖縄は独自の課題をもつ特殊な地域ととらえ、他方は、沖縄は日本の一部一県とする。
このような違いも出てくるなかで、山城博治は昨年十月不当逮捕され、微罪容疑にも関わらずいまだに保釈されない。山城のまわりには人が集まる。ひとりの人間の思想や役割が、日本政府にとって脅威とおもわれ、長期拘留を受けている。このことは、そこに沖縄人と日本政府との対立の核心点が潜んでいると思われるのである。
山城博治さんを即時釈放せよ!
知事権限行使を徹底させ、ただちに「撤回」を実現しよう!(3・1記 沖縄T)